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21 側にいて
しおりを挟む卵の中はほんのり薄暗い。
だが真っ暗ではないのだ。
ほんのり響く鼓動と柔らかな光。
はくおくさま……。
口を小さくパクパクと動かすが、自分を抱き締める人には届かない。
えいぜん、と言う人来た。
毎日二人きりの穏やかな生活に、たまに来る訪問者。
自分を抱きしめる人は、その人が来た時だけは歓迎している。
「私のなな。私はななに会えないけど、覚えていてくれるでしょうか?永然には迷惑をかけますが、後は頼みます。」
「流石に覚えてるだろうな。百年も出て来ない麒麟は初めて見た。卵から出たらお前がいなくなると理解しているんだろう。」
「頭の良い子ですね。嬉しいです。」
「いや、珀奥の負担が……。」
うん、私が卵から出たらいなくなるって前にお話ししてたよ。
何でかは知らない。
そう言うのは聞かせないようにしてるみたいだしね。
珀奥様を見てみたい。
どんな顔してるのかな?
髪の色は?目の色は?
僕は獣の王だから、狐獣人がどんなのか知ってるよ。
でも一人一人やっぱり毛色は違うし、顔も違う。性別も有る。
神力の質だけは分かるよ。
暖かくて優しい光だよ。
見たいなぁ…。
チャプチャプと音がする。
はくおく様はよく小船に乗ってお昼寝をしようと言ってくれる。
ゆらゆら揺れる乗り物は、水の上に浮かんで揺れている。
抱っこされて暖かくて、気持ちいい。
金色の光が包み込んでくれる。
気持ち良い…。
最近はくおく様は具合が悪そう。
苦しそうに息を吐いている。
ずっと包み込んでいる金色の光が、失くなる時がある。
そんな時はとても暗くて寂しくなる。
出ようかな?
どうしよう……。
出たら、はくおく様はいなくなるって言ってたのに、今出たら逃げちゃうかも。
急いで出て、行かないで!って叫んだら、いてくれるかな?
側にずっといてくれる?
会いたい。
会いたい。
会いたい………。
寒い日が増えて来た。
はくおく様が何となく焦っている気がする。
えいぜんって呟いている。
コンコン。
中から叩いたら、はくおく様がビクッとするのが気配で分かった。
どうしたの?
コンッ!
パリッ………。
あ、中から叩いたら殻がひび割れた!
出る?
急いで出る!?
はくおく様が、えいぜんはまだかなって言ってる!
はくおく様いなくなっちゃう!
寒いよ…、暗いよっ!
はくおく様から光の神力がこなくなった。
なんで?
神力が出なくなる病気になったの?
だからいなくなるの?
私が治してあげるよ!?
麒麟だよ、獣の王だよっ!
きっと治せるから、行かないでっっ!
コンコンコンッ!
「永然っ!」
「もう無理なのか?」
二人の会話が聞こえる。
いつもはふにゃふにゃっとくぐもっていた声が、殻が破け出してハッキリと聞こえて来た。
まだ卵に入っている私は、ふわりと浮いて違う人に渡される。
金の光が薄くなったはくおく様から、濃厚な緑の匂いがするえいぜん様に渡された。
待ってっ!
待ってて!!!
行かないで、行かないで、行かないで!!
一生懸命殻を破ったのに、珀奥様はいなかった。
明るい外を見回すと、森の中には小さな家と湖に浮かんだ小舟が一艘チャプチャプと音を立てて揺れていた。
落ち葉がヒラヒラと舞って、可愛い花が植えられていて、よく歩く場所は踏み固まって小道になっていた。
少しの野菜と作業小屋らしき場所。
洗濯物、開いた窓、はくおく様の匂い。
「やっ!……どこ!?どこ行ったの!?」
「……………。」
「ねぇっ!?はくおく様は!?」
「……………もう、行ってしまった。」
「どこにぃ~~~~!?!?」
涙がボロボロと出てくるのを、私を殻ごと抱っこした人は見つめて途方に暮れていた。
それが永然様だった。
永然様も、今思えば悲しい顔をしていた。
だけどその時は余裕がなくて、泣くだけの自分を落とさないようにと、必死に抱っこしていた。
永然様はまるで成人前の子供の姿で成長が止まった方だ。殻ごと抱っこし続けるには、少々大きかったに違いないのに、ずっと気が済むまでそこで抱っこし続けてくれた。
それから巨城という所に連れて行かれ、此処が麒麟地区だと言って、永然様は案内してくれた。
大きな岩山の中に建つ積み上がった石で出来たお城は、とてつもなく広かった。
閑散として、枯れた木や草が石に絡まっていた。
お前が好きにしていいと言われたから、珀奥様の暮らした森の中に似せていった。
花も咲かせて虫を呼ぼう。
森の樹を生やして鳥を呼ぼう。
踏み固めた小道、小さな池、流れる小川。
麒麟の土地は自然が溢れる地になっていった。
神獣の成長はゆっくりだ。
だから百年経ってもまだ成長途中で止まらない。
見た目が永然様くらいになった時、聖女が召喚された。
聖女は女子高生なのだと言った。
銀の枝になる銀色の卵から生まれて15年も経つと、銀狼の聖女はあっという間に成人になった。見た目は永然様や那々瓊より年上に見えるが、実年齢は遥かに年下だ。なのに、年下扱いしてくるので苦手だった。
銀狼の聖女の名前は「美晴」と言った。
美晴は快活で動き回るのが好きな人だった。
銀狼の聖女は通例通り応龍が育てていた。そしていつも通り銀狼は天凪に惹かれるようだった。
美晴は玄武比翔と仲が良いようだった。よく話している姿を見かけていたが、それでも美晴の好きな人は天凪なのだと見ていて分かった。
美晴が聖剣月聖を神殿で授かり、いよいよ妖魔討伐に赴く事になった。
「あたし、天凪様の為に頑張る!」
満面の笑顔で天凪様にそう宣言する美晴に、応龍は優しく微笑んでいた。
その時に永然様が少し苦しそうな顔をしていたので尋ねたけど、何でもないと笑っていた。
神浄外の外は暗闇だった。異界の魂を持つ銀狼しか入れないのだという。
銀狼の聖女が暗闇に入ると、それまで入れなかった闇の中に、スルリと入る事が出来た。
暗闇の中に炎が灯る。
蠢く闇は妖魔がくっつき合いドロドロに溶け合った姿なのだと永然様は言った。
そのドロドロの中にあって、全くの単体で存在する人型の妖魔がいた。
黒い髪は長く、顔も身体も覆うように垂れ下がっていた。
「あれが妖魔黒曜主ねっ!!行くわよっ!」
もう既に何体もの妖魔を討伐して来た美晴は、臆する事なく黒曜主に立ち向かって行った。
神獣ごとに特性が違うので、永然様は少し後ろの方に下がっていた。あまり攻撃が得意ではないのだ。
攻撃が得意な神獣は、麒麟、青龍、白虎の三体でしかなく、他の神獣が攻撃する場合は銀狼と共に神力を混ぜ合わせて攻撃するしかない。
選ぶのは銀狼だ。
美晴は迷う事なく天凪様を選び、銀狼の銀に輝く神力と、天凪様の水の力が合わさり聖剣月聖に力が集まっていた。
「お願いっ!那々瓊が足止めして!」
那々瓊は頷いて、雷の槍を降らせる為に飛び上がった。
妖魔の黒い瞳と視線が合う。
何故か動きを止めてくれたので、思いっきり振り下ろした。
妖魔の頬に腕に脇腹に足に、雷の槍は刺さり擦り傷を作り降り注いでいく。
その間も視線が外れなかった。
何を見ている?
何故自分ばかり見ている?
妖魔ならば聖なる光を放つ銀狼の聖剣に怯えて攻撃性を増す。なのに、黒曜主は、静かに那々瓊を見ていた。
なんで、ずっと、見て………!
聖剣月聖が黒曜主の胸に深々と刺さった。
那々瓊は良いしれぬ不安が駆け巡る気分になった。
なんだろう?
何の感情だ?これは。
倒れる妖魔の黒髪が流れ、黒い瞳が那々瓊を見ていた。
優しく微笑む笑顔が目に飛び込む。
少し涙が出ているのか、潤んでいた。
妖魔の黒なのに、その漆黒は美しいと思えた。
静かに澄んだ美しい眼差し。
何でそんなに嬉しそうに見ているのか。
倒れた身体から目が離せなかった。
黒曜主の胸から聖剣が抜かれ、皆安堵の息をついて帰り出す。
那々瓊は一度皆んなについていき、最後尾を歩いて少し戻った。
もう少し見たい。
どんな顔をしてるの?
何で笑ったの?
置いて行かれて闇の中で銀狼と逸れれば、いくら神獣といえど、この闇の中では死んでしまう。
急いで黒曜主の死体を回収した。
自分の巨城に飛ばしたのだ。
もし生きていたらとんでもない事だが、その時は他に思い付かなかった。
それくらい、黒曜主の身体を持って帰りたかった。
無事に巨城に帰りつき、黒曜主の死体をどうしようと考えた。
こっそり霊廟を建てよう。
死体は一つだから小さいので良い。
でもちゃんとした石造りの立派な物を。
死体は水晶に収めた。
顔は閉じ込める前に綺麗に拭いた。
美しい顔をしていた。
耳も尻尾もない。
何故持ち帰ったのかも分からない。
ただこうしないといけないと、心が騒いだのだ。
毎日花を供えに行っていたら、永然様に見つかった。
どうして持ち帰ってここに安置しているのかと聞かれた。
「分かりません。でもどうしても気になって…。」
気になって気になって、大事に持っていた。宝物の様に………。
「そうか、麒麟は獣の王だからな。何か感じるものがあったのか………。」
永然様はこの黒曜主が誰であるのかを教えてくれた。
自分の時間が止まるのではないかと思えるくらい、暫く動けなかった。
「……………ぅ、嘘ですよね?」
声が震える。
だって銀狼の聖女に請われて、雷を降らせたんだぞ?
いっぱい……、無抵抗のこの人に。
「いいんだ、一度この身体から魂を離す必要があったから、那々瓊は悪くない。」
永然様はそう言うけど、私は許せなかった。
この人は笑ってくれた。
攻撃した私に、嬉しそうに涙を浮かべて……!
気付いたんだ!
私が麒麟だと、貴方の子だと!
「やだ、やだ、やだっ!っっつ~~~~っ!」
悲鳴の様に泣く自分に、永然様はこれから次の銀狼探しの時に、珀奥様の魂を探し出すと言った。
それまで待って欲しいと。
悲鳴を上げる自分に、ずっと付き添って慰めてくれた。
泣いても泣いても貴方は帰ってこない。
側にいて欲しい……。
手を握って卵にしていた様に、頭を撫でて欲しい。
貴方が残した金の尻尾は、私の親代わりでした。
幼い頃はずっと抱きしめて眠りました。
尻尾に残る金の神力が、無くなってしまわないように、吸い込んでしまって無くならないように、大事に持ってたんです。
手を繋いで。
頭を撫でて。
珀奥様、珀奥様っ!
…………………この、手を…………っ!
手のひらに小さな手が添えられている。
誰の手?
最近、朝露が金の神力を流してくる。その時に手を握られるけど、それとは違う手だ。
優しい………。
そっと、少しだけ力を入れて握る手は、静かで涼やかで、喉に透き通るようだ。
「辛いですか?」
少し高いけど、少年の声が尋ねてきた。
優しくて落ち着いた声だ。
この声が良いと、無理矢理連れ回したのはつい最近なのに、遥か遠い昔に感じる。
おでこに手のひらが乗った。
ヒンヤリとする。
透き通る清涼な神力が流れてくる。
沢山じゃない。少しずつ、探るように。
「気持ち悪くありませんか?」
首を振った。
気持ちいい………。
朝露の神力は、珀奥様の神力と同じ筈なのに、とても強烈で痛い。
光り輝く神力は、誰よりも望んでいた珀奥様のものだったのに、その神力を毎日入れられて苦しい。
一番最初に無理矢理渡された神力の量が膨大過ぎて、那々瓊にはどうする事も出来ずにいた。
親である珀奥様の神力には逆らえない。
逆らおうなんておかしな感情を覚える様になるなんて前は考えられなかった。でも今は、苦しくて仕方ない。
おでこから流れてくる神力が気持ち良かった。
「…………呂佳?」
覚えのある神力だ。
久しぶりに今日会えたのに、朝露から呂佳は見るなと言われて見れなかった。
「ええ、もう少し我慢できますか?」
小さく頷いた。
呂佳からほんの少し笑った気配がした。
「良い子です。助けてあげますからね、僕の那々。」
気持ち良い神力に当てられて、那々瓊は眠りについていく。
ねえ、呂佳は珀奥様なの?
朝露じゃなくて、呂佳の方が、珀奥様なの?そうだったら……、いいのに……………。
呂佳……、側にいて…………。
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