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26【黒猫のお誘い】

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俺はジョッキに残されたエールを一気に飲み干すと、最後の枝豆を口に放り込んで新鮮な味を堪能する。

「さて、どんな仕事があるか観てくるかな」

俺が椅子から立ち上がるが、一緒のテーブルで飲んでいたアンジュがだらしなくお皿の上に倒れていた。ミニスカートのメイド服からパンツが見えそうになるぐらいの大の字で寝てやがる。

「しゃあねえなぁ。アビゲイル、アンジュを頼むぜ……」

『畏まりました、マスター』

両手で酔い潰れるアンジュを抱え上げたアビゲイルが掲示板に向かって進む俺の後ろに続いた。その腕の中でアンジュはスヤスヤと眠っている。

完全に酔い瞑れていた。小さな体にエールをジョッキ一杯はキツかったのかも知れない。

「それにしても──』

俺はアンジュの寝顔を覗き込んだ。

流石は小さな妖精少女だ。寝ている姿だけは可愛らしい。しかし、これが先程までエールをおやじっぽく胡座をかいて煽っていた輩だとは思えない。

そして、俺が掲示板の前に立つと、その横を複数のジョッキを両手に持ったウェイトレスのララーさんが通りすぎる。

「あらあら~、ごめんなさ~い。後ろ通りますよ~」

「おおぅ……」

俺は俺の背後を忙しげに通りすぎるララーさんを観て驚いた。その片手にジョッキを六つずつ、両手に計十二杯のジョッキを運んでいたからだ。

おそらくひとつのジョッキに入るエールの量は1,5キロぐらいだろう。だとするならば、ララーさんは18キロ以上のジョッキを運んでいることになる。なんてパワフルな腕力と握力なのだろうか。

「すげーなー。あの数の他に、あの巨乳まで一緒に運んでいるんだろう。ララーさんはかなりの力持ちだな」

俺が感心しながらララーさんの仕事っぷりを眺めていると、彼女の後ろを付いて回る黒猫の姿に気付く。

「猫?」

その黒猫はララーさんがジョッキを運んだ先のテーブルに飛び乗ると、お客たちに向かってねだるようにニャ~ンと鳴くのだ。その姿が可愛らしい。

「おいおい、ここの酒場は猫を飼っているのか。衛生的に問題ないか?」

だが、俺の心配をよそに他のお客たちは、その黒猫に餌を与えている。摘まみに食べていた鶏肉やらを千切って黒猫に与えているのだ。完全に黒猫は店に馴染んでいる。

俺は近くを通りすぎたジェシカを捕まえると彼女に訊いた。

「なあ、この酒場は猫を飼っているのか?」

ジェシカは黒猫を一瞥してから素っ気なく返す。

「あれは野良猫よ。うちの店で飼ってるわけじゃあないわ」

「おいおい、野良猫かよ。尚更問題だろ……」

するとテーブルの上の黒猫と目が合った。黒猫が不思議そうな眼差しで俺を凝視していたからだ。そこで俺も新たな異変に気が付いた。

「あれ、あの黒猫、尻尾が2本ないか……?」

確かに尻尾が2本ある。2本の尻尾が波打つように揺れていた。

「猫又?」

猫又とは日本の妖怪だ。尻尾が2本あるから猫又と呼ばれているらしい。詳しいことは知らんけど。

そして、俺が呟いた刹那だった。黒猫の視線が俺から外れる。その視線を追うと黒猫はアビゲイルのほうを観ていた。

否。アビゲイルを観ているのではない。アビゲイルが抱えているアンジュのほうを観ているのだ。

アンジュはスヤスヤとアビゲイルの腕の中で眠っているが、その背中から生えた半透明な翔が揺れていた。その翔を黒猫は凝視しているようだった。

「んん~」

俺が喉を唸らせた。すると黒猫がアビゲイルに向かって走り出す。そして、飛び付いた。

黒猫の狙いは勿論アビゲイルの腕の中で眠っているアンジュである。

そして、パクゥ~っとアンジュを咥え込むとアビゲイルから妖精を奪い取った。そのまま店の外へ走っていってしまう。

「『あー……」』

呆然とする俺とアビゲイル。二人して何が起きたのか理解できずにしばらくかたまった。

「拐われた?」

『拐われました、マスター』

すると俺の背後からジェシカが言った。

「あれ、不味くないの?」

「ヤバい!」

途端、走り出す俺とアビゲイル。俺たちは黒猫を追って店の外に飛び出した。

店の外には町の人々が闊歩している。その隙間を縫うように素早く走っていく黒猫。その速度ば敏捷で速い。

「不味い、不味い!!」

『アンジュさんが野良猫に拐われました』

「おいおい、使い魔にした次の日に使い魔を失ったとか言ったら洒落にならんぞ!」

俺とアビゲイルは路地を疾走して逃げる黒猫を追う。だが、その速度は速すぎる。人間の足で追い付ける速度ではなかった。直ぐに黒猫を見失う。

「アビゲイル、猫はどっちに行った!?」

『こちらです、マスター』

俺の前を走っていくアビゲイルが人で溢れる道を曲がって路地に入っていった。その後ろを追う俺。だが、路地に入った途端に足を止める。俺の前にはアビゲイルもたち尽くしていた。

「これは……」

路地の先。そこには店が看板を出していた。店の名前は【ドラマチックショップ・ミラージュ】。その店の前にアンジュを咥えた黒猫が立っていた。追って来た俺たちのほうを見ている。

「なんだ、このアダルトショップみたいな店の名前は……」

あまりのインパクトに立ち尽くす俺だったが、アビゲイルは別の理由で立ち尽くしている様子だった。

そして、立ち止まる俺たちを観ていた黒猫が踵を返して店の中に入っていく。店の扉が僅かに開いていたのだ。

「あの店の中に入ったぞ!」

そう声を荒立てた俺がアビゲイルの横を過ぎようとしたところ、アビゲイルに止められる。アビゲイルが腕を横に伸ばして俺の進行を遮ったのだ。

「どうした、アビゲイル?」

『マスター。店の前に何か居ます』

「ええっ?」

俺が店のほうを観たが何も居ない。俺に見えるのは可笑しな店の佇まいだけである。

否……。

「んん~。いや、なんか居る……』

目を凝らしてみれば何かが居る。確かに居る。

それは半透明な人型。まるでステルス迷彩を纏っているかのような人影だった。



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