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27 蒼矢
しおりを挟む月の夜、桜の葉の下からでる白い手。
薄く開いた眼は虚でガラス玉のように澄んでいた。
「ゆ………ゆ、ずる……。」
落ちるのを見た先輩達が騒ぎ出し、救急車を呼んだり警察!?と叫んだりするのを、遠くで聞いていた。
腕には助けた翼がいたはずなのに、いつの間にか離れていた。
欄干で固まって動かない俺に痺れを切らして、他のサークルメンバーに慰めてもらいに行ったらしい。
弓弦君が……と泣き声に混じって聞こえるが、今まで翼が泣けば飛んで慰めに行っていたのに、行く気になれない。
幼馴染の鈴屋弓弦が死んでいた。
咄嗟に取捨選択したはずだ。
落ちる翼と弓弦を見て、翼を抱きしめた。
落ちる弓弦の諦めたような眼が、焼き付いて離れなくなった。
警察の質問に答え、一人でも助けた君は良くやったと言われた。
弓弦を殺したのが良くやったことなのか?
手を伸ばせば助けれる距離にいて、助けなかったのは罪じゃ無いのか?
翼と一緒に掴んで落ちるのを止めて、誰か近くにいる人間を呼べば良かったんじゃないのか?
尽きない疑問に答える人間はいない。
親には葬式には出ないように言われた。
弓弦の転落死は事故で片付けられたが、弓弦の親が大学のサークルのメンバーを拒否しているらしい。
親は何も言わなかったが、助けなかった俺も拒否されたのかもしれない。
小さな頃から遊んでいた幼馴染より、大学で知り合った人を助けたのだ。
恨まれて当然だった。
俺は翼と別れた。
大学での人の目は同情的だったが、翼とは別れた。
何で!?と怒る翼には謝って、ほぼ強制的に別れを告げた。
あれだけ可愛いと思っていた翼が急に色褪せて見えたし、何故かこのままではダメだと思わせたからだ。
サークルは辞めて、友達を作って誘われた所に入り直し、翼とは会わないようにした。
元々学部が違うので会わないようにするのは簡単だったが、翼の噂はよく流れて来ていた。
翼の恋人遍歴は凄まじく、聞くたびに違う人間だった。
顔が良いやつ、スポーツが出来るやつ、頭が良いやつ、何かしら飛び抜けた人間が好きなんだなと思った。
だったら大学入って直ぐに、俺に目をつけなくてもよかったのに……。
そうしたら、今でも弓弦は生きていて、俺の隣にいたかもしれない。
そう考えては過去の自分に落ち込んで許せなくなる事を繰り返した。
ゲイとバレてからは友達は増えなかったが、それなりに平穏に楽しく過ごせたと思う。
就活をして、そこそこの会社に就職して、普通のサラリーマンになって、また弓弦が落ちた公園に来た。
毎年この日の夜にホットミルクティーを持って来ては、置いて行けないので自分で飲んでいく。
いつかの日のように今日の月も綺麗な月だ。
くっきりと影出来るほど明るい月。
あの日、満月…。何で今日満月が……。
「こんなに大きかったか?」
昨日の月なんて覚えてない。
でも異常に大きい月に恐怖を覚えた。
そういえば、あの日も綺麗な満月の日で、弓弦が見上げてミルクティーを飲んでいた……。
いや、飲んでいたのを見たのか?
俺が見た時は翼と欄干で喋ってて、駆け寄って、落ちて………。
飲み干したペットボトル持って帰ると言ったのは、いつの事だ!?
混乱した頭で必死に考える。
「やっぱり今日も来てたんだ?」
話しかけて来たのは翼だった。
「何でここにいる?」
いいじゃん。ととぼけて笑う翼に、何故か嫌な気持ちになる。
卒業前に態々自分の元まで来て、先輩に誘ってもらって就職したと言いに来た。
友達からお前が良いとこに就職したからじゃないかと心配されたばかりだ。
「近付くな。」
後ずさって弓弦が落ちた欄干にあたる。
何故こんなに翼が怖く感じるのか。
翼の笑顔に恐怖を感じた。
「僕さぁ、月を見てたら思い出したんだよ。金の泰子は僕を選んでたくせに、僕を落として弓弦君を連れて行ったんだ。」
翼の眉根が寄り、瞳孔が広がり睨みつけるように三白眼になる。翼はこんな顔をするやつなのか?
初めて見た?
いや、見た事あるような気がする。
どこで?
ここで?
いつ?
あまりの翼の豹変ぶりに動けずにいると、自分が誰かの影に入った。
後ろは欄干で、下は石垣の崖だ。
誰がいるというのか……。
振り返ると欄干の上に真っ青な髪の美しい女性が立っていた。青い眼が真っ直ぐに俺を見つめ、含んだような笑顔を見せる。
「まさか青の精霊王?ねぇ、僕を元に戻してよ。僕は主人公のはずでしょ?金の泰子に選ばれたでしょ?」
翼の低い声に、女性は持っていた扇で口元を隠した。和服を着ているのかと思ったが、帯は細く羽織ははだけて中には幾枚もの薄衣が重ねられた様な変わった格好をしていた。
「元黒の巫女よ、金の泰子は既に銀玲と番い金玲と成っておる。残るはお前が壊した青の泰子のみ………。」
「じゃあ、僕が番うよ?僕が責任取ってあげる。」
女性は可笑しそうに喉で笑った。
この二人は知り合いなのか。
得体の知れない空気に早くここを立ち去りたいのに足が動かない。
女性が扇をたたみ俺の頭をトンと突いた。
「其方よりこの男の方がマシ。」
何の話だ。
「はぁ!?蒼矢を?全然合わないよ。僕の方が青の泰子の事はよく分かってる。」
女性は片眉を上げて嫌そうな顔をした。
「笑し。」
欄干からトンッと崖側に向けて飛ぶ気配に、ハッとなって捕まえようとした。
あの日の様に落ちていくと思ったから。
振り返り、手を伸ばしたのに、後ろからの衝撃に自分の身体が落ちていた。
「邪魔する奴はいらない!!!」
暗く低い翼の声を背に、浮遊感と共に重力を感じる。
俺は身体に衝撃を受け、自分が地面に叩き付けられたのだと知った。
朦朧としながら空を見上げる。
体勢から崖の上は見えないけど、樹々の枝の間から大きな満月が見えた。
こんな大きな月、おかしいだろ……。
俺の意識はそこで途絶えた。
「何と黒い心の巫女か。」
青の精霊王の非難に、翼は当然だと言わんばかりに笑った。
「僕は黒の巫女だよ?僕は主人公で泰子の伴侶になる人間なんだ。早く僕を連れてってよ。」
青の精霊王は笑って被りを振る。
たおやかな肢体はしなを作り、翼を嘲る様に見下ろした。
「そこに丁度条件の揃った人間がおるから、お前は不要。私が去れば、世界は理を戻しに掛かるだろうが…………。」
薄青い満月を背に、青の精霊王はそれはそれは艶やかにニンマリと笑った。
「お前を理から外してやろう。」
青の精霊王はパタパタと扇を扇ぐ。
翼は流石に分が悪いと悟ったのか、走って逃げようとする。
相手は精霊王。
何をしてくるか分からない。
「制約により記憶を残してやろう。一つ、世界の理が元黒の巫女の記憶を消さぬ事。一つ、天霊花綾に関する事を他者に伝えれぬ事。一つ、前条件を破ろうとすれば、己の輝きを失う事。一つ、この制約は元黒の巫女の死により消滅する事。この世界は罪を犯せば法により裁くのであろう?裁かれようと罪を免れようとお前に救いは要らぬ。青の泰子の慟哭を知れ。」
風が水の様に流れ、するりするりと翼に溶け込んだ。
「な、何したんだ………?」
振り返れば月は普通に欠けた月だった。
怪しく美しい青の精霊王はもういない。
急いで帰らないと。
蒼矢を落としたのがバレてしまう。
そこで翼は気付いた。
今まで自分が天霊花綾の世界を忘れていた事を。
何故か見上げたら満月で、思い出して公園に向かった事を。
そして今、自分は記憶がそのまま残っている事を。
「記憶を消さない………!?」
その意味を考え翼は憤った。
今まで忘れていたから好きな様に楽しくやれた。でも、あの不思議な世界を覚えているのに、自分は満足出来るのだろうか。
美しい泰子達が指からすり抜け絶望する。
あれは全部僕のものだったのに!
この際青の泰子でも良かったのに!
翼はあまりの悔しさと怒りに涙を流した。
翼はまだ知らない。
蒼矢を転落死させた罪で捕まる事を。
青の精霊王に唆されて落としたのだと言おうとして、輝きを失っていく事を。
青の精霊王の言う輝きとは美しさ。
若く、可愛く、綺麗だった翼の肌は衰え、髪は白髪が混じり、高く澄んだ声はしゃがれていく。濁った眼は人に嫌悪を与え、忌み嫌われ、醜い姿で一生を過ごす事を。
時は流れ、繰り返し死者を出した崖の柵は、もっと内側に大人の胸あたりまで有る柵に取り替えられた。
そこに一人の老人がフラフラと歩いてくる。白髪で腰は曲がり、虚な目は異常者を感じさせる浮浪者まがい。
高い柵を震える手足でなんとか乗り越え、老人は身を投げる。
「ここから落ちたら行けるよね?」
月は明るい満月だったが、それはいつもの普通の月で、ただ生暖かい空気が沈むだけのなんの変哲もない夜だった。
青の精霊王は一つの魂と少しの髪を持って戻った。
青の泰子の部屋にいた三人の前で、元の身体を再現し、床の上にドサリと身体を置く。
「………うわ。」
銀玲はそれが誰が分かって思わず嫌な声を上げた。
「うっ………。」
置かれた衝撃で目が覚めたのか、蒼矢は薄っすらと瞼を開ける。
薄暗い部屋の中で、自分を覗き込む三人の人影。
さっきいた青い女性と金髪に金と銀のオッドアイの男性、そしてその隣に……。
「……………弓弦?」
もう会う事は出来ないはずの人の姿に、蒼矢はガバリと起きた。
その姿は死んだ時のまま若々しく、いやむしろ綺麗になっているかも知れない。
「弓弦………何で?死んだのに……。」
「あ、やっぱり死んだ事になってるんだ?」
銀玲は向こうでの弓弦という存在がどうなったのかを悟った。
蒼矢の見た目が少し大人っぽいのは何でだろう?スーツを着ているという事は、仕事をしている年齢だろうか?
天霊花綾と向こうの世界の時間の流れは違うのか、それとも精霊王は時間を選んで行けるのか。
とりあえず不安気な蒼矢へ説明した方が良さそうだ。
此処が天霊花綾という世界で、蒼矢は青の精霊王に連れてこられた事を。
弓弦も死んだ時に此処へ来ており、生まれ変わって過ごしていた事、今は金玲と番になり一緒に暮らしている事を説明する。
蒼矢は金玲と言われた金髪オッドアイの仏頂面した美丈夫を見る。
記憶がさっきから弓弦が死んだ時の記憶と、公園でこの金玲と呼ばれた男と共に消えた時の記憶が混在しており、どうにも気持ち悪い。
どちらが本物の記憶なのか……。
金玲は蒼矢を警戒して銀玲を庇う体勢を取っているのだが、蒼矢から見れば金玲の背に引っ付く弓弦は仲良さげで、彼の庇護下にある事が窺えた。
「そう、か……。幸せそうで良かったよ。俺、お前を捨てたし助けなかったしで、ずっと謝りたかったんだ。だから、ごめん。今謝らせてくれ。ごめんな。」
蒼矢にとって今の状況は夢の中の出来事の様で現実味は無いが、せっかく会えた弓弦に兎に角謝らなければと頭を下げる。
「いいよ、結構過去の事って感じで蒼矢の事も恨んで無いからさ!」
優しく眼を細めて笑う弓弦が相変わらずで、蒼矢は泣きそうになった。
何でこんな優しい人を捨てたのだろう。
「銀玲………。」
二人の邂逅を破る様に、金玲が低い声で呟いた。
「あ、うん?どうしました?」
金玲は銀玲が元黒の巫女と何かしら因縁が有りそうだとは思っていたが、向こうの世界からの生まれ変わりである事も、この男を知っている事も初耳だった。しかも、やたら親しく話すし、捨てたとは…………?
「黒髪の人間も来た事だし、要は済んだ。帰ろうか。」
帰って問いたださねば。
「え?でも蒼矢置いて………。」
「その男は青の精霊王が連れて来た人間だ。青泰家が責任を持って面倒を見るはずだ。」
銀玲を抱き上げてスタスタと部屋を出ようとする。
「え?ちょっと待って……!あ、蒼矢また許可貰って来る様にするから!」
銀玲を抱えた金玲はあっという間にいなくなってしまった。
呆然とそれを見送って、この美女とさっきから一つも反応しないで本を読む男性と共に残されて、ブルリと不安で震える。
心の中でそばかす顔の幼馴染に、早く来てくれと祈るしかなかった。
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