魂/骸バトリング

ヒィッツカラルド

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3・退治の依頼

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梅雨が明けた残暑厳しい季節。

太陽の日差しが砂浜を照らし、観光客たちに真夏のバカンスを楽しませていた。

砂浜は観光客で溢れている。

家族連れ、カップル、ナンパに励む若者、砂浜は真夏一色のパラダイスと化している。

都会から離れた温泉街の浜辺。

地元の子供たちの姿は見えるが、大人たちは観光客相手に夏のボーナスを稼いでいた。

今が稼ぎ時、遊んではいられないのだ。

蒼い海が続く海岸沿いの国道に、一台のバスが走る。

右手が海で、左手が険しい山の絶壁。

海はキラキラと瑪瑙色に輝き、とても美しく澄んで見えた。

そのような長閑な景色が、バスの窓から永い時間続いていた。

市街から温泉街を目指す一台のバス。

温泉街を目指すには電車もあるが、バスで向かっても大差変わらない。

そのぐらいの時間と距離である。

バスの中には数人のお客が乗車していた。

殆どが観光客に窺えた。

トロピカルな格好や旅行鞄を持っている。

これから海水浴で遊ぶといった、浮かれた空気を醸し出している。

楽しそうに連れと話して笑い、他人へと迷惑にならない程度で賑わっていた。

バスの車内は、節約の為なのかクーラーを掛けていない。

しかし窓の多くが開かれ爽やかな風が、車内に優しく飛び込んで来ていた。

それだけで暑さが気にならなくなる。

最後部の席。その横長の席に二人は座っていた。

並ぶ二人は些か違和感が見て取れる。

座っていても長身だと分かる男性と小柄な美少女。

二人はバスに乗ってから会話一つしていない。

無言のまま真っ直ぐ前を見ているだけだ。

しかし、二人の違和感が他の客の気分を阻害していることもなかった。

ただ、二人は空気のように静かに座っている。

男性は皺一つないパリッとした白いワイシャツに、グレイのビジネスズボンを穿いている。

暑さにめげることなく地味なネクタイを、緩める事無くビシッと締めていた。

二十台半ばだろうか―――。

地味な黒縁眼鏡の下には、にやけた営業スマイルが保たれていた。

真面目で勤勉なセールスマンのようなイメージが強い。

その男性の隣に座る少女は、彼とは異なり涼しげな白いワンピースを着ている。

若干気の強そうな表情を覗かせる少女だったが、顔立ちは間違いなく可愛い。

綺麗な黒髪が、窓から入る夏の風に時折靡く。

隣の男とは、十歳ほど歳が離れているように見えた。

親子というよりは兄妹に見える。

だが、顔は似ていない。

ならば教師と生徒。そのようにも見えた。

恋人ではないだろう。恋人だとしたら犯罪かと思える歳の差だ。

バス内のお客たちが楽しそうにしているのとは別に、二人は後部座席の真ん中を陣取って何も話さない。

少女と男は、真っ直ぐ正面を見ながらバスに揺られて居るだけだ。

運転手がたまにルームミラーを覗くと二人と視線が合った。

運転手は、気まずさを感じて直ぐに視線を外した。

外の景色が大自然よりも人の営みが多くなり始めると、とあるバス停で二人は降りた。

そして海を背にして歩き出す。

小さなお店が並ぶ緩やかな登り坂の道。商店街と呼ぶほどの通りではない。

海の側だけあって浮き袋やパラソルなどの海水浴用のアイテムを販売する古びた店が何軒か在る。

スナックや居酒屋のような店もあるが、まだ時刻は昼前頃だ。

それらの店が開くには早い時間帯だった。

二人は、そのような町並みの道を歩いて進んだ。

緩やかな坂道を登る二人。

何度か家族連れの一団や若いカップルたちとすれ違う。

皆が海岸を目指していたが二人が目指すのは、この温泉街で一番の大地主の屋敷だった。

バスを降りて二十分ぐらい歩くと、目的の屋敷が見えてくる。

町の奥。山の斜面に造られた石垣の上。和風の大きな屋敷だった。

二人は長く続く石畳の階段を上り屋敷の門前に立つ。

大塚と標識が目に入った。間違いなく、今回の依頼主の屋敷だ。

門をくぐる二人は、そのまま玄関を目指して歩いた。

玄関までが、また長い。

とても広い敷地だった。

この温泉街一の大地主というのは嘘ではなさそうだ。

玄関に到着すると男がインターホンを鳴らす。

「どちら様でしょうか」と、お手伝いさんと思える女性の声が聴こえて来る。

中高年の声だった。

男は軟らかい口調で返した。

「大塚剛三氏に呼ばれました、三外軒太郎と申します」

「少々お待ちくださいませ」

しばらくすると声の主と思われる女性が玄関を開けた。

そして、二人は中へと招かれる。

二人は二十畳ほどの広い客間に通された。

とても豪華な部屋だった。

高価な応接セット。西洋アンティークの家具。その上には骨董なのか値段のはりそうな花瓶や大皿が飾られていた。

二人はソファーに腰を下ろし寛ぎながら、今回の依頼主である大塚剛三氏を待った。

そして間もなくして、待ち人は現れる。

「やあ、お待たせしました」

軽い挨拶と共に姿を現したのは、痩せた七十歳ぐらいの老人だった。

男だけが席を立ち、礼儀正しく頭を下げる。

少女は、座ったままだ。

「三外軒太郎です」

「大塚剛三です。まあ、おかけください」

二人は挨拶をそこそこに終える。

そして軒太郎は、再びソファーに腰を下ろした。

剛三も二人の正面に座り向かい合う。

大塚剛三という人物は、顔に皺が多く、頭も白髪で薄くなった老人だった。

身形は普通。このような大きな屋敷の主とは思えない程に地味に見えた。それだけに人の良さそうな表情をしている。

一つ一つの身振りに義が映っていた。

元々剛三は、この辺一帯を治めていた武家の眷族だ。

この温泉街の多くの土地が、大塚家の貸地である。

しかもこの大塚剛三、かなり出来た人格の持ち主ときている。

金欲よりも情に厚く、涙もろくて面倒見が良い。

この町の顔役を永く務めている。

善人の中の善人だ。

「こちらのお嬢さんは?」

剛三が軒太郎の隣に座る可憐でクールな少女に付いて訊いてきた。

流石に無視ができない存在感を強く感じたからだ。

「これは憑き姫と申します。私の助手みたいなものです」

軒太郎がそう言うと、すぐさま憑き姫が反論の言葉を飛ばす。

「いいえ、私のほうが軒太郎より上ですわ。むしろ私のほうが本体と言えましょう」

「本体……?」

剛三が人の良さそうな表情に苦笑いを浮かべながら首を傾げた。

最近の若者が考えていることは分からないと心で呟いていた。

「まあ、そんなことはどうでもいいでしょう。さっそくですが仕事のお話をしませんか」

「そうですな……」

軒太郎の言葉に剛三の表情が濁る。客間の明かりが暗くなったように感じられた。

「いったい何があったのですか?」

「三外殿は、妖怪と言うものを信じますか?」

軒太郎の質問に、剛三はそう返した。

「私の仕事は、霊媒、祓い、退魔にUFOまで、オカルト専門のなんでも屋ですよ。他人にインチキと呼ばれても、信じますかと訪われることは、あまりにも愚問です」

「そ、そうですね……」

剛三は、更に苦笑いを強める。

この人たちは宇宙人までも相手にしているのか、と思い、依頼したのを僅かに後悔していた。

実に怪しい……。

「もう一度訊くわ。何があったの?」

さらりとした口調で憑き姫が話を急かす。

冷静で美しい眼差しだった。

剛三は、僅かな時間、憑き姫の瞳を見詰めた後、テーブルに視線を落としてから出来事を語り出す。

「山に、妖怪が出るのですよ……」

老いた声は、確かに震えていた。何かに怯えている。

「どんな妖怪ですか?」

「牛のように大きなカエルの体に、ワニのような口をした化け物です……。全身深い緑色でした……」

剛三は、自分で言っていることが信じてもらえないと思っていた。そう言う口調である。

「貴方は、その妖怪を見たのですか?」

「はい、見ました……。だから、社会的地位も名誉もある私が、恥を考えずに退魔師なんかを呼んだのです……」

「はは、恥ずかしいですか」

今度は、軒太郎が苦笑いを作る。

営業スマイルを崩さない口元が、ヒクヒクと引きつっていた。

「貴方が恥ずかしがろうとも、私に取って関係ないわ。妖怪を退治して、報酬をきちんと払ってもらえれば問題なしということ。誰が嘲笑おうとかまわない。勝手に笑えばいい」

そう言いながら真っ直ぐ剛三を見詰める憑き姫。

氷の如く冷たい視線は、まだ十五六歳の少女が見せる双眸には見えなかった。

「ぅ………」

七十歳の剛三が押されていた。

憑き姫は、剛三が言った「退魔師なんか」と、言う台詞に怒りを感じている様子である。

思わず剛三が憑き姫の脅迫的瞳に押されて背筋を伸ばす。

「すみません。口が過ぎました……」

この二人は本物なのでは、と剛三が信用し始めていた。

「私は気にしていませんから」

軒太郎が浅く微笑みながら言う。

「私は気にしていますわ」

憑き姫が浅く微笑みながら言う。

――とても怖い。

「仕事の話が進まないですね。剛三氏、おねがいします」

「ああ、すみません……」

黒縁眼鏡のずれを直す軒太郎に促され、剛三氏がことの成り行きを話を始めた。

「初めて緑色の怪物を目撃されたのは、山中でバス事故が起きた直後でした。高校のサッカー部が試合の為に市街の会場に向かっている途中の事故です。死者が一名出た悲惨な事故でした」

曇った表現で話を続ける剛三。

「その事故の際、バスに乗っていたマネージャーの少女が初めて、その化け物を見たと言い出したのです。最初は誰もが事故で混乱しているだけだと思い少女の話を聞きませんでした。何せ事故処理で大騒ぎでしたからね……」

語る剛三は腰掛けた膝の上に両肘を置き、両手を組みながら指を世話しなく動かしている。落ち着きがない。

それを憑き姫は冷たく見詰め、軒太郎はネクタイのずれを直しながら聞き続ける。

来客の二人には余裕が感じられた。

「事故が起きた後です。バスの運転手が山中の神社で首をくくり、奥さんが手首を切って自殺しました。そのころから山沿いの農家でニワトリなどが襲われるようになりました……」

「まずは家畜からか――。王道な話ね」

憑き姫が囁いた。

その後に剛三が話を続ける。

「最初は熊の仕業かと思いました。しかし二週間前、山に山菜を採りに入った老婆が、帰ってこない事件が起きましてね。産まれた頃からこの山で育った老婆です。とても道に迷ったとは思えず、きっと事故か何かで動けなくなったのでは、と皆が考え、町の男を集めて捜索隊を結成して老婆を探しました。しかし……」

剛三の緊張に硬直を見せる。

世話しなく動いていた指も止まり、固く両手を組み合わせながら力を込めていた。

「しかし?」

軒太郎が訊き直す。

まるで物語の続きをせがむ子供のような期待感が満ちた表情だった。笑っているのだ。

だが剛三は、テーブルに視線を落としており、そのような軒太郎の表情に気づいていなかった。

話を繋げる。

「しかし老婆は、遺体で発見されました。しかも腹を割かれ、内臓を食われた姿で……」

憑き姫が冷静に言う。

「人を食ったのね」

その意味に動じていない。

「老婆の遺体には、動物の歯形に似たものが残っていました。鮫のような鋭く大きな歯形です。しかし警察では、熊か野犬に襲われたのではないかと判断されました。その段階では、私もそう考えていましたし、それが普通の見方です」

「では、いつから妖怪の仕業だと?」

「熊であれ野犬であれ、人の肉を喰らったのです。ほっとく訳にもいきません。猟銃会の者たちに、山へと入ってもらいました。万が一にでも熊が町に近づいているようなら危険ですからね。観光客に被害が出たら、町全体の損害になります」

「しかし現れたのが、熊でなく化け物だったと?」

「はい、そのとおりで……」

「猟銃会にも被害が出たのかしら?」

他人を心配するような憑き姫の言葉に、軒太郎が視線だけで隣を見た。珍しいことなのだろう。

「はい、出ました。その緑色の妖怪と出くわし発砲した男性が、妖怪に腕を噛まれて負傷しました」

「なるほどね。やっこさんは、随分と大胆に姿を現しているようだな」

多くの妖怪が人間から姿を隠し、忍び、暮すことが多い。

そして気まぐれに姿を現しては人を驚かせたりして楽しんでいるのだ。

しかし、件の妖怪は、明らかに食料を求めて忍ぶことなく動き回っている。

露骨に危険な存在であった。

冬眠に失敗した羆よりも性質が悪い。

「照れ屋さんじゃなくて都合がいいじゃない。探す手間が随分と省けそうだわ」

「そうだな、憑き姫」

二人が笑っていた。

剛三には二人とも怪しく見えた。寒気が背筋に走る。

「ところで貴方は、何処で妖怪を見たの?」

剛三に憑き姫が問う。

「私は家の窓からでした。二階の窓です……」

剛三の屋敷は、この町でも山沿いにある。窓から山肌ぐらいは近くに見えるのであろう。

「それで鬼気迫り、我々に依頼を入れたのですね」

「はい……」

「だから社会的地位も名誉もある貴方が、恥を考えずに退魔師なんかを呼んだのですね」

憑き姫のしつこい嫌味が飛ぶ。

「すみません……」

祖父が孫娘に苛められているようだ。

憑き姫は、結構と根に持つタイプらしい。

しかし、自分の家の裏手に妖怪が迫ったのだ。ことを急がせる訳も理解できた。

暫し沈黙が流れる。

「分かりました」

そう言い軒太郎が立ち上がると、続いて憑き姫も立ち上がった。

「おお、では早速退治に向かっていただけますか!?」

腰を上げた二人を見て剛三が期待に顔を明るくさせる。希望を見い出した表情であった。

自然と剛三の腰も浮き上がる。

「バカを言わないで、お爺さん」

「え?」

少女がいきなり言った。

憑き姫の言葉に、剛三が目を点にさせながら動きを固める。

「まずは情報収集からですよ、剛三氏」

「情報収集……、ですか?」

軒太郎が言うが、剛三はキョトンとした表情を続けていた。

「相手がどんな妖怪か、どれだけ強いかがはっきりしていないのです。まずは敵の戦力を悟り、作戦を立てるのが妥当。それには情報を集めるのが最初の行動です」

営業スマイルで語る軒太郎のプランはもっともに聞こえた。

剛三も納得する。

「敵を知り、己を知れば、百戦誤らずってやつですわ」

憑き姫が偉そうに言う。

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずが、正しい言い方かと……」

剛三が恐る恐る正す。

「そうとも言うわね」

憑き姫の声には揺るぎない自信があった。

彼女の中では、彼女が一番正しい存在のようだ。

過ちを認めようともしていない。

それが、自負として映る。

剛三には、何人かの孫が居る。

しかし、目の前に居る少女のような捻くれた孫は一人も居ない。

そんな自分にホッとする。

「剛三氏、お願いがあるのですが」

「なんでしょうか、三外殿?」

「まずは、バス事故の際に、初めて妖怪を見たと云うサッカー部のマネージャーに会いたいのですが、はからってもらえませんか?」

「分かりました。連絡を取って、私がお車で案内いたしましょう」

「かたじけない」

軒太郎の申し出を、剛三が容易く応じる。そして客間を出て行った。

それからしばらく経つと三人は、剛三が運転する車で屋敷を後にした。

一向は、妖怪の情報を求めて温泉街に繰り出して行く。


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