偽りオメガの虚構世界

黄金 

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53 雪の世界へ

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 発情する。
 その恐怖で逃げた。
 上がる体温、ゾワリと這う快感に、自分が自分で無くなる感覚が押し寄せる。
 光風に触れられたところが熱い。
 唇にまだ感触が残っている。

 鳳蝶の意識は仮想空間の中で目覚めた。以前と同じ病院使用の仮想空間だと思う。
 誰もいない学校。
 最後に途切れた場所から始まったのだと思った。背後から感じた光風の気配はもう感じない。
 圧倒的なアルファの圧力は、鳳蝶のオメガ性を押し潰しそうな程輝いていた。
 捕まれば離れ切れない。
 自分で発情を抑える事は不可能と感じ、逃げた。
 自分が今ここにいるという事は、最後に助けを求めた楓が病院へ運んでくれたのだろう。


 暫くぼんやりと誰もいない学校を探索した。
 いつも一緒にいた仁彩もいない。
 いない。
 いない。
 だんだん誰を探しているのか分からなくなる。

 ピロン。

 受信音と共にスクリーンが開いた。
 メッセージが流れる。

《容量超過により『another  stairs』のサブアカウントの削除を推奨します。》

 個人の持つデータ容量は固定で決められている。その為容量を大量に使う『another  stairs』はサブ垢を一つしか作れない。
 ここが病院の療養用の仮想空間で、容量不足に陥るのだというなら、かなり深い場所にいるのだと思う。
 あまり深くまで沈むと上がれない。
 確かそう医師に言われていた。

 アゲハを消す。

 一年近く共に遊んだアカウントだった。
 思い入れは沢山ある。
 何より、アゲハに執着するミツカゼが頭をよぎる。
 鳳蝶はプルプルと頭を振った。もう何度こうやって頭を振ったのか。
 ミツカゼはアゲハしか見ない。
 本体の鳳蝶は見ない。
 太ってるから?醜い?オメガらしく無い?
 パーティーで笑われて、傷付いていないフリをしたけど、本当は心が痛かった。
 ホテルのロビーで紅葉の波を見せられて、これがアゲハだと言われて、悲しく無いわけじゃなかった。

 光風の中でアゲハはこんなに綺麗なんだと実感させられた。

 そのアゲハを消さなければならない。
 アゲハを気に入っているミツカゼは、アゲハを消したと知ったらもう会いには来ないだろう。
 もし退院できたらもう一度そっくりのアゲハを作る?
 それは果たしてミツカゼにとって同じアゲハなんだろうか?


 自分達の二年生の教室に来た。
 普段は騒がしく人に溢れる教室に、誰もいないと言うだけでとても寒々しい。
 鳳蝶はブルリと身体が震えた。
 いつも窓際に座る光風。
 誰かしらに話し掛けられているか、雲井識月と話しているか。決してオレとは話す事はなかった。

 何でも無いフリをしていたけど、少しは話してみたかった。
 割とクラスの皆んな鳳蝶のお弁当のおかずを貰っているのに、光風だけは食べた事がない。最近一緒に食べた時でさえ、欲しがらなかった。
 いつもは軽くやろうかと言える一言が、光風には言えなかった。

 光風の椅子に座ってみる。
 校庭が見下ろせる場所。クラスが見渡せる場所。
 暫くまたボンヤリとそこに座っていた。
 誰もいないと分かってるから堂々と座れるが、現実なら無理だ。


「…………………アゲハ消さなきゃな。」

 スクリーンを出す。
 『another  stairs』には入らずに画面上だけで操作する。アゲハの装備を消して村人の服を装備させた。そのまま消してしまうと持っている装備もアイテムも一緒に消えてしまうので、本垢に移さなければならない。
 アイテムも移動して、雷神の槍だけ仁彩の本垢に贈る。一番大切なアイテムだ。

『仁彩へ。容量不足でサブ垢消さなきゃだから預かっといて。戻れたらまた遊ぼう。』

 直ぐに返信が来た。

 ーー待ってるから、なんなら直ぐにでも出てきて欲しい!絶対だよ!ーーー

『迷惑かけて、ごめんな。』

 ーーー僕の方がいっぱい迷惑かけてるよ!絶対だよ!ーーー

 仁彩に送信すると、しこたま絶対帰ってきてを繰り返し送られて来た。
 識月にどうしようどうしようと言って困らせてそうで、そんな優しい仁彩を思い浮かべて心が暖かくなる。

 病院のメッセージ画面に戻り、問い合わせ先にメッセージを送る。
 少しだけ『another  stairs』にアクセスしていいか許可を取る。
 10分だけ。
 その回答を受け、今の時間を確認した。
 ちょうど夜九時を過ぎた頃。
 いるだろうか………。
 フレンド欄を見るとログインしていた。
 『another  stairs』のログイン画面へ移動する。
 
 目を瞑り目を開ける。

 そこは喫茶店の入り口の外だった。
 仄かに電灯で照らされた石畳の路地に、ミツカゼが立っていた。
 ミツカゼには人を惹きつける輝きがある。気怠気に立つ姿には、自分が側にいて支えてあげなければという勘違いを起こさせる。なのに近寄れば知らぬ間に搾取されている。
 知らぬ間に惹きつけられ、じっくりと観察され、知らぬ間に飽きられ捨てられる。
 そんな魔性を思わせる華やかな男だった。

 なのに今の姿にそれはない。
 人を翻弄する強烈な光はなかった。

「あげはに会いたいなぁ……。」

 ポツンと呟く声は寂し気だった。
 
「何で?」

 思わず問い掛ける。
 驚いた光風がこちらを向いた。
 驚愕と歓喜と困惑。
 病院の仮想空間にいなくて大丈夫なのかと心配してくる。
 人の心配が出来るやつなんだなと笑ってしまった。そういえば光風の所為で発情が止まらなくなったのだと思い出す。
 もっと責めた方がいいのだろうが、そんな気持ちもあまり湧かなかった。
 鳳蝶がお人好しという訳ではなく、これが惚れた弱みというやつなんだろうか。

 アゲハを消す前に、思い出というわけでは無いが、綺麗なところでお別れしたいと思った。
 気に入っているアバターを見る最後の時なのだ。あんな立派なホテルのメインロビーのイメージにするくらいには気に入っているのだろうから、最後は綺麗な所が良いと思った。

 手を伸ばすと握り返してきた。
 いつも強引なのに、握り方が優しかった。
 流石に病気で意識を失った人間には気が引けるのだろうか?

 連れて行かれたのはもみの木が生える雪原の中だった。
 仕事用に使っている光風所有の仮想空間と聞いて、仕事には真面目なんだなと感心した。誰でも一つくらいは取り柄があるものだ。
 病院に個人の仮想空間に移動した旨を連絡すべきかと悩んだが、後ほんの数分の事なのだしと放置した。

 十二月用のイメージとやらを考えている途中だと言うが、花は一つも無かった。
 イメージが湧かないと言って元気がない。
 悩んでるんだろうか?
 アゲハなら何か思い浮かぶかもしれないと言って、触れても良いかと尋ねてきた。
 コイツは本当にアゲハが好きなんだなと苦笑する。
 これが最後だと言って、アゲハから抱き付いた。

「…あげはっ、あげはっ!」

 いつになくミツカゼが強く抱き締めてくる。強く貪るように口付けされ、もっと会いたいと願って来る。
 鳳蝶にではない、アゲハに。

 アゲハのサブ垢を消してしまう。
 ミツカゼにちゃんと消えたのだと分からせる為に、アゲハから鳳蝶に姿を変える。
 残しててあげたいと思ってしまうけど、鳳蝶にはそれだけの余裕がもう無い。

「ごめんな、10分だけって言われてるんだ。お前このサブ垢気に入ってたから見せときたかったんだ………。」

 そう言って、10分きっかりに意識は元の仮想空間に戻ってしまった。
 笑って言えただろうか。
 嫌味に聞こえなかっただろうか。
 冷たく突き放して無かっただろうか。
 
 最後に見たミツカゼの表情が無くなったような気がしたのが心配だが、きっと気のせいだ。
 直ぐに次の可愛い子を見つけるだろう。
 そしてアゲハというサブ垢なんて忘れる。
 元は実在しない仮想の人間。
 きっと本物のお気に入りが出来れば、忘れてしまう。

 空を見上げると雪が降ってきた。
 学校は消えて、薄曇りの寒々しい空が見える。
 綺麗な所と言って雪原に連れて行かれた。
 光風にとって雪が綺麗という事だろうか?
 さっき見せてくれた雪はとても綺麗だったのに、今降る雪はとても冷たい。
 
「…………ふふ、この世界って五感感じねー筈なのにな?」

 ま、いいか。
 冷たい方が心が冷えて固まって、ちょうどいい………。

 もっと、もっと吹雪いてしまえ。
 
 鳳蝶の願いに合わせて、ほたほたと雪が降り積もる。
 白銀の世界を思い浮かべて、鳳蝶の精神は下へ下へと落ちていく。
 
 アルファもオメガも大嫌いだ……。







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