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12 ネイニィの真心クッキー
しおりを挟む「お兄様方に注意しておいた方がいいですよ。」
キィンと刃と刃が重なり高い音を立てる。
「何を?」
アルの言葉にオリュガは首を傾げた。それでも身体は軸を中心に回転し、迫ってきた刃先を優雅に避ける。
剣術の授業をとっている二人は、三年生以外合同なのをいいことに、毎回ペアを組んでいる。他の生徒は入り込む余地がない。
ネイニィも同じ授業をとっているのだが、アルのもとに来ては毎回ペアを組もうと誘いスパッと断られている。
「常にペアを組まれている方がいらっしゃるなら、そちらの方がいいでしょう。あちらで待たれていますよ。」
侯爵家嫡男でありながら、一つ年上のネイニィに対して丁寧に断っている。アル曰く、少し離れてアルを誘うネイニィを待っている奴等も攻略対象者なんだとか。
攻略対象者多すぎだよ?しかもネイニィはマメに皆んな攻略しにいっている。
僕は振り下ろされる剣を二枚の刃で受け止める。
アルも僕も動きはゆっくりだ。ゆっくりと動作確認をしている。お互い相手の動きを熟知しているので、動いたとも取れない少しの動きや呼吸で先を読み、それに合わせて動いている。他人が見たら何をやっているのか理解出来ないだろうが、オリュガとアルにはちゃんとした訓練だった。
ナリシュ王太子殿下から届いた双剣金青は、ビィゼト兄上が返却しようとしたけど受け付けてくれなかった。
なので僕は双剣を使いこなそうと思い、こうやって訓練しているわけだ。本物は持ち歩くわけにもいかないので公爵邸に置いてきている。今使ってるのは練習用の剣だ。
「そろそろネイニィが攻略アイテムを使い出します。」
「攻略アイテム!」
カッとオリュガは目を見開いた。紅茶を思わせる緋色の瞳がまん丸になる。
キイィィンと鳴る刃音を響かせて、お互いの流れる動きが止まった。
「それって何?」
「本当にあまり覚えていないんですね。」
ごめーんとオリュガは笑う。徐々に思い出すかもと思っていたのに、部分的にしか覚えていないのは変わらなかった。
「真心クッキーです。」
「まごころクッキィー?」
「手作りクッキーで、主人公の聖魔法がかけられたクッキーです。食べると親密度が上がります。」
「親密度……。」
「それはもう爆上がり。ついさっきまで二十パーセントだった親密度が一枚でプラス五になるくらいに上がります。気付いたら五十パーセントなんてことも。何枚食べさせれたかがコツですね。」
「クッキーなんてお腹空いてたら何枚でもいけるでしょう?」
「だから爆上がりなんです。」
それはもう真心ではなく下心クッキーではない?聖魔法怖い。
ネイニィは聖魔法使いだ。治癒や浄化を使える聖魔法使いは珍しい、という恋愛シュミレーションゲームにお決まりの設定がちゃんとある。
オリュガはハッと気付いた。
「ま、まさか真心クッキーで逆ハー狙いとか?」
「逆ハー狙うなら真心クッキーは必須です。」
ぬぬぬ、なんてことだ。
ネイニィの攻略スピードは凄まじい。二年になったばかりの頃に見かけた時は、ナリシュ王太子殿下以下騎士団長子息と宰相子息、お色気担当の保健医と、公爵家子息のニンレネイ兄上だけだったのに、今や教師も生徒もゴロゴロ侍っている。どいつもこいつも顔良し能力良しの優良物件なのに、何故か他の生徒から嫌われていない。ネイニィなら仕方ないという風潮がある。
いやもうモブにも使ってるんじゃない?あり得ないよ。
「どんなクッキー?」
「見た目は普通でしたよ。皆んなしてサクサクほろほろ~とゲームでは褒めてました。」
「アルは貰った?」
「無理矢理渡されたので焼却しました。衝動的に消し炭にしてから、ちゃんと成分分析と魔力解析をかけておけば良かったと後悔しました。」
貰ったから教えとかなければと思ったらしい。
じゃあ兄上達には言っといて、もし貰ったら食べずに僕に渡すよう言っとくよと了承した。
「真心クッキーねぇ~。」
主人公には便利アイテムが付き物だよね。
ニンレネイはネイニィから手作りクッキーを渡された。
「これっ、僕が昨日の夜作ったんです。良かったら食べて下さい!」
瑞々しい森林を思わせる新緑色の瞳をキラキラと煌めかせて、ネイニィは無邪気に笑う。
ニンレネイは困っていた。
何故ならネイニィはこともあろうに自分とナリシュ王太子殿下に同時にクッキーを渡して来たのだ。
まず王族に手作りの食べ物を渡してはいけない。何が混入されているのか分からないからだ。しかも全く同じものを側近にまで渡してもいけない。これでは王族を軽んじるばかりか王太子であるナリシュ殿下は格下の公爵家子息と同列だと言わんばかりだ。
いくら筆頭婚約者候補といえど思い上がりすぎだ。
ヒクッと頬を引き攣らせながら、ニンレネイはナリシュ王太子殿下をチラリと見た。
笑顔だ。いつも通りの爽やかな微笑み。
こういう時の方が怖い。だってこの状況で笑っている方が怖いだろう。
ナリシュ王太子殿下が微笑みながら口を開いた。
「ありがとう、ネイニィ。後でいただくよ。」
「ええ~、今一緒に食べましょう?僕がお茶を用意しますから!」
ここは王族専用の談話室だった。学業と公務を同時進行させなければいけない王族の為に用意されている部屋だ。
オリュガはこの部屋に招かれたことはない。当時のオリュガはお喋りで殿下の邪魔ばかりしていたので嫌厭されていた。
だからと言ってネイニィが許可されているわけでもない。ネイニィは勝手に入って来ているのだ。
ナリシュ殿下は授業の合間に書類を片付ける為に、執務机に座っていた。
「ネイニィ、今から殿下は忙しいんだ。帰りなさい。」
ネイニィの肩を抱いて向きを変えさせ、背を押して扉に押しやる。でも、と言いながらネイニィは抵抗した。やけにクッキーを食べさせることに拘るな。
やはりこのクッキーには何か入っているのか?
クッキーを調べたいから回収したいとオリュガが言ってきたのはつい先日のことだった。そのことを殿下には伝えている。もし本当に何か入っていたら、それがなんであれネイニィは王族に対して一服盛ったか、魔法行使を行なったことになる。どちらにしろ投獄だ。
「じゃあ、明日感想聞かせて下さいねっ。」
ネイニィは渋々帰って行った。
扉を閉めてネイニィの足音が遠ざかるのを静かに待つ。
「本当に入っているのでしょうか………。」
実はこの手作りクッキーを貰ったのは今回が初めてではなかった。
事あるごとにクッキーを持ってきては殿下に渡していく。殿下は毒味したものしか口にしないので、ネイニィがいくら筆頭婚約者候補であっても口にすることはない。
「どうだろうね。今まで貰ったクッキーはどうしていたんだい?」
「毒味役に渡していました。特におかしな点はないとの返答でしたが殿下には返却されていませんね。」
「ああ、問題ないなら誰かが食べた方がいいだろうと思い自由にしていいと言ったからね。」
ニンレネイは手の中にあるクッキーの袋を見た。白とピンクの可愛らしい包装にリボンがついている。
ナリシュ王太子殿下もその袋を見ながら思案気にしていた。
「一度調べよう。ニンレネイが貰った分はオリュガに渡して調べるといい。ツテはあるのかな?」
どうやら殿下の方でも個人的に調べるようだ。ホッと一息つく。懸念事項はなるべく早く削除しておきたい。
「はい。オリュガはこのことをロイデナテル侯爵子息から聞いたらしくて、そちらに頼むと言っていました。」
殿下の微笑みが深くなる。
あ、マズイ。最近オリュガはロイデナテル侯爵子息と一緒にいることが多い。それをナリシュ王太子殿下はよく思っていないようなのだ。
陛下から言われたとはいえ、自分も納得して筆頭婚約者候補から外したのだろうに、今更文句を言われても困る。
オリュガは一応まだ殿下の婚約者候補ではあるが、筆頭では無くなったので他に恋人を作ったりしてもいい立場になっている。
「よく剣術の授業を一緒に受けているそうだね。」
群青色の瞳が深くなる。
どうせ自分の影に調べさせているのだろうに、態々ニンレネイに探りを入れないで欲しい。
あ、態とか。
ノビゼル公爵家がロイデナテル侯爵子息をどう捉えているのか知りたいのか?
「…………オリュガは友人だと言っていました。」
「イゼアル・ロイデナテル侯爵子息はアルファだね………。」
ナリシュ王太子殿下は机に両肘をついて手を組み、その手の上に顎を乗せて探るようにニンレネイを見る。
ニンレネイの額にタラリと汗が流れる。
「友人としての付き合いしかないようですが。」
「お互い愛称で呼び合う仲なのに?」
オリュガはロイデナテル侯爵子息を『アル』と言い、ロイデナテル侯爵子息はオリュガを何故か『隊長』と呼ぶ。隊長呼びが愛称になるのかは甚だ怪しいが、特別な呼び名であるごとに変わりはない。
だがニンレネイからすれば、番になる可能性が減ったナリシュ王太子殿下よりは、確実に仲が良くオリュガにのみに懐いているようなロイデナテル侯爵子息の方が安心できる。ロイデナテル侯爵子息ならばたった一人のオメガとしてオリュガを大切にしてくれるのではないかと思えてしまうのだ。
弟達には幸せになって欲しい。
自分がアルファという性を持っているからこそそう思える。
しかし殿下に対して本音は言えない。
「本人達の自由かと。」
「そうだね。」
じゃあオリュガに聞こうかな?と呟くナリシュ王太子殿下を前に、ニンレネイはそっと溜息を吐く。
ナリシュ王太子殿下はオメガは一人でいいのだといつだか言っていた。それは一人を愛するという意味ではなく、手をかけるオメガは一人で十分だという意味であり、生涯をかけて一人だけを愛し抜いてくれるかは分からないという意味だ。
ベータ性でも他に愛せる人が出来れば、側妃として迎える可能性がある。
それならばロイデナテル侯爵子息の方がマシに思えた。
この人が何を考えているのかニンレネイにも分からない。
頭の痛い人物の側近になってしまったものだと胃が痛くなりそうだった。
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