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34 ジュリテアの手

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 ジュリテアは月に向かって手の甲を伸ばした。
 綺麗に磨かれた爪には小さな宝石をあしらい、艶やかに輝いていた。
 指のふしくれ立ちも、血管が浮き出ることもない綺麗で滑らかな手は、ジュリテアの自慢だった。
 皆この手を取って甲に恭しく口付けを落とすと、眦を赤め歓喜する。

 ヒュートリエから指輪を贈ると言われたが、指に指輪の跡がつくから断った。
 代わりに髪につける髪飾りを貰った。
 ヒュートリエの琥珀の瞳を思わせる極細の金鎖は、複雑に形作られ所々に青い玉飾りが下がっている。
 髪を結いあげ金鎖を止めて、玉飾りを揺らし飾れば、ヒュートリエはとても喜んだ。

「ジュリテア様、王太子殿下が戻られました。」

 部屋の明かりを落とし月見をしながらお茶を飲んでいたジュリテアへ、王宮の使用人が扉の近くから声を掛けた。

「そう、こちらへ直接来るのかな?」

 今はカシューゼネ達の軍勢へ攻撃を仕掛ける為、ヒュートリエが率いて王都を出ていた。
 長く掛かるだろうと言われていたが、1週間もせずに帰って来るとは思わなかった。
 何かあったのならまずは王に報告に向かうと思い尋ねたのだが、声を掛けた使用人は青い顔で此方へ直接来ますと言ってきた。

 部屋の明かりを増やさせ、ヒュートリエが来るのをジュリテアは待った。

 ジュリテアは正直戦さには無関心だ。
 浄化をする為に王宮に滞在しているのであって、カシューゼネと対立するつもりはなかった。

 だが、現状は国を2つに別ける戦争になってしまった。
 争うなら自分達双子を巻き込まずにやって欲しい。それが、本音だ。
 ジュリテアには何故こんな事になったのか理解出来なかった。
 国が法外な請求をしている事も、ジュリテアがそれを使って贅沢している事も、聞いてはいるけど国なのだから出来るだろうと思っていた。

 ジュリテアは綺麗にして、人から褒められ愛され、カシューゼネに自分だけを見てもらいたかっただけ。
 カシューゼネは何故ジュリテアから離れて行こうとするのか、それも理解できなかった。
 自分達は双子で離れるべきではない。
 2人で浄化出来るなら、したらいいのだとしか思えなかった。
 





「ジュリテア………。」

 ヒュートリエが入室すると、ジュリテアは嬉しそうに飛び付いた。
 奇しくもアルゼトに飛び付くカシューゼネを彷彿とさせ、ヒュートリエはピクリと固まった。
 ジュリテアの青い瞳は星屑を輝かせ、やって来たヒュートリエに対して確かに嬉笑を浮かべているのに、あの時のカシューゼネとは全く違った。
 

 違う事に落胆した。


 カシューゼネの愛はたった1人に向けられているが、ジュリテアの愛は万人に向かっている。
 カシューゼネの様にたった1人に向けられるものではないと、改めて思い知らされる。
 
 この瞳が自分ただ1人を見てくれれば。
 そう思いつつも、何故かそれでも平気な自分もいた。

「……………………。」

「?どうしたの?ヒュートリエ様。」

 ジュリテアの声は高く澄んで耳に心地よい。
 カシューゼネの声は鈴を転がすように響いて離れない。
 その違いに、ヒュートリエは目を瞑った。

「あれ?この蝶…………。」

 ヒュートリエの身体に付かず離れず緋色の蝶が飛んでいた。
 心の霧を祓うかの様に、細かな火の粉が降り積もる。
 瘴気を祓うだけじゃなく、何か他の効果もあるのだろうか。
 胸を締め付ける痛みに、ヒュートリエは顔を顰めた。

「ヒュートリエ様、どうしたのですか?この蝶はカシューゼネ兄様のですよね?何か悪さをしているのですか?」

 抱きつき身体を労わり、ジュリテアは重ねて問い掛ける。
 ………違う、とヒュートリエは首を振った。
 今更気付かされる心に、アルゼトの嘲笑が脳裏をよぎり、忌々しくて唇を噛む。

 何を思ったかジュリテアはヒュートリエの手を引いて大人2人が寝転んでも余裕がある大きなソファに、ヒュートリエを導いた。
 着ていた衣装の紐に手を掛け、パラパラと軽い布地を取り払っていく。
 現れたのは白い綺麗な身体だった。
 1度も日に焼けたことのなさそうな、真っ白な肌は青白く、人形の様に滑らかだった。
 来て、と手を引かれソファに倒れ込む。
 ジュリテアの細い指がヒュートリエの甲冑を脱いだだけの軍装を脱がそうと動いているのを、ヒュートリエはボンヤリと眺めた。

 綺麗に整えた爪には光を放つ宝石がつけられて、重い物など持った事の無い、ふしくれ1つない指は細く小さい。
 ジュリテアは美しい。
 可憐で、愛らしく、無邪気だ。

 
 舞武を練習していると言ったカシューゼネは、しっかりと剣を握り、むしろ握り慣れていた。
 地を蹴る足は俊敏で、しなる身体は柔らかく力強い。
 日焼けも気にしない様子で汗と泥にまみれて、とても綺麗だと思えない格好なのに、星屑を散らした青い瞳は知性に溢れて美しかった。


 まだお互い挨拶をして知り合ったばかりの頃、何も言わずとも相手の様子から様々な事を読み取ったカシューゼネは、自分にこう言った。

ーーー加護とは全能ではないのです。その加護を、例えば殿下の『慧眼』という加護を授かったとしても、それは素地に過ぎず、後はその能力を伸ばす努力は本人が行うしか無いのです。ーーー

 意思の乗った力強い瞳で、2歳も年下から突然そう言われて、見透かされているのだと思った。
 能力の低さを、甘えを、碌に話した事もなかったのに、注意された。
 羞恥でそれからカシューゼネの顔を見れなくなった。

 鞭で叩かれるのは、甘えから努力を怠る所為だと言われている様で、またあの輝く瞳と目を合わせれば言われてしまいそうで、怖くてまともに話す事が出来なくなった。

 それから甘い言葉を囁くジュリテアに傾倒していった。
 心に蓋をして、逃げた。

 初めて会った時、あまりにも光り輝く笑顔が綺麗な君に見惚れたのに、私は自分の甘さの所為で見れなくなってしまった。



「あ、ようやくボタンが取れました!」

 嬉しそうな弾んだ声に、現実に戻される。
 顔はそっくりなのに全くの別人。
 どうしても比べてしまう。
 額をジュリテアの何も纏わない胸に埋めた。

 1度も鍛えた事のない薄い身体。
 鞭で打っていた時、カシューゼネの身体は程よく筋肉がのる身体をしていた。

「……ジュリテアはカシューゼネをどうしたい?」

 尋ねられたジュリテアは、きょとんと不思議そうな顔をした。
 
「どう?出来れば僕の所に帰ってきて欲しいです。浄化は一緒にやればいいと思いませんか?」

 当たり前の様に言い切るジュリテアへ、ヒュートリエは目を伏せてそうだねと返事をした。
 そうなんだけど、そうじゃない。
 それが出来る時期は、とうの昔に通り過ぎてしまった。
 
「ジュリテア、今日は帰ってきたばかりで疲れたから寝よう。」

 不満気なジュリテアを宥めて、このまま寝る事にした。
 もう、考えたくない。

 疲れてしまった。
 







 捕まえた王国軍の処遇を決め、遅い食事を終わらせて、就寝につけたのは深夜もかなり回った頃だった。
 後ろから歩いてきたシューニエ神官長が、一緒に食器を戻すからと声を掛けてきて、手渡した時に尋ねられた。

「ヒュートリエ殿下につけた蝶は何の為にですか?」

 あのまま逃さなくても後ろから斬るなり捕まえるなり出来たでしょうと、不思議そうにしている。

「ああ、アルゼトが殿下には瘴気が巣食っているだろうから、心を浄化してあげた方がいいって言うから………。そしたら王宮に帰って色々過去の事とか考え直して、今後の流れが変わるんじゃないかって。」

 まあ、僕は捕まえたいところではあったんだけど…、そうカシューゼネは説明する。
 アルゼトは説明するカシューゼネの横で、澄ました顔をして立っていた。
 チラリと見たシューニエは、アルゼトの思惑に気付く。

「因みにカシューゼネ様は、ヒュートリエ様が改心するとどういう行動に出ると思いますか?」

「え?そうだね、ジュリテアか王を説得してくれるんじゃないかな?」

 成程、カシューゼネ様らしい前向きな意見だ。
 だか、少し捻くれた性格のシューニエには、そう思えなかった。
 アルゼトもきっとそうだろう。

「なるべく早めに王宮に乗り込みましょうか?王都は戦さの匂いに民が出て行ってしまって、動けないものだけが残されているそうですよ。」

 神殿の孤児の子達は神殿関係者が保護しているだろうが、スラムなどは子供と老人が置き去りになっている。
 平民街でも余力のない家は同じだ。
 病人などもそのままだろう。

「うん、そうだね。急ごう。」

 力強く頷くカシューゼネはいつも真っ直ぐだ。
 きっとあの王太子殿下にはさぞかし眩しく映ったことだろう。

 もう1度アルゼトを盗み見ると、今度はオレンジの瞳が此方を見ていた。
 余計な事は言うなと無言の圧力を感じる。
 ナギゼアと同じ顔をしているのに、何故こんなにも性格が違うのか。
 それはカシューゼネ達にも言える事だが、不思議なものだなとシューニエには感じた。
 




















 
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