身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい

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原田巴について

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 僕は昔から、ちょっと早とちりなところのある子どもだったと思う。
 憧れたのはパン顔のヒーロー。弱きを助け、悪い奴にはゲンコツ一発、ばいばいきんと吹き飛ばす。
 次に出会ったのは全身を単色のタイツに見に包んだ戦士たち。彼らは強大な敵と力を合わせて戦った。どんな苦境に陥ろうと、仲間を信じ、助け、助けられて乗り切った。
 仮面のバイク乗りたちにも夢中になった。というか、高校生になった今でも大好きだ。僕の部屋には歴代のライダーたちのフィギュアが飾られていて、毎朝起きると、おはようございますと挨拶をする。彼らは寡黙に頷いて、僕の一日に確信をくれる。
 幼い頃、ヒーローの姿のプリントされたシャツを着ていた。男の子たちと一緒に駆け回り、ヒーローごっこをして遊んだ。
 両親はそんな僕を見て不安だったと思う。時々保育園の先生に、うちの子は大丈夫でしょうかと心配げに尋ねていたのを覚えている。先生は少し首を捻りながら、そういう子もたまにいますよ、と曖昧に笑っていた。
 僕にはテレビで見かけるヒーローとは別に、もう一人、ヒーローがいた。彼女は時々家にやって来て、僕を見るといつも胸の前で小刻みに手を振った。
 彼女は僕の従姉だった。母の妹の子どもで、年は僕より十も上。優しくしてくれて、僕がヒーローごっこをしたいと言えば嫌な顔もせずに付き合ってくれた。
 僕は彼女のことを敬意をこめて、渚お姉ちゃんと呼んでいた。
 小学三年生くらいのことだったか。地元の大きな公園でヒーローショーが開かれた。女の子向けのプリティなヒーローと、男の子向けのライダーがやって来る。
 僕は行きたいとせがんだ。
 僕の目当ては当然ライダーの方。でも両親は僕に女の子向けのショーを見に行くことを薦めた。周りは男の子ばっかりで、きっとつまらないよと僕を諭した。むしろ、女の子向けの方じゃないと連れて行かないとまで言い出した。幼稚園生向けのショーだったので、年齢的にも浮いてしまうことを心配していたようだ。
 そんな時、僕を助けてくれたのは渚お姉ちゃんだった。
「わたしが連れて行きますよ」
 お姉ちゃんは両親をそう言って説得してくれた。
 僕はお姉ちゃんに連れられてヒーローショーに行った。
 案の定、会場にいるのは親と一緒に来た年下の男の子ばかりだった。どうしてこんなところに僕みたいな大きな女の子がいるのだろうと、そんなことを大声で親に尋ねる子もいて、僕はいたたまれなくて、開演の前、渚お姉ちゃんの袖を引いた。
「もう帰る」
 どうして僕は男の子じゃないんだろう。どうしてこんなところに来てしまったんだろう。僕は悔しくて、悲しくて、ずっとつまらなそうな顔をしていた。
 お姉ちゃんはそんな僕を元気づけようとして、ずっと一人で楽しそうに、しきりに話しかけてくれていたのに、その話にもほとんど何も返さなかった。
 ふてくされたように僕が言うの聞いたお姉ちゃんは困ったように首を傾げて、どうして帰るの、とか、もうちょっと一緒に見て行こうよ、とか言った。でも僕は意固地になって、黙って首を振るばかりでちっともらちが明かなかった。
 そうと見るやお姉ちゃんはそれまでの笑顔を急に引っ込めて、僕に視線を合わせてしゃがみこんだ。
「巴ちゃんが何が好きで、何が好きじゃなくったって、それを決めるのは、巴ちゃんなんだからね」
 僕がそれから何度、その言葉に救われることになっただろう。
 僕が好きなもののことを、僕の周りの子たちはあまり理解してくれなかった。僕が嬉しそうに話をするたび、巴ちゃんの話は難しいとか、そんなことを言われて、僕はどんどん一人になっていった。
 僕は堪らなく寂しくなって、みんなが好きなものを僕も好きになってみようとか、いっそ僕の好きなものを嫌いになってしまえればいいとさえ思った。
 そんな時にお姉ちゃんの言葉を思い出した。
 僕が好きなものを決めるのは、周りの誰でもない、僕自身。
 そう思うとなにくそという気持ちになって、好きなものを好きなままでいる勇気がわいてきた。お姉ちゃんの言葉は、僕を僕のままでいさせてくれた。
 でもその言葉は小学三年生の僕にとっては難しくって、僕は首を傾げてしまった。お姉ちゃんが真剣に言ってくれていたことは分かったけれど、いまいちぴんと来なかった。
 それを見たお姉ちゃんは少し苦笑いをして僕の頭を撫でた。
 それから立ち上がって、周りにも聞こえるような少し大きめの声で言った。
「ごめんね、付き合わせちゃって。わたし、ライダー大好きだからさ。詰まんないのは分かるけど、もうちょっと一緒にいてよ。一人じゃ心細くって」
 お願い、とお姉ちゃんは僕に両手を合わせてみせた。僕は有無を言わさない雰囲気に呑まれて小さく頷いた。お姉ちゃんは僕の手を握って、ありがと、と笑った。
 ショーが始まってしまうと、それまで僕の中にあった不安ややるせなさは嘘みたいに消えてしまった。
 ライダーたちが本物じゃないってことくらい、僕にも分かる。キックはどう見ても当っていなかったし、悪役たちも明るい日の光の下でみればどこか人が好さそうに見えた。
 でも、彼らはヒーローだった。僕を含めた会場の子どもたちは声を合わせて歓声を上げ、ピンチの時にはエールを送った。
 彼らは僕に場違いさを忘れさせてくれた。
 僕のことも仲間に入れてくれた。
 ショーの後、握手会があった。
 僕は年下の子どもたちの列に並ぶのをしり込みしたけれど、お姉ちゃんは僕の手をぐいぐい引っ張ってヒーローたちの前に連れて行った。
 僕は緊張してしまって、憧れの相手を前にしても何一つ話せなかった。そんな僕の肩を優しく叩いて、ヒーローはぱっと手を広げた。
 ハイタッチ。
 終わった後、お姉ちゃんは僕に、良かったね、と笑いかけた。僕は心臓がどきどきして何も答えられなかった。まだ興奮が渦をまいて、それを治める術が見当たらなかった。
 しばしして落ち着いてくると、うん、とだけ頷いた。その時の気持ちを表せる言葉を、僕はまだ持っていなかった。
 連れてきてくれてありがとうの言葉を、僕はお姉ちゃんに言えなかった。
 一緒にいてくれてありがとうという言葉も。
 そんな出来事がなくったって、僕はお姉ちゃんのことが大好きだったし、それはいつまで経っても同じことだったろう。
 でも、その日から変わったと思う。僕のヒーローにもう一人加わった。僕はお姉ちゃんのことを尊敬するようになった。それこそ、小学校の宿題の尊敬する人の作文に、お姉ちゃんのことを書くくらいに。
 さて、それから時が経って僕は十五歳になった。僕は中学三年生、お姉ちゃんは二十五歳。
 お姉ちゃんは僕の家の近くで一人暮らしをしていた。僕は仕事や勉強で忙しくしているお姉ちゃんのために夕飯のおすそ分けを持って行ったり、掃除をしに行ってあげたりして、時々は泊まって帰ることもあった。
 その日、お姉ちゃんは家にいなかった。
 行くよって言っておいたのに、と僕は頬を膨らませてため息を吐き、溜まりっぱなしの洗い物を片付けたり、脱ぎっぱなしの服を洗濯したりしてお姉ちゃんの帰りを待っていた。
 こういうことはこれまでもたまにあった。でも大抵は仕事が長引いてのことが多かったし、じきに連絡が来たものだ。
 でもこの日は少し様子が違った。あんまり遅いから連絡をしても既読にならない。電話をかけても出てこない。
 なにかあったのかしらんと僕は不安になって、お姉ちゃんの家で一人、じっと夜遅くまで待っていた。
 夜中にドアの開く音がして、うつらうつらとしていた僕は急いで玄関に出た。
 鍵を開けっ放しにしていたドアは一度締まって、するとドアの向こうから大きな舌打ちが聞こえてきた。知らない男の人がドアを開けようとしているのならどうしようと不安になったけれど、すぐに向こうから、なんであかないの~、と甘えたような弱り切ったような、呂律の回り切っていないお姉ちゃんの声が聞こえてきた。
 僕は慌てて内側からドアを開けた。するとドアの前には、顔を真っ赤にして、ワイシャツの襟元も緩めただらしない恰好のお姉ちゃんが立っていた。完全に出来上がっているというヤツだ。こんな風になっているお姉ちゃんを、僕はあまり見たことがなかった。
 呆れてなにか言う前に、お姉ちゃんは僕を見てへにょりと笑った。ともえちゃんじゃ~ん、という声と共に両手を広げて、いきなり僕の首根っこに抱き着いた。
 僕はたたらを踏んで、こらえきれずに背中からこけた。強かに床に頭を打って目の前に星が散る。
 僕は抗議の声を上げようとしたけれど、それは叶わなかった。
 何かで口を塞がれていたのだ。
 それがなにか分かるよりも、開きかけた唇の間に、ぬとりと粘ついた熱いものが侵入してくる方が早かった。
 それで僕はようやく、お姉ちゃんにキスをされていることに気が付いた。
 僕はじたじたと足掻いて逃げようとした。けれどお姉ちゃんはしっかりと僕の顔と身体を固定していて、全然逃げられそうもない。
 お姉ちゃんは舌を使って僕の口の中を犯した。
 知識だけは最低限持っていたものの、僕は唇と唇を触れ合わせるだけのキスさえ経験したことがなかったし、まだ自慰行為すらしたことがなかった。口の中に這い回る未経験の感触に感じるものは、快感よりも戸惑いと恐怖の方が大きかった。
 お姉ちゃんはキスをしたままで僕の身体をまさぐった。服を脱がせて、僕の控えめな胸を揉んだ。その手は正中線を辿って、ジーンズのチャックを下ろした後で下着の中に侵入した。
 この時に必死で暴れていれば逃げられたかもしれない。でも僕の身体は訳の分からない身体の奥の火照りや、信頼していたお姉ちゃんに犯されていること、ぷんとかおる酒臭さや、唾液を飲まされているという気持ち悪さにおののいて、怯えすくんでいた。
 僕は昔から早とちりなところのある子どもだった。
 自分のだと思って持って帰った水筒が全然違う子のものだったり、テレビの録画予約をしたら、間違って別のチャンネルを録画していたり。最近では、テストで問題文を最後まで読んでいなくて、間違えるはずのない問題を間違えたりしている。
 僕はお姉ちゃんを尊敬すべき人だと思っていた。お姉ちゃんは僕のヒーローだった。
 でも、それも僕のよくある早とちりの一つに過ぎなかった。
 翌朝目が覚めると、お姉ちゃんは昨夜自分がなにをしたのか、すぐに思い出したようだった。寝ぼけ眼で僕の姿を見た時のあの顔ったら。顔面蒼白って、ああいうのを言うんだろうね。
 お姉ちゃんは僕の前で土下座をした。
 申し訳ありませんでした。
 もうしません。
 忘れてください、わたしも忘れます。
 僕は昨日、途中でいびきをかいて眠ってしまったお姉ちゃんをひきずって行った先のベッドに腰かけて、お姉ちゃんのそのあまりにも情けない姿を傲岸に足を組んで眺めている。
 乱れたシャツもそのままに、あんなに大きく見えていたお姉ちゃんの背中は僕の視線の下で震えていて、僕は平板に、ふーん、と言った。
 その日、僕のヒーローが死んだ。

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