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全てを捧げる精霊魚
96 優しい優しいサティーカジィ様
しおりを挟むイツズは熱心に本を読んでいた。
天空白露に帰って来た一同は、それぞれ己の仕事に急いで戻って行ったのだが、イツズは特に何もやっていない。サティーカジィから屋敷の外に出ないで下さいねと念押しされ、しかたなく自分の作業部屋で過ごしていた。
イツズと同じように特に何もやっていないツビィロランも、暇なのかクオラジュを伴って一度遊びに来たのだが、その時色々と暇つぶし用にと物を置いていった。
その中の一つが本だった。
ツビィロランはイツズが精霊魚について知りたいだろうと思い、クオラジュに頼んで精霊魚関連の書物を用意して貰っていた。
「これ、イツズなら喜ぶとは思うんだけど、実行しないとは思うけど、サティーカジィに頼むんなら痛くないところにしろよな?」
「余ったら私にも分けて下さいね。」
本を手渡されながら、何を言っているんだろうと思いつつも、御礼を言って受け取った。
そして二人が帰ってから手に取り読み始めたのだが、イツズはこの本の虜になっていた。
『精霊魚解体書』
そう名打つ題名にドキドキしながら表紙をめくり、何度も隅々まで読み込んでいく。
今日も朝から作業部屋の植物の世話を終え、道具の点検後、ソファに座って熱心に読んでいた。
本の内容は精霊魚の部位がどのような効能を発揮するのか、それを使ってどんな薬を作ったのかという研究日誌だった。
精霊魚の身体は人に近い。だから生々しい内容ではあるのだが、この本の作者は惜しげもなく精霊魚を使って研究を行っていた。いつ書かれた本なのかは分からないらしいが、野生の精霊魚を捕まえていたことから一千年から数百年前だろうと言われた。保存の術が掛けられていることと、所持者が運良く研究者ばかりだったことから大事に今現在まで保管されていたのだろうとクオラジュ様が言っていた。
イツズもその気持ちがわかる。
精霊魚を基本材料にしてはいるが、精霊魚なしでも代用品で作れるのではないかと思われる薬が多く記されていた。勿論効能は下がるだろうが、薬の研究者ならばこの本には素晴らしい価値を見出すだろう。
でもこの本を読んでいることを、サティーカジィ様に知られるわけにはいかない。
誰でもイツズが薬材収集癖があることを知っている。サティーカジィ様も暇な時は手伝ってくれるくらいだ。
サティーカジィ様は精霊魚で、この本からいけば身体全部が薬材ということになる。
もし精霊魚がまだ沢山大陸のあちこちに生きていて、人間とは全く違う生物なのだという認識が常識としてまかり通っていたのだとしたら、きっとイツズもこの作者のように精霊魚を嬉々として捕まえに行っていたことだろう。
そして同じように解体して実験を繰り返す。
この作者のように…………。
サティーカジィ様だってきっとそう思うだろう。
ずっと一緒にいたツビィですら、この本を渡す時少し心配していたくらいだ。
痛くないところと言ったら髪とか爪とかだろう。
以前クオラジュ様がサティーカジィ様の髪を切ろうとしたのはそういうことだと、この本を読んで知った。
サティーカジィ様は自分の重翼がこんな残忍な本を読んでいると知ったらガッカリするかもしれない。
あの方はお優しい方なのだから。皆んなからはヘタレと言われるけど、イツズもたまにそう思わないでもないけど、それでも大好きなのは事実だ。
だって白髪のイツズのことを好きだって言ってくれる。大事な重翼が真っ白な髪だったのに、全然気にしていない。
いつも優しく微笑み掛けてくれるサティーカジィ様が大好きだった。
「隠そう。」
そうしよう。ほぼ読破して内容は暗記してしまったけど、今更ながらにイツズはこれを隠そうと思った。
この作業部屋の中なら誰も手を出さない。
どこにしよう?
うーん、と本を手に持ち考えていると、ポンと肩を叩かれた。
イツズはビクゥと肩を揺らす。
「もう見てしまいましたよ。」
優しく苦笑しながら声を掛けてきたのはサティーカジィ様だった。
「ふゎっ!サティーカジィ様!?」
し、しまったぁ~~と慌てて本を後ろ手に隠しながら振り返る。薄暗いゴチャついた室内の中に、眩い金髪のサティーカジィ様は眩しい。薄桃色の瞳を細めて、ソファに座ったイツズを見下ろしていた。
「大丈夫ですよ、隠さなくて。クオラジュに聞いていましたから。」
どうやらイツズにこの『精霊魚解体書』を渡したことを、クオラジュ様は伝えていたらしい。
「ごめんなさい。」
イツズは申し訳なく感じて謝った。サティーカジィ様を薬材にしたいわけではないのだと言い訳をしたいのだが、既にじっくり読んでしまっている為、後ろめたくて何も言えない。欲望に抗えず、読まずに隠すという判断が出来なかったのだ。
「いいのです。イツズの薬材に対する情熱は知っています。欲しいのなら髪の毛もあげますよ?」
イツズの隣に座りながら、サティーカジィ様は優しく微笑んだ。その瞳はジッとイツズを見つめている。
「サティーカジィ様、僕は確かに薬材集めが好きです。でも、サティーカジィ様をそこら辺の薬材と同じように思っているわけではないんですよ。」
これだけはちゃんと伝えておかないとと思い、イツズもサティーカジィと同じようにジッと見つめ返して言った。
サティーカジィ様が全身薬材なのだとしても、イツズはサティーカジィ様を切り刻むなんて出来ない。出来るわけがない。
「髪の毛も、爪も、作りたいものがあるなら兎も角、態々僕の為に切らないで下さい。サティーカジィ様の髪はとても綺麗なんです。前は切ろうとしてごめんなさい。」
イツズの燻んだ金の髪とは違う。どんなに透金英の花を食べたって、こんなに眩い金色にはならない。
イツズはサティーカジィの金の髪を一房掬って自分の頬につけた。少しヒンヤリとして柔らかい髪は気持ちがいい。
「イツズが欲しいならなんでもあげます。」
尚も言うサティーカジィに、イツズはふるふると首を振った。
頬につけた髪が引っ張られ、サティーカジィが前のめりになる。
「たとえ僕がその時サティーカジィ様の花肉を欲しがっても、縛ってでも拒否して下さいね!」
思ったよりも力強い眼差しに、サティーカジィは狼狽えた。正直サティーカジィは少し疑っていた。もしかしたらツビィロランの身体が奪われて、中に入っている魂が彷徨う結果となった時、クオラジュは迷いなくサティーカジィの花肉を得ようとするかもしれない。もしかしたらイツズも同じようにサティーカジィの花肉を欲しがるかもしれない。
その時はあげようと思っていた。
花肉は心臓と同じだ。失われれば死ぬ。それを理解してでも欲しいと言うのなら、迷わずあげてしまおうと思っていた。
サティーカジィよりもツビィロランを取ると言うのなら、その現実は辛いから。
逃げているだけなのだが、サティーカジィには自分の方を大事にして欲しいと思っても、強要したくはなかった。
イツズの意思は自由だ。
「ですが、もしツビィロランの為に必要になれば……。」
「それでも拒否して下さい。ツビィの魂が消滅してしまうと言われても、僕が我慢できずにその時の衝動で欲しいと言ってしまっても、絶対にサティーカジィ様の身体を傷付けないで!」
イツズはサティーカジィを下から覗き込みながら必死に訴えた。
「絶対に後悔するんです。サティーカジィ様を失ったら、絶対に僕は僕が許せない。そんなこと言うつもりはありませんけど、悲しすぎて言っちゃうかもしれないから、絶対に言う事聞かないで下さい!………変な我儘だって分かってますけど、もしクオラジュ様がサティーカジィ様の花肉を取りに来たら、タヴァベルさんに言って僕を縛って連れて逃げて下さい。重翼が一緒にいたらクオラジュ様から逃げ切れますよね?」
一気に言い募るイツズに、サティーカジィは目を丸くして見ていた。そして笑い出す。
「ふふ、やはり私の花肉を狙うのはクオラジュでしょうか。」
サティーカジィもそう思ってしまう。妖霊の王でもなく、クオラジュが欲しがりそうだ。
クオラジュは最後の最後までサティーカジィを守る方を取るだろう。そして最後の最後に、他に手立てがなくなった時、迷いなくサティーカジィに剣を向けるだろう。
それくらいツビィロランを愛している。
それほどまでの渇望をツビィロランに持っているのなら、友としてあげようと思っていた。
「ぜぇ~~~ったい!あげたらダメですからね!?」
そんなサティーカジィの性格を、イツズはちゃんと理解していた。
人が良すぎる!!
「ですが、クオラジュは悪逆非道ではありますが、不必要なことはしません。必要ならば善行も行います。欲も少なく滅多なことでは私にも頼み事をしません。」
「だからって!滅多に頼まない人だから、珍しく頼んできたからって自分の命あげるとかダメですよ!」
イツズは優しいサティーカジィが好きだ。でも命を投げ出すほどの優しさならない方がいい!
「サティーカジィ様が死んだら僕も死んじゃいますからね!」
サティーカジィはガンっ!とショックを受け青褪めた。
「それはダメです!」
「だったらサティーカジィ様も死んだらダメです!」
イツズに怒られてサティーカジィは項垂れた。
そこでイツズはハッと閃いた。僕に出来る最良の方法を見つけよう!
手に持つ『精霊魚解体書』を勢いよく開く。
パラパラと捲り、何やら熱心にブツブツと言い出したイツズに、サティーカジィはどうしたのだろうと困惑した。
「あの、イツズ?」
「ちょっと黙ってて!」
イツズは趣味に没頭すると周りが見えなくなる。サティーカジィは「あ、はい。」と言って黙った。
そしてイツズは目を見開きバッと顔を上げる。宙を睨む瞳はどこを見ているのか分からない。サティーカジィは少しだけ恐怖を覚えた。
「そう、うん、あれは?ある。これも、まだ希少だけと、多分用意してくれる。そう、そうだよ。多分そう………。」
ガサガサガサッと目の前の机に積まれた本やら紙類やらを漁り出し、白紙の紙にペンを走らせる。
赤い瞳は生き生きとしていた。
サティーカジィはそんなイツズを可愛いと思いながら見つめていた。好きなことをしている時のイツズの笑顔は大好きだった。こんなに顔を輝かせる子はいないと思っている。
「出来たぁ!!!」
イツズはサティーカジィに何やら書き記した紙を見せた。目の前に広げられ、近過ぎて見えなかったので少し頭を後ろに仰け反らせて文字を追う。サティーカジィも顔を輝かせるイツズに近寄り過ぎていたのだ。
「……………え?ええ?」
その内容にサティーカジィは驚く。それは一つの薬を作る為の製造方法だった。そしてその材料に目を丸くする。
紙の表題にはこう記されていた。
『体組織強化剤~精霊魚の花肉に変わる素材製造法~』
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