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8 元部下の訪問
しおりを挟む朝から白い雲がちらちらと広がる晴れた空の下、黒い品の良い四頭立ての馬車がノビゼル公爵家の正面玄関に横付けされる。
優雅に馬車から降りてきたのはイゼアル・ロイデナテル侯爵子息だ。
薄い緑色のジャケットにアイボリーのスラックスという季節に合わせた爽やかな衣装に、真っ黒な長い黒髪がよく映えている。学院では結ぶことなくそのまま流している黒髪だが、今日は横髪を残してあとは後ろで結んでいた。
その姿に後ろに並びロイデナテル侯爵子息の訪問を歓迎すべく並んでいた侍女達が感嘆の声を上げる。
オリュガの一つ下とは思えない立派な体格は、流石アルファとしか言いようがない。
「ようこそ。ロイデナテル侯爵子息の訪問を歓迎致します。私はビィゼト・ノビゼルと申します。」
ビィゼト兄上がまず挨拶をした。僕達は揃って頭を下げる。この中で一番位が高いのは公爵であるビィゼト兄上だ。次がロイデナテル侯爵家の嫡男イゼアルになるので、彼等が挨拶を済ませるまで頭を下げておくしかない。
貴族めんどくさい。
「本日は訪問の許可を頂き感謝致します。イゼアル・ロイデナテルと申します。以後お見知り置き下さい。学院ではニンレネイ先輩やオリュガ先輩には大変お世話になっております。本日はよろしくお願い致します。」
ニンレネイ兄上や僕にも声が掛かったので、ニンレネイ兄上と僕はゆっくりと顔を上げた。目が合うとイゼアルはニコリと微笑んでいる。
挨拶は済んだので、早速僕はイゼアルを案内することにした。兄上達はお茶の席には同行しない。というかしないでとお願いした。だってこれから秘密の話をするのに、兄上達がいては話が出来ない。
場所は天気がいいので庭園のガゼボにした。
侍女達が手早く紅茶を入れ離れるのを待ち、漸く話すことが出来る。
「ようこそ。そんで久しぶりだね。」
それまで微笑みを湛えていた顔がスンと真顔になる。
「はぁ、漸く話せますね。貴族は疲れます。」
「同感~。」
学院でも人の目が多くて話せなかったのだ。ここならガゼボの外に侍女達が待機してはいるが、離れているので話し声を聞かれることはない。室内だと声が反響して聞こえてしまうと困るので外にしたのだ。
「隊長はいつから前世の記憶が?」
「ん~、数ヶ月前。ナリシュ王太子殿下から王城に呼び出されて筆頭婚約者候補じゃなくなるよって言われた時だよ。びっくりしすぎて思い出したみたい。」
「じゃあ比較的最近なんですね。だから噂のオリュガ・ノビゼルの悪行が止んだんですね。」
え?そんなに噂酷いの?
「僕さぁここってなんかのゲームとか漫画とかの中かなって思ったんだけど、分かる?」
早速本題に入った。僕の立ち位置聞かなきゃ!
「はい、知ってます。」
「さあっすがぁ!で?ここどこ?僕なに?」
イゼアルはゲームですと答えた。ネイニィが主人公のオメガバースBLゲームなのだと説明する。攻略対象者は大量にいるのだという。そして僕は悪役令息のうちの一人と告げられる。
「え?悪役令息いっぱいいるの?」
「はい、隊長が入っているオリュガはナリシュ王太子殿下、ニンレネイ公爵令息、ビィゼト公爵を始め、他にも何人かを主人公が攻略しようとした時に邪魔してくる悪役令息ですね。」
へぇ~~。というかウチの兄達も攻略されちゃうの?前世思い出す前のニンレネイ兄上なら分かるけど、ビィゼト兄上は生粋のブラコンだ。悪役令息って言うのならば断罪的なものがあるはずだけど、オリュガを断罪出来たのだろうか。
「ていうか攻略対象者いっぱいいるんだ?」
ネイニィ凄いな。どこまで手を広げるつもりだ。
「そうですね。俺もそのうちの一人ですよ。そしてこの前話しかけられたんで逃げました。」
前世の記憶があるイゼアルの攻略は厳しいだろうね。
「え~~、やっぱり悪役令息かぁ。なんかした方がいい?」
イゼアルは口元に手をやり考えている。この仕草見ると懐かしさが込み上げる。
「特には?隊長が殿下や兄上達に手を出そうとしなければ大丈夫じゃないですかね?あ、リスト渡しときます。」
イゼアルは懐から一枚の紙を出して渡してきた。
書いてあるのは名前一覧だ。ナリシュ王太子殿下から始まり、兄上二人に保健医と教師数名、生徒の名前も数名に隠しキャラとして隣国の王子様がいた。いや待て待て、兄上達は実の兄弟だ。僕が手を出すってどういうこと?きっとあれだ。僕のお兄ちゃん取らないで~というやつだ。そういうことにしておこう。
「主要キャラ攻略時の悪役令息がオリュガなんで、その人達に近寄らなければとりあえずはいいかと。」
「キャラ多すぎじゃない?」
そーいうゲームですからと返されてしまった。しかも悪役令息キャラは俺だけじゃないってのは驚いた。ネイニィはそれらを全て相手にするのかぁ。やっぱり凄いなぁ!
というか気になることが一つ。
「アルはそのゲームやってたの?」
つい昔の名前で呼んでしまったが、イゼアルは気にした様子もなく紅茶を飲んでいる。コイツも僕のこと隊長って呼ぶしいいのかな?
「隊長もしてましたよ。」
え?ほんと?覚えてないなぁ。前世の記憶らしきものは思い出したけど、なんというかフワッとしているのだ。前世があったなぁとか、ゲームとか本とかあったなとか、その程度。
「覚えてないなぁ。」
「……………。」
アルはジッと僕の顔を探るように見た。
「なに?どうかした?」
「………いえ、隊長は覚えていないんですか。」
「それがあんまり覚えてないんだよ。自分の名前とか性別とか、どんな人間だったかとか、なんで死んだかとかさっぱり。」
正直に答えた。
一瞬アルが辛そうな顔をする。どうしてそんな顔をするのか。
「もしかして………、僕はアルに殺された!?」
「いえ、殺されたのは俺の方ですが。」
冗談で言ったら真顔で返された。まじで?
「ぼ、僕が殺しちゃったの?」
アルはコクリと頷く。ど、どーする?まさか恨まれてる!?
アルは小さく笑った。この笑い方もアルだなと思う。チラチラと記憶は掠めるけど、はっきりとしない。少なくとも髪はこんなに長くなかったなと思う。
「そんな顔をしないで下さい。恨みもなにもありません。むしろ、俺の方が恨まれる立場です。」
アルは辛そうな硬い顔をしていた。僕が殺したのに、アルの方が恨まれる?意味が分からない。
「俺は今日、罰を受ける覚悟で来ました。隊長がずいぶん平気そうな顔をしていたので、もしかしてとは思っていましたが、やっぱり記憶がなかったんですね。」
罰を受けるって何があったんだろう。
「前世は前世でしょう?今のイゼアルには関係ない話だよ。罰なんか与えないと思うけど?」
アルは首をゆっくりと振った。真っ直ぐな黒髪がサラサラと揺れる。
穏やかな風が吹き、花の香りが溢れる庭園の中、アルの表情だけが暗い。
「それだけのことを俺はしたのだと思っています。」
アルは引かなかった。
困ったなとオリュガは考え込む。罰をと言われても何も覚えていないのだ。罰を与えようがない。
「うーん、じゃあさ、前世の僕はどうやって死んだの?」
「星ごと爆破しました。」
「ほし………星ぃ?」
ちょっと考える。今の世界に惑星だとか宇宙だとかいう概念はない。空に太陽と月と星はあるけど、それが遥か宇宙にあるのだとか、星が回転してるだとか、少しそんな学問が出てきたくらい。宇宙に飛び出してすらいない。
星を爆破?
「え?アルが爆破したの?」
「いえ、爆破したのは隊長です。俺はそれに巻き込まれて死にました。」
それって僕の方が悪くない?アルが恨む立場でしょ?
逆じゃないかな?
アルは下を見て俯いた。
「その原因を俺が作りました。だから俺の所為です。」
そうなんだ。でも覚えてない。そこまで聞いても何も思い出さない。
「いや、無理だよ。何も覚えてないし。」
アルはキュッと唇を噛んだ。机の上に置かれた拳を握りしめて、辛そうな顔をする。そして決心したように顔を上げ僕を見た。
「じゃあ、もし思い出した時、俺を罰したくなったら遠慮なく罰して下さい。それで殺されても構いません。ですがもし殺すなら秘密裏にお願いします。残念ならが今俺の立場は貴族でそれなりの地位にいます。ロイデナテル侯爵家とノビゼル公爵家が対立すれば内戦になりかねません。隊長の実力ならバレずに可能なはずです。」
お願いしますと必死に頼んでくる。
僕は驚いて目を見開いた。前世で一体何があったの?
「その原因も聞いてもいい?」
尋ねたけどアルは苦しそうな顔のまま首を振った。
「覚えていないのなら、知らない方がいいかもしれません。隊長はその所為で自爆に近い攻撃をしましたから。」
つまり思い出したら同じことするかもと?
じゃあ僕の答えは一つだ。
「それはもう思い出した時にどうなるかってだけじゃない?今は分かんないし、罰しようがないもん。」
目の前の美男子はしょんぼりしてしまった。噂の敏腕侯爵子息の面影はどこにも見当たらない。
「そうですか……。」
うーーーん。どうしよう?
「じゃあ、お願いします。隊長が俺を殺すまで、側にいてもいいですか?必ずお役に立ちますから。」
「え?いやぁでも……。僕の噂知ってるでしょう?アルにはマイナスになっちゃうよ。」
「構いません。それぐらいで揺らぐようなことをしてきたつもりはありませんから。ロイデナテル侯爵家の嫡子が子分になれば、隊長の格も上がります。」
売り込んできた。というか僕がアルを殺すのは決定事項なの?
「仕方ないなぁ。でも殺さないと思うけど?」
溜め息混じりに了承したら、アルは嬉しそうに今日一番の笑顔を浮かべた。
その様子を二階から眺める長兄ビィゼトと、次兄ニンレネイの姿があった。
乱入しに行きそうな長兄をなんとか宥め、ニンレネイは深ーく溜息を吐いた。
学院でもナリシュ王太子殿下から釘を刺されたのだ。
「まだネイニィ・リゼンを婚約者に確定したわけではないんだよ?」
そう告げる群青色の瞳は笑っていない。
ビィゼト兄上にしろナリシュ王太子殿下にしろ、オリュガをどうしたいのだと頭が痛くなる。なんとか自分が防波堤になるしかないと心に決めるニンレネイだった。
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