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 湖にくるぶしまで浸かり、オレンジ色の蝶を舞わせた。
 ヒラヒラと飛んでは水面に沈み、飛散した水の礫は小さな蝶々を生み出し、瘴気を吸って大きくなる。
 その繰り返し。
 いつしか大量に湧き上がるオレンジの蝶々は、水面を緋色に染めて大気を震わせていた。

 大気が樹々が、夜空に浮かぶ雲ですら、オレンジ色に照らされて、輝く蝶が溢れかえっている。
 唯一大きな欠けた月だけが、青白く輝いていた。
 カシューゼネは、まるで夕陽のようだと見上げていた。


 音のない世界に遠くから喧騒と怒号、剣戟が聞こえて来る。
 ゆっくりと振り返ると、樹々を掻き分け、美しく着飾ったジュリテアが出て来た。
 髪は複雑に結いあげ小花を散らし、桃色の頬紅と口紅が白く滑らかな肌によく映えた。
 服は場違いなヒラヒラとした王族が着るような服で、流石に靴は丈の高い革の靴だったが、綺麗な刺繍入りの靴は泥だらけで勿体なかった。


 僕は念の為に剣を抜いたまま相対した。
 今この湖には僕1人。
 僕は此処で彼等を待っていた。

 この湖は小説に出てくる。

 既に謀反を働いた両親は処刑され、アルゼトもいない。
 ツベリアーレ領地は主人を失い、王家の直轄領地となっていたが、謀反を働いた領地として浄化は後回しにされていた。
 漸く来たこの地は瘴気で真っ黒に染まり、人は路地に転がり、腐敗が進む遺体も放置されている。
 植物は枯れ、森は枯木で茶色に染まり、湖は泥水のように濁っていた。
 発生した魔物は皆強く、前線で戦うカシューゼネは肩から胸元にかけて大きな傷を受ける。
 それでも戦い続け、泥を被り、漸く終わってからその傷に気付くのだ。

 傷ついたカシューゼネは倒れ込むようにテントに潜り込む。
 顔を隠す頭巾を脱ぎ捨てて、漸く布団がわりの布で身体を包む。
 いつも1人で端っこの方に小さなテントを張って、眠っていた。
 ジュリテア達は中央に大きく上等なテントに集まっているが、嫌われているカシューゼネはいつも1人だった。

 手当ても出来ずにカシューゼネは倒れている。
 此処で死ぬのだと、そう思いながら。
 
 そこにジュリテアがやって来る。
 狭いテントの中に入り込み、カシューゼネの傷を癒していく。
 肩から胸にかけて大きく抉られた傷を見て、泣きながら聖水をかけて綺麗に拭き取っていく。
 
 兄様、死なないで。

 死の淵に立たされたカシューゼネは、ジュリテアの祈りで癒される。
 
 ありがとう、ジュリテア。

 礼を言うカシューゼネへ、ジュリテアは涙を浮かべた瞳を笑みに細めて嬉しそうに笑う。
 
 兄様の力になれるなら嬉しいです。

 兄弟の中が深まるエピソードだ。
 より一層カシューゼネはジュリテアを大事にするように書かれているが、カシューゼネの記憶では少し違う。

 聖水をかけて拭き取るジュリテアは、カシューゼネの肌に唇を落とす。
 入った小石を舌で抉り、呻くカシューゼネの汗を舐めとるのだ。
 この時既にジュリテアは新月の度にカシューゼネに覆い被さっている。
 
 僕の兄様、死なないで。
 綺麗に、綺麗に、小石は取ってあげる。

 カシューゼネとしては聖水をぶっ掛けて洗い流して欲しいのに、ジュリテアは痛ぶるように一つ一つ舌で舐め取っていく。
 濡れた青い瞳の星屑は、カシューゼネを捉えて怪しく輝いていた。

「あっ!あぁっっつ!ジュリ……!痛いっ!」

「兄様!兄様!僕が助けてあげます!」

 確かに癒してはくれたが、激痛にのたうち回るカシューゼネを、ジュリテアは恍惚と顔を蕩かせて見ていた。
 動かないように、逃げないように、カシューゼネの身体に跨り、ジュリテアはあろう事か、下半身を濡らしていた。

「ああっ!兄様!僕は我慢できません!!」

 激痛と戦いによる疲労で動けないカシューゼネに、自分の陰茎を深々と刺して、ジュリテアは可憐に微笑む。

「ひぁっ!?……や、めっ、あっあっ!」

「あぁ………、僕が抱くのは兄様だけです。このしなやかに鍛えられた身体も、僕の為に戦って出来た傷跡も、全部僕のものです。ラダフィムも最近は来ないでしょう?僕が可哀想だからやめてってお願いしたのですよ?」

 だったら、知ってたのなら、最初から言って欲しかった!
 そう訴えても、ジュリテアはそれでは駄目なのです、と意味不明なことを言っていた。
 






 此処は両親が治めた領地だし、ジュリテアとカシューゼネのエピソードがある場所なので出会うかと思っていた。
 小説の内容とは大きくズレたが、会う必要性のある分岐点だと、僕は思っている。

 双子の兄妹の絆を取り戻せるか、離れてしまうかの分岐点。

「ジュリテアこそ、僕と一緒に浄化の旅を続けようよ。王宮で暮らすのは非効率的だ。」

 ジュリテアの瞳はカシューゼネを犯す時と同じように、怪しく輝いていた。
 どうしてそんな瞳をするのか。
 無垢で純粋なジュリテアは、可憐に微笑みながらも愛に狂っている。

 その青い瞳は拒絶を浮かべていた。




 僕の周りは輝く蝶によって明るい。
 だから樹々の影は暗く、アルゼトとフワイフェルエは気配を消して潜んでいた。
 
 ジュリテアの背後には従者の様にヒュートリエとラダフィム、神官長シューニエが立っていた。

「今だよ!」

 神獣フワイフェルエが叫ぶ!
 アルゼトはヒュートリエに素早く走り込み、腰に下げた従魔の鞭を切り落とした。
 そしてヒュートリエの顔面を鷲掴みにして、「来いっ!」と叫ぶ。
 赤黒い鬣の神獣ビテフノラスが出て来る。
 赤黒い霧を纏い、腐臭のする息を吐いて、ヒュートリエとアルゼトの頭上に現れた。

「ビテフノラスっ!」

 悲痛なフワイフェルエの悲鳴が響く。
 フワイフェルエは神獣ビテフノラスの毛は緋色で綺麗なのだと語っていた。
 フワイフェルエも小説の中の記憶があるので、今の神獣ビテフノラスの姿を覚えているだろうが、それでも何度見てもこの瘴気に侵され死にかけた姿に、心を痛めるのだろう。

 神獣ビテフノラスは牙の生えた大きな口を苦しそうに開けて、グワァァァと吠えた。
 大気が震え、神獣ビテフノラスからボトボトと毛なのか腐敗した肉なのか分からないものが落ちていく。

「こいっ!ビテフノラス!」
 
 アルゼトの呼び掛けに、神獣ビテフノラスは救いを求める様に応じた。

「…!?そんな!」

 ヒュートリエは驚いて叫んだが、もう遅い。オルベルフラ王家に従魔として囚われた神獣は、アルゼトの『緋の光』の加護によってアルゼトの従神となった。
 フワイフェルエが望む通り、主人の書き換えが成功した。

「貴様!!」

 呆然と見ていたラダフィムが、長剣を抜いてアルゼトに襲いかかる。
 それを素早くヒュートリエから飛び退き、抜いた剣で受け流しながら、アルゼトはフワイフェルエへ尋ねた。

「ビテフノラスはどうしたらいい!?」
 
「とりあえず消耗を抑える為に眠らせて!」

 今にも地に倒れ伏しそうな神獣ビテフノラスを、アルゼトは眠らせる事が出来たのか姿が消えた。
 その間もラダフィムの剣がアルゼトを襲っている。
 受け流し弾き返しながらも、アルゼトはヒュートリエを挑発する。

「殿下!どーしますか?貴方の手足は無くなりましたよ?次に何を従えますか!?」

「くっ…!!」

 ヒュートリエは悔しげに顔を歪めた。
 ただでさえ先程から光る蝶が纏わりついてきて気分が悪い。
 ラダフィムがこれ以上アルゼトを喋らせない為に強く打ち込んできた。

「フワイフェルエっ!カシューゼネ様をっ!」

 そう叫びながら、ラダフィムの力を乗せた一撃でアルゼトは森の中へ吹き飛ばされ、それを追ってラダフィムも森の中へ消えて行った。

 フワイフェルエは神獣化して、湖に足を浸けた僕の側に飛んできた。
 とん、ととん、と光る水面に円を描き、風の様に僕の後ろに従う。

 オレンジ色の蝶から炎が舞い上がった。
 熱はない。
 無いが、メラメラと瘴気を燃やし、畔に佇むヒュートリエとジュリテアを取り囲んだ。

「兄様、僕を燃やすつもり?」

 光る水面に眩しそうに目を細めながら、ジュリテアは非難する。
 
「ジュリテア、これが最後のチャンスだよ。僕と共に浄化をしよう?」

 ジュリテアは首を振った。

「一緒に帰るのはカシューゼネ兄様だよ?此処で別れたらもう一緒にいられないよ?」

「ジュリテアはそれが理解できるなら、その先の未来も予測出来ない?」

「出来るよ!僕はヒュートリエ様と結婚し王太子妃になるんだ!カシューゼネ兄様が一緒に王宮に帰れば上手く纏まるでしょう!?」

 ジュリテアは叫ぶ。
 この未来しか受け入れないとでも言う様に。
 カシューゼネは真っ直ぐにジュリテアを見つめた。

「そう、それがジュリテアの望む未来で、それ以外は無いと言うのなら、僕たちはもう一緒にいられない。」

 炎が熱を纏う。
 ジュリテア達を否定するかのように、炎はジリジリと進み出した。

 ヒュートリエがジュリテアを庇い抱き締める。
 王宮の護衛騎士がヒュートリエ達に漸く追いついて来た。
 というより、カシューゼネが蝶々の光で目眩しをかけ、邪魔なので排除させていたのだが、ジュリテアを帰す為に解いたのだ。
 ますば『神の愛し子の剣』から片付ける。
 今日は神獣ビテフノラスを取り戻せたので上々だ。
 騎士の耳打ちでヒュートリエは思案し、項垂れるジュリテアを支えながら森の中へ消えていった。
 ジュリテアは最後まで、見つめるカシューゼネの顔を見ていた。





「………それで、シューニエ様は何故残っているのでしょうか?」

 木の影から神官長シューニエが出て来た。
 ニコニコと笑顔だが、カシューゼネとしてはこの人は胡散臭いと思っている。
 基本神殿は力の強い方に付きがちなので、可能性としてカシューゼネ側につくかもしれないと予想していた。

「賢いカシューゼネ様なら理解されていると思いますが、浄化という善行に私としては是非お話をしたいのですよ。」

 カシューゼネの後ろで、胡散臭いとフワイフェルエが呟いた。
 うん、胡散臭い。
 顔が下手に整ってる分際立つのかもしれない。

「………そうですか。」

 まあ、シューニエには殺気も戦う意志も無さそうなので、まずはラダフィムと共に森の中へ消えたアルゼトを見付けなければならない。

「あ、ナギゼアが騎士に扮して紛れ込んでますが、攻撃はしないで下さい。」

「えっ!?今どこにいるんですか?」

「多分アルゼト達を追いかけて行ったでしょう。私達も急ぎましょう。」

 消えていった方角が分かるのか、シューニエは森の中を走り出した。
 慌てて僕達もついていく。

「な、なぜ、ナギゼアが…!?」

 シューニエは動き易い簡素な旅用の神官服を着てはいるが、長い裾にも限らずひょいひょいと走っている。

「それは、貴方がたに謝罪したいからですよ。2人が王宮を飛び出してから、謹慎後はずっと神殿に身を置いてジュリテア様達と距離を置いていたのです。」

 ナギゼアは小説とは違い、ジュリテアから離れていたのか。
 ナギゼアの行動はかなり小説とは違う。
 だから話を聞いてやって下さいねと言ったシューニエもまた、小説の中とは少し雰囲気が違っていた。

「……仕方ないね。」

 僕が了承すると、シューニエは胡散臭い笑顔ではなく、ホッと安心した様な顔をして笑った。





















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