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19 私の可愛い那々が……。
しおりを挟む冬を過ぎ、また春になった。
新しい隊員希望者を募る季節。
神浄外を覆う闇に生える黒い生命樹は、一時期よりは勢いも衰え、隊員全員で領地を走り回る必要性も無くなってきた。
去年の秋の季節、神の祝いの為に一度巨城を訪れたっきり、半年振りの帰城となった。
青龍空凪の移動は領地に戦力を置く為に少数精鋭となったのだが、その中には雪代と呂佳も入れられていた。
移動中、空凪から呼ばれて何やら言いにくそうに教えられた。
那々瓊の様子がおかしい。
雪代が病気ですかと聞くと、行けば分かると思うが、呂佳には一応言っていた方がいいかと思った……、と歯切れ悪く言葉を濁した。
空凪は真面目で堅物という印象の神獣だ。
那々瓊とも親しく、個人的に会う事もある。神獣だけならば遠い巨城にも行けるらしく、空凪は度々会っていたらしいのだが、行く度におかしくなっていったと言うのだ。
「会う時は俺も一緒に行こう。」
今の那々瓊はおかしくて心配だからついてくると申し出てくれた。
忙しいのに真面目だから、一隊員の事まで考えてしまうのだろう。
雪代と二人、なんだろうと首を傾げながら了承した。
そして、その意味を知る。
いつぞやの天凪の時と同じ様に、朝露と那々瓊が仲睦まじく座っていた。
朝露は呂佳と同じく十四歳。
声こそ少し低くなったが、まだまだ成長途中で小柄だ。と言っても、同じ二枝で生まれた呂佳よりは頭半分ほど身長は高いが。
その小柄な朝露を、那々瓊は膝に乗せて頭を撫でていた。
「……………………。」
前回あんなに呂佳の耳や尻尾を舐めまわしたのに、今はこちらを見もしない。
呂佳は感情を消すのに長けているので、その表情や獣性である耳や尻尾にも一つも感情は出ていなかったが、内心非常に悲しんでいた。
呂佳が親である珀奥だと気付いていなくとも、呂佳個人に対して好意を持ってくれているのではないかと、少し期待していたのだ。
黒い毛でも、輝く様な神力でなくとも、呂佳の方を触りたいと、黒い毛を触ってくれると言ったのに………。
感情は消していても、いつも力強くしなやかな意志を感じさせる瞳が、今は黒一色に塗り潰されていた。
朝露が金の耳と耳の間を撫でられて、気持ち良さそうに目を細めて笑うのを、呂佳は無言で見ていた。
空凪は仏頂面で那々瓊に話しかける。
「久しぶりに会いに来た友人に、何も無しか?」
クスクスと笑い合う那々瓊と朝露は、漸く空凪の方を向いた。
「ああ、すまないね。朝露が遊びに来てくれたから、つい………。お茶でも出そう。」
那々瓊の目は呂佳の方を見ない。
雪代が心配そうに呂佳の方をチラリと見た。
「いや、挨拶に来ただけだ。直ぐ帰ろう。」
空凪はお茶は要らないと立ち去ろうとした。
「待って下さい。空凪様!」
「あっ………。」
朝露は去ろうとした空凪を追いかける為に、那々瓊の膝の上から急いで降りた。
膝から降りた朝露を、名残惜しそうに見る那々瓊を見て、呂佳の表情が漸くピクリと動く。
それを朝露は目敏く確認し、口の端を上げた。
「なんだろうか?」
朝露は空凪の袖を少し摘んで、可愛らしく青緑色の双眸を覗き込む。
「あの、僕、今神力の読み方を練習していて……、空凪様の神力も覚えたいんです。少しだけ僕に神力をいただけないでしょうか?」
神浄外を統べる神獣に、ただの獣人から神力をくれと言う事は出来ない。
その理由は神獣の神力は強すぎるからだ。
子供が成長する過程で、親が子に神力を分け与える行為は、子が親に反発させない為でもある。
自分に神力を与えてくれた人に対しては、余程のことが無い限り反抗出来なくなる。
空凪は朝露の中の神力を探った。
成程、と納得する。
朝露の中には数え切れないほどの神力が混じっていた。
「お前の中に、俺の神力も混ぜるつもりか?確かにそれだけ神獣の神力が混ざり合えば、傀儡にされる心配はないな。」
普通は親か少数のみに神力を貰う。
だが朝露は神力が沢山欲しかった。
だから貰える時に沢山の獣人や神獣からも貰い続けた。
「空凪、そんなふうに言うものじゃ無い。可哀想じゃないか。」
那々瓊が朝露を庇った。
はぁ、と空凪は溜息を吐く。
「お前も知っている筈だ。神力は身近な者にだけ分け与える。それ以外に神力を分ける行為は、傀儡を作る事になるから誰もやらない。それに、与えられた者の方の神力が勝てば、立場は逆転して、与えた方が傀儡になるぞ。それでもいいからと下の者が祝福代わりに願うか、上の者が褒美としてやる時は少量を一回程度が基本だ。」
普通の獣人なら、神獣の神力に負けて傀儡になる。だが、朝露は金狐だ。その力は計り知れない。
空凪も会った事はないが、過去存在した珀奥という天狐が金狐だった。
天狐にまでなれる金狐なら、神獣に勝ってしまう可能性もあるのだ。
神獣といえども迂闊に神力を与えるべきではない。
それに本当は一回程度少量やる分には問題ないだろうが、空凪はやりたくなかった。
朝露の中に那々瓊の神力がかなり受け渡されているのを感じ、空凪は落胆した。
徐々に会う度に朝露の中には那々瓊の神力が増えていたのだ。
知らない筈はないのに、何故神力を与えた?
普通なら神力が増え過ぎて、腹が満腹になる様に、もう神力を吸収出来なくなるのに、朝露は底なしのようだった。
お前は少し前まで朝露を拒否していたよな?
性格が変わったとは思えないが、今の那々瓊はどこかおかしい。
それに、那々瓊の中にも朝露の神力がありそうに感じる。探りたいのだが、拒否されているのか探る事が出来なかった。
「あの、そんなつもりではありません。空凪様とも仲良くなれればと思って…。ごめんなさい。」
しおらしく朝露は謝って、那々瓊の下に戻り縋り付いた。
これみよがしにチラリと呂佳を一瞬見る。
空凪はまた溜息を吐いて、また来ると言って歩き出したので、雪代と呂佳も後に続いた。
空凪に続いて歩いていると、吹き抜けの石の廊下を歩いていた筈なのに、いつの間にか青龍地区に戻っていた。
麒麟の住む巨城上段西側からは、六キロ以上あると言われているが、神獣ならば関係なく移動出来る。
巨城の中ならば他者も連れて行く事が出来た。
前後に誰もいない事を確認して、空凪が振り向いた。
「おかしいだろう?」
雪代と呂佳は頷いた。
「前回の呂佳に対する執着はどこいったんでしょうか?」
普段口の荒い雪代も、神浄外を統べる神獣に対してはとても丁寧に喋る。特に青龍空凪は自分が仕えている主だ。
「俺もそこが特におかしいと思うんだが、他の事に関してはいつも通りだから計りかねている。呂佳は何か知らないか?」
尋ねられて呂佳は思い当たる事があったが、これを言うわけにはいかなかった。
それとも、言ってしまった方が良いのだろうか……。
少し思案し、一部を除いて説明する事にした。
「恐らく朝露の神力に触れたのかも知れません。」
「朝露の神力?」
雪代は朝露の神力を思い出す。
やたらと輝かしい金の光だ。
空凪も同様の事を思ったらしい。
「金の毛色に相応しい光を持っているな。」
呂佳はそれに頷いた。
「麒麟那々瓊様の育ての親はご存知ですか?」
空凪は那々瓊とほぼ同時期に育っているので知っていた。
と言っても百年ほど違うのだが、長く生きる神獣にとっては、ほぼ同時期と言える違いだった。
「永然様だろう?」
「じゃあ、卵の時はご存知ですか?」
空凪はそれについては知らなかった。
麒麟に親は存在しない。
麒麟の卵は神山の生命樹に生り、そのまま枝にぶら下がって大きくなる。生まれれば、神獣の中で最も長く生き神力に長ける者が育てる事になっていた。
だからそうだと思っていた。
知らない様子の空凪に、呂佳は教える。
「現麒麟は一度枝から落ちているのです。それは故意に枝を折られた為ですが、その時麒麟の卵を育てたのが天狐珀奥なのですよ。」
二人は驚いた。
青龍ですら知らない事実を呂佳が知っている事と、過去にそんな事があったという事に。
「それは、那々瓊から聞いたのか?」
「そうです。」
違うが、そういう事にした。
まさか自分が珀奥ですと言うのは、あまり言いたくない。
黒毛を厭う訳ではないが、元が輝く金の毛と神力を持っていたので、言って同情されたくなかった。
この二人ならきっと嫌悪ではなく、憐れんでくるだろう。
それはなんとなく嫌だった。
「朝露の神力は卵の育ての親である天狐とそっくりだと言っていました。」
「成程…、同じ神気を当てられて若干傀儡状態という事か。」
空凪が納得してくれた事により、呂佳はやんわりと微笑む。
「あの様な金の神力はあまりありません。同じ金狐ですし、似ているのではないでしょうか?」
本当は珀奥の尻尾から出来た金の枝から生まれているので、朝露と珀奥の神力は全く同じ物だ。
「じゃあ、ちょっと操られてる状態?神獣が?」
問題はそこですよね。
呂佳もそこが不思議だった。
朝露の神力は彼方此方の獣人や神獣から集めたにしても、麒麟である那々瓊を操れる程ではない。
まず突破口となる一番最初の接触時に、誰かが朝露に手を貸した筈だ。
那々瓊の神力を越える神力を、朝露に与えた者がいる。
「麒麟は獣の王だ。その麒麟に手を出そうとした者となると…。」
空凪も同じ考えの様だ。
「ええ、同じ神獣の誰かという事になりますね。」
そして呂佳はその人物に思い当たりがある。
朝露に金の枝をとるよう言い聞かせ、呂佳に黒の枝が渡る様仕向けた人物。
何を考えているのでしょうかね…?
まさか、身に余る野心など持っていなければ良いのですが。
もし、そうならば………。
呂佳の不穏な眼差しに、雪代はゴクリと喉を鳴らした。
「呂佳……お前、ホントに十四歳?」
空凪もそれには同意だった。
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