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8 秋穂
しおりを挟む「秋穂、また来週ね!」
「ん、またな~。」
るんるんと鼻歌混じりに幸せそうに帰って行く翠に、バイバイと手を振った。
襟に隠れた噛み跡がチラリと少し見え隠れする。
一応進学高のこの高校は三年生になると夏休みも補習授業がある。
翠は夏休みに入る前に橙利先輩と番になった。
婚姻届まで出しているらしく、本当は古賀翠に変わっているが、高校までは紛らわしいので七木翠で通すらしい。
毎週ではないものの、金曜の夜に橙利先輩は足繁く帰って来る。
成績の良い翠は東京の大学を受験したいと言って頑張っていた。
俺はそこまで成績がいいわけじゃないが、夢はある。
保育士になりたい。
大学の専門の学科に行くか短大の保育科に行くかが良いかもしれないけど、家に負担は掛けたくない。働きながら資格を取るという手もあるって言うけど、そもそも高卒で働き場所を確保できるかが心配なところ。
やっぱり大学が一番確実かなぁ~とか今は悩んでいる。
学力はなんとかいけそうな気もする…。
家を出て住むところも考えないといけないので、親にどう相談しようかと大学のパンフレットは貰ってきた。
自分がオメガでなかったら、せめてベータだったらこんなに悩まなくてよかった。
オメガが一人暮らしするのは大変だ。
発情期に備える為、オートロック付きの防音部屋を探す必要がある。家族が近くにいなくても一人でなんでもしなければいけない。
でもそのうち大人になれば一人でなんでもやらなければならないのだ。
久我家にはまだ弟二人と妹一人がいる。自分だけに親は拘っている暇はない。
夏休みの補習は午前で終了だ。
どんなに悩んでもお腹は空く。
校舎を出ながらお昼ご飯は何にしようかと考えながら歩いていた。
「先輩も夏休みですかぁ~?」
「一緒にご飯食べに行こうよぉ。」
何やら校門のあたりが騒がしい。
人の群れの中に一際背の高い金髪が見える。
耳には幾つかのピアスをチャラチャラと飾り、切長の目が色っぽい。
ついこの前、似合う~~~?というメッセージと共に送られて来た写真の人がそこにいた。
律先輩がここにいる。
あんな所で何してるんだろう?
律先輩も橙利先輩と共に同じ大学に進学していた。
遊んでる様でしっかり頭がいいのはアルファ故なのか。翠から教えて貰ったが、親戚の中で年代が同じで一番能力が高かったのが律先輩であり、直系嫡子の橙利先輩の補佐的立場に白羽の矢が立ち、今現在に至っているらしい。
大学に行ってもこちらへ帰って来る橙利先輩に合わせて、律先輩もよく帰って来ていた。
律先輩の交友関係は多岐に渡るので、待ち人が誰か分からない。
知らないふりして通り過ぎるのがいいのか、一応挨拶をすべきなのか秋穂は悩んだ。
高校にいる時から律先輩からは色んなアルファやオメガの匂いがした。そういう関係を持つ人達なのだろう。皆んな律先輩に自分の匂いを擦り付けて、牽制しあっているのを遠目から見ていた。
特定の恋人を作らないのが律先輩だった。
何故作らないのか聞きたいけど、一般の平凡な家庭に生まれた自分には理解出来ない何かがありそうで、そこまで食い込んで聞いていい立場でもないと弁えてもいるので聞いたことはない。
ただ翠のおまけで一緒にお昼ご飯を過ごした時が一番楽しかった。
からかい混じりにちょっかいを掛けてくる先輩とのやり取りは、秋穂の中で一番の幸せだった。
卒業した時は、家に帰ってから声を殺して泣いてしまった。
今ではたまに帰って来ると、秋穂に必ず声を掛けてくれる。橙利先輩や翠に関係なく個人的にお昼を食べようとか、買い物行こうとか誘ってくれる様になった。
そこには恋愛的な要素はなく、たんに可愛い後輩と遊んでいるという感覚だろうと思う。
秋穂はそれでも嬉しかった。
自分に声をかけて来るアルファなんて律先輩くらいである。
慣れないアルファにタジタジになるが、唯一交流のあるアルファの律先輩に、秋穂は密かに恋心を抱いていた。
悩んだ挙句、校門の裏側に周り携帯を取り出す。
見かけましたが人がいっぱいいるので、先に帰ります。また遊んでくださいね…、と打ち込む。
これでおかしくないよな?もうちょっとグイグイ行くべきか……。そのうちこの交友関係が自然消滅でもしたら、自分は喪失感を抱えて何年も過ごしそうだ。
「何うんうん言いながら携帯と睨めっこしてんの?待ち人は秋くんなんだけど?」
文章を悩みすぎてて律先輩に全く気付いていなかった。
「うわ!?」
驚きすぎて携帯を落としそうになり、律先輩が受け止めてくれる。
「先に帰られたら待つ意味ないでしょ?ほら、帰ろ~~。」
しっかりと見られてしまった。
手を引かれながら律先輩を囲んでいた集団を通り過ぎる。
通り過ぎる間の視線が痛い。
うう、怖い………。
でも、どうしたんだろう?律先輩は秋穂と仲良くても特別扱いなどした事がなかった。こんな色んな人に囲まれている時でも手を振ったり目で笑ったりと合図はしても、集団を置いて秋穂だけを連れて行く事はなかったのだ。
何か急用なのかな………?
手を引いて歩く律先輩を見上げると、特に慌てた様子もない。
「お昼食べようか?何がい~?」
「さっきまで考えてたとこです。お腹すいて何でもいいって感じです。」
じゃあ駅周辺で適当にテイクアウトしようとなった。
「どこで食べるんですか?」
「ん?俺んち~。」
ちょっとびっくりする。
律先輩は橙利先輩が使っているマンションの下の階に住んでいた。今もたまに帰る時の為にそのまま使用できる様になっている。橙利先輩んちの所有になっていて、好きに使っていいと許可を貰っていると、前教えてくれていた。
でも誰もその部屋に入ったことは無いと、学校では専らの噂になっていたのだ。セフレと何処で遊んでいたのかは知らないけど、絶対にマンションには上げてくれないと、同じクラスの子達が話していた。
俺も部屋に行きたいなどとお願いしたことは無い。
会うのはいつも外でだった。
今日の律先輩はどうしたんだろうか。
何故か手を引かれたまま駅まで歩き、カフェでホットサンドをテイクアウトして律先輩のマンションの部屋へ向かった。
中は広くモデルルームの様だった。灰色の大きなソファに大きなテレビ。窓も広く、外の景色が一望できた。色味がモノトーンで統一されていて、派手な見た目の律先輩にしては意外だった。
ただ律先輩の香りがいっぱいだ。
律先輩はシトラス系の爽やかな匂いがする。はっきりとレモンとかオレンジとか決まっているわけではなくて、スッとする感じがする匂いだ。
俺がキョロキョロと中を観察しているのに気付いて、借り物の部屋だから内装は最初のまま弄ってないと教えてくれた。
やっぱり自分の部屋じゃ無いから他人を上げなかったんだなと納得した。
ソファの前に置かれたローテーブルにお昼ご飯を広げ、律先輩の大学の話などを聞く。
逆に何処に進学したいのか聞かれて、放課後に考えていた進学先を悩んでいることを相談した。
「お金とか関係なく希望はあるの?」
「んー……ここです。」
俺が行きたいのは四年大学。でも私立だしお金がかかるので短期大学がいいのかと悩んでいた。短大だと三年ある。一人暮らしもお金がかかるので早く働き始めたいという気持ちもあった。
「あ、俺達の大学から割と近いね。」
ドキッとしたが用意していた言葉を出す。
「翠も先輩達の大学目指すって言ってたし、近くならたまに会えるかなぁって。」
俺も頭があったらなぁ~。
「じゃあ受かったら俺のマンションに来たら?」
「へ?」
「部屋代浮いたら大学の費用出せるでしょ?」
「え!?」
確かにそうだけど、自分はオメガだ。発情期もあるし、アルファの律先輩に迷惑が掛かる。
「うんうん、そうしなよ。下手に一人でアパート住まいして変な奴に入り込まれたり、変なトコに連れてかれたりしたら心配だし。」
「え?いや、でも……。」
「大体さぁ~、今ももうちょっと警戒しないと。こんな簡単に連れ込まれてたら本当に心配だよ?」
「えぇ?」
なんか、なんだろう?律先輩の雰囲気がガラリと変わった気がする………。いつもは飄々として軽いノリがあるのに、今は重いというか、圧があるというか…。
アルファの威圧ではなく、こういうのを何て言うんだっけ?
シトラスの香りが身体を満たす様に強くなり、時間が緩慢に感じた。
横に並んで座る律先輩を見上げる。
背が高いとは言ってもオメガにしては高いだけで、アルファの律先輩からすれば見下ろされる位置になる。
視線が合ってパッと俯いた。
目も口も笑っているのに、目の奥が違う。笑ってはいるけど、嬉しいとか楽しいとか言う純粋なものではなく、もっと欲の孕んだ目だった。一番しっくり来る言葉は、愉悦?
でも何にだろう?
秋穂にはよく分からなかった。
困ってもう一度見上げると、いつもの律先輩に戻っている。
ホッとすると、ごめんごめんと頭を撫でてきた。
先程までの重圧も無くなり、香りは仄かに香るいつもの爽やかさに戻っていた。
「あ、夏休みいっぱいはこっちにいるから遊びにおいでよ~。」
じゃあ、空いてる日誘って下さいと言うと、ほぼ毎日遊ぶ羽目になった。
勉強も見てくれるし、課題も教えてくれる。保育士なるならピアノ練習する?と聞かれて、弾けないからしたいけど、持っていないと言ったら、次に来た時には電子ピアノが用意されていた。
「律先輩、ピアノ弾けたんですか?」
「ん~橙利に付くなら何でも出来る様になれって色々やらされたんだよ~。」
やらされたからと言って出来てしまうところが凄い。
最初は遠慮していたが、ただで家庭教師をしてくれる便利さに勝てず、補習のない日でもマンションに通う様になってしまった。
お盆は流石にお互い家の用事に付き合わなければならない為一週間程会わなかったが、夏休みもそろそろ終わる頃に、言っておかなければと秋穂は口を開いた。
「あ、そうだ………。俺そろそろ発情期近くて、その間は来れないんですけど、先輩達はいつ帰るんですか?」
「そうだね~九月の始め頃だっけ?帰るのはその後かなぁ。ギリギリまでいたかったけど、取っときたい講義あるんだよねぇ。」
と言いながら卓上カレンダーに丸をつけていく。
九月の初め頃に赤丸が元から付いていて、それが自分の発情期の予定と全く一緒で心臓が跳ねる。え、まさか俺の発情期の予定だがら丸がついてるわけじゃ無いよな?
何で赤丸が付いてたのかは最後まで分からなかった。
新学期が始まり学力テストを受けて、発情期中に帰らなきゃと先輩から聞いていたので、その前に挨拶がしときたくて学校帰りにマンションを訪れた。
「あの、これうちの親がお世話になってるからって……。」
親はインスタントのコーヒードリップのセットを用意していた。簡単で直ぐ出来るからと飲んでいる話をしたから、それにしたらしい。こんな庶民の品で良いのだろうかと思ったが、渡さないよりかは渡した方がマシだろうと言われた。
「ありがとう~。あ、コレ俺だと思って大事にしてね!」
紙袋の中には熊のぬいぐるみ。
何故ぬいぐるみ?しかも丁寧に透明なビニールに包んであった。
帰りは少しフェロモン出てるから危ないよと言われてタクシーに乗せられた。律先輩は少しでも遅くなると直ぐにタクシーを呼んで前払いしてくれる。
正直うちの親が用意したコーヒーでは全く返せていない。
長い夏休みがあっという間に終わってしまった。
名残惜しくも律先輩の姿を目を焼き付けながら帰った。
ぬいぐるみのビニールをペリペリと剥がすと、ふわりと薫る律先輩の香り。
「………良い匂い………。」
ぎゅうとぬいぐるみを抱きしめた。
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