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6 よしよし
しおりを挟む合成ガラスの中に満たされた養液の中で、プラチナブロンドのポヤポヤとした髪が揺れている。最近自分の親指を吸い出した。その親指も口も小さくて、何度見ても飽きなかった。
早く出ておいでと話し掛け、真っ青な目が少しだけ開いた時、見えているのだろうかと心が浮き足だった。
可愛い、可愛い、僕の子供。
何もない私に初めて許可された私だけのモノ。
ここから出てきたら泣くだろうか。
歩くだろうか。
話すのはいつだろうか?
いや、それよりも名前を決めないと………。
身体が火照り喉が渇く。
水……、と呻くと誰かが身体を起こしてくれて、コップの縁が唇につく感触がした。
流されてくる水をコクコクと流し込み、少しだけ頭が冴えてくる。
覗き込んでいたのはプラチナブロンドの髪に、群青色の瞳の美しい青年だった。
誰だったっけ?とぼんやり考える。ああ、頭が回らない。
「大丈夫かい?」
その人はほんのりと笑いながら尋ねてきた。どこか義務的な優しさだなと感じる。そこに具合悪そうな人間がいるから、道徳的に尋ねたのだろうという気がした。
そんな生き方をしないで欲しい。
もっと自分を出してはダメなんだろうか。
この人が自分を心配していないのは理解していたが、オリュガは震える手を頑張って上げた。
「………よしよし。」
何となくプラチナブロンドの頭に手を伸ばして撫でた。
さっき見た赤ん坊の頭を撫でたかった。優しく撫でて、一緒におやすみと寝たかった。
叶わなかった願いが思い出されて、オリュガは悲しくなって目の前の青年の頭を代わりに撫でた。
そしてほんのり笑って目を瞑る。
微かに爽やかな甘い香りがして、あの子もこんな匂いだったのかなと回想するが、合成ガラスの中のあの子の匂いは最後の最後まで嗅ぐことが出来なかったのだなと悲しくなる。
よしよし、よしよし、と数度撫でるプラチナブロンドの髪は、柔らかく指に揺れて気持ちが良かった。
撫でられたことに、願いが少しだけ叶ったのだと思うことが出来て、満足してしまった。
スウ……、と寝息を立てて眠りに落ちる。
だから頭を撫でられた青年が、目を見張り驚いたことを知らない。
カチャ…という音と共にニンレネイ・ノビゼルが入った来た。
まさか発情期中なのに抑制剤を飲んで試合に出ていたとは誰も知らず、ナリシュは兄であるニンレネイに注意をした。オリュガは急いで保健室に連れて行きベットに寝かせ、ニンレネイは帰りの馬車の手配とオリュガの学習道具を回収しに行っていた。
「申し訳ありません。後は俺が見ます。」
ニンレネイは準備の為に離れなければならなかったので、代わりにナリシュがオリュガの様子を見ていた。
オリュガには再度抑制剤を飲ませ、ナリシュもニンレネイもアルファ用の抑制剤を服用している。これでお互い発情期は回避できている。
昨今の抑制剤の開発は目まぐるしく、薬の効きはいい。だがオメガは発情期中にアルファに項を噛まれてしまうと番が成立してしまうというリスクがある為、普通は人前に出てこない。多くのまだ番もいないようなアルファが通う学院なんてもってのほかだ。
番になればオメガは噛んだアルファとの性行しか受け付けない。発情期中に出すオメガのフェロモンは噛んだアルファにしか効かなくなるが、それは愛し合った者同士ならば喜べることなのであって、事故で番ってしまったなら単なる不幸だ。
オメガは一生に一度しか番わない。アルファは複数番えるが、オメガはだから自分で自衛するものなのだ。
「構わないよ。これからは来たがっても必ず休ませなさい。」
「はい…。」
少し前までのニンレネイなら、オリュガの我儘は絶対に許さなかった。学院でも常に目を光らせ、何か悪さをしていないか見張っていたのに、ここ最近は長兄のビィゼト・ノビゼル公爵同様オリュガにかなり甘くなっていた。
後はニンレネイに任せてナリシュは保健室の外に出た。
抑制剤が効いているとはいえ、微かにオリュガからは紅茶の匂いがした。
オリュガのフェロモンの匂いは芳しい紅茶の匂いだ。ナリシュは紅茶が好きで様々な産地のものを集めて愛飲しているので、オリュガの匂いは好ましい。
オメガの匂いはアルファを誘う甘い匂いが多い。その中でオリュガの紅茶の匂いは珍しい方だった。
先程のオリュガを思い出す。
緋色の瞳はまるで紅茶の水面のようにゆらゆらと揺れて、滑らかに光を反射しナリシュを見つめていた。
笑いながらゆっくりと細い指がナリシュの頭を撫でた時、普段ならさりげなく相手に不快感を与えないように避けるのに、大人しく撫でられてしまった。
驚きすぎてその手を払うことも忘れて、オリュガの緋色の瞳を凝視していると、オリュガは満足したように眠ってしまった。
何故撫でたのかとか、覚えているだろうか。
無意識か?
オメガは発情期中の記憶が飛びやすいと聞いたことがある。次に会った時尋ねて答えが返ってくるだろうか。
そこまで考えて、何を馬鹿なと頭を振った。
オメガは自分を守ってくれるアルファを探す生き者だ。無意識に無邪気で、無自覚に打算的なのだ。
だからナリシュ自身も己に一番得になるオメガを番にするつもりでいた。オメガはあまり好きではない。だから一生に一人だけでいいと思っている。そしてアルファを産んでくれれば後は用済みだ。
贅沢を与えればいいだろうと思っている。そして発情期の相手をして満足させればいい。そういう相手を選べばいい。
オリュガは公爵家の人間で、オメガとして美しく物欲が強かった。頭の悪さは特に問題視していなかったのだが、性格が悪く王太子妃とするにはやはり問題が大きかった。
陛下からネイニィ・リゼン男爵子息を考えておくように言われてそう対処したが、最近のオリュガを見ると、陛下の判断は時期尚早だと感じた。
だからネイニィを一応筆頭婚約者候補にしてはいるが、手を出したことはない。
ネイニィはいつでもいいとばかりにそれとなく誘ってくるが、最終的に決めるまでは一切手をつけるつもりはなかった。
その為の婚約者候補なのだ。あくまで候補。決定ではない。だからこそ以前は筆頭婚約者候補だったオリュガをその地位から下ろすことが出来たのだ。
王族とは狡い生き物だ。
ナリシュの中ではオリュガとネイニィのどちらが正式な婚約者になるのか決めかねていた。
学院は相手を探す場だ。相性を見極め、卒業してから各家に婚約の打診をして結婚に至る。
王族だからといって早くする必要はない。
数名のオメガを婚約者候補にしているのは、王家のお手付きであることを示しているだけだ。他のアルファに取られないようにする処置である。特に筆頭婚約者候補はなる可能性の高い者として周りに周知させる為の方便だった。
そういえばオリュガに撫でられてから、そのまま出てきてしまった。
ニンレネイは申し訳なさそうに頭を下げていたので、ナリシュの顔を見ていない。髪に手をやるとナリシュの緩やかにカーブを描く髪が乱れていた。
オリュガに撫でられた場所を自分でなぞるように触れる。
王族の頭を気安く撫でる人間はいない。
撫でられたのなんていつぶりだろうか。しかもその相手はオリュガ・ノビゼルだ。
我儘で、利己的で、他者を見下していたあのオリュガだ。ネイニィが今日も意地悪をされたのだと泣きついてくるのが日常的だったのに、今は借りてきた猫のように大人しい。その変貌ぶりに、どういうつもりなのかと見かけたら話しかけるようになってしまった。
しかも前までは鬱陶しいくらいに纏わりつき、誰も近づくなとばかりにさ攻撃的だったのが嘘のように、今は近寄ってこようとすらしない。
むしろナリシュを見かけたら逃げているふしがある。
だからつい追いかけてしまうわけだが、逃げ回るのが悪手だとオリュガは気付いていないのだろう。
アルファとは狩猟本能が強い生き物だ。逃げられれば追いかけるのが習性だ。
群青色の瞳に鈍い光が灯る。ペロリと唇を舐めて、ナリシュは少しだけ笑い立ち去っていった。
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