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神様のいいように
116 いつか見た空の色
しおりを挟む金曜日の夜、天気予報を調べて海へ行くことにした。黎明の空なんていつ見れるのかどこで見れるのか知らないので、とりあえず晴れた日に行こうということになった。
寒い日の方が空気が澄んで朝焼けになりやすいとネットで書かれていたので、何回チャレンジすることになるのか分からないが道谷さんに協力してもらってやることにする。
「三時間くらいかかるから寝てて。」
突然朝焼けを見たいと言い出した高校生二人に付き合って、学さんも眠たそうに出て来てくれた。出発は夜中の三時だ。
「ねむ……。」
なんとか皆んなで早起きして出発した。
車の中の暖房でぐっすりと眠りこけ、起こされるともう朝だった。助手席の学さんと采茂は寝ていたが、運転主の道谷さんは勿論起きていたけど、玖恭も起きて話し相手をしていたらしい。
「玖恭君は元気だね。」
道谷さんが感心していた。前までの玖恭だったら寝ていただろうけど、今の玖恭は透金英の記憶があるのでどうしても対応が大人よりになってしまうらしい。そうなるとシュネイシロの記憶がある采茂も変わるべきなんだろうが、生来の性格かそういう気遣いはやらないのが采茂だった。
海は前日降った雨の所為か少し波があった。砂浜ではなく岩がゴツゴツとある岩礁を選んだのは、早朝から散歩に出て来る人がいたら嫌だねという話からそうなった。
道端の少し広くなった草むらに車を突っ込み、浜辺の方へ歩いて行く。まだ外は暗く、空気は冷たかった。
「もう直ぐクリスマスが来て正月が来るね。」
道谷さんと学さんが並んで歩き出したので、玖恭と二人で先を歩いていると、玖恭がポツリと言った。
「………うん。来るね。」
「もし今日がその日でも、俺はこれが当然のことだと思ってるから気にしないで。」
采茂は玖恭を見た。横に並ぶ玖恭は穏やかだった。透金英はいつもシュネイシロの為に生きている。シュネイシロが作ったのだから、生前の透金英なら理解できる。でも元々の魂は普通の人のものを使ったのだ。本当にそこら辺にいる、普通の魂を勝手にシュネイシロは使った。
シュネイシロは身勝手な妖霊だった。
万能とも思える膨大な神聖力を持った、我儘な絶対者。
「本当にいいの?」
玖恭は笑う。こんな身勝手な存在に振り回されているのに、その笑顔は優しかった。
元気に前を歩く高校生二人に付き合って、何故か寒い冬の海に連れて来られた。
本当に寒い。風が冷たく、打ち寄せる波の音が更に寒々しい。
「うーーー、久々にこんな寒いって思ったかも。」
「そうか?毎年こんなもんだろ?」
もう冬だという季節だが、まだ雪は降っていない。もっと冷え込む日は来るのに道谷は不思議になって言った。
「え?………あー、またこの感覚か。なんか………、なんか違うって感じるんだよなぁ。」
そう言われてしまった学も変だよなと思う。ずっと抜けないのだ。いつもの通り生活しているのに、こんなことしてたっけという違和感。
車で寝てはいたが助手席という狭い空間で座っていたからか、身体は少し怠い。運転していた柊生の方が疲れているだろうが、気持ち的に学は疲れていた。
違う、違う。
ずっと心が騒めいている。
車を降りた時はまだ暗かったのに、林を抜け海に近付くと空は明るくなっていた。そして地平線の向こうは燃えるようなオレンジ色が広がっている。
流れる雲も炎の色を移して燃えているようで、影になった部分と上の空がまだ透明な紺色という美しい空の景色が出来上がっていた。
太陽が昇る。
地上に近付く太陽が、濃いオレンジ色を覗かせようとしている。
学は目を見開いた。
「これ、見た………?」
見たな?誰と?いつ?どこで?
学はアウトドア派ではない。大自然とかには興味がないから、昔からこういった景色には縁がなかった。
でも、見た。見て感動したのを覚えている。
覚えている?
何を?
いつ見たんだ?
突然立ち止まって目を見開き、海の向こうを凝視する学を、道谷は心配そうに見つめていた。
道谷からすれば今の学は知らない人間だった。いや、中学までは確かに知っていたが、大人になって再開しても話すことはなかった。十年前、学が事故に遭うまではほぼ疎遠で、事故後の学が道谷にとっての津々木学になっていた。
今、目の前で目を見開き何かを呟く津々木学は知らない人間でしかない。
「覚えていますか?」
立ち止まった学の前で、采茂が尋ねた。
学はゆっくりとまた足を出す。自分の足なのに妙に重たい。
采茂と玖恭を通り越して、学はサクサクと歩いた。その先は崖だ。
………ジュ、ほら、黎明色の空だ………。
頭の中に声が閃く。
自分の声ではないのに、それを言ったのは自分だ。
好きだよと言った。
ーーーに、なろうと自分から言った。
その思い出す声は自分じゃないくらいに甘い声を出していた。
「名前を言って下さい。」
後ろから采茂が声を掛けた。
肩に手を置かれる。石森采茂は変わった雰囲気を持っている。まるで、向こうの人達のようだ……。
「名前…?」
誰の?そう、だ。ゲームをした。携帯のゲームで玖恭が落としてくれて、なんとなく興味を惹かれてやった。六人の中で迷わず選んだのは青の翼主だった。この空は青の翼主の色によく似ている。
青から紫、毛先に行くほど橙色に変わる澄んだ明け方を思わせる黎明色。
暗闇の中で炎が灯ると何度思ったか…。
ポトリと涙が落ちた。
「名前は、クオラジュ……。」
空の青が深くなる。
地平線に沿って空が割れ、暗闇が顔を覗かせた。
「来る。玖恭、後は頼んだよ。」
采茂は玖恭を見た。
「クオラジュッ!!クオラジューーーー!!!」
泣きながら叫ぶ学にギョッとして道谷が駆け寄った。
「お、おい?大丈夫か?どうしたんだ?」
道谷には割れた空が見えていない。
「道谷さん、今から寝ちゃいますけど大丈夫ですから家に連れ帰って貰っていいですか?」
ワーーと泣き叫ぶ学を支える道谷に采茂は言った。
今から来る。
あの暗闇の向こうから、津々木学の魂と契約して魂が見えない程にぐるぐる巻きにした人物が。
名前は存在を明確にする力がある。
暗闇の中に炎が灯った。炎のように、太陽のように急激な熱が近寄って来る。
「これは凄い。」
玖恭も思わず呟いた。
「クオラジュッッッ!!!」
「マナブッッッッッ!?」
空を割る隙間からガッと出てきた手が学の手首を掴む。それに合わせて采茂は津々木学の身体を眠らせた。辛うじて心臓が動いていると言うくらいの仮死状態に近付ける。
切り離された津々木学の魂を、現れた青の翼主が捕まえた。
学の魂は自分が魂になったことも気付かずに手を伸ばし抱き付いていた。
隙間に消えようとする二人を追って、采茂も自分の身体を仮死状態にする。身体から抜け出し二人を追い掛けて隙間に入り込んだ。
あれだけの熱量を持つ人間が壁を通り抜けてきたのだ。元シュネイシロの魂でもいけるとふんだ。
空の隙間は三人の魂を飲み込んで消えてしまう。
崩れ落ちた采茂の身体を抱き止めて、玖恭は上手くいきますようにと願った。
空間が閉じた場所から太陽が覗く。濃いオレンジ色が徐々に明るくなり、紺色の空が水色に変わる頃、道谷がポツリと呟いた。
「どう、したらいいんだ?」
道谷には何が起きたのかまるで分からなかった。
突然空に向かって学が叫びだした。泣いて子供のように叫ぶ姿に、最近おかしかったのがとうとう本当におかしくなったのかと思った。
石森采茂から家に連れ帰れと言われたが、病院に行った方が良くないだろうか?
腕に抱いた学は眠っているようだった。
「帰りましょうか。」
玖恭は道谷に帰って二人を寝かせるよう提案した。病院に連れて行っても異常なし、寝ているだけだと言われるのがオチだ。
「さっきのは、なんだったんだ?」
困惑する道谷に説明してもいいが、分からないだろうなと玖恭は困りながら考える。
「道谷さんの大好きな人を迎えに行ったんですよ。」
間違ってはいない。
「え?……え?」
恋人の津々木学は今道谷の腕の中だ。でも最近の学は全く触れさせてくれず悲しかった。
元の学に戻るのだろうかと僅かな期待が膨らむのを抑えられない。
「さ、帰りましょー。」
「あ、ああ。」
二人それぞれ人を一人ずつ抱えて車の方へ歩き出した。
ゴウゴウと風を切りながら暗闇の中をクオラジュは飛んでいた。
その二人の後ろを采茂もついて行く。
采茂の背中には黒い翼が生えていた。キラキラと金とも銀ともつかない光の粒を散らす漆黒の羽だ。
それをクオラジュはチラリと振り返り見た。
視線を感じた采茂はその美しい男性を見てニコリと笑い返す。
「シュネイシロですか?」
向こう側にいると聞いていたクオラジュは、間違いないだろうと確信を持ちながらも尋ねた。
「そうだよ。ごめんね。貴方が来るだろうと思って待ち構えてたんだ。」
シュネイシロには向こう側に自分の身体がない。ラワイリャンの話では死んだ身体は保管されているらしいが、生きていないのでシュネイシロが帰るべき身体が無かった。
身体がないと向こう側へは行きにくい。
青の翼主クオラジュが世界の壁を突き抜け真っ直ぐ向こう側へ帰れるのも、自分の生きた身体があるからだ。後は今壁に空いている穴のおかげだ。
クオラジュが帰ろうとする力に采茂は便乗していた。でないと置いてきた身体に引っ張られて戻ってしまう。
「重いのですが?」
暗に邪魔だと言っているのだが、采茂は気にせず引っ付いてきた。津々木学の魂に自分の神聖力を引っ付けておいたのだ。
さっきは黎明の空を見せる為に一緒にいたが、もし知らぬ間に思い出して津々木学の魂が離れている間に世界の壁を潜ってしまっても大丈夫なようにしておいた。
念の為の処置だったが、今は役に立っている。繋げていなかったら振り落とされていたかもしれない。
それくらいの速さで青の翼主は飛んでいた。
青の翼主の文句はしれっと無視して、采茂は尋ねた。
「学さんの身体は向こうにあるの?」
クオラジュは一瞬無言になり、仕方ないといった感じで答えた。
「いえ、ありません。ジィレンが器に放り込んでしまいました。」
今青の翼主が抱き締めている津々木学の魂は気を失っている。自分の身体から引き抜かれた衝撃で気を失ってしまったのだ。綺麗な顔してなかなか強引な男だなと采茂は呆れてしまった。絶対に連れ戻すつもりでいたのだろう。その気持ち采茂も分からないでもない。
「じゃあさ、僕がなんとかするから任せてくれないかな?」
采茂は青の翼主に交渉することにした。青の翼主はおそらくジィレンが器に入れて作ろうとしている身体に津々木学を入れようとするはずだ。入れ物になる身体は材料や手間の関係からそう幾つも作れない。
シュネイシロだった頃に自分も透金英を作ったが、今はその材料もないのだとラワイリャンの話しから聞いている。
だから入れる身体は今のところ一つしかない。
「……………。」
即答をしない青の翼主に、采茂は重ねて提案した。
「少しだけ貸してくれればいい。必ず貴方達が納得出来る形にしてみせよう。僕は君達の神様だよ。」
ニッコリと笑って見せる。
「………いいでしょう。必ずですよ?」
出来なかった時が怖そうな表情で青の翼主は了承した。
目の前に明るい世界が見えて来る。
青の翼主は自分の身体を穴に入って直ぐのところに置いて来ていた。しっかり結びつけて流されないようにしてある。身体の中へ青の翼主が戻るのを見届けてから、津々木学の魂を自分の中へ入れた。
流れ込む神聖力の波に、久しぶりだと采茂は感じる。
この万能感。
シュネイシロが生まれた世界へと戻ってきた。
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