上 下
6 / 80

6 よしよし

しおりを挟む

 合成ガラスの中に満たされた養液の中で、プラチナブロンドのポヤポヤとした髪が揺れている。最近自分の親指を吸い出した。その親指も口も小さくて、何度見ても飽きなかった。
 早く出ておいでと話し掛け、真っ青な目が少しだけ開いた時、見えているのだろうかと心が浮き足だった。
 可愛い、可愛い、僕の子供。
 何もない私に初めて許可された私だけのモノ。
 ここから出てきたら泣くだろうか。
 歩くだろうか。
 話すのはいつだろうか?

 いや、それよりも名前を決めないと………。







 身体が火照り喉が渇く。
 水……、と呻くと誰かが身体を起こしてくれて、コップの縁が唇につく感触がした。
 流されてくる水をコクコクと流し込み、少しだけ頭が冴えてくる。
 覗き込んでいたのはプラチナブロンドの髪に、群青色の瞳の美しい青年だった。
 誰だったっけ?とぼんやり考える。ああ、頭が回らない。

「大丈夫かい?」
 
 その人はほんのりと笑いながら尋ねてきた。どこか義務的な優しさだなと感じる。そこに具合悪そうな人間がいるから、道徳的に尋ねたのだろうという気がした。
 そんな生き方をしないで欲しい。
 もっと自分を出してはダメなんだろうか。
 この人が自分を心配していないのは理解していたが、オリュガは震える手を頑張って上げた。

「………よしよし。」

 何となくプラチナブロンドの頭に手を伸ばして撫でた。
 さっき見た赤ん坊の頭を撫でたかった。優しく撫でて、一緒におやすみと寝たかった。
 叶わなかった願いが思い出されて、オリュガは悲しくなって目の前の青年の頭を代わりに撫でた。
 そしてほんのり笑って目を瞑る。
 微かに爽やかな甘い香りがして、あの子もこんな匂いだったのかなと回想するが、合成ガラスの中のあの子の匂いは最後の最後まで嗅ぐことが出来なかったのだなと悲しくなる。
 よしよし、よしよし、と数度撫でるプラチナブロンドの髪は、柔らかく指に揺れて気持ちが良かった。
 撫でられたことに、願いが少しだけ叶ったのだと思うことが出来て、満足してしまった。
 スウ……、と寝息を立てて眠りに落ちる。
 だから頭を撫でられた青年が、目を見張り驚いたことを知らない。





 カチャ…という音と共にニンレネイ・ノビゼルが入った来た。
 まさか発情期中なのに抑制剤を飲んで試合に出ていたとは誰も知らず、ナリシュは兄であるニンレネイに注意をした。オリュガは急いで保健室に連れて行きベットに寝かせ、ニンレネイは帰りの馬車の手配とオリュガの学習道具を回収しに行っていた。

「申し訳ありません。後は俺が見ます。」

 ニンレネイは準備の為に離れなければならなかったので、代わりにナリシュがオリュガの様子を見ていた。
 オリュガには再度抑制剤を飲ませ、ナリシュもニンレネイもアルファ用の抑制剤を服用している。これでお互い発情期は回避できている。
 昨今の抑制剤の開発は目まぐるしく、薬の効きはいい。だがオメガは発情期中にアルファに項を噛まれてしまうとつがいが成立してしまうというリスクがある為、普通は人前に出てこない。多くのまだ番もいないようなアルファが通う学院なんてもってのほかだ。
 番になればオメガは噛んだアルファとの性行しか受け付けない。発情期中に出すオメガのフェロモンは噛んだアルファにしか効かなくなるが、それは愛し合った者同士ならば喜べることなのであって、事故で番ってしまったなら単なる不幸だ。
 オメガは一生に一度しか番わない。アルファは複数番えるが、オメガはだから自分で自衛するものなのだ。

「構わないよ。これからは来たがっても必ず休ませなさい。」

「はい…。」

 少し前までのニンレネイなら、オリュガの我儘は絶対に許さなかった。学院でも常に目を光らせ、何か悪さをしていないか見張っていたのに、ここ最近は長兄のビィゼト・ノビゼル公爵同様オリュガにかなり甘くなっていた。

 後はニンレネイに任せてナリシュは保健室の外に出た。
 抑制剤が効いているとはいえ、微かにオリュガからは紅茶の匂いがした。
 オリュガのフェロモンの匂いは芳しい紅茶の匂いだ。ナリシュは紅茶が好きで様々な産地のものを集めて愛飲しているので、オリュガの匂いは好ましい。
 オメガの匂いはアルファを誘う甘い匂いが多い。その中でオリュガの紅茶の匂いは珍しい方だった。

 先程のオリュガを思い出す。
 緋色の瞳はまるで紅茶の水面のようにゆらゆらと揺れて、滑らかに光を反射しナリシュを見つめていた。
 笑いながらゆっくりと細い指がナリシュの頭を撫でた時、普段ならさりげなく相手に不快感を与えないように避けるのに、大人しく撫でられてしまった。
 驚きすぎてその手を払うことも忘れて、オリュガの緋色の瞳を凝視していると、オリュガは満足したように眠ってしまった。
 何故撫でたのかとか、覚えているだろうか。
 無意識か?
 オメガは発情期中の記憶が飛びやすいと聞いたことがある。次に会った時尋ねて答えが返ってくるだろうか。
 
 そこまで考えて、何を馬鹿なと頭を振った。

 オメガは自分を守ってくれるアルファを探す生き者だ。無意識に無邪気で、無自覚に打算的なのだ。
 だからナリシュ自身も己に一番得になるオメガを番にするつもりでいた。オメガはあまり好きではない。だから一生に一人だけでいいと思っている。そしてアルファを産んでくれれば後は用済みだ。
 贅沢を与えればいいだろうと思っている。そして発情期の相手をして満足させればいい。そういう相手を選べばいい。
 オリュガは公爵家の人間で、オメガとして美しく物欲が強かった。頭の悪さは特に問題視していなかったのだが、性格が悪く王太子妃とするにはやはり問題が大きかった。
 陛下からネイニィ・リゼン男爵子息を考えておくように言われてそう対処したが、最近のオリュガを見ると、陛下の判断は時期尚早だと感じた。
 だからネイニィを一応筆頭婚約者候補にしてはいるが、手を出したことはない。
 ネイニィはいつでもいいとばかりにそれとなく誘ってくるが、最終的に決めるまでは一切いっさい手をつけるつもりはなかった。
 その為の婚約者候補なのだ。あくまで候補。決定ではない。だからこそ以前は筆頭婚約者候補だったオリュガをその地位から下ろすことが出来たのだ。
 王族とは狡い生き物だ。

 ナリシュの中ではオリュガとネイニィのどちらが正式な婚約者になるのか決めかねていた。
 学院は相手を探す場だ。相性を見極め、卒業してから各家に婚約の打診をして結婚に至る。
 王族だからといって早くする必要はない。
 数名のオメガを婚約者候補にしているのは、王家のお手付きであることを示しているだけだ。他のアルファに取られないようにする処置である。特に筆頭婚約者候補はなる可能性の高い者として周りに周知させる為の方便だった。
 
 そういえばオリュガに撫でられてから、そのまま出てきてしまった。
 ニンレネイは申し訳なさそうに頭を下げていたので、ナリシュの顔を見ていない。髪に手をやるとナリシュの緩やかにカーブを描く髪が乱れていた。
 オリュガに撫でられた場所を自分でなぞるように触れる。
 王族の頭を気安く撫でる人間はいない。
 撫でられたのなんていつぶりだろうか。しかもその相手はオリュガ・ノビゼルだ。
 我儘で、利己的で、他者を見下していたあのオリュガだ。ネイニィが今日も意地悪をされたのだと泣きついてくるのが日常的だったのに、今は借りてきた猫のように大人しい。その変貌ぶりに、どういうつもりなのかと見かけたら話しかけるようになってしまった。
 しかも前までは鬱陶しいくらいに纏わりつき、誰も近づくなとばかりにさ攻撃的だったのが嘘のように、今は近寄ってこようとすらしない。
 むしろナリシュを見かけたら逃げているふしがある。
 だからつい追いかけてしまうわけだが、逃げ回るのが悪手だとオリュガは気付いていないのだろう。
 アルファとは狩猟本能が強い生き物だ。逃げられれば追いかけるのが習性だ。

 群青色の瞳に鈍い光が灯る。ペロリと唇を舐めて、ナリシュは少しだけ笑い立ち去っていった。

 




しおりを挟む
感想 583

あなたにおすすめの小説

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

【第2部開始】悪役令息ですが、家族のため精一杯生きているので邪魔しないでください~僕の執事は僕にだけイケすぎたオジイです~

ちくわぱん
BL
【第2部開始 更新は少々ゆっくりです】ハルトライアは前世を思い出した。自分が物語の当て馬兼悪役で、王子と婚約するがのちに魔王になって結局王子と物語の主役に殺される未来を。死にたくないから婚約を回避しようと王子から逃げようとするが、なぜか好かれてしまう。とにかく悪役にならぬように魔法も武術も頑張って、自分のそばにいてくれる執事とメイドを守るんだ!と奮闘する日々。そんな毎日の中、困難は色々振ってくる。やはり当て馬として死ぬしかないのかと苦しみながらも少しずつ味方を増やし成長していくハルトライア。そして執事のカシルもまた、ハルトライアを守ろうと陰ながら行動する。そんな二人の努力と愛の記録。両片思い。じれじれ展開ですが、ハピエン。

泣かないで、悪魔の子

はなげ
BL
悪魔の子と厭われ婚約破棄までされた俺が、久しぶりに再会した元婚約者(皇太子殿下)に何故か執着されています!? みたいな話です。 雪のように白い肌、血のように紅い目。 悪魔と同じ特徴を持つファーシルは、家族から「悪魔の子」と呼ばれ厭われていた。 婚約者であるアルヴァだけが普通に接してくれていたが、アルヴァと距離を詰めていく少女マリッサに嫉妬し、ファーシルは嫌がらせをするように。 ある日、マリッサが聖女だと判明すると、とある事件をきっかけにアルヴァと婚約破棄することになり――。 第1章はBL要素とても薄いです。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

顔だけが取り柄の俺、それさえもひたすら隠し通してみせる!!

彩ノ華
BL
顔だけが取り柄の俺だけど… …平凡に暮らしたいので隠し通してみせる!! 登場人物×恋には無自覚な主人公 ※溺愛 ❀気ままに投稿 ❀ゆるゆる更新 ❀文字数が多い時もあれば少ない時もある、それが人生や。知らんけど。

処理中です...