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16 紅茶の香り
しおりを挟むうわー、無茶苦茶注目集めてる。
そりゃそうか。筆頭婚約者候補から降ろされた公爵子息がなんでかナリシュ王太子殿下のセカンドダンスを踊るんだから。
僕も流石に恥ずかしいから踊りたくないんだけどね!
「よろしくお願いします。」
「ああ、久しぶりだね。よろしく。」
見つめ合いお互いの手を握る。腰をとられなくてホッとする。そこまで密着したくなかった。
アルの方を見ると、アルも手は繋いでいるけど、なるべく身体がつかないようにしている。
「気になるのかい?」
アルの様子を窺っていると、ナリシュ王太子殿下から尋ねられた。
「ええ、まぁ。あんまり踊りたくなさそうだったので。」
ネイニィと。
「仲が良いんだね。以前からの知り合いなのかな?」
踊りながら殿下が話しかけてくる。
殿下と踊ったのは片手で数える程度なのだが、こんなに話し掛けられたことはない。義務とばかりに踊っていた記憶しかないのだが、今日はやけに饒舌だった。
「以前からと言われれば以前かも?」
以前というか、前世だけど。
「答えたくないのかな?秘密?」
ナリシュ王太子殿下の声が少し低くなる。
オリュガはアルから目を離して殿下を見上げた。
「?」
今日の殿下はやっぱおかしい。
「オリュガ?」
「…………ナリシュ殿下は、今日具合悪いですか?」
群青色の瞳が少し見開かれる。
「………どうだろう?少し……。」
ナリシュ王太子殿下は何故か口篭ってしまった。
毎年瑞薔館で行われるデビュタントを兼ねた舞踏会には、王族が主催するということもあり参加するのが常だった。
しかし今年は隣国の王太子が訪問するとの連絡があり、ナリシュだけは出迎えの為に国境へ向かうつもりでいた。
ナリシュが公務で夜会やパーティーを欠席するのはいつものことだった。オリュガが筆頭婚約者候補の時でもそれは当たり前だったのだが、ネイニィに欠席すると告げると怒り出した。
「そんな!一緒に出てくれないと困ります!」
いつもは無邪気に笑っている顔が、眦を上げて鬼気迫っている。
「他のパーティーはエスコートしているから許してくれないかな?隣国の王太子を優先させるべきだよ?」
優しく諭しても一緒にこの夜会は出たいのだと言い張る。
少々辟易してしまい、ソファの背に背中を預けた。どう説得すべきかと思案する。オリュガの時は素直に頷き頑張って下さいと言ってくれていたのに、ネイニィはパーティーの方が大事だと言う。
王太子としては外交に力を入れなければならないので、国内の政治は父が担っている。他の王族は出席するので、ネイニィがデビュタントだと言うなら兎も角、今年は必ず出席する必要はなかった。
何か宝石類でも贈って宥めるか?何が良いだろうかと思い浮かべていると、ネイニィがソファから立ち上がり隣に座ってきた。
ネイニィはスキンシップが多い。それこそオリュガ・ノビゼル公爵子息よりも多かった。
「ナリシュ様…。」
ネイニィがナリシュの腕に手を掛ける。
「ネイニィ、少しお茶でも飲んで落ち着こうか。」
やんわりと離れようとして、ガッと腕を掴まれた。
「いいえ、ナリシュ様。本当は使いたくないんですけど、仕方ありません。」
何を言っているんだろうと疑問が湧く。なんとなく危機感を抱き急いで腕を外そうとして、ぐらっと眩暈がした。
「……!?」
「ナリシュ様、僕と舞踏会に出ますよね?」
ネイニィの声が耳元で響く。
甘酸っぱいベリーの香りが鼻腔に届き、喉から肺に回った。身体の中に甘い匂いが広がる。
はぁ……と熱い息が出て、自分の体温が上がっていることに驚いた。
「君………っ。」
ネイニィのオメガのフェロモンの香りだと気付くが、思考が霞みネイニィから目が離せない。
「ね?いきますよね?」
ナリシュは頷いた。可愛いネイニィが行きたいと言うのだから、一緒に行ってあげなければと思った。
隣国の王太子の出迎えは側近のニンレネイ・ノビゼルに行ってもらうことにした。最初から私が行くと言っていたのに直前になって舞踏会の方を優先した為、酷く驚いていた。
あれから頭が回らない気がする。
何故かネイニィの我儘に逆らえない時があるなとは思っていたが、今回は酷い。
ネイニィはマナーがなっていない。学力はあるし魔法の腕も確かなのだが、社交性があるかと言うとそこはあまりない。
本当ならそれとなく諌めて矯正すべきなのに、何故かそれも出来ていない。
自分らしくない。
自分自身に疑問が湧きながらも、それがなんであるのかはっきりとしないまま舞踏会当日となった。
ネイニィと踊るダンスに喜ぶ自分がいて違和感を覚える。
ナリシュはオメガが嫌いだ。
なのにオメガのネイニィを愛しく思う自分がいる。
「僕達は運命の番ですね。」
「………そうだね。」
そう言われて心が歓喜しながらも、ズンと重い重石がのし掛かる気分がした。
ネイニィがオリュガと踊ってあげて欲しいという。今まではオリュガに敵愾心むき出しにしていたのに、急に優しい言葉を吐く。
オリュガのもとに向かい、ああ成程と納得した。
イゼアル・ロイデナテル侯爵子息と踊りたいのかと理解するのだが、その姿すら可愛いと思える自分に具合が悪くなっていく。
早く今日の舞踏会を終わらせよう。
義務のようにオリュガ・ノビゼルの手を取った。
曲もダンスも身体に染み込んでいる。何も考えずに踊ることは出来る。
オリュガがロイデナテル侯爵子息の方を心配そうに見ていた。本当に仲が良い。
最近のオリュガは努力している。性格も大人しくなり、社交性はあまり上がらないが、能力は上がってきている。特に合同練習の時の剣技は素晴らしかった。
ノルギィ王弟殿下は強い。本当ならば騎士団長も兼任して良いくらいに能力の高い方なのだが、その王弟殿下と拮抗していた。
王弟殿下が目をつけ出したのを察して、先に魔法剣を与えた。
父である国王陛下は王弟殿下の勢力に注意を払っている。仲は悪くないが、絶対に裏切らないという程の忠誠があるわけでもない。
陛下に進言し、オリュガ・ノビゼルに魔法剣を渡し王弟殿下側につかないようにするべきだと言った。
オリュガを筆頭婚約者候補から外してしまった為、中立派のノビゼル公爵家が離れてしまう可能性があった。陛下は次男のニンレネイが私の側近に就いているのだから安全だと思ったようだが、念には念を入れておいた方がいい。
ビィゼト・ノビゼル公爵は事情を察して返してこようとしたが、無理矢理渡した。
何故かイゼアル・ロイデナテル侯爵子息とオリュガが仲良くなり、貴族派と近くなったノビゼル公爵家の動向を注意しなければならなくなったが、貴族派は政治中枢に近い派閥だ。オリュガ共々取り入れて損はない。
そう思うのだが、オリュガとロイデナテル侯爵子息が仲良くしている姿を見るのも苛立つ。
自分の婚約者候補なのに。
そんな考えが浮かんできてぐらりと眩暈がする。筆頭婚約者候補から外すことを納得したのは自分なのに。
無意味に時間だけが過ぎていく。
共にダンスを踊るオリュガに、ロイデナテル侯爵子息と知り合いだったのかと尋ねれば濁した答えが返ってくる。
話したくないのか?
筆頭婚約者候補から外すと告げた時からオリュガの様子は変わった。
前までは鬱陶しいくらい駆け寄ってきては腕に纏わりついていたのに、急にそっけなくなり逃げ回るようになった。
感情のない緋色の瞳を見た時から、人が変わってしまった。あの日飲んでいた紅茶の匂いが、オリュガを思い出させる。
少し長めに淹れたコクと渋みがある紅茶だ。明るい赤ではなく、夕焼けのように深い赤。
あの日からよく飲むようになった緋色の紅茶を、好きなのだと思った侍従が毎日淹れるようになった。
そう、美味しい。
今も紅茶の匂いがする。
「…………ナリシュ殿下は、今日具合悪いですか?」
紅茶と同じ緋色の瞳がナリシュを見上げていた。その瞳の中には本当に心配そうな色しかない。
「………どうだろう?少し……。」
スウ…と意識が鮮明になってくる。
オリュガのことを考えていて、紅茶の匂いを思い出したら、ネイニィの甘酸っぱいベリーの匂いが掻き消えてしまった。
何を?
何が起こっている?
自分の意識を何が占領していた?
疑問が次々と湧いてくる。
それでも今一番理解できるのは、オリュガの匂いが全てを掻き消した。
少し離れてゆっくりと踊っていたが、グイッと引っ張る。腰に手を回し身体を密着させた。
紅茶の匂いが強くなる。
ナリシュは深く深く微笑んだ。オリュガが驚いて見上げている。それはそうだろう。ナリシュがオメガを自ら引き寄せたことなどないのだから。
「少し前にネイニィのクッキーを調べるのだと聞いたのだけど。」
ニンレネイはあの後オリュガにクッキーを渡したと言っていた。
ナリシュの方で影に調べさせたところ、クッキーには聖魔法が掛けられていると報告してきた。ただその魔法が何の魔法なのか分からないという。そんなことがあるのだろうか。
学院では既に解明され安全性が確保された魔法を習う。自分独自の魔法を作り上げる能力を持つ者などあまりいない。余程の実力者だ。
オリュガが少し表情を固くした。普通なら分からない程度に身体が緊張する。オリュガはダンスが上手い。だからそれは分からない程度の変化だった。ナリシュが話した内容を自分から振ったからわかる程度。オリュガはこんなに器用な人間ではなかった。
「……ニンレネイ兄上からですか?」
即答はせず逆に聞き返してくる。
前のオリュガならよく考えもせずに何でも話していた。それこそナリシュが話しかければ秘密事項さえ話す程に。
だからノビゼル公爵は弟に事業を手伝わせていない。いずれ渡す予定の伯爵位も遥か辺境の地の統治も何もいらない場所だ。王家が手間と資金が掛かると公爵家に放ったのを、王太子に嫁ぐ予定だったオリュガに継がせてそのまま王家に押し返すつもりでいたのは明白だ。
「咎めているわけではないよ。私の方でも調べてみたんだ。」
身体を引き寄せたオリュガの耳元に口を寄せて密やかに話す。
「聖魔法が掛かっているとの報告は受けたんだけどね、何の魔法か分からないんだよ。」
オリュガがチラリとコチラに視線を向けた。
少し頬が赤くなり顔を離そうとしてくるので、腰を抑えて動けないようにする。
オメガは同じオメガの匂いは分からない。アルファもそうだが、ナリシュがオリュガの紅茶の匂いを嗅ぐように、オリュガもナリシュのアルファの匂いを嗅いでいるのだろう。
「………っ、僕の方も分かりませんでした。同じです。ところで近いんですけどっ。」
嫌がっている。
「聞かれないとは思うけど、近付いて話した方がいいと思うけど?」
「そーですけどっ。」
前は確かに感じていた好意が今は欠片もないらしい。筆頭婚約者候補でなくなった途端性格が変わるものだろうか?
先程感じた違和感を思い出す。
オリュガに話しかけて彼のことを考えていたら、オリュガから香る紅茶の匂いが身体を満たし、急に意識が明瞭になった。
オリュガにも似たようなことが起こったのだろうか。
「…………確証がなくとも何か予測はあるのかな?」
もしあの日オリュガに何かが起きたのだとしたら、この不気味な現象について何か知っていないだろうかと思い尋ねた。
オリュガは迷うように瞳を揺らす。
言うべきか、否か。
「僕が言ったからと言ってネイニィを罰するとかは……。本当に確証はないので……。」
「証拠もなしに罰することは出来ないよ。」
そう言うとホッとした顔をした。
「そうですか。じゃあ、教えておきますけど迂闊なことはしないで下さいね。」
そう言ってオリュガは口を開いた。
あれは親密度を上げるのだ、と。
親密度ね。成程、ね。
自分の中にあるネイニィへの感情に違和感を覚えるわけだ。
「そう。ありがとう。参考にさせてもらうよ。」
ニコリと笑って礼を言う。
「他言無用ですよ~。」
勿論と返事をする。勿論だとも。証拠はちゃんと掴まなくては……。
ダンスは終盤に差し掛かり曲が終わろうとする頃、舞踏会場に不自然な騒めきが聞こえてきた。
ナリシュとオリュガはダンスを中断しそちらを見る。
そこにはイゼアル・ロイデナテル侯爵子息と、その背中に庇われるネイニィ・リゼン男爵子息の姿があり、その二人の前に立つノルギィ・カフィノルア王弟殿下の姿があった。
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