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55 故郷の山
しおりを挟むはて、両親とはこんな顔をしていただろうか?久しぶりに狐の里に帰って来て思ったのはそんな事だった。
天狐再来と聞き付けた生まれ故郷の里から、態々文が届いたのだ。
そう言えば、十歳で里を出る時父親から定期的に連絡を寄越せと言われていた気がする…。
すっかり忘れていた呂佳は、じゃあ一応顔出しだけでもするかと返事を出した。
日時を伝えてのんびりと十歳の頃に通った道を、ゆっくりと馬に跨って帰ろうかな。
そんなつもりでいたら、那々から何言ってるの?と呆れられた。
何だか那々瓊にそんな顔をされると微妙な気分になる。不愉快という程では無いが、納得がいかなかった。
「私も行くからね。」
「ええ………?」
麒麟がついてくるとなると大騒動になるのでは?だが呂佳に対する態度はおかしくとも、麒麟那々瓊は仕事が早い神獣だった。
サクサクと日時に合わせて旅程が組まれていく。
「だいたいその姿で普通にのんびり行けるわけないでしょ?」
今の呂佳は九尾の狐。たっぷりとした黒から金に変わる珍しい二色の尻尾は九つあり、琥珀に瞳孔は黒という瞳、濡羽色の髪は艶やかに流れ、溢れる神力は静謐な風を思わせる清々しいもの。
こっそり行ける容姿ではなかった。
「そう、でしょうか?」
呂佳も自分が世間知らずである事に少し気付いた。
那々瓊が馬車と荷物持ち用の牛車を手配し、豪華な着替えと装飾品、狐の里に渡す贈答品を選び出した。
「何故贈り物を?」
呂佳からすると育ててもらったという記憶が薄い。物置き部屋で一日一食の食事とほんの少しの使用人達からの神力で生きていた。
神力に関しては豆一粒程度にもならない微々たるもので、殆ど意味の無いものですらあった。
少しのお土産で良いかなと思っていたくらいなのに、那々瓊は綺麗な漆塗りの箱に麒麟の意匠を凝らした化粧箱の中に、反物や装飾品、金品を用意していた。使用人に里の近くに着いたら祝い菓子を作って用意しておくようにと指示している。
「…………すみません、あの、その品物はもしや伴侶の祝いでしょうか?」
「そうだよ?」
那々瓊はにっこり笑った。
確かに、地位のある者なら普通お互いの家同士で祝いの品を贈り合う。
那々瓊は神獣麒麟なので、それこそ豪華絢爛な贈り物になるだろう。
しかし僕の実家は里の長の息子とは言え、ほぼ息子の扱いをされてこなかった。
向こうがそれを考慮しているかどうかも怪しい。
何も言えずにいる僕に、那々瓊はそっと抱きしめてきた。
「向こうからは何も要らない。これは永遠に呂佳を狐の里に返さないという手切れ金のような物だから、渡したら帰ろうね。」
瑠璃色の瞳は優しく見下ろしていた。
那々瓊は呂佳と伴侶の契約を済ませてからは、少し落ち着いた気がする。
耳も尻尾も無闇矢鱈と舐めたり食んだりしてこなくなった。いや、普通しないけど。
その代わり夜はガッツリとやるようになり、呂佳は朝が起きれなくなった。
肉体的には呂佳の方が若いのに、年寄りになった気分だ。悔しい。
「じゃあ、帰る前に以前使用していた山に寄ってもいいですか?」
那々瓊は快く了解してくれた。
那々瓊主導の元、呂佳は麒麟の細工が施された馬車に乗り、優雅に狐の里にやって来たわけだ。
そして出迎えた両親に対面して思った事が顔を覚えていないな…、だった。もう片親に関しては会った事が無かったようだ。初対面だった。
「お久しぶりです。」
和かに挨拶をするが、出迎えた面々は膝を折り地に伏せて震えるばかり。
「…………那々、威圧は止めなさい。」
顔を上げてくれないと話も出来ない。
呂佳に寄り添って立つ那々瓊は、納得出来ないと不貞腐れて横を向いた。
漸く恐る恐る顔を上げた両親と周囲の者達が、僕の顔を凝視している。
「……お、恐れながら、天狐呂佳様は我が徳家にいた黒でお間違えないのでしょうか?」
ふむ、先に文で伝えていたが、半信半疑のようだった。
呂佳としては顔の造作は変わらないが、尻尾の色も見た目の年齢も変わってしまった為、信じられないのだろうと納得したのだが、隣の那々瓊の機嫌が急転直下した。
パリッ……と地に雷が這う。
不味いと思い先に話を切り出した。
「ええ、間違いありません。」
簡潔に肯定すると、両親含めて里の者達は震え上がる。
珀奥が麒麟の卵を引き受けてから数百年は経つ。もう当時を知る者はいないのだが、それでも天狐珀奥の事は伝え聞いているのだろう。
徳家は特に代々里長をしている。
他の者は知らなくても、両親は珀奥が神の呪いを引き受けた事を知っているはずだ。
だからだろう。顔面蒼白でひれ伏している。そして里長が平身低頭でいるものだから、他の者も困惑顔で見習っていた。
さてどうしたものか…。
一応親ではあるので一度くらい挨拶をしておこうという軽い気持ちでいたのだが、相手は報復でもされると怯えている始末。
「……僕はこの里で十年お世話になりましたが、特に思い入れもありません。」
正直な感想を言うと、両親はビクビクと震えていた。呂佳に対してどういう態度でいたのか理解はしているのだろう。
呂佳が困ったようにほんのりと笑い首を傾げると、纏めていない黒髪がサラリと肩から落ちる。
煌めく琥珀の瞳に、正面に平伏する者達は見惚れていた。
「そ、それは、申し訳御座いません。」
「ああ、恨みを言うつもりは無いのですよ。貴方達が神山で枝を授かる邪魔をしてしまったなと申し訳なさもあるのです。朝露も儚くこの世を去ってしまい、実質子がいない状態にしてしまいましたから。」
「わ、わたくし共は、呂佳様を我が子と思っております!」
両親に様付けで名を呼ばれて、呂佳は更に困ってしまった。
あれだけ可愛がっていた朝露の事はどうでもいいのでしょうか?魂は異界のものでも、珀奥を元に作った金狐の身体のお陰で、里には上手く馴染めていたと思うのですが。
「僕は貴方達に神力を受け取った覚えはありませんよ?」
呂佳のはっきりとした否定に両親はビクッと震える。
那々瓊が呂佳の前に出た。
「天狐呂佳は既に麒麟の伴侶になった。もうここに来る事はない。」
那々瓊は後ろの使用人達に目配せをし、里長の前へ持って来た荷物を次々と下ろしていった。
「もう二度と呂佳をここに呼びつける事は許さない。」
麒麟は獣の王だ。勿論、狐達にとっても最上級の主人になるのに、那々瓊は狐の里を否定した。関わるなと。
蒼白になった徳家の里長はモノも言えない程に震えていた。
麒麟から見放された里は衰退する。
神力の流れが悪くなるのだ。
田畑は衰え森の恵みが受けれなくなる。
土地が衰えるわけではない。ただ狐達が今迄受け取っていた恵みが少なくなるのだ。
那々瓊は珀奥が愛した狐獣人だからこそ存続させていたが、呂佳のもうどうでもいい感じです、という台詞に狐獣人の里に対する寵愛を解いた。
二百年程したら今いる者達はいなくなるから、その時にでも那々瓊にもういいと伝えればいいかと、呂佳は心の中で決めた。
屋敷に入る事なく去って行く呂佳達を誰も引き止める事は出来ない。
相手は麒麟と天狐だ。
これ以上の罰を恐れて動ける者はいなかった。
珀奥が麒麟の卵を温めていた山に来ていた。
小さな家は朽ちて、草が生え跡形もない。
ただ小さな池だけが残っていた。
この池は下から湧水が出ている。そして小さな小川を作って下に流れて行くようにしていた。
風が草木を払う音しかしない。
獣も鳥も虫も、麒麟と天狐の存在に息を潜めていた。
今もあの小舟が浮かんでいたらチャプチャプと音を鳴らしていたかもしれない。
使用人達は村の外で待機させていた。
そこで休憩して、直ぐに巨城に戻る予定にしている。
本当に挨拶程度で終わったので、この着せられた上等な服が勿体無いなと思ってしまった。
「呂佳。」
暫く池を眺めていると、那々瓊が後ろから抱き締めてきた。
「………当時のものはこの池しか無いのですね。」
神獣は長く生きる。これからもずっと長く生きていく事だろう。そして獣人に限らず森羅万象全てのものに寿命がある。
皆、先に消えていく。
永然はそれが寂しいと語った。
だからこそ、共に生きる者を求めるのだと。共にいてくれる者がいなければ、自分の生命に重きを持たないのだと。
だから珀奥は簡単に自分の生命を投げ出したのだと。
那々瓊が大切ならばもう生命を捨てるなと言われてしまった。
「那々はこの池を覚えていますか?」
ずっと卵の中にいた。でも水の気は感じていたはずだ。
那々瓊はぎゅうと抱き締める力を強める。
「覚えているよ……。だって出たらいなかった……。どんなに叫んでも戻って来てくれなかった。緑の森の匂いも、苔むした水の匂いも、風の鳴る音も、下に生きている狐獣人達も、……………全部殺そうと思った。」
最後の言葉は低く小さかった。
それを止めたのは永然だ。
必ず珀奥を取り戻すから。そう言われて待つ事にした。
妖魔になった珀奥様を殺してしまっても、ずっと信じて待っていた。
呂佳は抱き付く那々瓊の腕の中で、ぐるりと体の向きをかえた。
「那々に、お願いです。」
瑠璃色の瞳が瞬く。
「僕とずっと一緒にいて下さい。」
神獣は長生きだ。永然の言葉を信じるなら、誰か共に歩む存在がいないと駄目だ。孤独では生きて行けない。
それは自分にも、麒麟の那々瓊にも言える事だった。
那々瓊が嬉しそうに破顔する。
「うん。絶対だよ。」
我が子から伴侶になった那々瓊がこの上なく幸せそうに笑うので、呂佳も嬉しくなった。
「では帰りましょうか。」
僕達の家へ。
手を繋いで引くと、那々瓊は大人しく一緒に歩き出す。
「最近の那々は大人しいですね。」
何気ない一言に那々は笑う。
「うん、だって今の呂佳は悩まずに私の側にいてくれるでしょ?」
僕が悩まなければ大人しい?
「そんなに悩んでましたか?」
「うん、グダグダとどーでもいい事を。」
「ぐだぐだ……。」
チラリと見上げると、瑠璃色の瞳を細めて笑う那々瓊と視線が合う。
木漏れ日から落ちる日の光が金の髪を煌めかせる。
僕の自慢の子供。自慢の伴侶。
あんまりにも綺麗で顔に熱が集まる。
「ふふ、帰ったらイチャイチャしなきゃ。」
「イチャイチャ…、それ教えたの万歩ですね?」
「ふふふふ。」
過去に一人でさよならと降りた山道を、今度は二人で手を繋いで歩く。
「いいですよ。イチャイチャです。」
那々瓊がびっくりした顔をして、黒耳にスリっと頬を寄せた。
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