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35 フリフィアの仮想空間
しおりを挟む目の前には美しい少女が立っていた。
肩まである茶色の髪は内巻きに整えられ、あどけない瞳が真っ直ぐに自分に注がれている。
華奢な身体で腰は細いのに、胸は丸い曲線を描き柔らかそうだ。
ここに何故いるのか咄嗟に理解出来ず、識月は瞳を瞬かせて辺りを見回した。
「どうしたの?識月。」
問いかける少女は白いテーブルに着きティーカップを傾けていた。
コクリと飲む仕草は可愛らしいのだが、この少女が誰だったか思い出せない。
そもそも自分が誰だったかも出てこない。
自分と少女は一緒にお茶をしていた。
テーブルの上には緑色のレースのクロス。
小さな焼き菓子が並べられたプレートに、クリームとジャムが添えられ、色とりどりの花が飾られている。
チチチ、チチ鳥の声が聞こえる自然豊かな庭園。
日除用の大きなパラソルの影は程よい涼しさを与えてくれていた。
いつかもそう聞かれた気がしたが、それはこの少女ではないと、……違うと心が騒いだ。
「ここは………?」
少女は大きな目を見開いた。
「まあ、識月ったら、眠っていたの?私達今、式の内容をお話ししていたのよ?」
朗らかに笑う少女の顔が、徐々に思い出されてくる。
「……ああ、そう、だね。俺達の式の……。」
自分とこの少女、流歌は婚約者で、卒業と同時に結婚式をあげようと話していた。
同じ学校で、同級生で、誰もが認める婚約者。
自分はアルファで流歌はオメガ。番の約束もしていた。
「さ、今日は帰りましょう。」
流歌の言葉に識月は従った。
座る彼女に手を差し出す。
少女の手は小さく、引き上げる身体は軽い。
流歌を送り家の前で見つめられ、いつもの様にキスをする為に屈み込む。
閉じられる瞳、白い頬。肩まである髪を手で掬い上げ、識月の手がピタリと止まる。
どうしても先程から違和感が起こる。
なかなか降りてこない唇に、怪訝になった流歌が瞳を開けた。
「どうしたの?」
「いや………、耳が、こんなに…。」
綺麗だったかと思ったのだ。
だが流歌の耳はいつも綺麗だ。そっと耳朶に触れると、流歌は嬉しそうに笑った。
「なぁに?耳がどうしたの?」
識月にも分からない。
「いや、すまない。」
そう言って頬に口付けを落とすと、流歌は少々不満気だった。
唇に欲しかったのだというのは分かるのだが、どうしても今はしたくなかった。
また明日。
そう言って、やはり違和感が起こる。
明日を何時も楽しみにしていた。
毎日、同じ時間。スクリーンの電子時計を見ては、その時間だけは空けるよう調整をして。
クラリと視線が歪む。
「………………なんだ?」
額を抑え、識月は言いようのない吐き気を堪え、玄関先で手を振る流歌に笑い掛けた。
いつも通り学校に通う。
流歌をエスコートして、彼女の為に動く。
何時もやっていた事、の筈。
生徒達は挨拶をして、流歌と識月をお似合いだと褒めそやす。
流歌は今日も綺麗だった。
校門から校舎まで広い石畳が続き、青々と樹々が騒めく。
生徒達は歩く識月達に道を譲り、顔を輝かせて通り過ぎるのを待っていた。
白い花弁がまるで祝福するかのように風に舞う。
「うう、識月君の困った顔が可愛い。」
「ゲロッ、なんだこの少女漫画風!吐くぞ!」
「あはははは!傑作!あの識月をっ、くふっ!」
「うわぁ………。お気の毒。」
僕、鳳蝶、楓君、麻津君で校門の端から通り過ぎる識月君達を見送る。
ここはフリフィアの中。
フィブシステムとは切り離された仮想空間の中に僕達はいる。
楓君に事情を話し、フリフィアの中に連れ去られた識月君を探してもらった。
楓君はフリフィア組織内トップの浅木家の後継らしく、サクサクと調べてくれた。
本当はお金取るんだけどね、友達料金にしとくから、と調べてくれたのだ。タダでは無かった。
「識月君だけ切り取って保存したい。」
「後でそれ見た時の従兄弟どのが卒倒するから止めてやれ。」
「いや、僕は脅しのネタに取っとこうかな!」
「俺は怖いからパース。」
識月君がいるのはフリフィアの商品の中なのらしい。
フリフィアは娯楽に特化した仮想空間を売りにしている。識月君を攫った泉流歌は、その商品《理想空間》と言うものの中の、《学園の王子様》と言う商品にいた。
識月君は王子様というより王様だと思うのに、王子様位置に識月君、お姫様位置に泉流歌が設定されていた。
「ひひひ、あは、いや、このチョイス!夢見がちも大概にして欲しい!でもこれ意外と人気あるんだよねぇ。」
他にも色々な商品があると言って見せて貰ったけど、《泡になった人魚は王子のキスで目覚める》、《純愛ヤンキーは一途に恋する》、《いけない人妻の秘密の恋》、《生まれ変わり~本当は貴方が欲しい~》なんて童話から異世界もの、現実的なオフィスラブまで様々な商品があった。
「いや、題名がさ!ダサすぎ!誰が考えたんだよ!?」
鳳蝶のツッコミに楓君も校門のとこの壁を叩いて爆笑している。
「ウチの幹部どもがっ!あはははっ!」
楓君曰く、売れると見込んだフリフィア幹部が考えた商品らしい。主に風俗店で出されるか、個人的にデータを購入して使用するかになる。風俗店では数万円、購入価格はびっくりゼロ5つ。
人体にはフィブシステム用のチップとピアスがついてるので、それを通してフリフィアシステムのデータを使うのだとか。
フィブシステムを通す事にはなるが、秘匿プログラムを使って治外法権となっている地域のみ使用でき、フィブシステムの監視も法も遮断出来る。
それを密かに許可されている場所がフリフィアになる。
そう説明されて、僕達は識月君がいる仮想空間に来たわけだが……。
楓君がスクリーンを広げて次の過程を見せてくれた。
「はーー、おかしっ、次のシナリオはぁ……、あ、これこれ。」
今は序章の始まり。《学園の王子様》は四時間程度のシナリオなのだが、泉流歌が遊ぶ時間しか動かない。
泉流歌は現在、学校とアイドル業を兼任している為、空き時間しか遊べない。《学園の王子様》を購入せずシナリオを借りている状態で、空き時間にフリフィアにやって来ると楓君は調べてくれた。
その予約時間に僕達は待機して、漸く始まったシナリオを傍観していたわけだが、無理矢理これに付き合わされる識月君が可哀想になった。
識月君は今、精神を拉致され偽りの記憶を被せられている状態らしい。
架空の学園に通い、生徒会長である泉流歌の婚約者として、生徒会副会長として泉流歌を補佐し護るナイト、といった役。
ヒロインである泉流歌を一途に愛す、品行方正な王子様という性格を演じている。
次のシナリオは生徒会室。
放課後にイベント資料を作る生徒会長泉流歌を、副会長の識月君が補佐し一緒に残る。
一生懸命に努力する生徒会長に惚れ直す副会長。二人きりの生徒会室。
夕方、薄暗くなりつつある部屋の中、二人の雰囲気は甘く高まる。
「この商品は普通に遊ぶなら単なる体感型仮想空間だけど、裏の使い方は洗脳に近いよ。偽りの役を信じ込ませて何度も繰り返し演じさせると、それに近しい感覚が植え付けられる。泉流歌は今んとこ十回分予約済み。昨日の夜既に一回終了済み。」
「え………?洗脳!?じゃ、じゃあこのシナリオ最後はどうなるの!?」
楓君はシナリオをサアーとスクロールした。
最終章、番になり結婚。
番!結婚!
番いになるにはオメガが発情期になり、性行為中にアルファがオメガの項を噛まないとなれない。
「な、なったの?一回なったの?」
楓君は曖昧に笑った。
これを繰り返すと洗脳されていく?
泉流歌を好きになって、番になって、結婚する?
「ぼ、僕、生徒会室に行く!」
僕の叫びにより、四人で生徒会室に走った。
二人きりの生徒会室で、ページをめくる音だけが響く。
シンと静まり返った空間の中、お互いの息遣いさえ聞こえそうな程に意識し合う。
識月は困惑していた。
紙をめくる手に違和感を覚えたからだ。
何枚も重なる紙のうち一枚を持ち上げる。
イベントの予定表。
「どうしたの?識月。」
流歌が心配そうにこちらを見ていた。
手が止まったのに気付いたらしい。
流歌の背後にある窓ガラスの向こうは、既に日が沈みかけ薄暗い。
徐々に上がる体温に不快感が込み上げてくる。
好きな人と一緒にいるのに息苦しい。
識月がこれ以上何も起きないようにと祈りながら視線を落とした時、ドアを叩く音が響いた。
何故何かが起きると思ったのか、何も起きないでと祈ったのか訳も分からず、この息苦しい空間を破ってくれた人間に感謝した。
「俺が出る。」
そう流歌に伝えてドアに近寄る。
「待って、おかしいわ。誰もいない筈なのに……。」
流歌のセリフに違和感を感じる。まだ部活が終わったばかりの生徒もいる時間だ。誰かが来てもおかしく無いし、教師が何かしら用事があって来てもおかしく無い。
「………大丈夫。」
流歌に薄く笑いかけてドアを開けた。我ながら婚約者に向けるにしては感情の無い笑顔だなと思う。
廊下には細身の生徒が立っていた。
見上げる目は黒目がちで、少し吊り目でも大きいので猫のようだ。
左耳が歪な形をしていて、そこを思わず見つめていると、生徒は恥ずかしそうに耳を覆う髪ごと左手で抑えた。
きめの細かい肌は白く、頬が薄紅色に染まる。小さな口がキュッと閉じられ、思わず生徒の右頬に手を添えてしまう。
柔らかな頬は温かく、その触り心地に酔いしれそうだった。
「識月?」
室内から流歌の呼び掛ける声が聞こえて、ハッとする。
「少し話があるそうだから、待ってて。」
流歌にそう言い残し、識月は廊下に出てドアを閉めた。
生徒の右腕を掴み、こっちだと引っ張る。
何故か早くここから離れさせなければと思った。
階下に降りて行き、二階の空き教室に入り込んだ。
「識月君………?」
生徒は自分の名前を知っている。
いや、ここの生徒で自分知らない人間はいない。生徒会長である流歌の婚約者として誰でも認識している。
「………………すまない。」
咄嗟に引っ張って来たが、何故連れて来たのか自分でも理解出来ず、急に連れて来てしまった事を謝った。
「ううん、大丈夫。………識月君は、大丈夫?」
気遣わしげに識月を見上げる瞳は優しい。
知っているようなのに、記憶にない。
それが悲しい。
何か言いたいのに、何も出て来ず、識月は口を開いては閉じていた。
「…………どうしたの?」
識月は目を見開く。
生徒の細い眉が落ちて、識月の異変を見逃すまいと心配気に見つめていた。
知っていると思った。
以前も何処かでそう聞かれた。
この人だと、また心が騒めいた。
「仁彩…!」
教室の外から違う少年の声が聞こえた。
といろ?
「あ、ここだよ!」
といろと呼ばれたと生徒は、ここに居ると呼んでいた。
「といろ?」
生徒はドアから顔を覗かせていたが、識月を振り返った。
「うん、人偏に漢数字のニ、色彩の彩でトイロだよ。ごめんね、時間みたいだからまた後でね!」
仁彩は小さく手を振って廊下に出て行った。
もう少し話したくて慌てて廊下に出たが、仁彩はもういなかった。
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