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35 オルベルフラ国の最後
しおりを挟む国が滅ぶと言うのは意外と呆気ないものなのだと知った。
王太子殿下の婚約者という地位でありながら、僕は王と会う事はほぼなかった。
広い広間の階段上から、王座に座り見下ろす姿しか知らなかった。
此方から声を掛けた事など無い。
例え王太子殿下の婚約者で、王家から王命でなったのだとしても、許可なく声を掛けたら不敬といって罪に捕えられる。
それくらい距離のある存在だったのに……。
「これは……………。」
その広間に入ったのは僕とアルゼトとシューニエ神官長、ナギゼア、他は軍を動かす為の要職に着いた者達。領主もいれば、任されて軍を率いて参戦したものまで、数十名で乗り込んだ。
だけどそこには生きている人間はいなかった。
王座の王も、その子供達も、甲冑を着た王国兵も、貴族も誰もかも、死に絶えていた。
「死因は?」
アルゼトの声は冷静だった。
お陰で動揺していた僕も落ち着く事が出来た。
「外傷は無し、皆んな白目剥いて死んでるね。」
「外の兵士達と同じですね。まるで悪夢を見たかの様です。」
ナキゼアの次にシューニエも続けた。
皆、恐怖で顔が引き攣り、もがき苦しみ死んでいた。
ただの下働きに近い使用人や料理人、下級役人などは生きているが、おおよそ上にいた人間は生きていなかった。
「ヒュートリエ様とジュリテアがいない………。」
僕はオレンジ色の蝶を呼び出し、ヒュートリエ様を探させた。
ヒュートリエ様にはアルゼトに言われて蝶をつけていた。
父様も来ていたので、後を任せジュリテア達を探す事にした。
周りから言われて護衛をつけて移動する。
勿論アルゼト達も一緒だ。
蝶はチラチラと鱗粉を散らしながら王宮を奥へと抜けていった。
回廊を抜け、幾つかの広間を通り抜け、花が咲き乱れる庭園へ進む。
そこにはヒュートリエ様とジュリテアがいた。
ジュリテアが珍しい事に何か叫んでいた。
僕達が建物から出て近付いていくと、ジュリテアが気付いて僕に助けを求めて来た。
「カシューゼネ兄様!助けて下さい!」
今日もジュリテアは綺麗に着飾っていた。
相変わらず白金の髪には小花を散らして結いあげて、耳にはシャラシャラと宝石のついた耳飾り、広く開いた首元と、手首や足首には金の精密な飾りが下げられ、こんな日にも美しくいるジュリテアが異質に見えた。
そんなジュリテアの首には赤黒い鞭が巻き付いていた。
鞭を持ったヒュートリエは、静かに微笑んでカシューゼネ達を見守っている。
琥珀の瞳は静かで、微笑みは穏やかだ。
今までの苛つき険しい印象のあったヒュートリエとは違って見えた。
「やぁ、漸く来たのか。待ちくたびれた。」
さやさやと風が吹き、ヒュートリエの赤毛を靡かせていた。
こんな日でなければ、ジュリテアの首に鞭が巻き付いていなければ、穏やかなただの1日と錯覚しそうな程、爽やかな庭園だった。
「助けてっ!ヒュートリエ様がおかしくなっちゃった!王宮の人達を殺しちゃったんだよ!?」
「ヒュートリエ様がやったの?」
僕の問い掛けに、ジュリテアはポロポロと涙を流す。
「皆んなを従魔にしちゃったんだ!僕もーーぐぁっっ!」
鞭が締まり、ジュリテアは呻き声を上げた。
ジュリテアを最も大切にしていたヒュートリエが、その最愛に手を出している事に驚いた。
「王宮で死んだ方々はヒュートリエ様が?」
僕は剣を抜きながら尋ねる。
ヒュートリエは警戒する僕に微笑み、頷いた。
「そうだな。私がやった。この従魔の鞭で従えて行ったら、皆死んだ。」
とても穏やかだった。
「……………何故?」
ヒュートリエの穏やかな微笑みが、とても悲しそうにみえた。
「この従魔の鞭は王家に継がれていく物のうちの1つだが、今までは神獣ビテフノラスを使役する為だけに使われてきた。だが、その神獣はそこの従者に奪われてしまったからね。だから沢山代用品を補填したのに、私は穢れていると言われた。」
瘴気で生まれた魔物を従魔の鞭で従えた。
それを使ったと知った王家は、ヒュートリエを排除しに掛かった。
どうせこの神獣ビテフノラスの毛で作られた鞭は瘴気塗れなのに、今更だろうと言ったが、王によって国外追放を言い渡された。
神獣ビテフノラスは王家に使われ過ぎて、腐敗していた。文献では緋色の綺麗な獣らしいが、膿が溶けて固まる毛は腐敗して、ドロドロと落ちていた。
消滅間近の神獣だったのに、王家は後生大事に抱え込み、幼い頃にヒュートリエに放り投げた。
お前がどうにかしろと。
どうにかする間もなくアルゼトが奪ったので、代わりに従魔を増やしたら糾弾される。
カシューゼネの緋色の蝶がヒュートリエの周りをハタハタとはためき、もう今更癒してくれなくていいのに、心を清浄な気で溶かしていった。
澄んだ空気は今更息苦しかった。
ずっと汚泥の中で息を吸い吐いていたのに、身体の中に清涼な空気が一気に取り込まれ、グラリと身体が傾いだのだ。
「穢れていると言われたから、殺したの?」
「…………殺すつもりは無かったけど、従えて死ねと言うつもりだったから同じかな?」
ヒュートリエはギリギリとジュリテアの首を絞めながら、穏やかに話す。
「ヒュートリエ様、僕達は貴方を捉えます。抵抗せず捕まってくれますか?」
僕の問いに、ヒュートリエは空を見上げた。
空は青く澄んでいて、流れる雲は白く線を描いていた。
清々しい晴天。
ヒュートリエは空を綺麗だと思いながら見上げたのは初めてだった。
「…………抵抗は、しない。でも捕まるつもりも、ない。…………………そこの従者は残酷だ。」
突然アルゼトの事を非難されて、カシューゼネは戸惑った。おそらくナキゼアではなくアルゼトの事を言っているのだと、雰囲気で理解したが、何故アルゼトが残酷なのか。
「どういう意味ですか?」
アルゼトは優しい。僕をいつも助けてくれる人なのに。
僕の険しくなった目をヒュートリエ様はじっくりと見て首を振った。
「その様子では君にはさぞかし気を遣っているのだろう。……………ああ、悪い意味ではない。大切にしている、という意味でね。」
ヒュートリエはアルゼトがどんな人物なのか、今迄気にした事も無かった。
大概がナキゼアが表に出て来たし、アルゼトはジュリテアが望んで学院の授業に関する事を手伝う時のみ近くにいた気がする。
空気の様に気配を消して、干渉されない様に静かに存在した。
それが態とならば?
カシューゼネの蝶の浄化で頭の霧が晴れて視界が澄んでくると、ジュリテアの性格がよく見える様になった。
ジュリテアは愛されたがりだ。
誰からも愛されたい、そのくせ双子の兄カシューゼネも独占したい。
嫌っていない、寧ろ愛している。
異常な程に、カシューゼネを愛しているから、カシューゼネの周りにいる人間を奪っていた。
その内の1人が自分と言うのも笑える。
ありもしない嘘を信じて、カシューゼネが嫌な人間だと思い込み、それを王太子という地位にいる人間が周りに見せつけていた。
それでも聡明なカシューゼネは独りで立っていた。
アルゼトは気付いたから、カシューゼネの近くにいる為に、ジュリテアに排除されない様に、静かに従者という位置を保つ為にいたのではないだろうか。
「私の心が晴れなければ、きっと何も知らずに殺されていただろうに、態々気付かされたんだ。そこの従者に。…………どうせ蝶をつけろと言ったのだろう?アルゼトが。」
その通りなのでカシューゼネはまたもや戸惑った。
でもヒュートリエが言っている事がいまいち理解出来ない。
「もう終わらせる。それを期待して大人しく見守っているのだろう?」
ヒュートリエはアルゼトに視線をやった。
「…………………。」
アルゼトの表情は相変わらず無表情で感情は読めない。
「いいよ、ジュリテアは私が連れて行こう。従魔にしようとしても浄化してしまって手こずったが、可哀想だがこれで終わりにしよう。」
首を絞められても『祈り』の加護を持つジュリテアは、無意識に癒してしまい死ぬことはない。
プスリとジュリテアの胸から剣先が生える。
「……………………っっっつ!!!?」
ジュリテアが声の無い悲鳴を上げた。
「もう一つ、念の為にね。」
ヒュートリエはそう言うと、ジュリテアの白い喉にも短剣を横から深々と刺した。
いくら治癒を行えると言っても、血が流れ過ぎれば死んでしまう。
刃が刺さったままでは治癒も出来ない。
ヒュートリエは失血死させるつもりだった。
それを誰も止める者はいない。
「安心して、従魔の鞭はこれで最後だ。終わったら浄化してしまうといい。王家はこんな物手に入れるべきでは無かった。」
長い長い年月で、捕まった神獣は穢れ、それを触れ続けた王家も穢れていった。
産まれてすぐに穢れに触れる人間が、まともな精神でいる事は出来ないが、優秀な血筋である為か、0歳で授かる加護に恵まれなんとか治世を敷いてきた。
ヒュートリエもそうなるはずだった。
だけど、気付かされた。
ヒュートリエの周りに飛んでいた蝶が、ハタハタと飛びながら穢れに塗れたヒュートリエを燃やした。
産まれた時から穢れに触れたヒュートリエは、浄化の炎で魂まで燃えていた。
プスプスと心が悲鳴を上げているのに、とても静かで穏やかだった。
目の前には白金の髪に、星屑を散らした青い瞳の美しい人が立っている。
真っ直ぐで、しなやかで、きっとヒュートリエの魂が浄化の炎で勝手に燃やされるなんて思っていなかっただろう。
人の魂が浄化されるなんて、まるで魔物じゃないか。
声も出せずに苦しみ踠くジュリテアと共に、ヒュートリエの身体も倒れた。
驚き駆け寄るカシューゼネと、その後ろからついてくるアルゼト。
アルゼトは例え相手が死ぬ直前の人間でも容赦しないのか、冷たく見下ろしていた。
カシューゼネの青い瞳は涙を浮かべてジュリテアを見ている。
きっとジュリテアの性格も把握しているだろうに、それでも悲しんであげているのだろう。
自分に権力が無ければ、ただの男であれば、頭の悪いジュリテアの言いなりになって国を狂わせる事も無かったのだろうか。
ちゃんと見れば良かったと後悔しても、きっと何度繰り返しても無理だろうと思い直した。
本当は、この眩しい程に輝く人を、心から焦がれていたのだとしても、何度でも間違う。
そして愚かなジュリテアを何度でも愛するだろう。
だから全部連れて逝ってしまおう。
君を邪魔するものを全て、消してあげよう。
それが、唯一、自分に出来る事………。
この国の為に、王族として最後の仕事をしようじゃないか。
最後に太陽の下になって、影を落としたアルゼトの瞳と目があった。
オレンジが暗く緋色に見える。
「ムカつく………。」
ポツリと呟いてヒュートリエは静かに目を閉じた。
『慧眼』が聞いて呆れる。
自分が導いた先は、滅亡だなんて……。
ヒュートリエも、ジュリテアも、緋色の蝶と共に空に燃えて消えていった。
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