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1 雨の坂道
しおりを挟む夕方の五時過ぎ。
学年最初の新学期が始まりもう既に二月経つ。今日の天気は雨で、傘を差して顔を隠す様に学校の門を潜った。
学校は丘の上に建っているので門を出て直ぐに坂道があり、降りきった道路にバス停がある。
今日は金曜日。一度家に帰って書類を持って再度学校へやって来た。
誰にも見られない様に。
恥ずかしくて、悲しくて、涙を我慢して事務所に書類を出しに来たのだ。
『バース性に関する報告義務及び番・番候補の存在報告義務』
バース性とは男性女性の他に第二の姓として誰しも持っている性別の事だ。
簡単に言えば逞しく優秀で人々の指導者たるアルファ。眉目秀麗でアルファの番になれるオメガ。一般的な最も多いベータ。アルファとオメガは希少でお互い匂いでフェロモンを嗅ぎ分ける。アルファがオメガの発情期中に項を噛めば番となり、お互いのフェロモンしか感じなくなる。皆んなが知ってる知識だ。
俺が通っている高校はアルファとオメガ専用の学校だ。アルファとオメガは数が少ないので生徒の殆どはベータだけど、ここら辺の地域のアルファとオメガはほぼ集まっていると言っても良い。
一学年三十クラス、アルファ百三十六人、オメガ七十二人、他全てベータ。
なかなかのマンモス校だと思う。
国が減少傾向にあったアルファとオメガを保護する為とか言って作られた学校だ。
アルファとオメガの為の学校なので、それに関する事故を防ぐ為に、学校に対してバース性と番や将来番になる為婚約している者は報告義務があった。
突然のオメガの発情はアルファの理性をなくさせる為、事故の様に恋人同士でもないのに番になってしまう事を防ぐ為、アルファとオメガはそれぞれ専用の教室が有るし、関わるのは学校行事や委員会活動などだけにしてある。
全く関わりを無くすことはない。少しずつ出会いの場が作られている。要は番候補を見つける為に、お見合いの様に学校行事という名の顔合わせをさせられるのだ。
国をあげて番を作り、アルファやオメガの性を増やそうとしている。
社会に出れば自然と出会うだろうに、高校から相手を見つけろと言うのだろうか、と思わなくもない。
そんな俺はオメガだ。
名前は七木翠(ななきすい)。
中学二年の時に行われたバース性検査でオメガと診断された。
周りからはやっぱりなと言う顔をされた。
親が父アルファ、母オメガの夫婦で産まれた俺は大きな垂れ目が特徴の小柄な子供だった。皆んなから可愛いと言われ、きっとオメガだと言われて育った。アルファの可能性もあるのに、華奢な身体はオメガしか連想されなかった。
近所には幼稚園から一緒の幼馴染がいた。佐々成高良(ささならたから)と言って、コイツもアルファとオメガの親から産まれた。親は俺んちと違って男同士の夫夫だった。
身体は小さな頃から大きくて、頭も良かった。一人息子でこっちはこっちでアルファだろうと言われていた。
あいつも中学二年の一斉検査でアルファだと診断された。
俺達は仲良かった。
いつも一緒で、周りからは番になるんだと思われていた。
つい最近までは。
一緒に入った高校も番候補としてお互い名前を書いて出したのだ。
俺はオメガクラスにいて、高良はアルファクラスにいたけど、登下校もお昼ご飯もずっと一緒に過ごしていた。
でも、もうそれもない。
だってあいつは番が出来てしまった。
俺はそれを目の前で見てしまった。
自分の番を大事に大事に抱きしめる高良を見て涙が出た。
俺は好きだったんだ。
子供の頃から、当たり前の様にそう思っていたし、十八歳になったら番うのだと思って信じて疑わなかった。
俺は怠い身体を引き摺るように、傘を差して坂道をトボトボと歩いた。
この時間にして正解だった。
雨で外競技の部活は休みで、文化部や体育館を使う部活はまだ部活中だし、帰宅部はさっさと帰ってしまっている。
坂道の右側は石垣の崖で崖の上は運動場、反対左側は桜が植えらおり、街が見下ろせる高台になっている。
今の季節は桜に青々と葉っぱがついて、晴れた日は木陰をつくるが、今はバラバラと降る雨粒を抑える役割になっていた。
二十メートル程降りたところで、前方に一人学生が傘も差さずに立っていた。
知らない人だ。
知っている人なら態々こんな時間帯に何をしに来たのか説明しなければならなくなるのでホッとした。
タイの色が青なので三年性だ。俺は一学年下の緑色。
背は幼馴染程ではないが高い。スラリとしてて、薄茶色のフワリとした髪は雨に濡れて雫を垂らしていた。紺色のブレザーも濡れて黒く色が変わっている。いつから此処に立っているのか………。
後数メートルと言うところで、その人が俺に気付いた。
視線が合う。
髪と同じ様な薄茶色の瞳は鋭く、眠れていないのかクマが出来てて顔色が悪い様だ。
それでもとても綺麗な人だった。
ああ、この人アルファなんだって一目で分かる程、美しい人。
均整のとれた身体、華のある顔立ち、立ち姿が雨に中で絵になる様に美しかった。
桜の葉から落ちる雨の雫が、輝きながらゆっくりと落ち、その人の頬を濡らした。時が緩やかに流れている錯覚。
匂いが………。
花の匂いがする……。
きっとこの人のアルファの匂いなんだ。最近体調不良でフェロモンなんか感じなくなってたのに……。
思わず立ち止まって繁々と見ていて、ハッと困った様に見ている顔に気付く。
失礼な程に観察してしまい、慌てて目を逸らそうとして、それも失礼な態度だと思い直す。
「すみません、じっと見てしまって。」
ここは素直に謝ろう。
その先輩は花が綻ぶように笑った。
「いや………、僕こそ君を見ていた。お互い様だよ。」
話す声も低く優しい声だった。耳に馴染む落ち着いた声。
「あの、もし帰るなら傘に入って行きますか?俺の家の車、下で待ってもらってるんです。そこまで行ったら傘も貸しますけど………。あ、たんなるビニ傘で申し訳ないんですけど。」
先輩は少し首を傾げて、じゃあお願いしようかなと言った。
隣に立つと小柄な俺よりだいぶ背が高かったが、幼馴染で慣れているので気にせず横に並ぶ。
長身な先輩が入れるよう傘を持ち上げると、ヒョイと簡単に取られてしまった。
「流石に君に傘を持たせられないよ。僕が持つね。」
まぁ、そうなんだろけど、当たり前のように優しい。
二人で並んで坂道を降りながら、何か話すべきかと考える。
初対面の人と気軽に相合傘したのは初めてだ。今までは幼馴染の高良が周りを牽制して俺の隣に並ぶ奴なんていなかった。
でもあいつはもういない。
高良はこれから番のオメガを大事に囲うだろう。
俺はこれから突然訪れた独りに慣れなければならない。
幸いにも同じ男オメガの友達は恋人募集中だ。色んなノウハウを聞こう。
だからと言ってアルファに声掛けまくるとか下品な事はしたくないけど、これは雨に濡れた人に傘を貸すと言う親切に当たるはずなので、リハビリのようなものだ。
静かに傘を持って隣を歩く先輩に、何を話せば良いのかと悩んでいると、桜の葉に溜まった滴がまとめてドパパパッと落ちてきた驚いた。
「うひゃっ!」
肩に跳ねた水滴が落ちてきて冷たい。
驚いたのが恥ずかしくてソロッと顔を上げると、微笑んで先輩に見られていた。
「すみません、考え事してて、びっくりしました。」
先輩はとても静かな人だ。
でも纏う気配はとても穏やかで落ち着く。特に笑われるでも心配されるでもなく、優しく微笑むだけで相手に好印象を持たせるだなんて、きっとこの人はモテるだろうなと感じる。
アルファは基本モテる。
でもその中でも特に優秀なアルファがいる。アルファの中でも上位に立つ様なアルファ。
家柄も身体も頭も飛び抜けて優秀で、アルファの中であってもリーダーになる様な人を上位アルファって言うらしい。
この人もそうなんだろうか。
高良もそうだった。
俺は割とオメガの中でも普通の方だけど、高良の家は複数の企業を持っている。そこの跡取り息子だ。俺の学年のアルファの中でもリーダー的な立場にいて、時期生徒会長と言われている。そろそろ代替わりのはずだった。
結局何も話せずに下に着き、俺の家の車の前まで付き合わせてしまった。
「あ、先輩はどうやって帰りますか?お迎えですか?バスですか?」
アルファの家は金持ちが多いので近く迄迎えが来たりする家が多いが、家がお金持ちでも放任主義でバスや電車を使っている人もいる。様々だ。
「近いから歩きだよ。」
珍しく徒歩だった。
「じゃあ、この傘使って下さい。捨てても良いです。」
なんだか余計なお世話だったかもという考えも湧き出し、年下のくせにでしゃばってしまったかもと恥ずかしくなって、半ば強引に傘を持たせたままにした。
「あの、風邪引かないと良いですね。それじゃあ………。」
車に乗り込み、迎えに来た母に出して良いよと言う。母は乗せて行こうかと申し出たが、先輩は丁寧に近いですからと断っていた。
走り出して母は心配気に話しかけてきた。最近あった出来事の所為で過保護なくらい心配している。
「あの子アルファでしょ?だれ?」
「んー知らない。途中で傘差さずに濡れてたから下まで一緒に降りて来た。」
「知らないって………。いくらチョーカーしてても知らないアルファと一緒にいるなんて危ないわよ。」
チョーカーは簡単に項を噛まれない為の保護だ。アルファに噛まれるのは一生に一度だけ。その噛んだアルファの番として生きていく一生を決める大事な行為だ。簡単にそこらへんのアルファに噛まれない様に保護する為、番いがいないオメガは付けていなければならない。
発情期じゃないと番にはなれないんだけど、突然外で発情するとオメガは近くにいるアルファを誘い出してしまう。
知り合いでもないのに、お互いが求め合い番になってしまう事故がたまに発生する。アルファにとってもオメガにとっても不幸な事だ。
その為にもアルファもオメガも抑制剤を飲んで、オメガはチョーカーで項を保護して自衛する。
「大丈夫だよ。抑制剤飲んでるし。」
今の俺はアルファの匂いが分かりにくくなってしまった。
………でも、さっきの先輩のフェロモンは、はっきりと分かったな。
上位のアルファはそんなものかもしれない。今まで高良が近くにいすぎて分からなかったのかも。
「お母さん、ちょっと寝る。」
「はいはい、着いたら起こしたげるわよ。」
んー……という気のない返事をして直ぐに目を瞑った。
最近は眠たい。
医者にかかったらストレスによる睡眠障害でしょうと言われた。睡眠障害と言っても寝不足の方じゃなく、いつでも眠たい。ほっとけばずっと寝てる。
垂れ目が更に眠たい目になってしまった。
さっきの先輩も睡眠障害っぽかったなぁ…………。俺とは逆で寝不足の方だけど。俺の睡眠欲を分けてあげたい。
俺のは見たくない現実から逃げてるだけかもしれないけど。
つらつらとどうでも良い事ばかり考えながら、俺は眠りについた。
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