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66 大切なもの
しおりを挟む楓は大切な物を持たないようにしている。
それは奪われない為。
小さな楓にはまだ守る術がないから。
「八尋の半分を楓にやろう。」
あの日アパートに迎えに来たのはお爺様だった。
名は利玄。利玄は白髪混じりのグレーの髪を長く伸ばし、綺麗に撫で付け後ろに纏めてある。和装が似合い、背筋も真っ直ぐ伸びる若々しい老紳士だ。
既に八尋のもう半分は娘である楓の母に渡してあったが、愚かな母は湊に全て渡してしまい権利を放棄していた。
「お互い八尋を潰し合い、最後の一体に全ての八尋が集まるだろう。」
複数名後継がいる場合に、八体の八尋を等分して渡し、競わせてきた。
本来ならば一人娘に受け継ぐべきだが、あまりにも相応しくなく、孫である楓を探しだし半分を受け渡す事になった。
利玄は自分の娘を破棄したと言った。
血を受け継ぐ娘だからこそ大事にしたが、使えないなら要らないと言う。
だから楓は自分の両親がどうなったか詳しくは知らない。知らたいとも思っていなかった。
それ以降、楓は利玄の下で育てられた。
行っていなかった小学校にも通い、家庭教師も付けられた。
八尋の半数を持つ事によって、フリフィアの仕事を子供ながらに、利玄の助けを受けながら務める日々を送った。
楓は要領が良く、偽善めいた考え方も無い。冷淡で割り切った性格をしているので、お前は当主に向いていると言われた。
冷淡であっても残虐であってはならない。
非道であっても、常識を忘れてはならない。当主の座には冷静な為政者の顔も必要だった。
決して表には立てない。立ってはならない。それを望んではいけない。
何度も言い聞かせられた。
楓が十四歳、中学二年生の時、それまで大人しかった久我見家が動き出した。
「八尋をベースに新たな人工知能を作るつもりのようだ。」
そうお爺様から伝えられ、楓が対処する事になったのだが、場所が『another stairs』の中だった。
一体の八尋を呼び出し、それを消滅させるにはどうしたら良いのか質問すると、同じ八尋をぶつけて早いうちに消滅させるのが良いと言う。
お互い八尋を一体ずつ失う事になるが、ウィンウィンだ。
まだ楓は十四歳なので『another stairs』でアカウントを作る事は出来ない。だから八尋を使って、既に作られて放置されたアカウントを盗んで入り込んだ。
「やだ、だれ?此処には誰も入れない筈なのに。」
そこには沙織がいた。
そして八歳の頃、楓を助けてくれた男もいた。
八尋に命じ、盗んだアカウントの姿を楓に換えさせる。
「こんにちは、沙織さん。」
八尋に情報検索させると、沙織はサブ垢のようだが、彼女の足元に転がる男は本垢のようだった。
楓が目線を男に落とすと、沙織はしてやったりとニヤリと笑った。
「この人、知ってるでしょう?貴方が昔お世話になった人。」
楓が表情を変えずに沙織に視線を戻すと、忌々しげに睨んでくる。
「そのなんでも知ってますって顔、大っ嫌い。湊様だって結婚も番もしたく無いって言ってたのよ!」
「ふぅーん、別に湊とは僕も嫌だけど?それより何でその人がそこに転がってるの?」
ここは『another stairs』の中。
本垢で苦しげに意識を失うなどあり得ない。『another stairs』の規定に則り、感覚は三割減、HPと言われる体力ゲージが0になれば強制ログアウトになる筈だった。
傷だらけで意識を失うという現象は起こらない。
「あたし達はね、今湊様が作ってる人工知能の根元にいるの。」
『another stairs』の中にはバグが多数発生している。これだけ巨大な情報の中で、数億という人間の情報が行き交っていては、小さなバグも大きなバグも発生しやすい。
処理し切れないバグは空間をそこだけ閉じて放置されているのだが、そこの一つに湊が作っている人工知能が置かれていた。
人の背丈くらいの高さで、パリパリと電気を発生させているのがそうなのだろう。
今いるバグの中が既に湊の人工知能の管理下に置かれており、その中にいる限り影響下に入るのだろうと楓は予測した。
『another stairs』の中で容量を使ってでもサブ垢を推奨する理由は、本垢にもしも不足の事態が起こった時の為、というのがある。
ログアウトする程の致命傷を負った時、心に心因性の傷害を負いかねない。
だから本垢でログインする場合は責任を負わないと規約にも載っている。
「この子のご飯は情報なのよ。」
「情報?まさか人のアカウント取り込ませて無いよね?」
だとしたら犯罪。そもそもフリフィアの八尋以外の人工知能を作る事事態犯罪だが。
「バレないように忘れ去られたようなのをあげてるわよ?まだまだ八尋より小さいもの。巣だってバクの中に隠れてるし。」
「それは分かったけど、その人が転がってる理由を聞いた筈だけど?」
ああ、と沙織は楽しそうに手を叩いた。
「うふふ、そうね。先生はあたしの家庭教師だったのよ。知ってた?」
それは知っていた。その帰りに傷だらけの楓を見つけたのだ。沙織の家庭教師は既に大学を卒業すると共に辞めた筈だ。
楓が黙っていると、沙織は延々と喋り続ける。
「貴方を匿ってるなんてちっとも教えてくれなかったのよ?だから、ここぞという時の為にずっと知らなかったフリをしてたの。たまーに来て、楓っていう子を知らないかって聞かれるんだけど、知らないって答えてたのよ。皆んなにも口裏合わさせて。楓の行方を探してたみたいよ?薄情者の子供を気にかけるなんてお人よしよねぇ。」
楓を探していたと知り少し驚く。
楓が何も言わずにアパートを出たのは、早く楓を忘れて欲しかったからだ。
何も知らず、そのまま道が違えれば関わることもない。そうすれば男性は安全だったから。
楓の表情が少し動いた事に沙織は喜んだ。
「楓の弱点ってほんとないのよね?だからどんな些細なものも試してみようと思うの。」
パリパリと人工知能から電気の糸が伸びる。
「本垢って食べさせるとどうなるのかしら?」
「…!?やめろ!!」
楓は慌てた。
本垢は本体に直結している。様々なデータが繋がっているのだ。本体から本垢、本垢からサブ垢を通して安全性を保っている。勿論その間にも様々なセキュリティがかけられているが、サブ垢を飛ばして本垢に傷を負わせるなど危険極まりない。
楓が慌てる姿を見て、沙織は嬉しそうに喜んだ。
「へぇ、いつも澄まして笑ってる子供が珍しく慌てるのか。」
もう一人バクの中へ人が現れた。
久我見湊だ。
「湊様!あたしの手腕をもう少し見て頂きたかったのにっ!」
湊は沙織の隣に寄り添った。沙織のオデコにキスを落とし囁く。
「すまないね。つい面白そうで画面越しではつまらなく感じてね。」
「……っ湊様ぁ!」
楓は一気に顔を顰める。
「うっわー。やめてくれる?人前でイチャつくの。」
湊はそんな楓を嘲笑う。
「私達は最近番になったんだ。」
「はぁ……?」
唐突な話に楓は首を傾げた。
「勿論、君も番にはしてやろう。だが妻は沙織だけだ。それには少々君の性格は強過ぎるのでね。大人しくなって貰おうか。」
湊と沙織は電気をパリパリと散らす人工知能から遠ざかった。
「なに?そいつに僕も食べさせて廃人にでもするつもり?」
違ったら良いなぁくらいの気持ちで尋ねると、湊と沙織はニタリと笑う。
廃人になった楓を番にして、残りの八尋も手に入れたいのだろう。
人工知能の下には男性が横たわってピクリとも動かない。
助けに行けばあの雷が楓を襲い、ダメージを受けるだろう。それがどこまで本体に影響するか分からない。
助けに行かないと……。
いつになく楓に焦りがあった。
だが、此処で突っ込んで行っても湊達の思う壺。
「八尋、お前一体であの人工知能を防げるか?」
楓の後ろに八尋が現れる。
「男性の安全性と万全を期するなら二体かと。」
それはあまり望ましくない。二体消費して抑え込んでも、残り二体。湊は三体という事になる。
じゃあ、これなら?
スクリーンに命令文を書く。
八尋が恭しく首を垂れるので、了承なのだろう。
あの人工知能は直ぐ近くにある情報体を取り込もうとしている。
ならば、代わりの物を与えよう。
人工知能と気を失い倒れている男性の間に楓が現れる。
楓の情報をほんの少しだけ入れた、空の容器。『another stairs』で必要数になるであろうサブ垢分のデータ。
パリパリと光を放ち楓のサブ垢は雷の中に取り込まれようとする。
「…………っ!自分のデータを犠牲にするのか!?」
湊が叫んだが、楓は無視して八尋に命じた。
「閉じ込めろ。」
八尋が広がり雷を放つ人工知能を取り込む。黒い塊となって、中からパリパリと小さく放電が放たれるが、徐々に黒い球体となっていった。
「………!させない!」
沙織が飛び出してきた。
沙織は湊の番として久我見家の信用を得る必要があった。人工知能を作り上げ、久我見家が八尋の代わりに成り替わる為の布石を作らねば、認めて貰えない。
楓が自分のサブ垢を差し出してまで妨害しようとするのならば、沙織だって出来ると思った。
自分達は同じオメガ。
しかも沙織の方が年上だ。
「あ。」
楓が飛び出した沙織を嘲笑うように声を上げた。
何故そんな顔をするのか沙織には理解出来なかった。
ほぼ閉じ込められて動けなくなりそうになっていた黒い塊から、一筋の電気が走る。
バリっと音を立てて沙織のサブ垢は食べられた。取り込まれ、一緒に黒い塊となった八尋の中に入ってしまう。
「八尋?」
まさかそこまで沙織がするとは思わなかった。楓のサブ垢はほんの少しのデータを入れているだけで、ほぼ空なのだ。データ容量は取られてしまったが、意識は本垢に残したままだった。しかし沙織はサブ垢に意識が入っていたのだ。
さて、本体はどうなったのか。
一部始終を見ていた湊は、沙織の心配をするでもなく眺めていた。
八尋は返事をしない。
最後に取り込んだ沙織のデータ分が邪魔をするのか?たった一人分なのだが、どう作用したのか分からない。
黒い塊はフワリと飛んだ。
八尋から応答がない。
不味いかもしれないと思った。
「八尋!」
別の一体を呼び出す。
走って男性の元へ滑り込み、退避を命じた。
黒い塊からパリッと放電が飛び出し攻撃してくる。
「楓、また会おう。」
消える楓達に湊は別れの挨拶をした。
放電は湊を攻撃しない。
沙織の意識が大きく影響していた。
現実に戻り、まず最初に男性を探した。
一緒に戻っては来ても、身体は元の位置にあるのだ。何処かで寝ている筈だ。
居場所は直ぐに特定できた。
もう六年経つのに同じアパートに住んでいたのだ。
もう仕事にも就いて、職場は遠い。
なのに住む場所を変えない。
「馬鹿だなぁ。」
まだ探してるとは思わなかった。
たまたま拾って一ヶ月程度世話した子供なのに。
無理矢理連れ去られたのか意識が無かったので、病院に運んだ。
特に問題はないので意識が戻れば大丈夫だろうと言われた。
病院の患者登録表に出ている男性の名前。
法村巧。
高校教師になって、気さくな性格から生徒に人気が高い。元々アルファなので、アルファの生徒にも難なく教えることが出来る。
こっそり調べた法村の調査書は、年々楓のデータの中に蓄積されていっている。
「変態ショタコン教師のくせに……。」
楓は法村が目覚める前に、病室から去って行った。
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