偽りオメガの虚構世界

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44 鳳蝶

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 ほたほたと降る雪。
 白い雪原。
 全てが埋もれてしまえと願った世界。

「鳳蝶、番になろうか。」

 逃げて、隠れて、白で埋もれた世界で、コイツはそう鳳蝶に告げた。
 













 鳳蝶の朝は早い。
 あまり眠れないのだ。
 朝の五時には目が覚めてしまう。冬ならまだ真っ暗だ。
 朝から起きてキッチンへ向かう。
 鳳蝶が料理をするのが好きな所為で、湯羽家のキッチンはかなり広いし器具も多い。
 フライヤーは温まるのに時間がかかる。その間に卵焼きを作ろう。
 それから昨日作り置きした小松菜と薄揚げのお浸しも入れよう。
 他は何を入れようかな?
 料理をしていると少し心が軽くなる。
 六時には弁当作りは終わってしまう。ついでに作った味噌汁と白ごはん、オカズの残りで朝ご飯を済ませる。
 水をコップに入れて部屋に戻り、薬箱を取り出すと、中は綺麗に日付と朝晩分に小分けにされて薬が入っている。
 数が多いので最初から分けてしまうのだ。
 今日の朝の分を取り出して薬箱は戻しておく。
 粉薬の袋を破ってサラサラと口に入れる。
 水を含んで喉に流し込みながら、次は錠剤をパキパキと取り出していく。
 小学生の頃から続く毎日の流れなので、慣れたものである。
 鳳蝶は母親似で同じ症状を持っている。
 常に発情期に近い状態が続くバース性異常。火照り、発汗、過剰フェロモン。それを抑える為に毎日抑制剤以外にも複数の薬を飲んでいる。胃薬、ホルモン剤、精神安定剤、強めの抑制剤。数種類の薬を状態に合わせて取っ替え引っ替え飲んでいる。夜は睡眠薬もあるがあまり眠れない。
 薬の副作用で太りやすいのも母親譲り。
 食欲が強くて更に体重増加があるのも母親譲り。
 母親曰く、番が出来れば落ち着くらしい。
 番が出来ることによってフェロモンが収まり、通常のオメガと同じサイクルになったと経験談を教えてくれるが、今の自分に果たして番になってくれるような恋人が出来るのか…。
 鳳蝶に発情期が来ていないのは薬で抑えている所為だ。仁彩は発情期が来ていないことを悩んでいると勘違いしているが、本当は発情期がくると困るという心配がある事が悩みだ。
 薬で押さえても発情期が来たとすれば、かなり苦しいだろうと言われている。
 重度の発情期だろうから、その時は救急を呼んで病院に来て下さいと指示された。

 最後の水をゴクゴクと飲み干し、学校へ向かう準備を始める。
 最近少し発情しかかり病院に通った。
 薬が増えて少し怠い。
 食事量が減った為、少し痩せたんだと思う。パツパツだった制服に余裕が出来ていた。それでもまだ太い。

「こんなまん丸なオメガを選ぶ奴なんていないって。」

 呟いて鳳蝶は自嘲気味に鏡の中の自分に笑いかけた。





 


 『オレが鳳蝶でアゲハだよ。』

 そう伝えた時の光風の顔が傑作だった。
 引き攣った様な驚いたような、垂れ目で澄ました顔が、面白いくらいに歪んでいて笑えた。

『え?あの時の包丁くん?』

 何だよ包丁くんって。
 
『えぇ~~~、マジでぇ!?』

 ショックだぁ~~と騒ぐ光風を他人事の様に眺めた。
 やっぱり太った本体はお気に召さなかったらしい。
 少しは期待していた自分が馬鹿らしかった。

『絶対、可愛い子だと思ってたのにぃ!』

『お気の毒様。次は可愛い子に当たるといいな。じゃーな。』

 そうやって別れた。
 これで執念いミツカゼの猛攻から解放される。
 この虚しさも、何故か痛い心も、時間が解決する筈だ。


 この会話は仁彩が従兄弟どのに偽物ジンの話をした後、直ぐの話だ。仁彩がいらない心配をするといけないので、さっさと一人でミツカゼを呼び出して真実を伝えた。
 絡み方が尋常じゃ無いなと思っていたので、アゲハの本体を教えたら殴られでもするだろうかと思ったが、意外とあっさりで拍子抜けした。
 教室で今度こそ可愛い子だと思ったのにとよく騒いでいたが、鳳蝶の時も同じ反応だった。
 もしかして毎度この調子で気に入った人間に絡んでいたのかもしれない。
 やけに昏い目をしているから、本気なのかと思ってしまった。
 鳳蝶だって元はオメガだ。
 ゲームの中で同じオメガやベータと疑似恋愛を楽しむまでは良かった。現実に影響が無かったから油断していた。
 アルファから言い寄られて、今までそんな経験もないからグラついてしまったのだ。
 悪い男に惹かれるとは聞くけど、こういう事なのだろうかと、自分の愚かさに溜息が出る。
 自分にとっては初めての経験でも、光風にとっては毎度の事だったのだ。いつもの、なんて事ない日常に溢れた、どこにでもいる様な人間の内の一人。

「…………………アホらし。」

 今日も鳳蝶はいつもの様にお弁当を持って学校へ向かった。






 朝から教室で仁彩を待っていると、久しぶりに雲井識月が登校した。
 なんと仁彩と一緒に。
 
「おはよう。」

「はよ~。今日はご一緒だな。」

 揶揄い混じりに挨拶をすると、仁彩が恥ずかしげに頬を染める。
 それを見て教室が騒つく。
 最近の仁彩は少し注目を集めている。
 今迄は俯いて小さな声で目立つ事なく過ごしていたので、ほっそい身体の陰キャくらいに思われていたのだが、陣取りゲームで微笑んだ顔がドアップで映っていたのを大勢の人間が見ていたらしく、そこから綺麗な子だという印象を持たれる様になった。
 それに対して従兄弟どのが苛ついていたのは気付いていたが、どうも雲井家の二人は鈍い性格が災いしてすれ違っていた。
 本日登校してきたのを見て、漸くくっついたのかと安堵する。
 鳳蝶がお節介を焼いてみようかとも思っていたが、色々と雲井家は複雑な家庭の事情が有りそうで、口出しを控えていたのもある。
 仮に口出しして識月に排除されても困るというのもあった。
 上手く纏まって本当に安心した。

 二人の仲良さげな様子に、取り巻き連中も近寄る事が出来ない。
 識月の雰囲気が近寄るのを許さないのだ。
 仁彩が鳳蝶に近寄ってきた時はどうやらOKらしい。

「?鳳蝶、体調悪い?」

「ん?いや、いつも通りだけど?」

「そうかな…、なんか顔色悪い気がするけど?なんかあったら直ぐに教えてね。」

 仁彩が心配気に見ている。
 鳳蝶は普通に何でもないと言い切った。
 薬の副作用で怠さがあるのを気付かれたのかもとは思ったが、日常を過ごす分には問題ない怠さだ。いちいち伝える程ではない。

「平気、平気。ほら、従兄弟どのがこっち気にしてるぞ。」

「え?な、何でだろ??」

 何でだろは無いだろう。アルファの中でもトップに位置する識月が、自分のオメガだと認識した仁彩を離すわけがない。
 常に視界に入れておきたいに違い無かった。
 今迄はずっと一緒にいられたけど、これからは半減しそうだなと感じ、そこだけが少しガッカリする。

「あ、あのね、お昼休み一緒に識月君も食べていい?」

 鳳蝶はずるっと肘をついて乗せていた顎を滑らせた。

「いやいや、お前ら二人で食べるんだろ?」
 
「え!?そんな、ダメだよ!鳳蝶はどうするの!?」

 一人になるかもと心配しているのだろう。

「オレは教室で食べてるか屋上使うかするからいーよ。その後は勉強する。」

 恋人同士のお邪魔虫はしたく無い。
 というか混ざるの恥ずかしい。絶対注目の的だ。

「従兄弟どのが休みの日とか、ここで食べる時だけ一緒に食べよーぜ~。」

 気にする仁彩に譲歩案を出すと、漸く納得した。二人は基本はカフェテラスを使うつもりらしい。識月が行けば必ず席が確保される事だろう。

 担任が来たので仁彩も席に戻って行く。
 識月の側にはなにやら楽し気に話す光風がいた。
 アゲハが鳳蝶であった過去など無かったかの様に、いつも通りだった。







 昼休み、教室で食べていると楓が近づいて来た。

「とうとうお友達が卒業してしまったね。」
 
「何から卒業するんだよ。」

 モグモグと食べながら反論すると、そりゃー脱処女でしょ?と普通に話す。
 声が大きい。
 後まだ脱処女してるか怪しい。
 
「じゃー今日から僕が一緒に食べてあげよう。」

 楓の昼ご飯はカフェテリアで売られているサンドイッチのバケットだった。

「いつも何処で食べてたんだ?」

「ん?適当に誰か見つけてお邪魔してた。」

 楓が言うと本当の意味でお邪魔してそうだ。例えそれが過去の元彼かセフレで、カップルで座っていたとしても、遠慮なく入っていそうなイメージがある。

「凄いお弁当だね。」

「んー、作るの好きなんだ。これでも三段から二段に減った。なんかおかずいる?」

 じゃあ唐揚げ~、と言って唐揚げとチーズ揚げを取って楓はパクパクと食べてしまう。

「あ、ウマっ!これ自作!?料理人とかじゃなくて?」

「まぁな。」

「でも鳳蝶が太ってるのって過食の所為だけじゃ無いでしょ?」

 鳳蝶の箸が止まった。

「ま、若いから遺伝的なものかもだろうけどね。お店の子にもね、オメガだけどストレスでフェロモン異常が出て薬飲むけど太りやすいって言う子が結構いるんだよね。そー言う子達には仮想空間の方で働いてもらうんだけど。」

「へー、そうなんだ。」

 楓は何でも無いことの様にそう話しながらサンドイッチにパクついている。

「番、作れば?」

「んな相手いねー。」

「ミツカゼいるじゃん。」

「バラしたら速攻で残念がられた。」

 楓はさも面白そうに笑い出す。
 鳳蝶は楓のこのノリは苦手だ。馬鹿正直に喋る自分も悪いのかもしれないが。

「あのなぁ、いつものとーりにスパッと忘れられてんの。アイツにとったらまた騙されたぁって感じだったの。オレも流石に傷つくわっ!この話はお終いっ!」

 今日は教室に残っている奴が少なくて良かった。
 この会話を聞いている人間はいなさそうだ。
 鳳蝶は憮然として食事を再開する。
 口いっぱいにかき込んで、口に入れすぎてお茶を飲むのに夢中で、楓の言葉は聞こえなかった。

「…………馬鹿な奴……。」

「ゴクゴク、ぷはっ、…なんか言ったか?」

 お茶を飲み干して、呟いた楓に気付いた鳳蝶が聞き返した。

「何でもなーい。」

 先程一瞬見せた冷たい顔は鳴りを顰め、楓はいつもの様に戯けてサンドイッチに齧り付き、不思議そうにした鳳蝶に笑いかけた。











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