偽りオメガの虚構世界

黄金 

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 ゴツン………ッ、ゴロゴロゴロ………。
 落ちた重たそうなカップと放物線を描いて流れる焦茶のコーヒー。
 まだ熱いので湯気がたっていた。

「今、なんと………?」

 呼び出した識が元気がなさそうなので、先に悩みでも聞いてから指示するかと、皓月は何気なく質問した。どうしたんだ?悩みがあるなら聞くぞ、と。
 そして帰ってきた悩み事に衝撃を受けた。

「え?史人が行く前と行った後どっちが良いかって聞くから、とりあえず先延ばしはいけないと思いつつ後にしたんだけど、どうしようって聞いたよ?」

 識は聞かれたので答えただけだ。
 悩み相談を聞いてくれる人間なんて、識にとっては皓月しかいない。
 忙しそうだからこんな悩みを言うのも憚られたのだが、せっかく時間を作って質問してくれたのだからと、悩み事を言ってみた。

「何に対してどっちなんだ?」

「……………………。」
 
 識は暫くモジモジした後、後ろに入れられる事をだけど……、と恥ずかしげに暴露した。

 

 識は目覚めたが、雫に合わせるわけにもいかず、精神的に頼れるのも自分と息子の仁彩だけになる。そう思って史人を側につけた。
 史人なら感情の機微まで読むのが上手い。
 その場に皓月がいなくても対応出来ると思ったからだ。
 識月達と識、どちらを監視させるか迷ったが、仁彩と識月が一緒にいるようになった以上、仁彩は識月が何がなんでも守るだろうし、識月は冷静沈着で突っ走る事もない。仁彩に関する事でたまにおかしいが、基本は優秀な息子だ。なので史人は識につける事にした。
 史人は実際良くやっている。
 面倒臭がりの識のリハビリも順調だし、識も気落ちする事なく元気だった。
 上手くやっているのだと思っていたが、そうか、識は単純に史人に翻弄されて、過去の事や雫の事を悩む暇が無かったという事か………。
 なんとなく現状を把握した。


 珍しくコーヒーを落とすし熟考している皓月を、識は不安そうに見つめた。
 こんな悩み言うべきじゃ無かったのだろうか?
 秘書の男性が静かに近寄り、落ちたカップとコーヒーを片付けている。
 それをぼんやり眺めていると、秘書の男性と目があった。
 
「こんにちは、私は秘書課課長の阿野と言います。識さんのお噂は予々お聞きしておりました。」

 キビキビと挨拶をされ、人見知りの識はアワアワと慌てる。
 阿野と名乗った人物は、見た目からアルファ然とした有能そうな人物だった。顔立ちからも生真面目さが窺える。年齢的には識より幾つか下のように見えるが、識よりも遥かにしっかりしていそうだ。

「こ、こんにちは……。」

「少々判断に時間が掛かるようですので、お茶菓子でもお持ちしますね。」

 和やかにお菓子を申し出られ、識は返事も出来ずにコクリと頷いた。
 先程皓月に告げた悩み事より、お菓子に思考が持っていかれる。

「社長もその史人様という方に確認を取られてはどうでしょうか?」

 固まって思考に没頭していた皓月も、阿野の助言にそれもそうだなと返事する。

「識、少し隣の部屋で話してくるから、阿野と待っててくれ。」

 既に手早くケーキと紅茶を貰っていた識にそう告げて、皓月は隣の部屋へ移動した。







 移動バスの中、史人のピアスからピピッと音がする。
 通信が入ったのだなと、史人は通話する為にスクリーンを小さめに開いた。
 通信相手を見て皓月だと気付き、流石に生徒が沢山乗るバスの中では大っぴらに出来ないと判断したからだ。
 史人の隣にはオメガの女生徒が座っている。
 史人と陽臣の隣に誰が乗るのかで争いが起こり、希望者は順番に乗る事になったらしい。誰が隣に乗ろうが史人にはそれが識でないなら誰でも一緒なので、どうぞと了解した。

「ごめん、ちょっと通話きたから。」

「う、うんっ!良いよ。」

 隣の子に話し掛けてこないよう断りを入れてから、コールをとった。

「おはようございます。どうしましたか?」

「ああ、おはよう。今大丈夫か?」

「ええ、移動中です。」

「そうか。……………ところで今、識が来てるんだが。」

 史人は返事をせずににっこりと笑った。
 手のひらサイズの画面の中に、渋面の皓月が映っている。
 隣の女子がチラリと覗き見して、うわっかっこいいとか、識月君ににてる!とか騒いでいて煩い。

「………………一つだけ確認だ。識は次に孤独を感じた時はもう目覚めない。それを理解してるんだろうな?」

「当然です。」

 皓月はジッと史人の顔を窺っていた。
 奥の奥まで読み解くような視線。
 それに耐えれなければ、識の側から離されてしまうだろうと察して、史人は耐えた。
 
「……………いいだろう。」

 それだけ言って皓月との通話は切れた。

「ね、ね、今の誰?すっごく識月君に似てるね!?」

 隣の女子はずっと騒いでいた。その声を聞きつけた近場の席の生徒も覗き込んでいたのか、数名がさっきのは誰かと騒ぎ出す。

「うーん、俺のアルバイトの雇用主。あんまり詮索すると首切られるから勘弁ね。」

 そう言うと皆んな残念そうに諦めた。
 史人のような人間を雇うのだから、先程の容姿も考えるとアルファだろうと皆理解していた。
 アルファに睨まれると後が怖い。 
 それは共通認識なので直ぐに諦めてくれた。

 なんとか皓月さんのお許しを頂けたようで何よりだと、史人は流石にホッと安心した。







 先程出した接客用の食器を下げながら、速水はドキドキと胸を鳴らしていた。
 あの、『another  stairs』を作った方が来ている!
 そう阿野課長から教えられた。
 是非お話ししたかったが、許可もなく近寄る事は出来ないので、帰り際に遠目に見た。
 
「はう、見目麗しい!雲井社長とは違った麗しさがあった!」

 自他共に認める重課金者の速水にとって、『another  stairs』を作ったあのお方は神だ。
 綺麗な方だった。アルファなのだろうと思わせる雰囲気がありながら、その気配はどこか頼りなげで優しい。
 あんな方が作ったのかと、お姿を脳裏に焼き付けた。

「おい、気持ち悪いから早く片付けろ。」

 先程の有能さはどこへやら、阿野は身悶える速水に仕事しろと命令した。

「狡いです、課長だけ御挨拶するなんて!はぁ、綺麗な方だった………!あの方の為ならいくらでも課金します!例え毎食安いカップ麺になろうとも!」

「…………確かに見た目に華のある人だったな。ま、アルファの高校生にガッツリ狙われてるようだけどな。」
 
「は、あ!?はぁ!?あの方はアルファじゃ無いんですか!?」

 速水のデカい声に、阿野は煩そうに顔を顰めた。

「アルファだけど、あの雰囲気はどっちかと言うと庇護者だよ。社長もめちゃくちゃ過保護だし、なーんかアルファっぽく無い。社長がこのまま任せるみたいだし、その高校生有能かもな?大学出てウチの会社来るかもなぁ~。」

 お前どんどん有能な部下が増えてきて大丈夫なのかと揶揄う。
 それは速水も心配なところだが、それよりもその高校生が誰か知りたい。
 
「その高校生誰ですか?」

「知らん。史人とか言ってたぞ。」

 史人?もしや『another  stairs』のフミの事!?
 急に目が輝きだす速水に、阿野は怪訝な顔をする。何故そこで元気になるのか分からない。
 可能性はある!なんせフミは社長の元で何やら色々とさせられていた。高校生と言っていたし、多少『another  stairs』の中でやり取りしたが有能だった。
 是非是非お近づきにならねば!
 そう心に決めて目を輝かせる速水へ、阿野はちゃんと釘を刺す。

「………お前、またゲームの事考えてるだろう?仕事しないと給料も休みも出ないぞ。」

 速水の上司は阿野であり、速水の査定をするのも阿野だった。
 そしてゲームにどっぷりハマって仕事にならない時、付き添って残業までして仕事させるのも阿野の役目になっていた。
 鬼課長ぉ~~~っと悪態を吐きながら走り去る速水を、チッと舌打ちしながら阿野は見送った。
 





 帰りは社用車で送ってくれた。一人で電車は心配だと言われる。
 識の好きなようにして良い。協力は惜しまない。
 そう皓月から言われた。
 
「お尻の穴痛いと思う?」

「………ちゃんと事前準備すれば痛くない。史人次第だがどちらかといえば腰かもしれん。」

「え、詳しい…?やった事…、」

「ないっ!」

 食い気味に否定された。
 
 事前準備とやらは史人がしたいからと教えてくれなかったやつの事だろうか?
 でも史人不在中に自慰したくなったら、後ろの穴もちゃんと一緒に解せとか言われた…。
 年寄りは身体硬いのに……。だから毎日柔軟させられたのか?

「今度は仁彩に相談しようかなぁ…。」

 一人車内でポツリと呟く。
 これを聞いた人間がいたら十中八九全員否定されると言う事に、識は気付いていない。











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