スノウゴースト

みのりすい

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プロローグ

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 冬の日、傘を拾った。
 道端に転がる真っ黒な傘。誰の手から飛ばされてきたのか、開いた状態のまま電柱と家の塀との間に挟まって、風の吹くたびに音を立てて震えていた。
 島田由布はその傘を見つけてからしばらく、じっとその前に佇んでいた。何人もの人がその背後を行き過ぎ、時折怪訝な視線を由布に向ける。けれども気にする素振りも見せない。
 高校から駅へと繋がる一本の旧街道でのことだった。もうしばらく行けば歩道の上にアーケードがかかるが、由布はまだそこまでたどり着かずに足を留めていた。
 空からは淡く小雪。
 雪は傘の上に積もっては張り布の上を滑り落ちていく。
 由布の黒い髪を白く飾っていく。
 由布は吹き付ける風に身じろぎもせず、傘に視線を注いでいる。
 先ほどから何か、心の表面をひっかかれるような心地がしていた。それがいったい何なのか、つい考え込んでしまっている。あれから何年経っただろうと、ふと思いつく。
「由布」
 聞き馴染んだ声に、ようやく由布は視線を移した。動いた拍子に雪が散り、周囲に舞うように広がった。
 由布が顔を上げた先には、ブレザーの制服をきっちりと着こなす少女が一人いた。彼女の姿が、いつかへと記憶を辿ろうとしていたわたしを呼び戻した。
「――ああ、明季。どうしたの?」
 のんびりと微笑む由布に軽く吐息して、明季は由布の上に自分の傘をさしかけた。
「差し支えなければ同じ言葉、こちらから繰り返させていただきたいわ。どうしたの。その傘、あんたの?」
 由布は答えずにゆったりとした仕草で傘を拾い上げた。空にかざすと雲に遮られた薄い太陽の光が微かに傘の黒を透過して、軽く目をすがめた。
「落とした人、困ってないといいけどね」
「交番、持ってく?」
「まあ……、後で」
 由布が黒い傘を肩にもたせ掛けると、ねこばばじゃん、と明季が眉をひそめた。
「しばらく借りるだけ」
 傘が二つ、並んで歩き始める。
 小学生の頃から馴染んだ横顔を振り返る。由布は、何か物思う明季の伏せられた目の、睫毛のラインが好きだった。触りたくなってしまって、手を伸ばす。届く前に明季が振り向いたから、急いで手を身体の後ろに隠した。
「その傘さ。やっぱ、置いていこうよ。落とした人、取りに来るかも」
「さっき言ってたみたいに、警察に届けた方が良くない?置いといて誰も探しに来なかったら、ゴミになっちゃうし」
 あー、と明季は頷いた。けれどなにか言いたげな目をして、何度も由布に視線を向ける。由布のことを睨みつけている。
 なに怒ってんの、と由布は尋ねた。言葉尻を重ねるようにして明季は言った。
「差さないで」
「え」
「その傘。差さないでよ」
 由布は目を瞬かせた。
「――なんで?」
「あの人が差してた傘に、似てる」
 ああ、と由布は頷いた。
「だからか。何か思い出すような気がしてたの」
「もしかしたら待っててくれたのかもって、期待したのに」
「ごめん」
 そんな素直に謝られても、と明季は唇を尖らせた。
「うわき者」
「してないでしょ、浮気」
「してるね、精神的に」
「してるつもりはないけど、明季がそう言うのなら、してるのかも」
「してるんだ」
「してますね」
「天誅!」
 いきなり明季が思い切りふくらはぎ辺りを後ろから蹴飛ばすから、由布はぐあと悲鳴を上げてつんのめった。
 明季はその隙に由布から傘を取り上げて、全力でダッシュ。ぽかんとした由布を一人残して走り去ってしまう。
 取り残された由布は、傘をもぎ取られた手のひらを見つめて笑い声を漏らした。
 由布があの日憧れた彼女は、背が高くてすらりとした体つきの少女だった。
 黒髪は長くさらりと解け、肌は白く、目元は涼しく、時折控えめに笑みをこぼした。同じほどの年ごろになった今の自分と比べても大人びて、思い起こせば、やはり惹かれてしまう。
 彼女と初めて会ったのは、ちょうど今頃、雪の降る駅のホームでのことだった。
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