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37 アルはノビゼル公爵家オメガに振り回される
しおりを挟む朝の一限目の授業を受けるべく、イゼアルは一人教室の窓側の席に着いた。
イゼアル・ロイデナテルは侯爵家の一人息子だ。アルファで優秀、既に自分で事業を立ち上げ収入もある。学院での成績もトップクラス。
誰もが羨むような人間なのに、イゼアルは他人を卑下することなく常に対等に接する。それがアルファでもオメガでもベータでも貴族でも平民でも変わらない。
そんな出来た人間がイゼアル・ロイデナテル侯爵家嫡男だった。
そんなイゼアルには一つの噂がある。
ナリシュ・カフィノルア王太子殿下とオリュガ・ノビゼル公爵令息を取り合っている。そんな噂だ。
だがそんな噂にもめげずに言い寄ってくる人間は後を絶たない。
それでもフリーでいるよりはこんな噂があった方が虫除けになると考えるイゼアルは、その噂を放置していた。
席に着くと同時にイゼアルの周りにオメガやベータ女子達が寄ってくる。
「アル様、ご機嫌よう。」
「本日はどの授業に出られるのですか?」
わらわらと寄ってきては話しかけられ、内心名前を呼ぶ許可は出していないのだがと思いつつ返事を返していく。こういう対応がダメなのだろうと思うのだが、前世の記憶がある分イゼアルは無視することが出来なかった。
前世のイゼアルは平民よりも低い使い捨ての道具だった。今話しかけてくる彼等よりも存在価値がない存在でしかなく、そんな自分がどうして偉そうに出来るのかと、そんな気持ちになってしまうのだ。
「ちょおっとぉっ!」
ややうんざり気味に会話を合わせていると、ダーンッとイゼアルが座る机を両手で叩く人間がいた。
大きな緋色の瞳と薄い茶髪はイゼアルが敬愛する隊長と良く似ている。隊長よりも金色に近い髪色が、開いた窓から入る風に乗ってふわふわと揺れていた。
「授業の準備したそうにしてるでしょう!」
ノアトゥナ・ノビゼルが周りにいた生徒達を蹴散らした。そんな高圧的な態度をとってもノアトゥナが非難されないのは公爵家の子供だからだ。
フンッと鼻息荒くノアトゥナは腰に手を当てる。そしてイゼアルの前にドスンと座った。
イゼアルはそこに座るのかと無表情に眺める。
「助けてあげたんだからお礼くらい言ってよねっ。」
「……ありがとうございます。」
ほぼ無理矢理助けられたのだが、イゼアルは素直に謝った。その様子をノアトゥナはキュウっと目を眇めて見返す。
ノアトゥナはイゼアルのそういうアルファらしくないところが好きになれない。もっと強く出てもいいのにと思うのだ。地位も権力も財力もありながら、何故そう低姿勢なのか。アルファは強いものだという認識は一般的なのだが、イゼアル・ロイデナテルには当てはまらない。
「ゔ~~~~、言いたいことはいっぱいあるけどアル君は兄上達のお気に入りだしね。」
イゼアルはやや狼狽した。
ゲームのイゼアル・ロイデナテル侯爵子息はアルファなのに大人しくいつもオドオドとした人間だった。そんなイゼアルのことが気に入らないノアトゥナは、イゼアルを見下し下僕のように扱う。
だが現実のイゼアルはゲームから外れるべくかなり努力した。アルファという性別に見合う頭脳と身体能力に、自分で事業を展開して財力も得た。ゲームとはかなり違うはずなのに、ノアトゥナの表情がゲームに近いような気がする…………。
どこで間違っているのだろうとイゼアルは素早く思考を巡らせるのだが、いまいち答えは出なかった。
「あのさ、僕ビィゼト兄上に聞いたんだけど…。」
「………………はい?」
微妙に蔑むノアトゥナの視線に怯みつつ、イゼアルは返事をした。
「自分のことオリュガ兄上の犬って言ったらしいね?」
ああ、そのことか、とイゼアルは納得した。ノアトゥナはイゼアルのそんな考え方が嫌いなのだろう。ゲームでも強いアルファを望んでいたノアトゥナは、弱気なイゼアルを馬鹿にしていた。
「私は隊長の為ならなんでもします。」
嘘偽りない真実だ。これだけはなんと言われようと譲れない。
「だからってねっ、犬はないでしょう?」
「そうでも言わないとナリシュ王太子殿下から排除されかねません。」
イゼアルは苦笑した。イゼアルは隊長の恋人にも番にもなりたいとは思っていない。隊長が望めば別だが、隊長が好む人間をイゼアルは知っていた。
そう言い返されて、ノアトゥナはムウっと顔を膨らませる。そういう表情は兄弟似ているなと思った。
二人の会話を邪魔する人間はいない。
ノビゼル公爵家はどの家にも強く影響するので、割り込もうとする者は皆無だった。だが皆静かに聞き耳を立てている。まさか王太子とオリュガ・ノビゼル、イゼアル・ロイデナテルの三角関係にオリュガの弟オメガ、ノアトゥナ・ノビゼルまで参戦するつもりかと興味津々で見守られていた。
「もういいよっ。宿題手伝ってくれたから心配しただけ!それよりオリュガ兄上が夕方暇なら付き合ってって言ってたよ。」
どうやらノアトゥナは伝言を頼まれたので来たらしい。ノアトゥナはノビゼル公爵家の屋敷では普通に話すのだが、学院ではあまり近寄って来ない。
「急ですね?」
以前、オメガの匂いが残るから用がある時は先に伝えていて欲しいとお願いしていたので、どうやらノアトゥナに頼んだらしい。
「うん、今日の放課後は暇になったからって言ってたよ。」
そう言われて、ああ、と納得する。最近隊長は週に二回程度放課後に王太子に会いに行っている。なんでも匂いを嗅がせているのだとか。
ゲームにそんな内容なかったはずなのにと思いつつ、オリュガ・ノビゼルが隊長になったことによりシナリオが変わったのだろうと思っている。この調子で隊長の断罪がなくなればいいとイゼアルは思っていた。
「分かりました。」
終わったら迎えに行こうと思いながらイゼアルは返事をする。
「………………。」
「どうしましたか?」
ノアトゥナが何とも言えない顔でイゼアルを見てくるので、イゼアルは不思議になって尋ねた。
「今日の夕方から予定空いてたの?」
聞かれてザッと予定を頭の中で並べる。
「大丈夫です。」
全て代役を立てるか別の日にずらせるなと予定を組み直した。
ノアトゥナは自分の鞄からゴソゴソとペンを取り出した。そして徐にイゼアルの手の甲目掛けてブスッと刺そうと振り下ろす!
「!?」
イゼアルは咄嗟に手を引っ込めた。
周りの生徒達も驚愕する。
「あ゛ぁ~~~~~!イライラするよっ!」
………………何を考えているのだろう?
イゼアルは謎の生物を見る目でノアトゥナを見た。
こんな無茶苦茶な性格もよく似ている。不思議なものだと思いながらも、イゼアルが気にした様子もなく授業の準備を始めたので、ノアトゥナは折ったペンをイゼアルに投げつけた。
難なく受け止められてノアトゥナはプリプリと怒っている。
「僕も行くからね!」
どうやらついて来るつもりらしい。
放課後隊長と落ち合って告げられた先はレクピド・サナンテア子爵領だった。サナンテア子爵領は馬車で王都から一時間程度と近い場所にある。
「オリュガ兄上、帰りが遅くなっちゃうよ?」
ついてきたノアトゥナはオリュガの隣に座った。オリュガの腕に自分の腕を絡ませて、ピッタリとくっついている。これもゲームとは違うなとイゼアルは眺めていた。
眺めているとノアトゥナからキッと睨みつけられる。なんでだろう……?
サナンテア子爵領は小さな領地だった。もう男爵領でいいのではという規模なのだが、魔法剣をいくつも作成出来るレクピドを繋ぎ止める為の爵位なのだろう。そしてその能力に目をつけたのが隣の領地アバイセン伯爵だった。次男を入婿にしてレクピドの能力共々サナンテア子爵領を手に入れるつもりではと思われた。
「山なんだね。」
サナンテア子爵領は山の中に二百戸程度の集落があり、それで住人全てなのだという。皆鍛治を生業としており、後は山から取れる農作物や狩猟で生活をたてている。
馬車が村に入ると石畳の道に代わりはしたのだが、デコボコが多くノアトゥナがお尻痛いと泣き言を言っていた。
「僕のお膝に乗る?」
オリュガが提案したが、ノアトゥナはじゃあアル君に乗っとくと言って了承もなくイゼアルの膝に乗ってきた。
「………………。」
別にいいのだが完全にノアトゥナはイゼアルを異性と見ていなかった。
イゼアルもオメガの匂いを嗅いでも何も感じないので大丈夫なのだが、これが他のアルファなら危ないのではないかと思ってしまう。ふわふわとお菓子のような甘い匂いと、隊長の紅茶の匂いでまるでティータイムだなとしか感じない自分も大概だなと思ってしまった。
レクピド・サナンテア子爵の家は、屋敷ではなく家だった。他の家よりは少し大きく新しいが、どう見ても貴族の家ではない。
集落の一番奥まった場所に建てられていた。
「態々申し訳ありません。」
慌てて出てきたレクピドは作業中だったのか汚れた姿で出てきた。
「んーん、いいよ。僕が早く来たかったんだ!」
どうやら定期的にやり取りをしていたらしく、預けた双剣金青を受け取りに来たらしい。
預けてからまだ二週間程度しか経っていないのだが、レクピドも双剣金青を弄り回すのが楽しくて早く仕上がったと連絡が入り、隊長は我慢出来ずに受け取りに来ていた。
「補修も少ししております。あと、付与魔法なのですが、手紙でご説明した通りです。何か質問はありましたか?」
「大丈夫、分かりやすかったよ。後は使いながら慣れていく!」
隊長とサナンテア子爵はかなり仲が良くなっていた。
「ねー、ねー、これってノルギィ王弟殿下の剣じゃないの?」
受け取ったのは応接室でだったのだが、部屋には目立つ赤い刀身の長剣が置かれていた。
「あ、そうです。王弟殿下の剣も俺が、あ、私が作ってます。」
自分のことを俺と言ったサナンテア子爵に、ノアトゥナはふいと顔を上げた。ゲームでは品がないと怒りそうな性格だったが、ノアトゥナは何でもなさそうに口を開いた。
「話しやすい方でいいよ?僕も子爵に敬語使ってないもん。」
皆、確かに!と思った。あまりにもそれが似合いすぎてて誰も疑問に思っていなかった。サナンテア子爵は子爵当主。いくら自分達の家の方が上でも当主でも何でもないので、サナンテア子爵のことは敬うべきだった。何故かサナンテア子爵の方が下手に出ているので皆すっかり失念していた。
「ノアトゥナっ良い子だね!」
ノビゼル公爵家の四兄弟は兄が下を可愛がるのが常識らしい。
「そうでしょう?でも僕誰相手でもそうだけどね。」
それはダメじゃないのかと思ったが、ここでそれを言ってもまた睨まれそうなので黙っておいた。
「じゃあ、話しやすい方でいいかな?突然貴族になって話し方習ったんだけど結構疲れる。」
「違和感は無かったのでかなり練習したようですね。」
そう褒めると嬉しそうにそばかす顔に笑顔が浮かんだ。魔法剣を作るようになり、爵位まで貰うと高位貴族ばかりを相手にするようになって緊張しっぱなしになっていたらしい。
「本当はその……、俺には婚約者がいて結婚したら手伝ってくれるって話だったんだけど、なんかダメみたいで…。それで俺、頑張って一人でもここの領地をちゃんとみようって勉強してるんだけど、何がダメなんだろう?」
サナンテア子爵は困った顔で半笑いになりながら話した。
「アイツだよね?ヨニア・アバイセン!」
隊長がどうやら子爵に同情したようだ。
「あ~、男爵家のオメガにゾッコンの!許さないよね!オメガの敵だ!」
そしてノアトゥナまで同意した。
「ヨニア・アバイセンは何と言われているんですか?聞いた話では婚約破棄すると言われたと聞いています。」
サナンテア子爵はモジモジして答えた。
「えっと、俺が男オメガだから嫌だって。こんな赤字領地だって聞いてないって言って…。その、今伯爵領が大変なことになっているらしくて、俺にありったけの魔法剣を売って伯爵家に入れろって言われたんだけど、断ったら婚約破棄だって言われたんだ。」
その説明に隊長とノアトゥナが凄い顔をして、はあぁ!?と大声を出した。
二人の今から殴り込みに行きそうな勢いに、イゼアルは必死で止めたのだった。
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