いつも眠たい翠君は。

黄金 

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16 斎の悩み

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 物心ついた時から、隣には流雨がいた。流雨にはお兄さんが二人いて優雨さんと時雨さんはお父さんの橙利さんにそっくりだった。薄茶色のふわふわの髪に薄茶色の瞳。睫毛が長くてとても綺麗な人達だ。
 三男の流雨は生みの親の翠さんに似ていた。髪は黒くて垂れ目がそっくりだった。でも黒いまつ毛の中には不思議な色合いの瞳が有り、その瞳に見つめられると吸い込まれそうな程いつも見惚れてしまった。瞳孔は黒く虹彩は薄茶と黒の混じった、光の当たり具合で色を変える不思議な目だった。
 律父さんから、お前は流雨の隣にいて助けてあげる存在になりなさいと言われた。
 言われなくてもいつも隣にいるつもりだったけど、何かと鈍臭い俺はいつも流雨に助けられてばかりだった。
 でも流雨はいつも俺を優先してくれる。
 優しくて、綺麗で、賢い流雨は俺の憧れで大好きな人だった。
 それが変わって来たのは小学校の四年生の時くらい。
 背が高かった流雨の成長は止まり、小さかった俺と並ぶ様になった。
 それでも流雨は強くて、いじめっ子達を制圧し、誰も流雨に逆らう奴はいなかった。
 誰もが流雨はアルファなのだと思っていた。俺は流雨が好きで流雨が手に入るならオメガになりたいと密かに想いを寄せていた。


 そんな想いが崩れ出したのが小学校五年生の夏休み。
 小学校から中学校まで寮生活を送る私立の学校は長期休みに入ると必ず皆んな家へ帰らなければならない。
 その年は古賀家と林野家、佐々成家の家族ぐるみで別荘に遊びに行っていた。
 俺と流雨と結良の三人は同い年でいつも一緒に遊んでいた。
 その日は近くの川に遊びに行ったのだ。木漏れ日の中に流れる川は綺麗で透明だった。
 重なり合う岩は大きかったり小さかったり。それらを冒険の様に飛んで渡って遊んでいた。
 結良が大きな岩に生えた苔で足を滑らせた。咄嗟に一番近くにいた流雨が手を掴んで引っ張り上げたけど、代わりに流雨が落ちてしまった。

「流雨!!」

 慌てて下に降りて靴が濡れるのも構わずに川の中へ入る。
 岩と岩の間を流れる水は意外と早く深かった。
 流雨は「いたた」と言いながら起き上がった。左腕は擦った様に血が滲み、まだ水の中に入ったままの膝も赤く色付いている。
 流雨は全身濡れていた。
 岩の上に上がろうとする流雨を手助けして、泣いている結良に大人を呼んでくるように急がせる。
 何とか平たい岩の上まで移動したが、水に濡れたせいか怪我から血が溢れていた。
 
「流雨、大丈夫?」

「ん、平気……。」
 
 流雨は少し痛そうにしながらも、安心させる様に笑った。
 木漏れ日の中、濡れた流雨の髪からポタポタと雫が垂れて、流雨の丸い頬をツウと流れていた。
 目が潤み、薄茶色と黒の混ざる虹彩が揺れる様に混ざり、木漏れ日の光を反射する。
 流れる血にドクリと心臓がなった。
 細い手が、足が目に焼きつく。
 短パンから覗く白い太腿にそっと触れた。

「斎?」

 不思議そうに流雨が顔を覗き込む。
 白いTシャツは透けて、胸とお臍の形が分かった。
 顔が熱い。
 下半身がドクドクと鳴っているようだ。
 どうしたんだろう?
 自分がおかしい。
 初めて性の対象として意識したのは、その時が初めてだった。
 
 それからは流雨の顔を見ると、またあの時の様におかしな気分にさせられそうで、まともに見る事が出来なくなっていった。
 それでも遊んだり話したり、まだ普通に出来てたと思う。
 小さな頃からオメガっぽい結良には何も感じないのに、流雨から徐々に良い匂いを感じるようになった。

 中学校に入ってすぐ、課題の内容を聞きたくて流雨の部屋に入った。
 中学生になると寮は一人部屋に変わる。行くと言っていたので、鍵は開けてあった。
 
「流雨?」

 部屋は静かで声を掛けても返事がない。仕方なく中へ入り奥へ進んだ。手前にトイレとお風呂、奥がベットと机、少々の家具。どの部屋も同じ構成だ。
 窓は開けられレースの白いカーテンがふわふわと流れていた。
 ベットには既にお風呂を済ませてパジャマに着替えた流雨が寝ていた。
 スウスウと寝息を立てて、胸が上下に動いている。深く眠っているのか動く気配はない。
 自分の喉がゴクリとなるのか分かった。
 
「……………。」

 近付いて流雨のベットの横に座る。
 上下に動く胸をそっと撫でた。
 右胸の真ん中あたりをスリスリと擦る。
 プクと小さな突起を見つけて、執拗にそこを撫でる。
 
「可愛い……。」

 中学生になると身長が伸びて、昔は大きかった流雨を見下ろせるくらいになってしまった。
 流雨の背も肩幅も胸も、全部小さく感じる。
 パジャマの上をそっと胸の辺りまで捲る。小さな粒がそこにはあった。無意識に口を近付けペロリと舐めた。
 甘い匂いがする。
 花の甘い蜜を含んだような匂い。
 チュウと吸うと、んぅ………と流雨が身じろぎした。
 舐めながら下の方へ這い、丸見えの臍を舌でなぞる。執拗に唾液が溜まるまでベロベロと舐めた。
 電気の灯りに俺が付けた唾液の跡がテラテラと光っている。
 流雨はよほど疲れているのか、よく眠って起きなかった。はぁ、と息を吐くが、それだけだ。
 中学校に上がり、性を意識する人間が増えてきて、流雨はその対象になって来た。
 小柄な身体。長い睫毛。不思議な魅力を持つ瞳。この頃には皆、流雨はオメガなのだろうと意識し出した。
 流雨か結良か、どっちがいいかと言いだす男子が増えた。
 女子もいるのに、この二人より魅力がある人間もいなかった。
 流雨は小さい頃はアルファだろうと言われるくらいしっかりしていて体格も良かったので、そういう対象になっていると理解出来ず、揶揄われていると思っているようだ。
 喧嘩でもなく意地悪でもなく、謎に絡んでくる男子に辟易して疲れがちになっていた。
 そんなモテる流雨は女子からはあまり好かれておらず、ヒソヒソと暴言を吐かれては、溜息をついて無視していた。

 俺は流雨はアルファだと思っていた。
 俺はオメガになって流雨と番になってずっと一緒にいるつもりだった。
 だけど最近それが逆転して来て、俺は自分のこの衝動を抑えるのが難しくなってきた。
 組み敷きたい。
 押さえつけて自分の子種を注ぎたい。
 自分のものだと所有印をつけたい。
 噛みたい………。
 噛みつきたい!

 ハッとして慌てて流雨のパジャマを戻した。
 最近流雨を見るといつもこんな欲求が湧いてくる。
 自分が肉食動物になった様な感覚に戸惑いショックを受ける。
 近くに居ると、流雨を押さえつけて傷付けてしまいそうで怖かった。
 元々争い事は嫌いだし、流雨より優れているなんて思った事もない。
 流雨はきっとオメガだ。
 何で流雨はオメガなんだろう!?
 流雨の側にいると花の蜜の匂いに引き寄せられて、自我を失いそうで怖かった。
 側に居れないと思った。
 それから俺は流雨から離れた。


 中学二年の一斉バース検査でアルファと診断された。
 呼び出された流雨からオメガの診断書を見せられた。
 風がザアザアと鳴り、小さな流雨の声は飲み込まれそうなのに、流雨の言葉はよく聞こえた。

「ねぇ、斎。僕と番になろう?」

 流雨と番になる。
 それは小さな頃からの夢だった。
 でもこんな形ではない。
 俺はオメガになって流雨に噛まれたかった。それなのに、俺はアルファで流雨がオメガになった。
 俺が流雨に勝てるところなんて一つもないのに、流雨を組み敷いて項に歯をたてれるのか!?
 流雨の告白に、俺の頭の中はその現実に慄いていた。
 無理だと。
 崇高な流雨を自分のものにするなんて出来ないと。
 だから無理だと断った。
 流雨が悲しそうな顔で見て来ても、俺は流雨をこんなアルファとしての自信も覚悟もないのに、自分だけのオメガにする事に不安しか感じなかった。
 逆だったらどんなに良かったか。
 きっと流雨なら素晴らしいアルファになっただろうに……。
 申し訳なさすぎて、流雨と目を合わせる事が出来なくなった。
 ごめん、流雨。
 何で俺はアルファなんだろう。


 中学三年で流雨から質問をされた。
 どこが嫌なの?
 嫌なところなんてない。全部が好きだ。
 流雨に見つめられると、身体が痺れて動けなくなる。
 その目に映る全てを俺だけにしたいと叫んでしまいそうだ。
 だから、嫌なところという意味じゃなかったけど、つい見られるのが辛いと言ってしまった。見られるとアルファの本能が暴れ出しそうだったから……。
 流雨は、じゃあ隠すね、と言って前髪を伸ばし、帽子やフードで目を隠す様になった。
 結良からはなんて余計な事を言うんだと怒られた。
 


 高校は両親達が通った高校になった。此処なら流雨や結良が親の実家から通えるのと、古賀家の息が掛かった企業の子供達が通う場合が多いからと言われた。
 仁兄さんと響姉さんも、古賀家の優雨さんと時雨さんに付き従う様に此処に入学し卒業していった。
 流雨の制服姿は可愛い。
 流雨にはバレない様にこっそり見ていた。
 制服姿も体操服姿も家庭科のエプロン姿も全部こっそり携帯で写真を撮った。
 たまに結良が居眠り写真を送ってきて、全て保存している。
 俺の携帯の写真を開けば流雨しか写っていない。全部視線はこちらを向いていないけど、いつか俺を見て笑顔で撮れる日が来るだろうか。

 総務部に入らなければならないと言われて渋々向かったが、流雨が一緒に入ると知って内心喜んだ。
 いつもよりも近くにいる流雨の体温を感じそうで、興奮しそうだった。一緒に来たエリアスにバレないかと肝が冷えた。

 流雨がオメガと言うだけで馬鹿にされているのを目撃した。
 どう報復しようかと考えていたら、先輩の家はそのうち傾くと律父さんから教えて貰った。では何もしなくても消える存在ならばいいかと放置するつもりでいたら、流雨はそれでは怒りが収まらず、恥をかかせて退学に追い込ませた。
 最近大人しかった流雨が、久しぶりに見せた憤怒。
 小さい頃はやられたらやり返すが当たり前だったのに、成長するにつれて流雨は大人しくなっていった。
 オメガは皆美しく華奢で、アルフに依存する。
 流雨もそうなっていくのかと思っていたのに、流雨の放つ雰囲気は熱を放つ氷の様に空気に緊張感をもたらした。
 あぁ、流雨だ………!
 俺の愛してやまない孤高の人。
 流雨に気付かれる前に逸らしていた視線も、逸らすのを忘れて見つめ続けていた。


 結良に誘われて、いつもなら断るのにフラフラと佐々成家を訪れた。エリアスがついて来たいと言って無理矢理ついて来たが、どうでも良かった。
 流雨に会える。
 流雨は何を話すだろうか。
 はいこれ、と渡されたのは水着と水泳用の上着だった。
 着替えると流雨も来ていた。
 黒い短パンから出る細い柔らかそうな足が眩しい。
 前開きの上着のチャックは開けたままで、流雨の胸も腹も丸見えだった。
 何処を見たら良いのか分からず目が彷徨う。いつの間にか結良とエリアスはいなくなっていて、流雨が泳ごうと誘って来た。
 流雨の細い手が、足が、水の中をゆらゆらと動く。水面は流雨の胸の辺りで揺れ、小さな粒を強調させている様だった。気持ちよさそうに泳ぐ流雨は、俺の視線に気付いていない。
 濡れた髪から雫が落ちて、初めて性を意識したあの日を思い出す。濡れた頬、血の匂い、白い太腿に落ちる木漏れ日………。流雨の花の蜜の匂い……。
 髪を掻き上げ久しぶりに見せる瞳は、薄茶と黒が混ざり美しい。

「……………流雨……。」

 思わず呟いた。
 小さく呟いたのに、流雨の耳に届いていた。
 流雨は無表情だと支配者の様な力強い目なのに、笑うと垂れ目が睫毛で覆い被さり幼くなる。

「………な、なに?」

 プールサイドに座って見ていた俺の元へ、ニコニコと無邪気に寄ってくる流雨を見て、あまりにも無防備で心配になる。
 俺は流雨を見ると襲いたくなる。
 だけど、この衝動を俺は嫌う。
 獣の様に襲いたいという心が暴れ出しそうだ。

 近付いて来た流雨に何か話さなければ……。そうだ、以前の製薬会社の件を聞こう。やるなら流雨がやる前に俺がやった方が良かった。同じアルファとして俺の方が諌めれば良かったのに、放置したから流雨が動いたのだ。
 だが、流雨は事もなげにムカついたからと平然と言う。
 危ないからアルファを怒らせるような事は止めて欲しいと思いながらも、流雨のそんな強さに憧れ好む自分もいる。
 やっぱり流雨は流雨なんだ。
 強くて綺麗な俺の流雨。
 
「斎ってちょっと石鹸みたいな爽やかな匂いがするよね。安心する匂いだよね。」

 隣に座った流雨がそんな事を言って俺の心をかき混ぜてくる。

「…………斎、顔真っ赤だよ。」

 当たり前だ。流雨からも花の蜜の匂いがする。アルファとオメガ同士で匂いを好むという事は、好意があるという事だ。

「………だって、流雨も良い匂いする………。」

 鼻と口を軽く手で覆う。これ以上嗅ぐと流雨の水着を今すぐ剥がして、熱い下半身を直ぐに埋め込みたい。
 
「斎は俺のこと嫌い?何で目を合わせてくれないの?」

 そんなに煽らないでほしい。
 ずっと我慢している。ホントに、ずっとずっと、あの川で怪我をした時からずっと。
 あの時から俺は自分のアルファ性が嫌いだった。流雨を襲いたい衝動を閉じ込めて、自分のものにだけしたいという欲求に悩まされた。これがアルファの特性だと言われても、受け入れれずに今まできたのだ。

「俺は………、アルファになりたくなかった……。」

 だからポツリと流雨に僕の葛藤を溢した。もう俺がアルファという事も、流雨がオメガという事も覆せない。
 すんなりと現実を受け入れた流雨と違い、俺は未だに燻ったままだ。
 
「アルファになりたくないから、オメガの僕の隣にいてくれないの?」

「違うんだよ……。上手く言えないけど……。」
 
 なかなか答えを出せない俺を、流雨は水を蹴りながら待っていてくれた。
 昔から流雨は俺に寄り添う。
 俺を選ぶ。
 俺はアルファなのに流雨がいないと駄目な人間だ。
 それでも流雨が欲しい。
 流雨を引き寄せ、濡れて冷えた身体を抱きしめる。
 流雨の花の蜜の匂いが濃くなり、流雨の名前を何度も呼んで唇を奪った。
 拒否されない事をいいことに、深く流雨を求める。
 流雨の全てを飲み込みたくて、吐く息が外に出ることすら許せなくて、全てを吸い込み飲み込む。
 流雨が苦しげに喘ぐ声を聞き、もっと聞きたくて後頭部を抑える手に力を込めて、執拗に流雨の舌を追った。

「ごめん、流雨………。もう少し待って。俺が俺の中のアルファ性を上手く飲み込めてないだけなんだ。」

「………はぁ……はぁ……、ん、い、つきが……待ってって言うなら、待つよ。」

 流雨が待っててくれる。
 ごめんね、こんな鈍臭い俺で。





 あの後正直にトイレで出してくると言ったら、流雨は最初キョトンとして、俺の股間を見て赤くなって頷いていた。
 夕方には佐々成家を出て、実家に戻った。
 エリアスもついでに追い払った。
 
「ただいま。」

 実家に帰ると律父さんがリビングで出迎えてくれた。

「おかえりぃ。………今日は機嫌良さそうだな。」

 目敏い。この人は人をよく見る。
 なので隠し事が下手な俺はすぐに色々バレてしまう。

「流雨君と何か上手くいったんだ。」

 ニヤニヤと息子の恋愛事情に口を挟まないで欲しい。

「駄目だよ、律。揶揄ったら……。でも良い事があったんだね!」

 ご飯温めるから座りな~と言いながら秋穂父さんが奥に入って行った。
 遅い晩御飯を食べながら、秋穂父さんは高校の話や流雨の話を聞いてくる。

「そうだ、お前が調べて欲しいって言ってた子の調査表持って来たぞ。」

 食べ終わった頃に律父さんが出してくれた。今日戻った理由はこれを受け取る為だった。
 パラパラと巡りながら読んでいると、家族構成に目が止まる。

「うーん。」

「なんだ、何か分かったのか?正直何しに潜り込んでるか俺には分からない。」

 なんとなく分かったけど、本当にそれが理由だろうか。ちょっと自信がない。

「月曜日に流雨に相談する。」

 そう言って調査表を持って斎は自室に戻って行った。


「今日の斎はご機嫌だね。」

「漸く進展したのかね。」

 律と秋穂は高校に入学してから久しぶりに帰って来た三男坊を観察していた。
 斎は今、自分達が使っていたマンションに一人暮らしをしている。
 仲の良かった流雨とギクシャクしだし、バース性で悩んでいる様だった。本人は小さい頃はオメガになりたいと言っていたくらい気の小さい子だったのだ。人の上に立たねばならないアルファ性にかなり戸惑っていた。
 それでも流雨がアルファならば、あそこまで拗れなかっただろう。自分のボスを流雨としていた斎は、流雨がオメガと知って動転した。誰についていけばいいのか迷子になっていた。
 側から見れば流雨が好きで好きでたまらないのに、何をそんなにウジウジ悩むのだろうといった感じだが。

「自分の息子とは思えないくらい気の小さい子だ。」

「可愛いじゃん。」

 律は立っていた秋穂の腕を掴んだ。
 
「番の前で他のアルファの事を褒めてはいけないなぁ。」

 えー!?息子だよ!?という秋穂の叫びは律によって飲み込まれた。








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