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14 永然の未来視

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 深夜、月の光を避けるように呂佳は廊下を歩いていた。
 まるで招き入れるかのように人の気配がない。
 巨城東側上段に住む応龍天凪の寝所へ忍び込んでいるわけだが、不可視の結界を感じて堂々と歩いていた。
 呂佳以外を排除する幻覚作用のある結界だ。

 一つの部屋の前に来て、呼び掛けなしにドアを開ける。
 さぁ…と風が巻き起こり、窓の近くに立つ天凪の梔子色くちなしいろの髪を、柔らかく巻き上げていた。

「お久しぶりですね。」

 入って和かに挨拶をする呂佳へ、天凪は呆れたように笑った。

「人払いはしていたが、堂々と正面から来るとは相変わらずだ。」

「どうせ誰とも会わないのなら、廊下を歩いた方が早いでしょう。」

 ケロリと返事をする呂佳へ天凪は椅子を勧めたが、呂佳は直ぐに去るからと断った。

「昼間は何か言いたそうだったな。」

 分かっているくせに態々尋ねてくる。

「ええ、貴方が朝露を膝に乗せているので驚いたのですよ。」

 朝露は結局最後まで天凪の膝の上にいたが、チラチラと見ては青龍の背後に立つ呂佳を睨み付けていた。
 何故お前がそこにいるのだと言わんばかりだった。逆に何故お前は天凪の膝の上に乗っているんだと思ったが、呂佳は朝露の視線を無視していた。
 そして朝露は呂佳の隣にいる雪代を見て驚いていた。
 雪代はゲームでは悪役令息的立場だった。
 学舎に入って雪代がいないので不思議だった事だろう。

「貴方はアレが私の偽物だと知っているし、永然の未来視に存在しないという事も理解している筈です。何か考えがあるのですか?それとも何かお告げがありましたか?」

 天凪は神獣を統べる王。
 その行動は神の意思に反してはいけないとされている。
 天命を外れる事をすれば天罰が降るとも聞いている。
 伴侶すら天の意思によって束縛され、今まで迎えた事がないのに、何故未来視に関係のない朝露を構っているのかが分からなかった。

「天は関係ない………。強いて言うなら万が一に備えて、だろう。」

 呂佳は目を伏せてへぇと笑う。
 天凪の思考は誰も読めない。基本が神の意志を伝える事にあるので、天凪自身の感情はあまり表に出て来ないのだ。
 だが朝露に構う態度は天凪の意思だという。
 まさか本当に好意があるのか?
 朝露の前世、愛希あきは人に甘えるのが上手だった。執着していたのが伊織いおだったのであまり問題にもならなかったが、あれで誰も好きな人がいなかった場合はあっちこっちに手を出して問題だらけだっただろう。
 愛希とはそんな性格だった。
 朝露に天凪を落とせるとも思っていなかったが、ゲームの知識があれば出来るのだろうか?
 今日の様子を見ていると、朝露は那々瓊とも仲良さそうだった。
 見つめ合って微笑み合う場面が何度もあったのだ。

「そうですか。朝露に何か懸念事項があるのですね?まさか天凪が朝露に攻略されたのかと驚いたのですが。その分では話してくれなさそうなので、僕ももう少し自分で考えてみます。」

 だったらいいのですよ、と言って身を翻した呂佳を、天凪は腕を掴んで引き留めた。

「もう帰るのか?」
 
 握られた腕から天凪の神力が流れ込んでくるのを、冷静に見下ろす。

「僕に神力は要りませんよ。」

「そう言わずとも、その身体はまだ子供だ。受け取っておいて損はない。」

 呂佳の黒い瞳がすうっと細まる。柔らかく微笑む口は優し気なのに、纏う雰囲気が刺さるような冷たさに変わる。
 やんわりと天凪の手を払いのけ、呂佳はにこりと笑った。

「今も昔も必要ありません。」

 天凪も笑っているが、その表情は何を考えているのか全く分からないものだった。

「………相変わらずだ。」

 呂佳は感情を表さない。
 神力を渡されれば多少なりとも感情が揺さぶられるのに、呂佳の耳も尻尾もピクリとも動かない。
 好意も苛立ちも戸惑いも、何も感じていないのでは無いかと言う程に。
 昔からちっとも変わらない。
 人を心の内側に入れるのを嫌う狐だ。

「……………黒曜主だった頃の記憶はあるのか?」

 唐突な質問に、呂佳は首を傾げた。

「いいえ、ほぼ有りません。」

 妖魔だった頃の記憶は本当になかったのだが、天凪の質問が引っかかった。

「………そうか。」

「それが何か?」

 何でもないと言う天凪の表情からは何も窺えない。
 呂佳は気になりつつも会話を打ち切った。
 天凪は多くを語らない。語れる内容に限りがある存在だった。今喋らないと言う事は、語れる言葉が無いと言う事だろう。


 スルリと黒い影は何も言わずに廊下に消えた。
 
 珀奥は孤高の狐だった。
 ただの獣人から生まれ出たとは思えない程の神力の量。輝く金色の光。
 柔らかく微笑む姿だけを見れば容易く近付ける雰囲気を纏っているのに、誰もあの心に触れる事は無かった。
 生まれ変わって黒い狐になろうとも、その存在は変わらなかった。

「本当に………、変わらない………………。」








 天凪に触られた所をサスサスと摩りながら、空に上がる月を見上げた。
 少し掛けた月は煌々と森を照らしている。
 夜露に濡れた靴が少々気持ち悪いなと思いながら、呂佳は巨城の東側から西側に向かっていた。
 見張の兵士が来ては物陰に隠れてやり過ごす。黒毛はこういう時役立つ。音もなく静かに目的地へ進んだ。
 三年前、那々瓊が泣いていた霊廟だ。
 もしや那々瓊も朝露に攻略されたのかと心配になったのだ。
 あの天凪があからさまに寵愛している姿は、呂佳から見ると少々気持ち悪い。
 だが、ゲームでは天凪も攻略対象者だった。
 知らずとはいえゲーム上で主人公となってハッピーエンドを迎えたストーリーも見ている。
 あれが永然の未来視で、あり得る未来なのだとすると、あの!天凪が伴侶を作るという事だ。

「あんな何を考えているのか分からない神獣と恋仲など………、信じられません。」

 思わず言葉に出てしまう。

 攻略対象者には基本其々の悩みというものがある。
 天凪の悩みは確か神界の神々によって支配された天凪は、自分で伴侶を選ぶ事も、自由に生きる事も出来ないと嘆く。
 主人公は召喚された銀狼なら、きっと神も一緒にいる事を許してくれるはずだと慰めるのだ。
 最終的に妖魔を倒した主人公と天凪は、手を取り合って神に祈る。
 神獣の伴侶になるという事は、その神獣と生涯を共にするという事。神獣の半永久的とも言える寿命を共有する事になる。
 二人はお互いの伴侶となり、永遠に共にいる事を神に誓う。
 そこで終わりだった。
 ざっと反芻するとこんなものだが、やはり天凪がそんな簡単に語れるような人格には思えず、頭を捻ってしまう。

「ですが永然の未来視に見えたのだから、可能性はある。」

 ただ本来の主人公は銀狼の勇者なのだが、シナリオを知っていれば朝露にも可能になってくるのかもしれない。
 なにしろあのゲームは単なる予測であって、必ずそうなるといった話しではない。
 そして那々瓊にもそれは言えるという事だ。
 天凪はどうでもいいが、我が子は心配だ。
 麒麟那々瓊の悩みは、既に死んだ大切な人との思い出が忘れられない、と言うものだ。
 後からその大切な人と言うのは、麒麟の霊廟で眠る珀奥の死体だと前に知り、少なからず嬉しくなった。
 育ての親である永然が慰めていたが、主人公を召喚した事により眠りに付き、理解してくれる存在がいなくなる。
 孤独に悲しみを抱える那々瓊を、主人公が慰め励ます。
 そんなに悲しんでは、その大切な人が心配してしまうと思う、と言うのだ。
 慰め優しく抱きしめる主人公に、徐々に那々瓊は心を開いていく。
 今迄、神獣である那々瓊にそんな優しく温かい言葉をかける存在はいなかった。
 獣人にとって神獣は神に等しい存在だ。
 恐れ多くて自分達と同列に、気安く対応する者等いなかった。
 那々瓊は心を開き、共に妖魔を倒して主人公と結ばれる。
 生まれ変わった呂佳という存在は出てこない。
 永然の未来視は限りなく真実に近いと言われているのに、不思議だった。
 


 呂佳は立ち止まり再度深く考える。
 過去珀奥だった時も、三度銀狼召喚の時期があった。三度目は珀奥が妖魔となった黒曜主の時で、望和として夢に見ていた聖女だが、その前の二回は記憶がある。
 どちらも永然の未来視を元に、永然が異界から銀狼となる魂を連れて来たのだ。
 魂は銀の枝に宿り、卵を成して銀狼が生まれてくる。
 十五歳まで応龍が神力を与えて育て、聖剣月浄げっしょうを手に入れて、妖魔を倒す。
 妖魔はその都度様子は違うが、流れは同じだ。
 妖魔が増えれば神浄外の面積が狭まり危険なので、定期的に霊亀が銀狼を召喚する。
 異界の魂を持つ銀狼しか、あの外側の闇に耐性が無いので、必ず銀狼は召喚しなければならない。
 銀狼の加護があれば神獣も獣人の兵士も闇の中に入る事が出来るから、銀狼は必須だった。

 恐らく永然は珀奥である僕の魂を連れて来るのに、召喚のタイミングを使ったのだろう。
 銀狼の魂と一緒に連れて来れるのではと思い、事実その通りにした。
 ただ邪魔が入った。
 その邪魔した奴が気になるが、今のところ何もして来ないし、接触を計ってくる事もない。

 だいたい何故恋愛ゲームなんだろう。
 その要素は必要だったのだろうか……。だから天凪は朝露をかまっている?
 天凪が朝露…、いや、異界から来た転生者を構う理由があるのだとしたら?
 永然が目覚めたら確認したい事が山程ある。

 呂佳は考えに没頭し、近付く存在に気付かなかった。
 背後からガバリと抱き締められ、呂佳は自分が気配を消すのも忘れて佇んでいた事に焦る。
 こんな失敗は久しぶりだった。

「こんな所でこんな夜更けに何をしているの?」

 サラリと顔に金の髪が流れ落ちてくる。
 見上げると、至上の青、瑠璃色の瞳が真っ直ぐに呂佳を見下ろしていた。






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