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騎士サイドⅢ 変革
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生まれて初めて見る皇帝とやらは、思ってたよりもずっと若くて、とても気怠げに見えた。
床から数段分上にあるデカくて豪華な椅子のアームレストに頬杖をついている。
あたしが人攫いと一緒に謁見する部屋に入ったときも、大した反応もなく、興味がなさそうな視線を向けてきた。
人攫いに相変わらずだなと言ったときに一瞬見えた忌々しげな表情は、ふたりの関係を如実に語っていた。
謁見する部屋に入る前に、人攫いはあたしにこう言った。
「陛下はそれはそれは慈悲深い御方だからね。キミの自由は確定したようなものだ。安心するといい」
その顔も、もちろん貼り付けた笑みを湛えていた。
この国の皇帝が人々から「紅蓮の皇帝」と呼ばれていることぐらいは、あたしみたいな貧民街のガキにも伝わっていた。そのときはなんで紅蓮なんだろうとか、そもそも紅蓮ってなんだ? とかよくわからなかったけど、ひと目見て、納得せざるを得なかった。
真っ赤な髪をオールバックに撫で付け、そこへ金の冠が、この人のために誂られたのかと思うぐらいにしっくり納まっている。瞳の色は、髪の色と似ているが、もっとずっと鮮やかな紅。燃えるように鮮烈な紅。
皇帝の見た目に注視していたら、いつの間にか人攫いがいなくなっていた。
「貴様、名はなんと申す」
問われて、あたしは答えられなかった。
そんなあたしを叱責するでもなく、皇帝はあたしを騎士候補生とすることに決めたようだった。
教育係、と皇帝に呼ばれてやってきたのは、背の高い細身の男だった。
「ヨーデル、其奴をいずれ我の騎士につける。そのために必要なことをすべて叩き込め」
「かしこまりました、陛下」
深く一礼したヨーデルとやらは、あたしのほうを一瞥して
「着いてこい」
と一言残すと、さっさと謁見の部屋を出ていった。
扉を開く前にもう一度皇帝に頭を下げていた。あたしも慌てて皇帝にぺこりとお辞儀をして、足早に謁見の部屋を出た。
廊下であたしが追いつくと、男はこちらを振り向きもせずに
「私はヨーデル。ヨーデル・モンゴメリ。貴様の教育係を仰せつかった。今日はすぐに食事を用意するから、好きなだけ食べるといい。それから風呂はひとりで入れるな? 食事が終わるタイミングで入れるようにしておく。衣服もこちらに任せてくれればいい。部屋は……貴様、記憶力に自信は?」
急に話を振られたので、ヨーデルの歩く速度に着いていくので精一杯だったあたしはしどろもどろにしか答えられなかった。
「えっあっ、えっ、と、ものを覚えるのは、あんまり得意じゃない、です」
そんなあたしをなんとも思っていないのか、ヨーデルは淡々と続ける。
「そうか、では三回だけ貴様の部屋まで案内をつけよう。それ以降は自力で部屋まで行くように」
三回……。どう考えてもこのだだっ広い王宮の中で、ひとつの部屋を覚えるのに、たった三回では無理としか考えられなかった。
「何事も無理だとはなから諦めていたら、何も出来ん」
考えていたことが顔に出ていたのか、即座にヨーデルに釘を刺された。
「陛下の側仕えの騎士となるからには、それこそ膨大な物事を自らに吸収させねばならん。そしてそれら知識や経験を持ち合わせていたとしても、騎士になれるかは己次第だ。なれん者も、もちろんいる。さて、貴様はどちらに転ぶのだろうな」
ふっ、と嘲るような笑みを向けられて、かちんときたあたしは、
「はん! なってやるさ、騎士でもなんでも! 誰にもあたしを、馬鹿になんかさせやしない!」
鼻で笑い飛ばし、大声で啖呵をきった。宵闇が迫り始めた広い広い廊下に、それはびりびりと響き渡った。
翌日から、ヨーデルによる教育が始まった。
なお、自分の部屋として与えられた部屋に置いてあったベッドは、これまでのふかふかとは一線を画すレベルのふかふか具合だった。一生埋もれていたかった。しかし、無慈悲に起こしに来たヨーデルによって、その目論見は潰された。
クローゼットに用意されていたのは、人攫いのところのお手伝いさんが来ていたようなエプロンドレスがあってスカートで、みたいなやつではなく、スーツのような、パンツスタイルのものだった。
「それは執事服だ。教育の一環として、体を動かすことも多くなるため、そちらにした」
あたしはそんなものを着たことなんてなかったので、女のお手伝いさん(メイドさんというらしい)に手伝ってもらって着替えた。
「手伝ってもらえるのは今回だけだ。次からはひとりで着るように。
これから朝食だが、ついでに朝食でのマナーを教えよう。今日はひと通り教えるだけだが、明日からは間違える度に朝食の品が減ると思え」
王宮に来てまで、飯の問題を抱えることになろうとは。とんだ死活問題である。
従者用の食堂へ行くまでにも、歩き方をものすごく注意された。
猫背にならない、前を向いて顎を引く、指先までぴんと伸ばす、足はかかとから下ろす、階段を上るときに足元を見ない……などなど。
これも一度しか言わない、と宣言されてしまったので、気をつけないとどうなることか。
ヨーデルからは昨日出会ったときからすでにスパルタの気配を感じていたので、罰が怖い。
飯は貪るように食うことしか知らなかったから、食器の使い方など逐一注意されて、全然食った気がしなかった。
王宮の人間や貴族みたいなのは、いつもこんな七面倒臭いことをしながら飯を食ってるのか。ガツガツ食っちまったほうが早いのにな、と思ったところで、こいつらには飯を早く食わないと横取りされるとか、そういうことがないんだと気づいた。いつだってゆっくり食っても満腹が保証されてやがるんだ。……住んでる世界が違うって、こういうことなんだな。
「貴様のくだらん鬱屈を溜めている暇はない。これから読み書きの授業だ。行くぞ」
ヨーデルには見透かされていたようだった。それでも、あたしの鬱々とした気持ちを吹き飛ばす強引さが、今はありがたかった。
着いていった先は、小さな書斎のような部屋だった。
「今日から座学はこの部屋で行う。場所を覚えておくように」
しまった、食堂からここまでの道順をすでにはっきり思い出せない。
「時間に遅刻した場合のペナルティも用意してあるから安心するといい」
なんの安心だ……。
「さあ、まずは文字の読み方を教えよう」
こうして、あたしの騎士候補生としての日々はスタートを切ったのだった。
床から数段分上にあるデカくて豪華な椅子のアームレストに頬杖をついている。
あたしが人攫いと一緒に謁見する部屋に入ったときも、大した反応もなく、興味がなさそうな視線を向けてきた。
人攫いに相変わらずだなと言ったときに一瞬見えた忌々しげな表情は、ふたりの関係を如実に語っていた。
謁見する部屋に入る前に、人攫いはあたしにこう言った。
「陛下はそれはそれは慈悲深い御方だからね。キミの自由は確定したようなものだ。安心するといい」
その顔も、もちろん貼り付けた笑みを湛えていた。
この国の皇帝が人々から「紅蓮の皇帝」と呼ばれていることぐらいは、あたしみたいな貧民街のガキにも伝わっていた。そのときはなんで紅蓮なんだろうとか、そもそも紅蓮ってなんだ? とかよくわからなかったけど、ひと目見て、納得せざるを得なかった。
真っ赤な髪をオールバックに撫で付け、そこへ金の冠が、この人のために誂られたのかと思うぐらいにしっくり納まっている。瞳の色は、髪の色と似ているが、もっとずっと鮮やかな紅。燃えるように鮮烈な紅。
皇帝の見た目に注視していたら、いつの間にか人攫いがいなくなっていた。
「貴様、名はなんと申す」
問われて、あたしは答えられなかった。
そんなあたしを叱責するでもなく、皇帝はあたしを騎士候補生とすることに決めたようだった。
教育係、と皇帝に呼ばれてやってきたのは、背の高い細身の男だった。
「ヨーデル、其奴をいずれ我の騎士につける。そのために必要なことをすべて叩き込め」
「かしこまりました、陛下」
深く一礼したヨーデルとやらは、あたしのほうを一瞥して
「着いてこい」
と一言残すと、さっさと謁見の部屋を出ていった。
扉を開く前にもう一度皇帝に頭を下げていた。あたしも慌てて皇帝にぺこりとお辞儀をして、足早に謁見の部屋を出た。
廊下であたしが追いつくと、男はこちらを振り向きもせずに
「私はヨーデル。ヨーデル・モンゴメリ。貴様の教育係を仰せつかった。今日はすぐに食事を用意するから、好きなだけ食べるといい。それから風呂はひとりで入れるな? 食事が終わるタイミングで入れるようにしておく。衣服もこちらに任せてくれればいい。部屋は……貴様、記憶力に自信は?」
急に話を振られたので、ヨーデルの歩く速度に着いていくので精一杯だったあたしはしどろもどろにしか答えられなかった。
「えっあっ、えっ、と、ものを覚えるのは、あんまり得意じゃない、です」
そんなあたしをなんとも思っていないのか、ヨーデルは淡々と続ける。
「そうか、では三回だけ貴様の部屋まで案内をつけよう。それ以降は自力で部屋まで行くように」
三回……。どう考えてもこのだだっ広い王宮の中で、ひとつの部屋を覚えるのに、たった三回では無理としか考えられなかった。
「何事も無理だとはなから諦めていたら、何も出来ん」
考えていたことが顔に出ていたのか、即座にヨーデルに釘を刺された。
「陛下の側仕えの騎士となるからには、それこそ膨大な物事を自らに吸収させねばならん。そしてそれら知識や経験を持ち合わせていたとしても、騎士になれるかは己次第だ。なれん者も、もちろんいる。さて、貴様はどちらに転ぶのだろうな」
ふっ、と嘲るような笑みを向けられて、かちんときたあたしは、
「はん! なってやるさ、騎士でもなんでも! 誰にもあたしを、馬鹿になんかさせやしない!」
鼻で笑い飛ばし、大声で啖呵をきった。宵闇が迫り始めた広い広い廊下に、それはびりびりと響き渡った。
翌日から、ヨーデルによる教育が始まった。
なお、自分の部屋として与えられた部屋に置いてあったベッドは、これまでのふかふかとは一線を画すレベルのふかふか具合だった。一生埋もれていたかった。しかし、無慈悲に起こしに来たヨーデルによって、その目論見は潰された。
クローゼットに用意されていたのは、人攫いのところのお手伝いさんが来ていたようなエプロンドレスがあってスカートで、みたいなやつではなく、スーツのような、パンツスタイルのものだった。
「それは執事服だ。教育の一環として、体を動かすことも多くなるため、そちらにした」
あたしはそんなものを着たことなんてなかったので、女のお手伝いさん(メイドさんというらしい)に手伝ってもらって着替えた。
「手伝ってもらえるのは今回だけだ。次からはひとりで着るように。
これから朝食だが、ついでに朝食でのマナーを教えよう。今日はひと通り教えるだけだが、明日からは間違える度に朝食の品が減ると思え」
王宮に来てまで、飯の問題を抱えることになろうとは。とんだ死活問題である。
従者用の食堂へ行くまでにも、歩き方をものすごく注意された。
猫背にならない、前を向いて顎を引く、指先までぴんと伸ばす、足はかかとから下ろす、階段を上るときに足元を見ない……などなど。
これも一度しか言わない、と宣言されてしまったので、気をつけないとどうなることか。
ヨーデルからは昨日出会ったときからすでにスパルタの気配を感じていたので、罰が怖い。
飯は貪るように食うことしか知らなかったから、食器の使い方など逐一注意されて、全然食った気がしなかった。
王宮の人間や貴族みたいなのは、いつもこんな七面倒臭いことをしながら飯を食ってるのか。ガツガツ食っちまったほうが早いのにな、と思ったところで、こいつらには飯を早く食わないと横取りされるとか、そういうことがないんだと気づいた。いつだってゆっくり食っても満腹が保証されてやがるんだ。……住んでる世界が違うって、こういうことなんだな。
「貴様のくだらん鬱屈を溜めている暇はない。これから読み書きの授業だ。行くぞ」
ヨーデルには見透かされていたようだった。それでも、あたしの鬱々とした気持ちを吹き飛ばす強引さが、今はありがたかった。
着いていった先は、小さな書斎のような部屋だった。
「今日から座学はこの部屋で行う。場所を覚えておくように」
しまった、食堂からここまでの道順をすでにはっきり思い出せない。
「時間に遅刻した場合のペナルティも用意してあるから安心するといい」
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