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現存最古の呪術師
しおりを挟む~前回までのあらすじ~
雪崩に呑まれたボクは、気づくと一人きりで洞穴の中で彷徨っていた。そんな時、ミドウ・ツチミヤと出会う。知り合いを見つけて喜んだボクだったけれど、ミドウさんはボクをイザナと呼び、どうにも様子がおかしい。
うええ、いいから助けてよ~っ!
***
ボクの口が勝手にイザナと名乗ると、ミドウさんは急に相好を崩した。
一瞬驚いた表情を浮かべた後、嬉しそうにボクの背中に腕を回す。驚いて離れようとした意思に反して、ボクの腕も勝手にミドウさんを緩く抱き締めた。
「……おお。イザナか!」
「ミドウ、世話をかけたようだね」
あっ、また勝手に口が動いた。
なんだ、どうなってる?
ボクは自分で自分の身体を自由にすることができなかった。
誰かに身体を乗っ取られている。
たぶんあの、水の夢で一度会った男だ。
あいつが、ボクの中にいる。
ミドウさんとイザナは、狼狽えるボクのことなど忘れたように気安く会話を続けている。
「あの時は間に合わなくて済まなかったな。イツツバの暴走が起きたのに気づいて急いで向かったんだがね、すでに君は事切れていたよ。
何があった?」
イザナはぴくりと眉をしかめた。
「……許しがたいことさ。アスミがイツツバの巫女にされた。僕は彼女を守り切れなかった。僕が刺されたのを見て、アスミはイツツバの力を使ったんだ。
あれからどうなったか、教えてくれないか」
「そうだったか、アスミが……。
あの場所には湖ができているよ。アル・ムールの湖って呼ばれている。君はアスミと折り重なるようにして死んでいたよ」
「……そうか」
イザナは辛そうに顔を俯けた。
「僕があんなものを作りさえしなければ、アスミがあんなところで死ぬことはなかった。僕が殺したようなものだ」
「……そうだな。その意味では僕も同罪だ。やはりあれは破壊せねばならん。
が、ともかく。
嬉しい客人だ。こんなところで会えるとは思ってもみなかったよ」
ミドウさんは辛気臭くなった雰囲気を変えるように明るい調子で言った。
「だが、さっきまでのお前はイザナじゃなかったと思ったのだが。でも今は確かにお前だ。どうしたことだ?」
「転生だよ。僕はこの子に生まれ変わったんだ。今は、この子が名を失ったおかげで無理に表に出て来られているだけさ」
なるほどな、とミドウさんは納得した様子で頷いた。
「実は式神がしばらくの間戻っていなくてね。外で何が起こっているのか、どのくらいの時間が経っているのか、よく分かっていないんだ。
つまり君が再びこの世に戻ってくるほどの時間が、あれから流れたというわけか」
そしてミドウさんは何かしようとして首を傾げる。
「……おかしいな。式が反応しない。フミルの王都にいるようだが。……ああ、凍結されているな。ちっ、へまをしたな。アマミヤの弟子め、なかなかやる」
ミドウさんは面白そうに笑うと、ボクに目を遣って何か掴み取るような仕草をした。
その時、身体の内側から何かを持っていかれるような心地がして、一瞬の浮遊感がボクを襲った。
しかしすぐに収まる。
気づくと、ミドウさんは不機嫌な顔をしてボク――イザナを見ていた。
「なぜ抵抗する? 霊力を回収して式の記憶を見るだけだ。元々は僕のものだろう」
「そうだね。でも僕は、記憶を見ればもしかしたら君が敵に回るんじゃないかって懸念しているんだ」
イザナは穏やかな調子で答えた。
その穏やかさを際立たせるように、空気がぴんと重苦しいものに変わった気がした。
さっきからボクはずっと置いてけぼりだった。
どうして仲良さげだった二人が急に睨み合っているのかちっとも分からない。
ボクは今やイザナの中にぽつりと間借りさせてもらっているような状態だった。
さっきからどうにか身体を取り戻そうとしているけれど、ちっとも手ごたえがない。
もしかしたらボクはイザナに乗っ取られて、ずっとこのままなのかもしれない。
そんなのは嫌だった。
お前は、もう一生分生きただろう。
確かに不本意な最期だったのかもしれないが、だからってボクが譲ってやる理由にはならない。
ボクは、やっと始まったばかりなんだ。
ボクの人生は一度終わって、でもシノ様に拾われて、また動き出したんだ。ボクはこれから死ぬまでシノ様と一緒に生きていくんだ。
だから、返せよ!
しかしいくら叫んでみたところで、その声がイザナやミドウさんに伝わっている様子はなかった。
ミドウさんはいぶかしむような表情で言った。
「君は僕の敵なのか?」
「違う、僕は君の友だ。ただ、だからこそ君と争いたくはない。
どうか、記憶を取り込んでもすべてのことに目をつぶると約束してくれないか」
イザナの返答を聞いて、ミドウさんはしばらく瞑目して考え込んでいた。
そして重苦しい時間のあと、ふと瞼を開けてぽつりと呟いた。
「そうか……。イツツバの転生体が見つかったんだな?」
イザナが何か答えるより早く、ミドウさんの周囲で、霊力が逆巻くようにうねったのが分かった。
イザナはそれを見て即座に跳び退った。
ボクはすぐに、洞窟の壁にぶつかると思った。
イザナの一歩は歩いているというよりも飛行しているかのように、高速で長距離の飛躍だったからだ。
しかしその時にはすでに、周囲は先ほどまでの一部屋ほどの空間ではなく、無窮に広がる大洞窟の内側の景色へと変わっていた。
「さて、名無しくん」
イザナが唐突に一人で話し始めてから一拍おいて、ようやくボクは自分に話しかけられていることに気が付いた。
おい、身体返せよ、このヤロー!
思い切り喚き散らしてみるが、どうもイザナには聞こえている様子はない。
代わりにボクの中に彼の思念が流れ込んでくる。
「また会ったね。水の夢の中で言葉を交わして以来かな。君は今、何が起こっているのかさっぱり分からないだろうから説明しておこう」
お、おう。それは助かる。
「まずは謝罪をしておこう。
ぶしつけに君の身体を乗っ取ってしまってすまないね。
でも君が名を失ったりしなければ、ミドウにあれこれと詮索される前に帰れたんだ。君とシノさんの為にわざわざ出てきたのだから、あまり怒らないでほしいね。
まあ、元をたどれば僕の責任だから、恩に着せるつもりはないんだが」
それを聞いて安心した。
少なくともイザナは、ボクの身体を乗っ取ってそのまま、というつもりはないようだ。
以前にも助けてくれたのだし、わざわざ状況説明までしてくれるのであれば信用してもいいのだろう。
まあ、今のボクには何もできないので、信用するしかないのだけれど。
しかし次の言葉で、ボクはふっと気を引き締める。
「ミドウ・ツチミヤ。
彼は危険だ。
悪い奴ではないんだが、イツツバを危険視し、破壊しようとしている。というのはつまり、宿主であるシノさんごとってことさ」
えっ……、でも。
ミドウさんはシノ様の育ての親で、師匠で、シノ様が大好きな人で、ミドウさんもたぶん、ボクの見間違いじゃなければ、シノ様のことを大切に思っていて……。
「彼は、君やシノの知っているミドウとは別の存在なんだ。
どう言えばいいのか……。
彼は、オリジナルのミドウでね。
紛らわしいからツチミヤとでも呼ぼうか。
ツチミヤは大昔の大呪術師でね、今は天外山脈の霊力に溶け込んで強大な力を得るのと引き換えに、身体を失くし、山々の暗がりに閉じ込められているんだ。
君たちや僕が実際に知っているミドウは、ツチミヤが外の状況を知ったり何かに干渉したりするために放った式神なんだ。
式神と言っても、ツチミヤ自身とほとんど同じになるように作られた、かなり精巧なコピーらしい。
常時感覚や思考を共有しているわけじゃなく、時々山に戻り、情報を伝える。どうやら長い間、サボっているみたいだけどね。
たぶん、ミドウもシノさんの存在をツチミヤに知られたくなかったんだろう。
つまり、君の見立ての通りだ。ツチミヤと君の知っているミドウの考えは対立している」
ええと……、頭がこんがらがってきたぞ。
つまり、ミドウさんは二人いて、オリジナルのミドウさん、ツチミヤはシノ様を殺すべきだと思っているし、ミドウさんはシノ様を守りたいと思っている……?
「イツツバというのは僕がアマミヤ家に命じられて作った神霊を封じた呪具なんだ。
かなり強力な代物なのは、シノさんの近くにいる君なら分かるだろう。
ミドウとはイツツバを作る旅の途中で会い、意気投合してね。
あいつの協力がなければ、道半ばで僕は何度か死んでいただろう。
しかしツチミヤは、ミドウが僕に協力していることを知るとイツツバの作成に反対した。
たった一人の人間、集団が持ってもいいことにはならないというのがその理由だ。
結論を言えば、やはりその判断は正しかった。
過ぎたる力は人を狂わせるし、実際そうなった。
でも、僕はツチミヤに頼み込んでイツツバを完成させることを了承させたんだ。
しばらくしたら破壊するという条件付きだったがね。
その時には僕も、ツチミヤの言うことをそんなに深くは考えてみなかった。
当時のボクはアマミヤ家で立場を築くことが最優先の目標だったんだ。そのためにはイツツバを完成させ、力を見せつけなくてはならないと思っていた。
悔やんでいるよ。
イツツバはツチミヤの懸念のとおり、非道にもやがてアスミという少女に封じられた。
そしてアスミの死と共に、地形を変えるほどの天変地異をもたらし世界から消えた。
ツチミヤにとっては、破壊すべき対象の所在が分からなくなる厄介な事件だったんだろう。
ツチミヤはイツツバの転生を危惧し、ミドウにずっとその所在を探らせていた。
そして時が経ち、ミドウはアスミが転生してこの世に生まれたことを察知した」
それがシノ様ってことか。
ということはシノ様が身の内に膨大な霊力を秘めているのは前世でイツツバって呪具を封じられたからで、アマミヤ家はその呪具を取り戻すべくシノ様を狙っている。
そして今はツチミヤも、シノ様のことを狙っている。そうなることを予期していたから、ミドウさんはシノ様の存在をツチミヤに隠していた。
どうしてか主人に逆らってまでそんなことをしているのか分からないけど、シノ様のことが大事だからって、そういう理由だったら嬉しいな。
その時、ずっと後方へ高速で移動していた景色が不意にがくりと止まった。
同時、身体に激しい衝撃が走る。
ボクは一瞬意識が揺らぎ、イザナも苦しそうに息を詰めた。
なんだ、とボクが喚く間にも、イザナは腰から何かを抜く動きをした。
その手にはいつしか長剣が握られ、イザナが薙ぎ払う動作をすると、ふっと洞窟の景色が厚い雲に覆われた白い雪原へと変わっていた。
そして息を吐く暇もなく、イザナはさっと後方へ飛び退る。
剣を盾のように構え、しかし次の瞬間には、イザナの剣はべこべこと針金のように折れ曲がっていた。
「ふーむ、まずいね。思ったよりもたないかも」
イザナは呑気に呟いた。
ボクは、何がまずいのかすらよく分からないけどね!
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