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追う、追われる

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 この男は飯塚がどういう人間で、何の理由があってここにいたかをはっきりと理解している。村木は手のひらに汗が滲むのを感じた。

 男は竹下と名乗った。本名かは分からない。高岡が偽名を使っていることも考えられる。怪我をしていた飯塚を助け、一年程ここで一緒に住んでいたが、先の通り死んだのだという。

──竹下、竹下か……どこかで聞いたことのある名字だな。

 珍しくもない名字だから、きっと仕事関連で目にしたのだろうが、妙に引っ掛かる。最近、どこかでこの文字を見た気がするのに思い出せない。

「あの、失礼ですが、飯塚さんが亡くなったというのは」
「あっけない。崖から落ちて死んじゃったんだ、この山のね。一年も住んでて慣れてるはずだったのにね」

 そんなことを言う竹下は一見淋しそうで、白々しい演技をしているようにも見えた。

「飯塚さんとは元々の知り合いではないのでしょう。何故、住まわせたのですか?」
「帰りたくないみたいだったから」
「そうですか」

 竹下の顔色は変わらず、知られて困る内容ではないような表情をしている。

 どこまで話を信用していいのかは、今のところ判断が付かない。ただ、これを逃しては、二度と好機には出会えないだろう。

「あの、失礼なことをお聞きしますが、先ほどおっしゃっていた目的が達成されたというのは、新聞等で知ったということですか? それとも」

「俺たちがやったか──って聞きたいの?」
「いえ、あの」
「やったって言ったら?」

 むくむくと、記者心が膨れ上がった。いけない、それどころではないのに。自分の命を助けるためにやってきたのではなかったか。自ら罠に引っかかる獲物もいいところだ。村木は前のめりになった。

「聞かせてください」
「あは。あんたすごいね。殺人鬼を前にしてさ」
「知りたいんです。ただ、事の真相を」

「いいよ。面白いから。あの子が死んじゃってさ、やることもなくて退屈だったんだよね。モデルもいないし、あいつらのパーツも作り終わっちゃったし」

 竹下がおもむろに立ち、すぐ傍のドアを開けた。鈍い音がしてそれは開かれた。中にはおびただしい数の義手や義足が、壁一面に飾られていた。

──ああ、だから彼女には手があったのか。

 気持ち悪さと納得が同時に襲ってきた。やはり竹下だ、一連の犯人は。ということは、あの写真も彼が送ったことになる。今すぐ逃げた方がいい。すでに四人を殺害している凶悪犯だ。しかし、彼からは殺意を全く感じなかった。

「手を、作ったのですか」
「飯塚さんの? うん。手、無くしちゃったからさ、彼女」
「それならもしかして」
「殺してないよ」

 先手を取られた。彼は飯塚を殺していない。噓かもしれないが、村木には判断が付かない。そもそも、西村の証言を信用すること前提の問いかけだったので、始まりからあやふやだった。どちらが正しいのか、飯塚殺しの物証が無い状況では村木はどちらに向けばいいのか分からない。ただ、あまり竹下の機嫌を損ねることはしたくなかった。そこは違う誰かが調べればいい。今は四人の方が重要だ。

「すみません。一つお願いがあるのですが」
「あんたは殺さないよ。もう達成してるって言ったでしょ」

 小さな希望を懐に入れておきたくて、泡みたいな質問をしてしまった。竹下の言う通りだ。殺人鬼を前にして。ただ、内容とは別に殺さないと言ってもらえただけ御の字である。それ通りに進むかは分からないが。和やかな雰囲気の勢いに任せて村木が続ける。

「そうですか。それを聞いて安心しました。お願いというのは、私が帰るまで、ドアを開けっぱなしにしてほしいのです」

「いいよ。虫が入ってくるけど」
「有難う御座います」

 殺さないと言われても、殺してきた男を信用することは難しい。ドアを開けていれば、いざとなればすぐに逃げだせる。凶器を持った瞬間、走り出せばいい。内緒で録音もしておこう。

 それにしても、消印の無い封書はつまり、本人が郵便受けに入れたことになる。その割には、竹下は村木の顔を知っている素振りがなかった。演技ということだろうか。それとも顔は知らず、被害者の周りをうろついている人間の名前だけ突き止め、犯行予告をしたということか。こちらはまだ名乗っていない。竹下も気にしていないらしい。これはやはり、名前を知っていると覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 竹下が入り口近くに立つ村木に手招きする。

「こっち来てよく見なくていい?」

 どうやら自分の作品を自慢したいようだ。しかし、不用意に竹下の懐に飛び込む真似をするわけはない。

「ここからでもよく見えますので」
「そう。じゃあ、そこにでも座ってて」

 てっきり、作品に興味を見せない仕草をしたら怒り出すかと思ったが、何の感情も伝わってこなかった。彼の心情がなかなか理解出来ない。竹下が棚から雑誌を取り出し、ぱらぱらめくりながら戻ってきた。

「さて、どう説明しよう。あいつらを殺した。それだけなんだけど。単純でしょ」
「何故貴方が? 飯塚さんの交友関係で貴方は浮上しなかったはずですが」
「まあ、一年前だからね。あいつらに殺されそうになってたのを助けて知り合ったんだ」

 一年前、そう聞いたところで、村木がふと思い出した。

「あ、近隣住民の竹下さん」
「なにそれ?」
「あ~、ええと」

 言うつもりはなかったのに、声に出してしまった。今さら誤魔化せない。村木は両手を挙げた。

「失礼しました。飯塚さんの事件の聞き込み調査で、竹下さんの名前が書かれていたのを思い出しまして」
「やっぱ警察じゃん!」

 不機嫌になった竹下に村木が慌てる。
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