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1日目 水曜日
雛祭さんには記憶がない 2
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病院の待合室にて、おれは担任の先生である水木先生とふたり、ならんで座っていた。さっき、医者から話があった。奇跡的に外傷は無傷だったらしい。にもかかわらず、雛祭さんの症状が「一過性全健忘」というものであることがわかった。
いわゆる、「記憶喪失」というやつだ。まじに、ラノベのようなできごとだと思ってしまうのは、オタクゆえのサガだろうか。それにしても、雛祭さんがあんなに異世界のことばかりいうのは、直前まで読んでいた本の影響がもろに出ているということでいいんだろうか。医者もそれについては、首を傾げており、前例のないことなのでわからないといっていた。
医者いわく、たいていは、二十四時間以内に治るものとのことなので、そこは安心した。
まじめな雛祭さんのことだ。こんな状態になってしまって、記憶が戻ったら、黒歴史になることは間違いないだろう。さっきのアホなやりとりは、今日の風呂できれいさっぱり流しておいてやるから安心してほしいところだ。
雛祭さんの母親は、仕事を早退し、今こちらに向かっているところらしい。
「鯉幟くん。先生は、雛祭さんの親御さんと話をしなくちゃいけないから、先に帰っててもいいけれど、どうする?」
「そうっすね。学校にリュック置きっぱだし、帰ります」
農協が経営する総合病院は、おれが通う学校まで、九百メートルほどの距離だ。こんな短い距離で、救急車を乗ってきたというのも、なかなかない経験ではなかろうか。直接、病院へ行くより、救急車を呼んでしまったほうが、早く検査をしてもらえるらしいというのは、ネットの情報だ。
雛祭さんになにかあったら、目の前にいたおれにも責任があると思われるのが普通だ。万が一を考えて、先生を呼ぶよりも先に救急車を呼んだのは、今でも正解だったと思う。
だが、まさか記憶喪失になってしまっていたとは。雛祭さんの両親に、何かいわれたら、いやだな。おれの責任だといわれたら、どうすればいいんだ。
「おーい、大知《だいち》。雛祭さん、大丈夫だったの?」
病院を出たところの交差点、その向こう側で手を振っているのは、天野川みくり。幼稚園からの着きあいで、小中高と同じ学校に通う、腐れ縁。家から近いからという理由で受けた高校だったが、まさかこいつも同じ理由で受けていたとは、驚きだった。
肩で切りそろえた色素の薄い茶色かかった髪、人懐っこい話し方に、教室でもひときわ目立つ笑い声は、楽しいことが大好きなみくりの性格をよく表していた。みくりが笑うだけで、場が明るくなるのだ。こういうやつを陽キャ、っていうんだろうな。
こんな陽キャと、いわゆる幼なじみみたいな関係になっているのは、なんだか分不相応な気がして、みくりを見ると、いつもつい身構えてしまう。
「大知ってば、聞いてんの?」
みくりが駆けよって来て、ぽんとおれの肩に手を置いてくる。こういうスキンシップ、多いよなあ、こいつ。おれは一歩、後ろに下がり、みくりの手から、ごく自然に逃れた。
「聞いてるよ。雛祭さんだろ」
「そうそう」
「まあ、元気は元気みたいだけど……記憶が」
「へっ、きおく?」
「雛祭さん、記憶喪失になってるらしいんだよな」
「うそ! やばいじゃん」
「すぐ治るみたいだからよかったけど、少なくとも二十四時間はかかるものらしい。明日も学校あるけど、さすがに休むよな」
すると、みくりがおれの背中をばしん、と叩いてきた。
「いって! なにすんだよ、お前」
「だって……落ちこんでるんだもん」
「はあ?」
「大知が落ちこんでたら、だめだと思う! だって雛祭さん、あたしに聞きに来てくれたんだよ。大知が読んでた本を知りたいけど、タイトルが長くすぎてわからないから、教えてくれないかって」
「……え?」
みくりが、必死の顔をして、おれの顔をのぞきこんできた。
「昨日の帰り道だよ。ほら、大知っていつも、やたら長いタイトルの本、読んでるでしょ。『転生したらホイコーローだったんだけど、うんたらかんたらで、どーたらこーたら』みたいな」
「そんなタイトルのラノベは読んだことないんだが」
おれに対しても、『マシュかわ』に対しても、風評被害甚だしいぞ。
「とにかく最近、大知が読んでた本の表紙だけはわかるからって、いっしょに本屋さんに行ったの。そんで、見事にあたしが見つけてあげたってわけ」
「そうだったのか。お前が、一枚噛んでたってわけだな」
「へんないい方しないでよ。大知が読んでた本、あたしちゃんとわかってたでしょ?」
「そんなこと、誇ることじゃないだろ」
「えー。すごいことだと思うけどなあ」
むう、と口をとがらせるのは、小さいころからのみくりのクセだ。最近は、もう高校生ということで子どもっぽいこのクセは、人前ではやらなくなってきていたが、おれの前ではいまだにやってしまうらしい。
「わかったから、くっつくな。誰かに見られたら困るのは、お前だろ」
「困らないけど?」
「雛祭さんがどうしてあの本を持っていたのかは、わかった。おおかた、長すぎるタイトルの本がどんな内容なのか、気になったってところだろうが」
「そんな感じじゃなかったけどなあ……」
みくりが、その時のことを思い出すようにいうが、行動の理由なんてものは、大概ふたをあけてみれば、大したものじゃないことがほとんどだ。
雛祭さんが記憶喪失になってしまったのは残念だが、おれにできることといえば、お見舞いか、学校生活でのサポートのみ。
お見舞いは、明日以降が常識だろうな。
だが学校生活でのサポートは、させてもらえるのか微妙なところだ。恐らく、明日は登校しないだろうし。
そもそも、相手は女子だ。男子のおれが支えられることなんて、限られているだろう。痴漢冤罪だけはごめんだ。
「みくり。万が一、雛祭さんが登校してきたら、おれにできることはないか、聞いてくれないか」
「……うん。わかった。でもさ、そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」
「気にするだろ。おれの目の前で起こったことなんだし」
「そっか。まじめだねえ」
「まじめ、だったのは……雛祭さんだろ」
異世界のことを話す雛祭さんのすがたを思い出して、なんだかおれまで、ここが異世界のような気がしてくる。
それほどに、いろいろあった一日だった。
いわゆる、「記憶喪失」というやつだ。まじに、ラノベのようなできごとだと思ってしまうのは、オタクゆえのサガだろうか。それにしても、雛祭さんがあんなに異世界のことばかりいうのは、直前まで読んでいた本の影響がもろに出ているということでいいんだろうか。医者もそれについては、首を傾げており、前例のないことなのでわからないといっていた。
医者いわく、たいていは、二十四時間以内に治るものとのことなので、そこは安心した。
まじめな雛祭さんのことだ。こんな状態になってしまって、記憶が戻ったら、黒歴史になることは間違いないだろう。さっきのアホなやりとりは、今日の風呂できれいさっぱり流しておいてやるから安心してほしいところだ。
雛祭さんの母親は、仕事を早退し、今こちらに向かっているところらしい。
「鯉幟くん。先生は、雛祭さんの親御さんと話をしなくちゃいけないから、先に帰っててもいいけれど、どうする?」
「そうっすね。学校にリュック置きっぱだし、帰ります」
農協が経営する総合病院は、おれが通う学校まで、九百メートルほどの距離だ。こんな短い距離で、救急車を乗ってきたというのも、なかなかない経験ではなかろうか。直接、病院へ行くより、救急車を呼んでしまったほうが、早く検査をしてもらえるらしいというのは、ネットの情報だ。
雛祭さんになにかあったら、目の前にいたおれにも責任があると思われるのが普通だ。万が一を考えて、先生を呼ぶよりも先に救急車を呼んだのは、今でも正解だったと思う。
だが、まさか記憶喪失になってしまっていたとは。雛祭さんの両親に、何かいわれたら、いやだな。おれの責任だといわれたら、どうすればいいんだ。
「おーい、大知《だいち》。雛祭さん、大丈夫だったの?」
病院を出たところの交差点、その向こう側で手を振っているのは、天野川みくり。幼稚園からの着きあいで、小中高と同じ学校に通う、腐れ縁。家から近いからという理由で受けた高校だったが、まさかこいつも同じ理由で受けていたとは、驚きだった。
肩で切りそろえた色素の薄い茶色かかった髪、人懐っこい話し方に、教室でもひときわ目立つ笑い声は、楽しいことが大好きなみくりの性格をよく表していた。みくりが笑うだけで、場が明るくなるのだ。こういうやつを陽キャ、っていうんだろうな。
こんな陽キャと、いわゆる幼なじみみたいな関係になっているのは、なんだか分不相応な気がして、みくりを見ると、いつもつい身構えてしまう。
「大知ってば、聞いてんの?」
みくりが駆けよって来て、ぽんとおれの肩に手を置いてくる。こういうスキンシップ、多いよなあ、こいつ。おれは一歩、後ろに下がり、みくりの手から、ごく自然に逃れた。
「聞いてるよ。雛祭さんだろ」
「そうそう」
「まあ、元気は元気みたいだけど……記憶が」
「へっ、きおく?」
「雛祭さん、記憶喪失になってるらしいんだよな」
「うそ! やばいじゃん」
「すぐ治るみたいだからよかったけど、少なくとも二十四時間はかかるものらしい。明日も学校あるけど、さすがに休むよな」
すると、みくりがおれの背中をばしん、と叩いてきた。
「いって! なにすんだよ、お前」
「だって……落ちこんでるんだもん」
「はあ?」
「大知が落ちこんでたら、だめだと思う! だって雛祭さん、あたしに聞きに来てくれたんだよ。大知が読んでた本を知りたいけど、タイトルが長くすぎてわからないから、教えてくれないかって」
「……え?」
みくりが、必死の顔をして、おれの顔をのぞきこんできた。
「昨日の帰り道だよ。ほら、大知っていつも、やたら長いタイトルの本、読んでるでしょ。『転生したらホイコーローだったんだけど、うんたらかんたらで、どーたらこーたら』みたいな」
「そんなタイトルのラノベは読んだことないんだが」
おれに対しても、『マシュかわ』に対しても、風評被害甚だしいぞ。
「とにかく最近、大知が読んでた本の表紙だけはわかるからって、いっしょに本屋さんに行ったの。そんで、見事にあたしが見つけてあげたってわけ」
「そうだったのか。お前が、一枚噛んでたってわけだな」
「へんないい方しないでよ。大知が読んでた本、あたしちゃんとわかってたでしょ?」
「そんなこと、誇ることじゃないだろ」
「えー。すごいことだと思うけどなあ」
むう、と口をとがらせるのは、小さいころからのみくりのクセだ。最近は、もう高校生ということで子どもっぽいこのクセは、人前ではやらなくなってきていたが、おれの前ではいまだにやってしまうらしい。
「わかったから、くっつくな。誰かに見られたら困るのは、お前だろ」
「困らないけど?」
「雛祭さんがどうしてあの本を持っていたのかは、わかった。おおかた、長すぎるタイトルの本がどんな内容なのか、気になったってところだろうが」
「そんな感じじゃなかったけどなあ……」
みくりが、その時のことを思い出すようにいうが、行動の理由なんてものは、大概ふたをあけてみれば、大したものじゃないことがほとんどだ。
雛祭さんが記憶喪失になってしまったのは残念だが、おれにできることといえば、お見舞いか、学校生活でのサポートのみ。
お見舞いは、明日以降が常識だろうな。
だが学校生活でのサポートは、させてもらえるのか微妙なところだ。恐らく、明日は登校しないだろうし。
そもそも、相手は女子だ。男子のおれが支えられることなんて、限られているだろう。痴漢冤罪だけはごめんだ。
「みくり。万が一、雛祭さんが登校してきたら、おれにできることはないか、聞いてくれないか」
「……うん。わかった。でもさ、そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」
「気にするだろ。おれの目の前で起こったことなんだし」
「そっか。まじめだねえ」
「まじめ、だったのは……雛祭さんだろ」
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