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第二章 恐怖のメゾン、大革命!

四 おすすめされるお客さま

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 ある日、メゾン・ド・ストレンジをおとずれた子規は、まっさきにキュウビのもとをおとずれた。
「以前、キュウビがいってたことだけど……」
「と、いうと?」
「【見えてるあの子】が、あまりお客さまに怖がってもらえなかったっていう話」
「ああ、あれか。すまない。気にしていたんだね。あれは、あのお客さまがただたんにホラー好きだっただけかもしれな……」
「だからさ、今回は違った角度で攻めてみようと思って! 新しいストーリーを考えてきたんだ!」
キュウビの話を聞かず、子規はどんどん話を進めていく。
新作のストーリーを、早くキュウビに読んでほしいのだ。
【見るな】と書かれたノートには、新しいホラー脚本がびっしりと書かれていた。
キュウビは、さっそくその一本に目を通していく。
「これは……かなり実験的な内容だね」
「うん。ありきたりな恐いだけのストーリーばかりじゃ、通い慣れたお客さまはすぐに離れていっちゃうかもしれないでしょ。だから、こういうのもどうかな、って」
「うーむ。しかし、私は〝こういう角度の怖さ〟というのは、よくわからないからなあ」
キュウビはノートを見つめ、眉根をよせる。
「そっかあ……」
ションボリとする子規に、キュウビは「そうだ」と声を上げた。
「サイコに聞いてみよう。あいつは単純だから、面白い意見が聞けるかもしれない」
するとキュウビは、九本のシッポの先に、ポポポと青白い炎をともした。
ゆらりと燃える炎は、一気にどこかへ、ピューンと飛んでいく。
「私の狐火が、サイコを呼びに行った。ここで待っていよう」
すると、ものの五秒も立たずに、サイコがやってきた。近くの壁をすりぬけ、キュウビと子規のもとへ、一直線に飛んでくる。
「お呼びですかあ。あっ、子規さんだ! さっきのお客さま、見ましたか? VRゴーグルをはずしたとたん、泣き叫んで〝おたすけえー!〟って外に飛び出して行っちゃったんですよー! もうおかしくって、おかしくって! ワタシの友達のユーレイたちなんて、ギャハハハハってお腹をねじらせながら笑い転げて、それはもう大変なことになってましたよお」
「それは、嬉しいなあ」
 自分の作ったホラーで喜んでくれる人がいるなんて、幸せなことだ。いや、人じゃない、妖怪とユーレイか。
 メゾン・ド・ストレンジの人間のお客さまにも、もっともっと喜んでもらいたいと、子規は思っていた。
「サイコ。これは、子規くんの新作だ。ぜひ、読んで感想を聞かせてほしい」
「え。ワタシがですかあ?」
「そうだよ。きみの感想しだいで、メゾン・ド・ストレンジの新作になるかどうかが決まるから、がんばってくれよ」
「ワタシしだいっ? 他のみんなには聞かないんですかあ?」
「他のやつらは、ストーリーの良さなんてわからないだろう。人間たちの恐怖におののく反応にしか興味がないんだから。このメゾン・ド・ストレンジで物事にキチンとこだわりを持っているのは、お前くらいなんだよ」
「そうなんですかあ。責任重大ですねえ」
 サイコはドギマギした表情で、子規のノートを読みはじめた。
 しばらくして、サイコがぱたんとノートを閉じる。とたん、子規の緊張がピークに達した。
 もし、サイコに「面白くないですねえ」なんていわれたら、かなり自信を失ってしまう。
 子規は祈るような気持ちで、サイコの感想を待った。
「そうですねえ……いいんじゃないでしょうか。でも、もっと怖いほうがいいですよねえ」
「と、いうと?」
 キュウビがたずねる。
「〝主人公の部屋にいきなり現れるこの女性〟はもっと不気味にできそうですねえ。そう、怒り狂ったときのキュウビさまのように……。キュウビさまは、怒るとき静かに怒るんです。いつもの犬歯はヤリのように長くなって、眉間のシワは地獄の谷底のように深くなって……この女性もそういう感じで、静かな怖さというものがあるといいんじゃないかと思いました!」
「ほほう。そうか。私のような怖さなあ」
「はい。そうです、そうです!」
 キュウビが静かに怒っているのも露知らず、サイコはほがらかに答えた。
 子規は、キュウビの怒りがこれ以上爆発しないように、なんとかその場をおさめようとする。
「ええーと。じゃあ、サイコの意見を参考にもう一度作りなおしてみる!」
「はい~! ぜひ、そうしてみてください!」
 この後、サイコはキュウビに静かに怒りのオーラを向けられ続けていたが、幸せなことにみじんも気づくことはなかった。



 次の日、メゾン・ド・ストレンジの妖力と霊力を集結させ、あっというまに新作ホラーが完成した。
「さっそく、お客様に体験していただきましょうよ! あの男性のお客さまはどうですか? オススメしてみましょう。最高に〝奇妙になったストーリー〟を!」
 自分の意見が参考になったとあって、いつも以上にサイコは張り切っている。
 キュウビが人間の紳士に化けて、接客に向かった。
「いらっしゃいませ、お客さま。お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「ジュンキ」
「ようこそお越しくださいました、ジュンキさま。こちら、我がメゾンの新作ストーリーとなっております。どうでしょう。体験者第一号になってはみませんか?」
「え、まだ誰も体験したことがないの? やるやる」
 ジュンキはVRゴーグルを装着すると、すぐさま新作のストーリーを選択した。
 キュウビがニヤリと犬歯をのぞかせる。
「いってらっしゃいませ。ジュンキさまが、心地よい恐怖に出会えますように――」

【傷心ケアファンタジーサービス】

 テストで三十点を取ってしまった。
これはマズい、と思ったジュンキは、親にバレる前にテスト用紙をゴミ箱に捨てた。
しかし、すぐに母親に見つかってしまった。
もっと奥底に隠すように捨てるべきだった、と後悔してももう遅い。
ジュンキはテスト用紙を捨てたことで、さらにこっぴどく叱られてしまった。
「サッカーよりも勉強でしょ! もう六年生なんだから……しっかりしてくれないと! これ以上、悪い点数を取るなら、サッカーは辞めさせるからね!」
 ジュンキは、頭をハンマーで殴られたような気分になった。
サッカーを辞めなくちゃいけなくなるなんて、ジュンキには考えられないことだった。
ようやく叱られ終えたジュンキは、二階の自室に入ると、床に寝っ転がった。
フローリングのヒンヤリとした温度を皮膚にじっくりと染みこませていく。
「なんでこの世には、テストなんてものがあるんだ……」
 テストがなければ叱られなかったのに、と過去の自分に問いかけた。苦手な算数のテストだった。
そもそも、回答が一個でもあっていたんなら褒めてほしいくらいなのだ。どうすればいい点を取れたんだろう、と考える。
たくさん勉強すればよかったのだろうけれど、今回は習い事のサッカーが特に忙しかった。
ようやくチームで活躍できるようになってきたんだから、たくさん練習したかった。
そうしていたら、算数のテスト勉強がおろそかになってしまったのである。
「テストなんてなくなれば、サッカーに専念できるのに……」
 さっきの母親の言葉が、ぐるぐると頭のなかを巡っている。自分がちゃんとしていれば、サッカーも続けられるのだ。
でも、悪いのは自分だけなんだろうか。
親は? 先生は? 自分の成績は、自分だけが悪いのだろうか?
「宿題をやらないぼくに、感情に任せて怒ってやる気をなくさせる親が悪いんじゃないか? わからないところがあったのに、どんどん先に授業を進めてしまう先生が悪いんじゃないかっ? 周りがもっと優しくしてくれていたら、ぼくの成績はもっとよかったかもしれないじゃないか~!」
 天井に向かって、気持ちをぶつけると少しだけすっきりした。
すると、自然と眠気が襲ってくる。
延々と怒られて、疲れていたのかもしれない。
ジュンキはそのまま、眠気に意識をゆだねていった。
「おはようございます!」
 突然の朝のあいさつに、ジュンキは目を覚ました。
今、朝だっただろうか。いや、夕方だった気がする。
まだ眠気でぼんやりとした頭で、声がしたほうを見上げた。
そこには、人影があった。
こちらを、じいっとのぞきこんでいるようだ。
だんだんと脳が起きてくると、その人影が女性だということがわかる。
ジュンキは、じょじょに状況を理解し始めた。
……なんで、ぼくの部屋に知らない人がいるんだ?
「市の××課から参りました。キムラです! 本日、お母さまにお叱られになられた、ジュンキさまのお宅はこちらですか?」
パリッとしたスーツを着こなした女性は、にこにこと微笑んでいる。
百パーセント営業スマイルの笑顔は、まるで大量生産の人形のようだった。
突然のことに頭が働かないジュンキは、ぼうぜんとキムラと名乗った女性を見上げていた。
しかしキムラが何度も「こちらですか?」とたずねてくるので、なんとか頭を縦に振った。
するとキムラは気を取り直したように、ぺらぺらとしゃべり始めた。
「このたびですね。行政のほうから市民の皆さんへ、新たな最新のケアサービスを提案いたしておりまして」
ジュンキはようやく体を起こし、キムラが今いったことをもう一度、頭のなかでくり返す。
しかし、それがいったいどういう意味なのか、さっぱりわからなかった。
そんなジュンキの気持ちは露知らず、女性はニコニコとまるで仮面のような笑顔で営業トークを続けている。
「それが、こちらです。『傷心ケアファンタジーサービス』。本日はこちらの資料をお持ちしました」
強制的に手渡され、ジュンキはしぶしぶ読み始めた。
 ――
 傷心ケアファンタジーサービスは、傷ついた市民の皆様に安心して頂くための支援サービスです。
① 心をケアし、「健康的な生活」を
 ② 市民の皆様のお好きなものを理解し、より「快適な一日」を
 ③ ファンタジーを提供することにより、より「楽しい毎日」を
 市民の皆様の心に、安心と安全を。そして××市を、より美しい街へ。
 ――
「これ、新手の詐欺かなにか……?」
書類全体をジーッと見つめ、本文を何往復かしてみる。
しかし、不審なURLや怪しい勧誘などの記述は見つからない。
本当に、ただの行政からのお知らせのようだ。
書類に、クリップで名刺がとめてあった。
【キムラ レンゲ】とある。
「それでですね、さっそくジュンキさまのファンタジープランを検討させていただきました。理想の両親、理想の友達、理想の担任の先生。結果、無事に調整が整いましたので、市が開発したアプリをジュンキさまのスマホにインストールさせていただきました。このアプリでジュンキさまの傷ついた心は、行政の管理下に置かれます」
 ジュンキは手元にあったスマホをタップする。
案の定、見覚えのないアプリが、ダウンロードされていた。
名前は【傷心ケア】。
白い背景に、ばんそうこうが貼られた赤いハートのアイコン。
開くと「『傷心ケアファンタジーサービス』へようこそ」と書かれた画面が広がる。
キムラは、頬を笑顔の形につりあげた。さらに、その目を欠けた月のように細める。張り付けたような、笑顔だ。
その不気味さにジュンキの背筋が、ざわりと粟立つ。
「準備はよろしいでしょうか? それでは、サービス開始です。質の良いファンタジーの提供により、ジュンキさまにより快適な毎日をお届けいたします!」

 *

「ジュンキ、朝だよ。起きなさい」
 母親が、穏やかな声で体をゆすってきた。
うとうとしながら目をあけると、優しい笑顔の母親が「おはよう、起きれて偉いわね」といった。
昨日、ケンカしてたはずだけど、もう忘れたのかとジュンキは不思議に思った。
窓の外を見ると、あたたかな朝の日差しが差しこんできている。
一階からいいにおいが漂ってくる。焼けたパンの甘いかおりだ。ジュンキは、驚いた。
「ほら、クロワッサンが焼けたわよ。着替えて、降りておいで」
「うそ。母さん、パン焼いてくれたの? いつもパートで忙しいからって、焼いてくれないのに。休みの日はいいけど、平日はむりって……」
「ジュンキが焼いてほしいっていったんだから、焼いたの。当たりでしょ!」
 そういって、母親は部屋を出て行った。
ベッドからはい出し、今日着る服をタンスから出す。
その間にも、ジュンキの頭は混乱しっぱなしだった。
さっき、母親のいっていたことが一ミリも理解できなかったのだ。
パンを焼いてくれたことは当然嬉しい。でも、急に豹変したようにそんなことをし出すなんて。
その時、ハッと思い出し、机からスマホを取り出た。
そして例のアプリをタップする。
【傷心ケア】だ。
画面をするするとスクロールしていく。
すると、下のほうに『プラン内容のご確認』とあった。
見てみると、こんなことが書いてある。
――
●ジュンキさま ご利用プラン ご本人さまご希望の、理想のご両親
(アニメ映画『××』のような、いつも優しく、決して怒らないご両親)
――
「これが……傷心ケアファンタジーサービス……」
 ジュンキの心臓はバクバクと暴れ回っていた。
傷心ケアファンタジーサービスは、本当に行政のサービスなんだ。
このアプリがあれば、自分は快適な毎日を送れる。
心に傷を負わなくてすむんだ。
ジュンキは、スマホをランドセルのポケットに突っこむ。
そして母親のクロワッサンを食べるため、階段を駆け下りていった。
 *
 あのアプリがスマホにインストールされてからというものの、ジュンキの周りが異常なまでに優しくなった。
――
●ジュンキさま ご利用プラン② ご本人さまご希望の、理想のご友人
(動画配信者『××』のように面白くて、ぼくをぜったい裏切らない友達)
――
このプラン通り、誰もジュンキを傷つける言葉をいわなくなった。
例えば、一時間目の用意をしていたジュンキが、消しゴムを落としてしまったときも……。
「じゅーんき! 落としたぞ。あれ、何だよ、もう消しゴム小さくなってんじゃん! 俺のと交換してやるよ。昨日買ったばっかりだからさ!」
「蓮ってば、いいよ。そこまでしなくて」
「いいから、いいから! 俺がいいっていってんだから、遠慮すんなって!」
 手のなかに消しゴムをねじこまれ、ジュンキは苦笑する。
あの蓮に、ここまでされるとは思わなかったのだ。
蓮といえば、宿題は面倒だからやらない。珍しくやったかと思えば漢字ドリルのなぞりはハミ出しまくりの蓮である。
以前、クラスのみんなから「蓮にものを貸したら、返ってくるのは一万年後」とからかわれるほどの、雑っぷり。
そんな蓮に気を遣われ、あろうことかいい消しゴムに代えてくれるなんて。
今日は槍でも降るんじゃないだろうか。いや、降る。絶対に。
 そして、これは蓮だけの話ではない。
クラスメイト全員が、ジュンキに今のような親切をしてくれるのだ。
「ジュンキ~。このあいだ欲しいっていってたトレカ、やっぱりやるよ!」
「ジュンキくん。今日の給食、ジュンキくんの好きな春巻きだって! たくさん食べたいでしょ。私のやつ、あげるから! 安心してね」
ジュンキは、夢でもみているような気分になった。
そして、いい気分を通り越し、だんだんと気味が悪くなってきていた。
なぜならクラスメイトのほとんどが、あの表情といっしょの笑顔を向けてくるのだ。
キムラレンゲの、あの笑顔。張り付けたような、マネキンの笑顔だ。
これ以上ないくらい、いい環境のはずなのに、ジュンキはずっと居心地の悪さを感じていた。
自分だけ、常にぬるま湯につかっているような気分なのである。
ぞわぞわするような、適温以下の冷めきった湯に……。
「ジュンキくん。昨日のテスト、よくなかったらしいね。今度のテストでは、僕が予習ノートを作ってあげるよ。これで次のテストもバッチリだからね」
 クラスで一番成績のいい俊也が、ジュンキにいった。
ジュンキも「あ、ありがとう」とうつむき加減に返す。
すると、蓮が急に怒り出した。
「おい、俊也! ジュンキはな、サッカーで忙しくて勉強なんてしてる暇ねえんだよ。テスト中に答えを見せてやるくらいしてやれよ!」
「何いってるんだ。それじゃあ、カンニングになっちゃうじゃないか!」
「ジュンキに百点を取らせたくないのかよ!」
「それは、もちろん取らせてあげたいよ……!」
「じゃあテスト中に、答えをジュンキに見せてやれるよな。友達だもんな!」
「……そうだね、わかった! ジュンキくんのためだもんね」
 俊也と蓮は、笑いあっている。
ジュンキは全身に鳥肌が立つのを感じた。
六年間、通った学校。俊也と蓮とは、この六年間で何度か同じクラスになった。
長い付き合いの二人だ。
その友達の二人に対して、「怖い」と思ったのは初めてだった。
蓮だって雑なやつだけれど本当は、ダメなことにはダメといえる、きちんとした考えのあるやつだったのに。
ジュンキは頭を抱え、髪の毛をかき混ぜる。
どうしたらいいのかわからなかった。
「でも……これって、いい世界のはずだよね。ぼくはいったい、何が不満なんだろう……。何をこんなに悩んでいるんだろう……」
 そう、自分にいいきかせる。
しかし、限界だった。ジュンキに優しいだけの世界。
誰もジュンキを傷つけない。ジュンキだけを思いやり、ジュンキだけを特別視し、ジュンキだけを許す。
その違和感に……不安と、不満を抱き始めていた。
「どうせみんな、行政の変なサービスに従っているだけなんだ。そのせいで、仕方なくぼくに優しくしてくれるだけなんだよね……」
 心のなかまではどう思っているかなんて、誰にもわからないのだ。
いつの間にか、クラスメイトたちは輪を作り、その中心にジュンキはいた。
クラスメイトたちが、ジュンキを見守っている。
何を考えているのかは、やはりわからない。
しかし、もういい。もういいのだ。ジュンキは、大声で叫んだ。
「サービスを辞めたい。こんな変な世界、ぼくはもう嫌だ!」
 ジュンキはランドセルから、スマホを取り出した。
アプリを開き、叩くようにして画面を滑らせていく。
すると、一番下に【退会手続き】と書かれたリンクが貼られていた。
急いで、そこを開く。
すると、「退会ですか?」という画像の下に「はい」と「いいえ」のリンクがあった。
ジュンキは迷わず、「はい」を選択する。
しかし、開かれたページを見て、ジュンキは全身の血の気が引いていくのを感じた。
「お客さまのサービスプランは、現在進行中です。途中退会は認められません」
 ――
●ジュンキさま ご利用プラン③ ご本人さまご希望の、理想の先生
(漫画『××』のように褒めて伸ばしてくれる、尊敬できる先生)
――
「これが残ってるから、退会出来ないってこと……? そんな……!」
 チャイムが鳴った。いよいよ、一時間目の授業が始まる。
しかし、クラスメイト達はジュンキのそばから離れようとしない。
マネキンのような笑顔を張り付けて、ジュンキに笑いかけている。
心臓が、壊れそうなほどに跳ねまわっている。
ジュンキは恐る恐る、近くにいる蓮にたずねた。
「な、なんで離れてくれないの……?」
「だってジュンキ、いつでもクラスの中心にいたいと思っていたんだろう?」
 昨日までの蓮の瞳は、いつだってきらきらとしていた。
ハマってるカードゲーム、給食のカレー、大好きなユウナちゃん、それらに向けられる蓮の瞳は、このうえないほどにきれいに輝いていた。
なのに今では、どこを見ているのかわからない。
こんなの、蓮じゃない。
「でも先生に怒られるから、席についたほうがいいと思うな……」
「ジュンキがそういうなら、席に戻るか!」
 クラスメイトたちが、ぞろぞろと席に戻っていく。
そのちょうどというタイミングで、担任の先生が教室に入ってきた。
やはり、キムラレンゲのような笑顔で。
「ジュンキくん。すごいじゃん。ちゃんと宿題やって来たんだね。えらいねえ」
「いや、みんなもやってきてますけど……」
「ジュンキくんだから、偉いんだよ! ジュンキくんはがんばってるんだからさ!」
「みんなもがんばってると思います……」
「遠慮だなんて、ジュンキくんは偉いなあ! みんな、拍手~!」
 パチパチパチ、という雨のような拍手が教室に巻き起こる。
ジュンキは、もう何も考えられなくなり、机に突っ伏した。
休み時間に、ちょっとふざけてみた。ツッコミでも飛んでくるかと思ったのだ。案の状、それらしきものはこなかった。「わあ、おもしろいね!」と褒められるだけだ。
授業に対して「だるいわあ」といったら、たしなめてもらえるかと思った。しかし、「だるいの? もう、帰って休んだほうがいいよ!」と心配される。
ジュンキは、呆然とした。
これが行政の作りたい、理想の世界なんだろうか。
あまりの疲れから、ジュンキはうとうとし始める。
「おはようございます! ジュンキさま。どうですか? この世界は」
 キムラレンゲだ。おなじみのスーツに身を包み、ニコニコとお手本のような微笑みを浮かべている。
「この世界が、キムラさんたちの求める世界?」
「もちろん! 市民がきれいな心でいれば、町は自然と美しくなっていきます。傷ついた市民を癒すには、これ以上ないサービスです。こうして、傷つく人は減っていき、よりよい社会になっていく。そういうシステムのサービスです」
「つまりキムラさんたちは、この世界が現実にはありえないファンタジーだって思ってるってことだよね。理想と現実は違うんだって、わかってるってこと? それでいいの?」
 すると、キムラはチッチッチと人差し指を振った。
「ジュンキさま。何やら、誤解していませんか。これは市民の皆さまを救うサービスだっていっているではないですか! 一番初めにお渡しした『傷心ケアファンタジーサービス』の【最後】のサービス内容をご確認ください」
 何度も読み返した内容だ。確認せずとも、わかっていた。
「【ファンタジーを提供することにより、より「楽しい毎日」を】……」
「そう! つまり、これはゲームや動画に夢中になっている市民の皆さまに、現実世界に帰って来て頂くための行政の計画なのですよ! ファンタジーがなければ、現実をファンタジーにすればいい! 理想の世界になれば、ゲームや動画に逃げなくてすむんですから! 市はこれで、よりよい町作りを目指しますよ~!」
 キムラはニコッと笑う。
これが、行政の目指す理想の世界。
みんながみんな、お互いを気遣うことのできる優しい世界。
たしかに、ケンカとかは起きなさそうだ。
どう見ても、これが正解なのだろうけれど――。
「このアプリは……消すよ……」
「なぜですか? そのアプリがあれば、傷つかずにいられるんですよ」
「でも傷つかないと、本当の優しさってわからないと思うから」
「そうですか。でも……残念ですねえ」
 キムラはジュンキのスマホを受け取ると、すぐにアプリを削除してくれた。
「何人かの市民のかたにね、このアプリを提供させていただいたんですよ。ですが、皆さん最後にはジュンキさまのようにアプリを削除されてしまうんですよねえ。はあ……やはり、失敗なんですかね。このサービス。……そうだ、ジュンキさま! 私ね、新たな行政のプランを立ちあげたんですよ! その名も……」
「いや、ぼくはもういいです……」
「ええ? このアプリをインストールすれば、すぐに健康的な毎日に直行ですよ!」
「——もう、サービスはいらないってば!」
 とたん、ハッと目が覚めた。教室で居眠りをしたままだったらしい。
もうすぐでチャイムが鳴る時間だ。
立ち上がろうとすると、手元で「カサリ」と紙がすれる音がした。
プリントが配られていたらしい。手に取り、内容を確かめた。
 ――
 ××県 ××市 市民の皆さまへの新サービスプラン
 『赤点復習メルヘンサービス』
 赤点ばかりの市民の皆さまに、お届けする嬉しいプランです。
 ――

 【傷心ケアファンタジーサービス   おわり】

 ジュンキは、黙ってVRゴーグルをはずし、元あった場所に戻した。
「ジュンキさま」
 キュウビが、ジュンキに近づく。
「いかがでしたか? 今回の新作ストーリーは」
 すると、ジュンキは困ったように眉を下げつつ、いった。
「なんだよ、これ。ぜんぜん怖くない! 気味は悪いけど」
「……なるほど。感想をありがとうございました。今後の参考にさせていただきますね」
 出口へ歩いていくジュンキに向かって、キュウビは深くお辞儀をした。
 お客さまがいなくなったタイミングで、子規が従業員扉から入ってきた。
「キュウビ……店内カメラで見てたよ。【傷心ケアファンタジーサービス】、反応はあんまりだったみたいだね。一緒に見てたユーレイたちも、お客さまの反応がいまいちだから、ずっとつまらなさそうだった。申し訳ないことしちゃったな。あの話は、やっぱりなかったことに……」
「いや、【傷心ケアファンタジーサービス】は新作のストーリーにくわえる」
「えっ……どうして……」
 目を丸くする子規に、キュウビは大きな両手を開く。
「お客さまもサイコも〝気味が悪い〟だといっていたよね。それがいいんだ」
「そう、なの……?」
「子規くん。みんながみんな面白いと思う話は、百点なのかもしれない。でも、そうじゃない話が三点なのかといえばそうじゃないんだよ。もしかしたら、別の人間は百点を出すかもしれない。こういうのを十人十色、と人間はいうらしい」
 VRゴーグルを手に、キュウビは目を細めた。
「子規くん。メゾン・ド・ストレンジの〝ストレンジ〟とは、どういう意味か分かるかな」
 まだ学校で習ったことのない英単語だったので、子規は首を振った。
「ストレンジというのはね。『奇妙な』、『不思議な』という意味のほかにも『変わった』や『面白い』といった意味もある」
「いろいろあるんだ」
「そう。つまり、色んなホラーがあっていいと思う、ってことなんだ。ここは、メゾン・ド・ストレンジなんだから」
 すると、キュウビの背後に無数のユーレイたちが、ボボっと現れた。
 半透明でいて、大小さまざまなユーレイたちが「わあああっ」と歓声をあげる。
 それは、みんな子規のホラーストーリーを楽しみにしているユーレイたちだった。
 何しろユーレイたちは、子規のおかげで毎日人間らの恐怖の表情を拝めているのだ。
 全員、子規を応援していた。
 その歓声を浴びた子規に、再びやる気が戻ってきた。
「ようし。今度はとびっきり怖いお話を書くよ! みんな、楽しみにしてて!」
 奇妙なメゾンに、ユーレイたちの歓声が、とどろいた。




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