いつも眠たい翠君は。

黄金 

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10 春乃

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 麗らかな三月の春。春乃は今日で二十六歳になった。
 高校を卒業後、地元の服飾専門学校に二年間通った。将来的に手を職をつけた方が高良と別れた時に生活出来るかもしれないという考えからだった。
 元々は橙利と結婚すれば進学もなく家庭に入る予定だったのだ。勉強はしてこなかった。
 学費は自分の貯金から出した。
 春乃は元々裕福な家庭で育ったので、自分の貯金もかなりあった。橙利との交際費に充てる為のお金だったが、橙利がほぼ負担したのでそのまま残ったのだ。
 今考えると子供に渡すお金ではないが、その頃の春乃は全く気にしていなかった。
 今はこのお金も大事な自己資産だ。
 無駄遣いせず学費に充て、生活費は高良側から出るのでそれに甘えて、なるべく残す様に努めた。
 高校三年と専門学校に行く最初の一年間は高良と過ごした。食事を作って待つが、高校生の筈の高良の帰りは遅かった。残業後のサラリーマンってこんな感じかなというくらい、疲れていたようで、それが橙利の所為だと途中で気付いたが、どうする事も出来なかった。
 高良が三年になり暫くすると、真っ青な顔で帰ってきた。
 最初から会話など殆どないので、何があったのか聞けなかったが、どうやら愛しの翠君が橙利と番ってしまったらしい。まだ、未練たらたらだったのかと内心呆れた。
 高良は卒業後東京の大学に進学してしまった。
 勿論このマンションからは出て行った。毎日通える距離ではない。
 一緒に来るかと聞かれもしなかった。
 毎日ご飯を作ったり家事は全部やってたんだけど、一欠片も愛着すら湧いてくれなかったんだなぁとしみじみと感じてしまった。
 
 僕は専門学校に行く間アルバイトを始めていた。
 アルファとオメガの番が自分達で洋服や小物のブランドを作りネットで販売していたが、作業が間に合わないのでアルバイトを募集していた。
 条件にベータか番持ちのみと記載があり、時間は都合のいい日で良いとあったので応募したら雇ってくれたのだ。
 何故その条件かというと、購入相手がアルファやオメガだと、作品に作業した人間のフェロモンがついていると失礼に当たるから、という事らしい。
 全てが手作業の一点もの。
 成程と感心した。
 専門学校を卒業後は、誘われてそのまま正規の従業員として雇ってくれた。
 アルファとオメガの夫婦なので、僕の事情を話すと理解してくれ、発情期などにもちゃんと出勤を合わせてくれた。
 専門学校を卒業してから二年、僕が二十二歳の時に作業場をもっと東京寄りに移すというのでついて来ないかと誘われた。
 こんないい職場、オメガで発情期のある自分には勿体無いくらいのところなので、喜んでついて行った。
 アパート代が高くつくが、それを見越してもお釣りがくるくらいのお給料を貰えるようになっていたので、迷わなかった。
 僕は五年近く住んだマンションを出る事にした。
 発情期に高良に相手してもらったのは、最初に番った一回だけ。一緒に暮らしてる時も僕は専用のホテルを使った。とてもじゃないが、相手してくれとは言えなかった。
 高良が次に番いたいと思える相手が見つかるまでは、僕も大変になるので番のままでいさせてもらうけど、高良がオメガと結婚したいというなら解消する気でいる。
 それまではなんとか生活出来るように環境を整えて、貯金を増やして、番解除後の治療やリハビリ費用に備えたかった。もう少し貯金が増えるまで、それまでは、という理由で碌に会う事もない高良と番関係のままだった。

「それももうお終いかぁ。」

 スーパーで買ったワインを開ける。
 コルク栓ではない、クルクルと撚れば開く安いワインばかり買っている。値段はちゃんと確認して買うようにしている。
 金銭感覚がおかしかった自分は、雇用主の澤井夫夫からもっと感覚を下げるよう言われた。何でもかんでも高すぎるらしく、箱入り息子とは自分の事だなと実感したが、少しずつ生活水準を降ろすことに成功した。
 最初は訳も分からず、雇い主に迷惑ばかり掛けていた。本当に感謝している。

 今日は元いたマンションに行き、目当ての物を取りに行った。あのマンションは何故かそのままになっていて、たまに高良が使っているようだった。
 どうかしたら使ったタオルやシーツなんかがそのまま洗濯カゴに入っていて、それらをコッソリ拝借して帰って来ている。
 発情期を乗り越える為に高良の匂いが染み付いたものを借りているのだ。
 番がいるのに独りは寂しい。
 一度しかセックスはしていないし、直ぐに理性が無くなり気付いた時はマンションに押し込められていて一人だった。碌に覚えてもいない。だけど高良の匂いが欲しくなるのだ。
 甘いお菓子の匂い。
 甘くて甘くて齧り付きたくなる匂いが欲しくて、我慢できずに高良の持ち物を拝借するようになった。
 使った後は気付かれないように綺麗に洗って元に戻す。
 それをずっと繰り返していた。
 こんな自分が浅ましくもあるが、性別は変えられない。番ももう変えられない。
 せめて顔を合わせないように迷惑を掛けないようにと思って、マンションにいないかどうか確認してから入るようにしている。
 今日朝からマンションまで行って、高良のシャツと枕カバーを拝借して来た。
 匂いが取れないようビニールに包んでリュックに入れる。この持ち主に最後に会ったのはいつだったかうろ覚えだ。
 マンションの入り口を出る時に、一人の青年に呼び止められた。

「白石春乃さんですか?」

 オメガだと思った。
 自分と違って賢そうだ。大きな目には意思がしっかりと有り、綺麗に整えた眉も肌も、オーダーメイドだと思わせるスーツも彼の雰囲気によく映えている。
 外側も内側もちゃんと磨いてきた人間だと思わせた。
 ただのシャツにジーンズの自分とは天と地程も違った。

「そうですが。」

 嫌な予感がするが、名前を呼ばれて無視も出来ない。

「私は佐々成部長の秘書をしているものです。」

 名刺を渡されたので仕方なく受け取る。

「単刀直入に言わせていただきます。部長と番解除をして下さい。」

 オメガが態々僕の前まで来て言うと言う事は、彼は高良の相手なのだろうか?僕は昔、番解除の同意書を受け取った時、翠君が頼んで来たら書くよと言って受け取った。
 今はもう翠君は有り得ないけど、高良の恋人が来たら書いて渡すつもりだった。

「君は高良の恋人なの?」

「いちいち言わないと分かりませんか?」

 来るなら二人で一緒に来て欲しかった。最後に高良の顔を見て、迷惑を掛けた謝罪を直接したかった。
 まだ謝っていない。一緒に暮らしてても、離れても、一言も勇気が出ずに謝ってないのだ。謝れば、次は番解除だろうと思ったから。

「同意書は書くよ。今度受け取りに来るよう高良に言ってよ。」

 そう言い置いて僕はその場を離れた。
 あの知性溢れるオメガと比べられれば、自分はなんて小さな存在だろうか。
 実家を出されて、番もいなくなれば、残されたのは自分自身だけだ。
 その為に頑張って仕事をして住処を用意したのだから、泣いたらダメだと思った。
 泣いたら崩れてしまう。
 泣いたら元に戻れなくなってしまう。
 泣いたら悲しくて、自分が保てなくなりそうで、必死にアパートに帰った。
 帰りはいつもの近所のスーパーに寄って、ワインをしこたま買い込んだ。
 普段は一本分も飲まない。
 でも今日は誕生日だった。
 ツマミも料理も無しにマグカップにワインをトポトポと注ぐ。
 酔っ払う前に引き出しから保管していた同意書を引っ張り出し、自分の欄に名前を書いた。

 『白石春乃』

 これで婚姻届も出せば佐々成春乃になるのだが、自分達は番婚をしただけなので、戸籍上家族では無い。
 番になっているだけの赤の他人だ。
 番になっても高良は僕を見ない。ほんの少しも好きに成らなかったようだ。
 僕は多分番解除してもあの甘い匂いが忘れられないだろう。根気よく治療して克服するしか無い。でないと不定期に来る発情期の度に、いない番を求めて狂って行くのだ。
 涙は流さない。
 ハピバースデーなんて自分自身に言うのは虚しいので、無言で僕はマグカップのワインをがぶ飲みした。


 ワインを一本半飲んだところで限界が来た。
 くらくらふわふわ。
 
「…………も、だめ………。」

 パタリとクッションに倒れ込んで眠りについた。








ピンポーン ピンポーン

 インターフォンが鳴る音に意識が戻るが、頭が痛くて動けない。目が回り身体は怠い。
 これは、二日酔い………。
 しかも発情期まで来ている。
 
 ピンポーン

 何度もなるインターフォンに焦るが起き上がることが出来なかった。
 このアパートのセキュリティは高い。
 外の人が声を張り上げても中には聞こえないので、訪問者が映る内部スピーカーの画面を確認しなければならない。

 ピピッ……ガチャン

 玄関が開いた。
 鍵は何かあった時の為にと雇い主の澤井さん達にしか渡していない。
 泥棒?でも鍵を開けて入って来た…
 澤井さん達は発情期の時は来ない。
 終わり近くに何もなかったか確認のメッセージが携帯に入るだけだ。
 発情期なんてプライベートなところに踏み込むような人達じゃない。
 ふわりと美味しそうな匂いがする。
 焼き菓子の匂い。バニラとバターがたっぷりと入っている。
 ひんやりとした手が頬に触れた。

「熱いな……。ワインを飲んだのか?こんなに飲むとは聞いてないが……。」

「ん……っ。」

 喋ろうとしたが声が出ない。目はボヤけて来訪者の姿もぼんやりだ。

「起きてるのか?水は飲めるか?抑制剤は?」

 立て続けの質問に答えたいけど答えれない。吐きそう………。

「…………。」

 ヒョイと抱えられ、トイレに連れられて行った。トイレの前に座ると、安心と共にオエっと出てくる。
 親切にも髪が汚れないように手でひとまとめに持ってくれている。

「発情期よりも二日酔いの方か?」

「うぇ………、具合悪い……。」

 背中をさする手が優しい。
 こんなに優しく触ってくれたのは初めてではないだろうか。

「抑制剤は二日酔いが取れてからにしよう。」

「うう~~~。」

 何でここにいるのとか、鍵を何故持っているのとか思う所はいっぱいあるが、今は兎に角具合が悪かった。

「飲み過ぎだ……。」

 いつの間にか髪はゴムで括られ、コップに水を汲んで持たせてくれる。口の中をすすげということらしい。
 コップを返しトイレの前に座り込んでいると、もう一度抱えられた。
 玄関から入って直ぐにトイレとお風呂。奥にリビングと小さな台所。隣の部屋に寝室と、防音とセキュリティが完璧に取り付けられた好物件が春乃の住まいだ。高良は迷うことなく寝室に入り、春乃をベットに横たえ服を脱がせていった。
 顔を拭かれパジャマを着せられる。
 
「…………何で?」

 色んな意味を含んで漸くそれだけ尋ねた。

「後で話す。今は寝とけ。」

 久しぶりに会った高良は優しく落ち着いていた。


















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