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2・変わりだす少年
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僕が生きた十七年の年月を通して、今が一番不幸の真っ最中なのかもしれない。
僕の住む町は、山と海に挟まれた小さな温泉街である。
町と呼ぶよりも村に近い人口だ。
この町の殆どの住人が、何らかの観光業に関わる仕事で暮らしている。
僕の家族もそうだった。
父は町の旅館で観光バスの運転手や雑用の仕事をやっていた。
母も同じ旅館で仲居をやっていた。
夏になれば海水浴の客で旅館はごったがえす。
冬は、ウィンタースポーツの若者が多く訪れ、また夏とは違う賑わいを増す。
山沿いにスキー場が一つあるが、最近の冬は雪不足で大変らしい。
温泉も幾つかあるので、季節に関わらず観光客は絶えない。
素朴で静かな良き町である。
しかし僕を包む環境が一転する事件が起きた。
それは一ヶ月前の話だ。
まだ梅雨が続く月の始まりである。
そのころの僕は、まだ普通と呼べる少年時代を送っていた。
高校も二年目、部活はサッカー部を真面目にこなしていた。
体力には人一倍自信があったのだが、技術が低く、レギュラーを狙うどころの話ではなかった。
どうにも不器用なのだ。
ドリブルも下手糞で、シュートをしてもオッペケペーな方向に飛んで行く。
そんな僕は大会になると、いつも選手を励ます応援を飛ばす役目に専念していた。
ベンチを暖めるのが役割である。
そのような高校生活を日々繰り返す僕は、それでも青春に不満を持たず満喫していた。
それがずっと続くと思っていた。
そして事件が……、否、大事故が起きた。
大事故とは、この町にある唯一の高校のサッカー部が、県大会の試合に出る日の話である。
その日は選手と応援団を乗せたマイクロバスが、市街のサッカー場を目指して走っていた。
僕もそのマイクロバスに乗っていた。
マイクロバスは旅館が貸し出してくれた車だ。
運転手は僕の父だった。
そして市街を目指し山道を走るバス内は、サッカー部の生徒たちで騒がしく賑わっていた。
同級生や先輩たちが試合前なのにワイワイとはしゃいでいる。
しかし次の瞬間世界が激しく回転した。
何が起きたのか理解すらできずに、回るバス内を僕は、激しい流れに身を任せるように舞った。
僕だけじゃない。他の生徒や皆の荷物が跳ね回っていた。
何度も視界が回り、その回数分だけ体のあちらこちらを何かにぶつけた。
どのぐらい回ったのかもわからない。
なんで回ったかもわからない。
そして僕の意識が途絶えた。
それからどのぐらいの時間が過ぎたのか――。
周りから呻く声が聞こえて僕は目を覚ました。
とても苦しそうな呻き声が多く聞こえる。
マイクロバスが逆さまになっている様子だった。
バスの外からは、マネージャーの女の子が叫ぶ声が響いていた。
「たすけてー、たすけてー」と――。
何が何だかわからない。
僕の上に誰かが覆いかぶさっていた。
一人じゃない。
二人、否、三人ぐらい覆いかぶさっていた。
重くて動けない。
その上から呻き声が聞こえる。
「痛い」「苦しい」と、聞こえてくる。
僕の肩や首筋に暖かいものが垂れてきていた。
真っ赤な鮮血――。
僕に覆い被さっている誰かの血だ。
僕は下敷きになって身動きが取れないが、重み以上の苦しみはない。
大きな怪我はしていない様子だった。
しかし僕らは、四時間近くそのままの常態で放置された。
だが、僕に取って本当の苦しみは、救出されてからだった。
あとから知った話だが、僕らの乗ったマイクロバスは、父の運転ミスでガードレールを突き破り二十メートル近く土手を転げ落ちたらしい。
事故現場は市街に向かう山中。事故がおきてから救出されるまで四時間掛かった。
事故の原因は父の過失。
マイクロバスに乗っていたのは、顧問の男性教師と二十一人のサッカー部の生徒たち。
殆どの生徒が怪我をして、うち五人は骨折などをする重症。
うち一人が頭を強打して死亡した。
即死だったと診断されたらしい――。
死んだのは、僕の上に覆い被さっていた一人だった。
一つ上の先輩だ。
顔も良く覚えていた。
仲も良かった――。
救出された僕は、彼の血液で上半身を紅く染めていたが、幸運にも無傷だった。
それもまた切ない――。
事故を起こした父は、軽症だったが検査のため入院した。
しかし直ぐに退院することになった父に、警察から出頭願いが出されていた。
その日の父は、朝早くから警察署に出頭すると母に云って家を出て行った。
だが父は、その日を最期に家には帰ってこなかった。
警察にも出頭していない。
町の人は、父が逃げたと噂した。
しかし父は、数日後、山中の神社で見つかった。
境内の木の枝で、首を括っていたのを発見されたのだ。
―――自殺である。
骨折などの傷を負った生徒たちは、今後サッカーどころか日常生活に支障が出ると診断される人もいた。
それ以上に死者も出たのだ。
その罪の重みを父は、背負っていくことができなかったのだろう。
父は真面目な人物だった。
だが、息子の僕から見ても小心者であるのを否定できないほどに、気の弱いところがあった。
それでも僕の父だ。
十七年間育ててくれた父なのだ。
死んで悲しくない訳がない。
しかし父が死んでも悲しんでいる余裕は、僕に与えられなかった。
今度は母だ――――。
父が自殺したのを知った母は、風呂場で手首を切ったのだ。
後追い自殺を図ったのである。
僕が見つけた時には既に、母は水が満ちている浴槽内で冷たくなっていた。
風呂の水は、ワインのように紅く鮮やかに染まっていたのを今でも忘れられない。
あの紅い色が、記憶に焼きついて離れない
両親共に自殺だ。
僕は、すべてが終わったと思えた。
その場に崩れ落ち、自分も自殺しようと考えた。
だが、僕にはそのような勇気がなかった。
父と母の子供なのに、自殺する勇気を持ち合わせていない。
臆病なまま生き続けることしかできなかった。
その日からだ、町の色が違って見え始めたのは……。
そう僕には見えたが、町の人たちには、僕の姿が違って見えていた筈だ。
僕は、人殺しの息子だ。
僕は、人殺し一家の生き残りだ。
町の人たちの視線が、冷たく突き刺さる。
学校に行っても、登校中の生徒たちの目が、僕を罪人のように見ていた。
冷たい視線。
怒りの感情。
噂する陰口。
怨む想い。
それらが全身に浴びせられ、孤独と恐怖が膨れあがった。
ある日、僕は教室に辿り着く前に引き返す。
怯えながら学校を出た。
逃げるように走り、全力で走り続けた。
ただ逃げた──。
教室に入れば、もっと恐ろしい状況が待っているのではないかと想像してしまい、怯えの津波が押し寄せたからだ。
罪悪感が、僕をひたすらに苦しめた。
その日以来僕は、家に引きこもった。
学校にも行かず、外に出るのも食品を買い込みに行くぐらいで、殆ど外に出なかった。
カーテンを閉め切った一軒家。僕は自縛霊の如く寂しく暮らした。
親戚からも連絡はなかった。
学校からも、警察からも、市の役所からも、連絡はなかった。
皆が僕を忘れようとしている。
町のすべてが、僕を、僕の一家を、記憶の中から葬り去ろうとしているように感じられた。
そんな日々が続くと、一ヶ月もしないうちに僕の中で、何かが少しずつ壊れる音が聴こえ始めた。
殻が割れ落ち、心が流れ出す――。
暗い家の中、独りぼっちの僕が変わっていく。
徐々に闇へと溶けていく。
僕の心が、僕の身が、何かに変化していく。
それが何かはわからない……。
「なんだ、これは……」
ふと自分の両手を見る。
まるで獣のような剛毛が生えていた。
硬そうな灰色の体毛。
信じられない。
錯覚では、と疑う。
だが、現実だ。
僕の頭が可笑しくなった訳ではない。
体全身が痛い。メキメキと音を立てていた。
口の中が可笑しい。手を当ててみると牙が生えていた。
「僕は……」
僕が化け物に変わっていく――。
僕が何かに変わってく――。
僕の体が変わっていく――。
僕は――。
変わっていく――。
僕の住む町は、山と海に挟まれた小さな温泉街である。
町と呼ぶよりも村に近い人口だ。
この町の殆どの住人が、何らかの観光業に関わる仕事で暮らしている。
僕の家族もそうだった。
父は町の旅館で観光バスの運転手や雑用の仕事をやっていた。
母も同じ旅館で仲居をやっていた。
夏になれば海水浴の客で旅館はごったがえす。
冬は、ウィンタースポーツの若者が多く訪れ、また夏とは違う賑わいを増す。
山沿いにスキー場が一つあるが、最近の冬は雪不足で大変らしい。
温泉も幾つかあるので、季節に関わらず観光客は絶えない。
素朴で静かな良き町である。
しかし僕を包む環境が一転する事件が起きた。
それは一ヶ月前の話だ。
まだ梅雨が続く月の始まりである。
そのころの僕は、まだ普通と呼べる少年時代を送っていた。
高校も二年目、部活はサッカー部を真面目にこなしていた。
体力には人一倍自信があったのだが、技術が低く、レギュラーを狙うどころの話ではなかった。
どうにも不器用なのだ。
ドリブルも下手糞で、シュートをしてもオッペケペーな方向に飛んで行く。
そんな僕は大会になると、いつも選手を励ます応援を飛ばす役目に専念していた。
ベンチを暖めるのが役割である。
そのような高校生活を日々繰り返す僕は、それでも青春に不満を持たず満喫していた。
それがずっと続くと思っていた。
そして事件が……、否、大事故が起きた。
大事故とは、この町にある唯一の高校のサッカー部が、県大会の試合に出る日の話である。
その日は選手と応援団を乗せたマイクロバスが、市街のサッカー場を目指して走っていた。
僕もそのマイクロバスに乗っていた。
マイクロバスは旅館が貸し出してくれた車だ。
運転手は僕の父だった。
そして市街を目指し山道を走るバス内は、サッカー部の生徒たちで騒がしく賑わっていた。
同級生や先輩たちが試合前なのにワイワイとはしゃいでいる。
しかし次の瞬間世界が激しく回転した。
何が起きたのか理解すらできずに、回るバス内を僕は、激しい流れに身を任せるように舞った。
僕だけじゃない。他の生徒や皆の荷物が跳ね回っていた。
何度も視界が回り、その回数分だけ体のあちらこちらを何かにぶつけた。
どのぐらい回ったのかもわからない。
なんで回ったかもわからない。
そして僕の意識が途絶えた。
それからどのぐらいの時間が過ぎたのか――。
周りから呻く声が聞こえて僕は目を覚ました。
とても苦しそうな呻き声が多く聞こえる。
マイクロバスが逆さまになっている様子だった。
バスの外からは、マネージャーの女の子が叫ぶ声が響いていた。
「たすけてー、たすけてー」と――。
何が何だかわからない。
僕の上に誰かが覆いかぶさっていた。
一人じゃない。
二人、否、三人ぐらい覆いかぶさっていた。
重くて動けない。
その上から呻き声が聞こえる。
「痛い」「苦しい」と、聞こえてくる。
僕の肩や首筋に暖かいものが垂れてきていた。
真っ赤な鮮血――。
僕に覆い被さっている誰かの血だ。
僕は下敷きになって身動きが取れないが、重み以上の苦しみはない。
大きな怪我はしていない様子だった。
しかし僕らは、四時間近くそのままの常態で放置された。
だが、僕に取って本当の苦しみは、救出されてからだった。
あとから知った話だが、僕らの乗ったマイクロバスは、父の運転ミスでガードレールを突き破り二十メートル近く土手を転げ落ちたらしい。
事故現場は市街に向かう山中。事故がおきてから救出されるまで四時間掛かった。
事故の原因は父の過失。
マイクロバスに乗っていたのは、顧問の男性教師と二十一人のサッカー部の生徒たち。
殆どの生徒が怪我をして、うち五人は骨折などをする重症。
うち一人が頭を強打して死亡した。
即死だったと診断されたらしい――。
死んだのは、僕の上に覆い被さっていた一人だった。
一つ上の先輩だ。
顔も良く覚えていた。
仲も良かった――。
救出された僕は、彼の血液で上半身を紅く染めていたが、幸運にも無傷だった。
それもまた切ない――。
事故を起こした父は、軽症だったが検査のため入院した。
しかし直ぐに退院することになった父に、警察から出頭願いが出されていた。
その日の父は、朝早くから警察署に出頭すると母に云って家を出て行った。
だが父は、その日を最期に家には帰ってこなかった。
警察にも出頭していない。
町の人は、父が逃げたと噂した。
しかし父は、数日後、山中の神社で見つかった。
境内の木の枝で、首を括っていたのを発見されたのだ。
―――自殺である。
骨折などの傷を負った生徒たちは、今後サッカーどころか日常生活に支障が出ると診断される人もいた。
それ以上に死者も出たのだ。
その罪の重みを父は、背負っていくことができなかったのだろう。
父は真面目な人物だった。
だが、息子の僕から見ても小心者であるのを否定できないほどに、気の弱いところがあった。
それでも僕の父だ。
十七年間育ててくれた父なのだ。
死んで悲しくない訳がない。
しかし父が死んでも悲しんでいる余裕は、僕に与えられなかった。
今度は母だ――――。
父が自殺したのを知った母は、風呂場で手首を切ったのだ。
後追い自殺を図ったのである。
僕が見つけた時には既に、母は水が満ちている浴槽内で冷たくなっていた。
風呂の水は、ワインのように紅く鮮やかに染まっていたのを今でも忘れられない。
あの紅い色が、記憶に焼きついて離れない
両親共に自殺だ。
僕は、すべてが終わったと思えた。
その場に崩れ落ち、自分も自殺しようと考えた。
だが、僕にはそのような勇気がなかった。
父と母の子供なのに、自殺する勇気を持ち合わせていない。
臆病なまま生き続けることしかできなかった。
その日からだ、町の色が違って見え始めたのは……。
そう僕には見えたが、町の人たちには、僕の姿が違って見えていた筈だ。
僕は、人殺しの息子だ。
僕は、人殺し一家の生き残りだ。
町の人たちの視線が、冷たく突き刺さる。
学校に行っても、登校中の生徒たちの目が、僕を罪人のように見ていた。
冷たい視線。
怒りの感情。
噂する陰口。
怨む想い。
それらが全身に浴びせられ、孤独と恐怖が膨れあがった。
ある日、僕は教室に辿り着く前に引き返す。
怯えながら学校を出た。
逃げるように走り、全力で走り続けた。
ただ逃げた──。
教室に入れば、もっと恐ろしい状況が待っているのではないかと想像してしまい、怯えの津波が押し寄せたからだ。
罪悪感が、僕をひたすらに苦しめた。
その日以来僕は、家に引きこもった。
学校にも行かず、外に出るのも食品を買い込みに行くぐらいで、殆ど外に出なかった。
カーテンを閉め切った一軒家。僕は自縛霊の如く寂しく暮らした。
親戚からも連絡はなかった。
学校からも、警察からも、市の役所からも、連絡はなかった。
皆が僕を忘れようとしている。
町のすべてが、僕を、僕の一家を、記憶の中から葬り去ろうとしているように感じられた。
そんな日々が続くと、一ヶ月もしないうちに僕の中で、何かが少しずつ壊れる音が聴こえ始めた。
殻が割れ落ち、心が流れ出す――。
暗い家の中、独りぼっちの僕が変わっていく。
徐々に闇へと溶けていく。
僕の心が、僕の身が、何かに変化していく。
それが何かはわからない……。
「なんだ、これは……」
ふと自分の両手を見る。
まるで獣のような剛毛が生えていた。
硬そうな灰色の体毛。
信じられない。
錯覚では、と疑う。
だが、現実だ。
僕の頭が可笑しくなった訳ではない。
体全身が痛い。メキメキと音を立てていた。
口の中が可笑しい。手を当ててみると牙が生えていた。
「僕は……」
僕が化け物に変わっていく――。
僕が何かに変わってく――。
僕の体が変わっていく――。
僕は――。
変わっていく――。
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