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31 愛に飢えた者

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 カシューゼネ兄様は小さな頃から忙しかった。
 遊ぶ暇もないのに勉強にマナーにと習う事は際限ない。
 僕にも家庭教師はついていたけど、分からない事だらけでいつも躓いていた。
 そんな僕を、兄様は呆れる事なく教えてくれた。
 兄様は優しい人だった。

 兄様は使用人が何の仕事をしているのかを知る為にと、よく邪魔にならない程度に手伝いをしていた。
 手が汚れても気にしないし、鍛錬で日に焼けても気にしない。
 
 
 僕は兄様が勉強する姿や剣を振るう姿を見るのは好きだったけど、従者や使用人と話す姿を見るのはあまり好きじゃ無かった。

 この時はあまり自覚していなかった。

 ヒュートリエ・リジウス・オルベルフラ王太子殿下がカシューゼネ兄様の婚約者だと聞いた時、僕は胸がモヤモヤした。
 いつか王家に嫁ぐのだと、父様が教えてくれた。
 いつか、いなくなる?
 
 僕はヒュートリエ様に紹介された時、近付いた。
 ヒュートリエ様を見て、僕は分かってしまった。
 この人は優秀なカシューゼネ兄様に嫉妬している。
 兄様の溌剌とした美しい強さに、押されてしまっている。

 この人が兄様の婚約者?
 
 僕はヒュートリエ様に弱々しく自己紹介した。
 目を伏せて、小首を傾げて、兄様がいない時に話し掛ける。
 自信のない僕は確かに事実だけど、それを態とヒュートリエ様に見せる。
 ヒュートリエ様は年下の、婚約者とそっくりだけど弱々しく頼ってくる僕に、直ぐに心を許した。


 ある日ラダフィム・ウェナセルが遊びに来た。ウェナセル公爵家の跡取り息子が来るよと言われて、僕は面倒だけど渋々案内される部屋で待機する為に、廊下を歩いていた。
 その日はよく晴れた日で、兄様はいつもの様に庭で庭師が切った花を受け取っていた。
 きっとお客様が来るから自分で花瓶に生けようと思ったのだろう。
 
 明るい日差しの中、笑い声が響いていた。
 強い風が吹くと、抱えた花の花弁が舞って、帽子が空に吹き飛ばされた。
 抑えた手は伸ばされたけど届かなくて、花びらの中に白金の髪が広かった。

 僕は自分と同じ顔をしているのに、太陽に愛されたような兄様に見惚れていた。

 だから気付いたのかもしれない。
 
 もう1人遠くから見惚れている少年に。

 それがラダフィムだった。
 兄様の側にもう1人増えるかもしれないと思うと、ゾワゾワと嫌悪感が増した。

 増えるくらいならヒュートリエ様と同じ様に、僕の方に置いておこう。
 そう思った。
 その日は挨拶だけで終わって後日遊びに来させるというので、あまり印象を持たれない様に自己紹介だけにした。
 
 兄様の代わりに花壇に花を育てたいと、いつも兄様に付き合っている庭師を伴って花を植えた。
 あまりやっていなかった使用人への労いも必ずするようにした。
 人に好かれる様に笑顔でいる事にした。

 ラダフィムが勘違いした事につけ込んだ。
 ラダフィムはあの日見た子供が王太子殿下の婚約者であって欲しくないと思っているようだったので、簡単だった。

 
 屋敷の使用人がヒュートリエ様へのお茶を溢した時、兄様は厳しく叱責した。
 使用人は青い顔で死にそうなくらい謝っていた。
 兄様に何であの時あんなに怒ったのか聞いたら、王族に対してお茶を溢すなんて処罰されてもおかしくない行為なんだって教えてくれた。
 婚約者の兄様が厳し目に怒っていた方が、その後の処罰が軽くなるから態と怒ったと教えてくれた。

 僕はその怒られた使用人に近付いて、大変だったねって声を掛けた。
 そうしたら、何でか凄く感謝された。
 ジュリテア様はお優しいですねって泣いている。

 兄様が悪い様に思われてしまったけど、僕は天啓を受けた様に気付いた。

 こうやって兄様が悪者になれば、近付く人間も減っていくんだと思った。

 ヒュートリエ様もラダフィムも簡単に騙されて、僕が優しくて兄様が気の強い悪者だと思う様になった。
 従者のナギゼアを兄様が専任にしたいと言っていると聞いて、僕もナギゼアを希望した。
 アルゼトは確かに無表情で何を考えているか分からない。
 正直どっちでも良かったけど、専任を決めるとずっとそいつが側にいる事になるので、僕はそれが許せなかった。


 徐々に兄様の周りには人がいなくなっていって、忙しい兄様もあまり気にしていない様だから、僕はホッと胸を撫で下ろした。
 この頃にはお茶をしに来るヒュートリエ様は僕にばかり会いたがるし、お出かけも一緒に誘われ贈り物も兄様と同じ物を送る様になっていた。
 それに兄様が苛立ち癇癪を起こしても、これ幸いと僕は止めなかった。
 ラダフィムも僕の婚約者になって数日毎に遊びに来る。
 ナギゼアは僕の側に来たがるし、使用人も僕が優しいから好きだと言う。
 両親は相変わらずカシューゼネ兄様と僕の2人共を可愛がるけど、親まで取るのは気が引けて、これは諦めていた。


 僕が15歳になって、『神の愛し子』を授かった時、僕は神に選ばれたことよりも、これを使って兄様を僕のものに出来ないかと、そればかり考えた。
 兄様から大事なものを全て奪って、兄様を孤独にして、双子の兄弟の僕が優しくすれば、僕だけのものにならないかなって。
 だって皆んな『神の愛し子』に転がり落ちてきたのだし。
 婚約者はヒュートリエ様になって、婚約者じゃなくなってもラダフィムは愛してると、こっそり囁いてくる。
 よく知らない大人の貴族は擦り寄り、学院では子供達が僕の周りを取り囲む。
 
 王宮で綺麗に身体を磨いて身綺麗に衣装を整えれば、誰もが美しいって褒めてくれる。
 どんどん綺麗になって、兄様を汚くして、僕がいないと生きていられない様にしよう。


 そうしたら、カシューゼネ兄様は僕1人のものだ。


 そう思ったのに、たかが従者のアルゼトと、一緒に生きると兄様は言った。

 …………アルゼト?
 
 苦手にしてなかった?
 アルゼトは優秀だし、兄様もあまり側に置かなかったから放置してたけど、いつの間にか兄様の心の中に入っていた。
 僕の為に兄様を孤独にしたのに、アルゼトが僕より先につけ込んだんだ。

 許せない!許せない!許せない!

 僕の権利をアイツが奪った。






 何よりも欲しい愛をアルゼトが盗んだ。

 僕はベランダの窓を開けて、外に出た。
 軽い夜着が緩い風に吹かれてヒラヒラと揺れる。
 花壇の手入れはしたくなかったけど、印象付けの為に続けた。
 手は荒れるので手袋をして、終わったらクリームでケアして、綺麗にした。
 帽子も被って日傘を使用人に持たせて、日焼けもしない様にした。
 誰からも好かれる様に美しく見せる様に頑張った。

 綺麗に頓着しない兄様は何もしなくても綺麗なのだ。僕は人一倍頑張った。


 同じ部屋で寝ていたヒュートリエ様が、ベランダに出た僕に気付いて後を追ってきた。
 僕はゆっくりと振り返った。
 月の光が当たる様に、最も綺麗に見える様に、微笑みながらヒュートリエ様の方を向いた。

 ヒュートリエ様は僕に見惚れている。
 うっとりとした顔は子供の頃から変わらない。
 誰もがそんな顔してればいいのに、最近近付いてくる人間は少なくなった。

「私はジュリテアが間違いなく『神の愛し子』だと信じてるよ。君は私が必ず守ろう。」

 僕が不安を抱えて眠れないとでも思ったのだろうか。
 僕は何でか昔から、か弱く守るべき対象に見られがちだった。
 だからそれを利用してきたけど、この人は本当に『慧眼』と言う加護を持ってるのかなって不思議に思う。
 僕の虚像を信じて目を閉じた、可哀想な王太子殿下だ。
 この前湖で、湖面に浮かぶ炎の蝶の中に立っていたカシューゼネ兄様に見惚れていたのには気付いてるんだよ?
 見惚れてまんまとアルゼトなんかに神獣盗られちゃって、間抜けだなぁって思ってるんだけど。

「ラダフィムが戻らないから心配なんだ。」

 僕は都合のいい嘘を吐く。
 本当は心配していない。きっと彼はアルゼトに敗れたのだろう。
 生きていれば戻ってくるはずだ。

「シューニエ神官長ももう戻らないだろう。神殿がツベリアーレ公爵陣営につく宣言を記した書簡が届いたよ。カシューゼネを『神の愛し子』に相応しい聖者であると認めると書いてあった。バカバカしい………!」

 僕はヒュートリエ様に抱き付いた。
 夜着に顔を埋めて表情を見えない様にする。
 僕が笑っていると知られない様に。

 兄様が素晴らしい人だと言うのは昔から知っている。
 今から兄様にくっついていく愚かしい人間達には冷笑しか浮かばない。
 でもヒュートリエ様にその顔を見せるのは得策ではない。
 
 どうしようか…?

 僕の持っている力はヒュートリエ様だけになってきた。
 ヒュートリエ様はアルゼトから神獣ビテフノラスを取り返しに行くからと僕に言ってるけど、本当に出来るのか怪しい。
 そんな余裕の無い状態で上手くいくのかな?
 ヒュートリエ様は、王家が代々受け継いできた神獣ビテフノラスを盗られてしまった責任を追及されている。
 かろうじて『神の愛し子の守護者』という役目があるから、その加護に守られているだけにすぎない。
 僕自身も『神の愛し子』という加護があるから、ここにこうしていられる。
 流石に僕にも理解出来た。


 このままだと、兄様と一緒にいる事すら出来なくなる。
 
 
 僕は永遠に兄様の愛を得られない。

 どうして、こうなったんだろう?

















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