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47 おやすみ

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 美晴は天狐というものを見た事がなかった。
 目を見開きその美しさに見惚れる。
 何故か炎が熱く感じない。
 確かに焼かれているのに、纏わりつく炎は勢いを増し、無理矢理動かしていた身体は指一本動かせなくなった。
 口からも目からも、炎が噴き出ているのを自分で感じた。

「………………い゛、や………っ。」

「大丈夫ですよ。」

 琥珀色の瞳が哀しげに細められる。
 一歩ずつ近づいてくる呂佳を、美晴は見ている事しか出来なかった。

 赤く燃えていた炎が金色の光を撒き散らす。火の粉が砂粒となって飛散し、美晴の視界を眩しく照らした。

 頬に細い指が触れる。
 男性とは思えない白く繊細そうな手だ。
 その手が優しく美晴の頬を撫で、頭を撫でた。




 美晴は向こうでは引きこもりというやつだった。
 小学校から外に出るのが嫌で、怖くて、大人になっても出る事はなかった。
 世界は小さな六畳一間の自分の部屋だけ。
 親や兄弟は学校に行け、外へ出ろ、アルバイトをしろと言っていた。
 でも美晴の行動範囲は自分の自室と、家族が全員不在の時にトイレやお風呂を済ませ、台所で食べ物を漁って部屋に持ち帰る毎日だった。
 外が怖い、人が怖い。家族すら怖い。
 死んだ理由は弟とその友達が、急に思い掛けない時間に帰って来た時だ。
 喉が渇いてジュースを取りに行った。
 顔も洗わず歯も磨かず、髪もボサボサで、お風呂は三日前に入っただけの部屋着の姿。
 部屋着だってヨレヨレで穴とほつれだらけ。
 階段でバッタリ会って、ヘッドホンをしていて気付かなかった自分に嫌気がした。
 久しぶりに会った弟はまだ高校生で、どこのか知らない高校の制服を着ていた。顰めた嫌そうな顔は自分と違い整っていた。
 その後ろには男女含めた何人かの友人達。
 うわ、すげ。
 そう言われたのを遠くで聞いていた。
 慌てて身を翻して上に戻ろうとして足を滑らせた。
 落ちる身体を皆んなして避けた。
 あーーーーーーーーー……落ちる………。



 それが美晴の向こうでの人生だった。
 
「……い゛ゃ、、帰ら……な゛………。」

 呂佳が優しく微笑んだ。
 淡く光るような微笑みに、美晴は黙り込む。なんて綺麗なんだろう。こんな綺麗な人の前で汚く叫ぶ自分が嫌になった。
 ゴミが散乱し異臭がする部屋で、その臭いを染み付かせたゴミの様な自分を思い出させられる。

「何故嫌なのでしょうか?」

 透き通るような優しく吹き抜ける風のような声だなと思った。

「………………ごわ、い。」

 成程、と琥珀色の瞳がゆっくりと瞬きをする。
 頷くと艶のある柔らかな黒髪が一房スルリと肩を滑り落ちた。

「僕も向こうにひと時いました。確かに人に溢れ時間は早く、求められるものが多い世界です。苦しかったでしょう。」

 美晴の焼けた髪をゆっくりと撫でる。
 黒い髪はごわつき、焼かれて縮れている。
 
「少し、眠ってから休むといいと思います。転生は急がなくていいのです。申し訳ありませんが、一度こちらで妖魔に落ちてしまった為、生まれ変わる先は神浄外になると思いますが。」

 美晴はそうなんだ……、とどこかホッとした。休んでていいんだ………。

 向こうの世界では、いつも外に出ろと言われた。
 やってみないからダメなんだと、お前はダメだと言われ続けた。
 いつまでもこんな生活は続けられないんだと、不安ばかり煽られて、そのくせお前はどこに行ってもダメなんだと言われ続ける。
 じゃあ、どうしたらいいの?
 一人で頑張ってみろと言われても、どこをどうしたらいいのか分からなかった。
 お前は甘ったれだと言われる。
 頑張れと言われる。
 ダメな人間だと言われる。
 階段の下で、汚物を見る様な目で見上げてくる幾つもの目が怖かった。
 
 終わったから、あそこに帰れというの?
 神浄外は美晴を大切に扱ってくれた。
 なのに、用が済んだら要らないっていうの?
 
 天凪は優しくていつも守ってくれた。
 それは義務だと知っていた。でも心強かった。美晴の後ろには応龍天凪がいるのだと皆んな知っているから、美晴は強く明るく生きている事が出来た。
 比翔という友達も出来た。
 比翔はずっと神浄外に居たいなら、伴侶になってもいいと言ったけど、多分比翔は無理だと思った。
 美晴は一人では生きていけない。
 比翔は明るくて強い銀狼の美晴が好きなのだ。美晴に支えてもらおうとする比翔では、美晴は支え切れないと思った。
 最初から無理だと思う関係を作るつもりは無かった。
 神浄外に残る方法を考えた。それには伴侶を作るしか方法がないんだと知った。天凪じゃないとダメだと思った。
 綺麗で優しくて、大人の天凪がよかった。
 断られても最後まで頼み込んだ。
 天凪の伴侶になれるなら神浄外で生きていけると思ったのに…。
 それが恋かと言われると分からない。
 でも好きだった。神浄外の中で一番好きだった。
 美晴は恋を語れるほど人と触れ合った試しがない。
 

 呂佳は美晴の焼け爛れて元の形を失った両手を取った。
 激しく燃え盛っていた炎は、いつの間にか柔らかく揺蕩う水のように揺れていた。
 
「休みますか?」

 呂佳は優しく問い掛けた。
 美晴は焼けた皮膚の中に残る黒い瞳を揺らした。
 もう身体は焼かれすぎて動かない。
 でも瞳で返事をした。
 何もかも忘れて神浄外に生まれ変われるなら、それでいいと思った。
 
 美しい狐獣人の後ろから、元の自分と同じ銀色の狼姿の少年が歩いて来た。
 殺そうと思ったのに失敗したなと、失敗して良かったと思う。
 美晴は向こうで上手くいかない人生を送った。向こうで上手くいかないのに、知らない場所に来たからと言って上手く行くとは思えなかった。
 きっと向こうで上手くいかなかった人が、ここに来るんだと思っていた。
 美晴みたいに終わった途端用済みされるなんて可哀想だと思ったから、殺してあげようと思った。
 こんな世界救う必要ない。
 無くなってしまえば、もう召喚される人はいない。
 それがいい。
 そう思っていたけど、この少年は美晴のように苦しそうな顔をしていなかった。
 凛々しくかっこいいなと思う。
 こんなとこに理不尽に連れて来られたのに、その瞳に曇りが無かった。
 精緻せいちな銀装飾の剣がよく似合う。
 銀狼の手には美晴も手にした事のある聖剣月聖げっしょうが握られていた。
 
 美晴の瞼は焼けてしまってもうないから、瞼を閉じて視界を塞ぐ事は出来ないけど、不思議と怖くなくて見続ける事が出来た。

 呂佳が優しく手を握ったまま語りかけてくる。

「おやすみなさい、美晴。」

 ええ、おやすみ、なさい……。

 ズブリと剣が美晴の胸に沈む。
 痛くなかった。
 少し冷たいなと思っただけ。
 崩れ落ちる身体を、優しく狐が抱き止めてくれた。少し冷たい柔らかな黒髪が美晴の頬に落ちる。
 焼け爛れてこんなに汚いのに、躊躇ためらわず抱き締めてくれた。
 階段で落ちる美晴は誰からも受け止めてもらえなかった。
 ゆっくり動く時間の中、汚い物を見る目だけが、落ちる美晴を見送っていた。
 鈍い痛みの中、助けてと願って見上げたけど、そこにあるのは嫌そうな顔だけだった。

 今見上げれば、直ぐそこに美しい人が、琥珀色の瞳を揺らして悲し気に見下ろしてくれている。
 金色の粒子がチラチラと爆ぜ、暗い世界に浮かび上がって綺麗だった。
 
 綺麗だなぁ………。
 そうボンヤリと思いながら、美晴の意識は途絶えた。



 
 
 聖剣月聖を引き抜き、万歩は呂佳を見た。

「様変わりし過ぎてじゃね?」

 美晴の身体をゆっくりと横たえながら、呂佳はクスリと笑った。

「本当はもっと早くから九尾には出来たんですけど、派手で目立ちそうだったのでしなかったんですよ。」

 以前、元の珀奥の身体を取り込んだ時には出来たのだが、途中で止めたのだ。
 天狐は目立つ。
 尾が九つもあると邪魔でもある。
 珀奥だった頃、尻尾が増えるたびに注目される事が多くなり、人目が嫌で嫌で山に篭ったのだ。

「ろ、呂佳…………っ!」

 感極まった震える声がした。
 声の方を見ると、那々瓊がブルブルと震えて呂佳を見ている。瑠璃色の瞳は涙を浮かべて潤み、唇はだらしなく開いて震えていた。

「………………………。」

 嫌な予感がする。
 ダァーーーーーーーーッッっと那々瓊は呂佳に駆け寄った。
 そして勢いよく呂佳を抱き込む。

「ああっ!!!呂佳っ、なんて可愛らしいっっ!!私の大好きな呂佳に可愛い尻尾が九つもおぉぉーーーー!!!!!」

 抱く力は強く、耳に頬擦ほおずりする勢いは凄い。

「や、やめなさい。まだ、終わりじゃ……、あ、ど、どこ触ってっ……、ちょっ、止め、止めなさ………っ、あっこらっ、」

 あらゆる所を撫で回され、呂佳の静止が全く効かない。
 あの時天狐に変わるのを止めたのは特に考えがあった訳では無かったが、その後変わらなかったのは那々瓊の自分に対する執着が酷かったからだ。
 案の定酷い。
 服の中にまで手が入りまさぐられ、呂佳はここ最近毎夜いじられていた所為で快感を拾ってしまい狼狽えた。
 頬が赤く染まりだす。
 
「あーーーお邪魔のようなので失礼します。」

 万歩は幼馴染のあられもない痴態に若干照れながら、そそくさと離れた。
 
「…あ、万歩、ちょっ…止めてっ!」

 那々瓊を止めようする者はいなかった。





























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