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番外編

57 桜は毎年咲くから②

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 愛希はカウンターで接客をしつつ、昨日の事を思い出しては溜息を吐いていた。
 
 杜和君ってそうなんだぁ~。

 ちょっと良いなと思っていただけに、ややショックを受けてしまった。
 愛希の恋愛対象は男性寄りだ。はっきり言えないのは、過去に伊織が好きだったので男性だとは思うのだが、男性を見て性的衝動が起こらないのでよく分からない、といった感じだ。
 昨日杜和と男性がコトを起こしていたのを見ても、身体が反応する事はなかった。
 恋愛対象が実は女性なのか、はたまた歳の所為なのか。歳の所為なら悲しいなと思っている。
 いや、でも杜和君とは一つしか違わないし、相手の男性はもう少し歳上に見えた。パリッとしたダークグレーのスーツにスタイルのいい体格。髪は後ろに撫で付けて、出来る男といった感じが役職持ちって雰囲気を醸し出していた。
 そんな二人のセックスを見たのに、何の反応もない下半身にもショックだった。二重ショックだ。
 意識のない状態で十六年経っていたので、反応しなくなったのだろうか。
 男性にあるはずの自慰も愛希はした事がない。
 これは由々しき問題。
 泌尿器科に行くべき?それとも諦めるべき?
 
「はあ~~~。僕にはオフィスラブは荷が重すぎるよ。」

「……やっぱり愛希さんだったんですね。」

 ぴょんと身体が跳ねる。
 誰もいないと思って呟いた独り言に、返事が返って来てびっくりした。
 
「あわわ、杜和君………!」

「チラッと見えただけだったんですけど、机にコーヒー乗ってたのでもしかしてと思って。」

「あわわわわ。」

 慌ててカウンターに乗せていたタブレットを落としてしまう、

「あわわわわわ、はわわわわ!あぁ~~っっ!」

 タブレットは教材用のものだ。授業から何からこれでやらなければならないので、壊れたら困る!
 お客さんがちょうど途切れる時間帯だったので取り出したけど、昨日の事が頭から離れず開いてすらいなかった。

 ヒョイとタブレットは杜和によって拾われた。
 でも返してくれなかった。

「え?あれ?返してくれる?」

 直ぐに手渡されると思ったのに、何故かタブレットは戻ってこない。
 ちゃんと落下時用に保護カバーをつけていたので大丈夫だと思うけど、壊れていないか確認したかった。

「今日、夕方迎えに来ます。」

「え?」

「夕食を食べながらお話があります。」

 じゃあ、と言って杜和は立ち去ってしまった。
 
「……………えぇ…。」

 タブレットが人質に取られてしまった。








 十八時過ぎ。宣言通り杜和は愛希を迎えにやって来た。
 
「えーと、タブレットは……。」

「帰りに渡します。」

 ええ~~~。
 問答無用で向かったのは個室になった居酒屋だった。

「あのぉ、誰にも言わないよ?」

 掘り炬燵式になったテーブルへ着いて早々、僕はそう言った。
 きっと黙ってて欲しいとかそういう事を言われると思ったのだ。
 杜和にはアルバイト先を紹介してもらった恩があるので、恩人を脅すような事はしたくなかった。

「……………違います。」

 じゃあ何故ここに連れて来られたのか分からない。
 とりあえずタブレットを返して欲しかった。
 注文はタッチパネル式だった。
 何を飲むかと聞かれて烏龍茶にした。実はお酒を飲んだ事が無かった。
 杜和は普通にビールを頼んだので、なんかこう爽やかなイメージに合わないなぁとか、勝手な感想を思ってしまった。

 脅されるようについて来た居酒屋だったけど、その後は意外と楽しく食べて過ごした。
 なんて事はない、杜和は愚痴をこぼしたいだけのようだった。
 男性同士の恋愛。誰にも話せず、鬱憤が溜まっていたらしい。

 相手の男性は同じ会社の上司で既婚者。
 杜和は完全に不倫相手だった。しかも男性。立場は悪いし人には言えない。バレるわけにもいかない。

「じゃあ、あんな所でやったらダメだよ。」

「あそこは死角なんです。」

 左様ですか。抜かりなかった。聞いたらとっても頭のいい大学卒業だと言われて、僕が考えつくような事の対策なんて、言われなくてもやってるよねと思い直した。


 タブレットは無事手元に戻り、僕は杜和君の愚痴聞き役になってしまった。
 他に誰にも話せなくて、話せる人が出来て嬉しいと言われてしまうと、恩人には恩を返さなければならないと聞き役になる事にした。

 それからはたまに飲みに付き合うようになった。
 何度かそうやって話を聞いているうちに、僕の話もするようになって、僕が学校の課題についていけないと言ったら、教えてくれるようになった。
 その関係で休みの日にも会うようになり、僕達は友人関係になってしまった。
 杜和君は恋人の愚痴を言えるし、僕はタダで家庭教師をしてもらえる。
 それはとても利害の一致する付き合いやすい関係だった。


 夏になると杜和君はお酒を勧めてくるようになり、僕は初アルコールを体験した。
 最初は苦かったビールが少しだけ美味しくなり出したのは夏の終わり頃。
 残暑に汗をかいて二人で杜和君のマンションに帰宅し出したあたりからだ。
 外は暑いから酒とツマミは用意して宅飲みにしようという話になり、それからは杜和君の部屋で飲むようになっていった。
 
「はぁ、不毛になって来ました。」

「何を今更。」

 モシャモシャとつまみのイカを食べながら、クピッとビールを飲んだ。
 僕はあまりお酒に強くない。
 缶ビール一本と缶酎ハイ一本くらいが限度だ、
 杜和君はお酒に強いのかいろんな種類を買って来て飲んでいる。今日はビールを買い込み既に五本空けていた。

 不倫恋人に子供が出来たらしい。もう三人目で、奥さんは今妊娠中。性欲を持て余した恋人はしょっちゅう杜和君を呼び出しているので、この頃僕は杜和君と会っていなかった。

 杜和君は賢くて穏やかで思慮深いのに、ダメ男に引っかかるのだなと思ってしまう。スッとした顔は派手さはないが整っているし、スタイルだって良い。身長もそこそこある。童顔チビの僕は羨ましい。
 そんな彼があんなのに引っかかるとは。 
 アレから何回か恋人さんを見かけるようになった。
 同じ会社なんだから元々いたんだろうけど、杜和君とセックスしているのを見てから認識したので、見掛けると確認してしまうようになった。
 恋人の名前は藤間ふじまと言うらしい。首に掛けられた社員証で知った。
 派手目の顔立ちは軟派っぽい。藤間は整った野生味のある顔立ちで、女子社員から人気がありそうだった。
 奥さんいるのに男と不倫しているような奴のくせに、社内にいる姿は頼りになる上司といった感じだった。

 藤間の奥さんが妊娠してから、杜和君の精神状態は良くない。
 だって奥さんと冷めてるなら兎も角、杜和君とセックスするのに奥さんともやっている。だから妊娠しているわけだ。
 杜和君も自分が不倫相手でダメな関係だと理解はしているけど、未練があるらしく別れ切れないでいるようだった。
 口では別れたい、忘れたいと言いながらも、藤間から呼び出しがあれば飛んでいってしまう。
 そんな不毛な関係が続いていた。



「好きになるの、愛希さんなら良かったのかな…。」
 
 もう秋も深まる頃、杜和君はそう言った。
 愛希はフッと笑っていた顔を無表情にした。愚痴った杜和君は気付いていない。

「不倫は良くないから別れた方がいい。ありきたりでパッとしない意見だけどね。」

 僕は杜和君に普通の言葉を送った。
 こんな当たり前の言葉を聞いて、じゃあやめますって言う人間はあまりいないと思う。
 案の定、杜和君は藤間の良いところを言い出した。
 たまに優しくされると嬉しい。プレゼントをくれる。誕生日は忘れない。奥さんに見つからないようにコッソリ連絡をくれる。
 そんな馬鹿みたいな優しさを、優しいと思うなんて、頭のいい人間は馬鹿なんだなと思った。
 そんな人に恩を感じて、イイなと思ってしまう僕も馬鹿な人間だよね。
 昔の自分なら、ここで甘えて優しくして、慰め合ってイイ感じを作ろうとするだろうけど、それはもうしないって決めている。
 
 杜和君は迷っているのだ。
 ちゃんと理解している。
 不倫がダメなのも、本当は藤間が都合良く杜和君を使っている事も。
 藤間が奥さんを捨てるつもりなんてない事も。

 杜和君はその関係を断ち切るのに、何かが欲しいだけだ。不倫の恋人以外の関係。
 何か………。それは新しい恋人でもイイ、頼ってくる会社関係でもイイ、仲の良い友人でもイイ。
 僕は自分で言うのもなんだけど、弱い立場だと思う。
 学歴もなくて歳は無駄に取っていて、友達もいなくて、財産もない。仕事だって杜和君が紹介してくれたアルバイトだ。
 きっと杜和君から見たら非力で世間からも弱者に見える事だろう。
 強く出ても抑え込めて、反抗されても傷まない、そんなちっぽけな人間だよね。
 とっても底辺に見られているよね。
 そんな僕を杜和君は藤間との関係を切る理由にしようとしている。
 罪悪感も薄く済むような、ちっぽけな僕を。
 杜和君にとって、呆れられても怒られても、ちっとも傷にならない底辺の僕は、逃げ道に丁度いい。

 だから僕は杜和君が僕を逃げ道にしないように、ありきたりな言葉で杜和君が藤間と関係を続けるように促した。
 
 僕はもう誰かに縋るのも、頼るのも、誰かがいて欲しいと、僕だけの誰かが欲しいと思わないようにしているから。
 杜和君とは利害が一致する対等な関係でいたかった。
 

 藤間との恋人関係が切れなかった杜和君は、冬のクリスマスを一緒に過ごせないと嘆いていた。
 当たり前だよ。
 家族がいるんだから。
 お腹の中の子供も含めて、子供が三人もいる。クリスマスプレゼントを子供の分と奥さんの分、用意して家に帰る筈だよ。
 
「最近の愛希さんが冷たく感じます。」

 あれ、ばれたかな?
 内心僕はイライラしているよ。だって何もない僕に恩を売っておいて、杜和君は僕を愚痴聞き役にしたんだよ。丁度いい話し相手。黙って話を聞くだけの都合の良い友達だ。

「うーん、気の所為だよ。何かあったの?」

 話をはぐらかす為に尋ねたら、また杜和君の愚痴を聞くハメになった。
 そんなに辛いなら本気で縁を切れば良いのに。
 喉元まで出てくる言葉を飲み込む。
 だって本当にそうなったら、杜和君はもう愚痴を言わなくなる。
 僕は最近杜和君に対して曖昧な顔しか出来なくなってきた。



 時間が流れていくうちに杜和君の愚痴を聞くのが辛くなってきて、会うのをそれとなく避けるようになってきた。

 また春が来る。

 春は悲しい。
 桜が散る花びらが涙みたいで、僕の気分を沈めていく。
 
 僕はアルバイト帰りに、コンビニでビールをニ本買った。
 ここは桜の名所ではないけど、川縁かわべりに立派な桜が一本植っていて、毎年綺麗に咲く。
 と言ってもその情報はマスターの真由さん情報だ。
 そろそろあそこの桜が咲くねと話していたので来てみた。

 桜はまだ蕾がいっぱいで、二部咲きだった。
 きっと全部の花びらが開いて散りだすと、その下にピンクの絨毯を作るだろう。
 僕は缶ビールを開けて、クピッと飲みながらぼんやり眺めた。
 
 桜を見ると思い出す。

 神浄外の記憶も、銀狼の万歩も、狐の呂佳も、まだ思い出せる。
 でも人の記憶はそんなに保たないって聞いた事がある。
 忘れるんだって。
 桜が散るみたいに、スルリスルリと流れていく。
 忘れたくないのに、もう会えないのに。

「万歩、呂佳………。」

「誰ですか?」

 驚いて振り返った。
 そこには杜和君が立っていた。

「杜和くん……。」

「お久しぶりですね。」

 どこか拗ねた顔をしていた。いつもは穏やかで大人びた彼にしては子供っぽかった。

「人の名前ですよね?」

 さっきの呟きを聞かれていたらしい。
 別に隠すような事じゃない。

「うん、人だよ。とても大切な人達だったんだ。もう、忘れてしまいそうだけどね…。」

 桜が散る季節が過ぎるたびに、忘れていきそう。
 残念な自分の頭が恨めしい。

「大切な…。」

「うん、僕は何も持たない。だけど、この記憶だけは大切なんだよ。」

 でも誰にも神浄外の事は話していない。
 話せるわけがない。頭がおかしくなったのだとしか思われない。
 心配気に見る両親も、人を観察対象みたいに見る医師も、歳食ってるのに何も出来ないと見てくる歳下の教師にも、言ったら精神がおかしくなったとしか見られない。

 きっと杜和君も頭がおかしい奴だと思うだろう。

「あの、この後、」

「杜和君。」

 ヤバイヤバイと思って杜和君の会話を遮った。
 
「僕ね、一人暮らしするんだよ。」

「え!?」

 思わず遮ってしまった為、黙っておく筈だった話を持ち出す羽目になってしまった。

「バダバタしてて桜を見ながらちょっと休憩してたんだぁ。もう一缶は杜和君にあげる。」

 一緒に買ったツマミごと杜和君へ無理矢理渡した。
 桜を見ながら飲み干すつもりだった缶ビールはまだ入っているので手に持ったままだ。
 じゃあねと笑いながら小走りに立ち去った。
 少し振り向いた時、杜和君は何か言いたそうな顔をしていた。
 
 僕から距離を置いている事に気付いたのか、杜和君は話し掛けてくる事が少なくなっていた。
 珍しく話し掛けてきたのは何か愚痴りたい事が出来たんだろうか。もしかしてとうとう別れた?
 そこには興味惹かれたけど、僕は少し疲れてしまったから、もう少しして気分が上昇したら聞く事にしよう。
 少しイイなと思っていた人が不倫をしていて、しかも男同士で、その愚痴を聞くのに疲れてしまった。
 自分に余裕がない時に、人の愚痴なんて聞くもんじゃない。
 杜和君は愚痴ってスッキリしていただろうけど、僕の中に溜まった消化できない負の感情が、吐き出せずに気持ち悪かった。

 僕は僕を守る為に独りに戻った。
 








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