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女王が歌う神仙国
56 戦線布告ですか?
しおりを挟む壁に押し付けられ、内腿をスルリと撫で上げられ、ゾワゾワと股から波打つ快感にツビィロランは地面に膝をついた。壁に手をついてこれ以上倒れ込まないようにと力を入れるも、フィーサーラに背後から抱き込まれてしまい、そんな抱擁に快感を覚えてしまった事実に歯軋りした。
「………あぁ、だめですよ?歯を食いしばっては。」
低く囁かれ、耳朶を喰まれて舌で舐め上げられる。
「ひぅ………!」
思わず出た小さな悲鳴にフィーサーラは気を良くし、上着の中に下から手を滑り込ませてきた。
腹をスルスルといやらしく撫でられ、胸までゆっくりと這い上がってくる。
なんとか逃げようともがくが、力が全く入らなかった。
ズボンの中にも手が入り込み、ツビィロランはその先に来る快感を予想して震えてしまった。
この先を許してはダメだと思うのに、どんな小さな接触も気持ちよく感じてしまい、理性がガラガラと崩れ落ちていこうとしている。
こんな世界に来て、まさか男に抱かれるのかと恐怖した。
自分が知る世界は、男と女は半々で、男と女がやるのが一般的。そりゃ同性同士もいるし、それを否定する気はない。でも津々木学としては男と男はあり得なかった。
この世界がそうなのだと言われても、持って生まれた常識が、二十四歳まで生きていた「普通」が、それに納得することが出来なかった。
いつかは帰れるかもしれないと思う気持ちが、この世界に馴染むのを拒否していた。
同じ男とどうこうなるつもりは更々なかったのだ。
ジワリと涙が出そうになる。
竜の住まう山で、津々木学がいた世界の十年後を見せられてから、感情がぐらつきそうになることが増えた。
ただでさえあの日から力尽きそうになる気持ちが、もう折れそうだ。
「あの媚薬は天空白露で作っている上級品ですよ。遅効性ですが効きが良く、相手に依存するかのように身体が敏感になるそうです。」
普段のツビィロランなら「へえ、そりゃ良かったな!」とでも悪態をつくところだが、今のツビィロランにはその説明すら理解出来なくなりつつあった。
ズボンに潜り込んだ手は目的のモノを見つけると、クチクチと愉しげに弄りだし、反対の手は胸の蕾を指で摘んでは弾き慣れた手つきで遊んでいた。
その度にツビィロランがピクリと震えるのを、フィーサーラは愉悦に満ちた笑みを浮かべて悦ぶ。
それでもツビィロランは、震える声で精一杯の悲鳴を上げた。それは、とても小さく震えていたけれど、確かに聞き届けられた。
「………たす、……。」
ゴッッ…!!という鈍い音を立てて、ツビィロランに覆い被さっていたフィーサーラが吹き飛んだ。
汗ばんだ身体を夜の空気が涼しく包んだが、それを誰かの手が肩に置かれることによって、知った匂いに取って代わる。
「大丈夫ですか?」
氷銀色の瞳が真っ直ぐにツビィロランの目を覗き込んでいた。
コーリィンエの神殿に戻った時間は既に深夜だった。
この神殿には碌な食材がないことを知っていたクオラジュは、食事を摂るか全員に確認したところ、サティーカジィとイツズだけが欲しいと返事をした。
後はすぐに休むというので、コーリィンエと共に全員適当に部屋を割り振った。
神仙国は南の海に浮かぶ島だ。
船はあるが飛行船はない。仮に船に乗ったとしても、対岸の大陸に渡り陸から天空白露の近くまで帰るには路銀もない。船で海を天空白露まで行くのは無謀だし、そんな長距離を渡れる船ではないし、自分達の羽で飛ぶにしても己の神聖力を使用するので、かなりキツイ旅になる。ツビィロランとイツズは抱えていく必要があるし、力尽きて落とす訳にもいかない。
皆手ぶらで着の身着のままここへ連れてこられたのだ。
天空白露から迎えが来るのを待つのが一番だろうと考えた。
調理場に行き、果物ばかりの倉庫を確認する。以前来た時もこの状態で、その時はトステニロスが狩りをし食材になりそうなモノを調達して来たが、今は夜だし来たばかりで皆疲れている。
とりあえず果物だけでもといくつか取り出す。
ショリショリと皮を剥き皿に並べて、次の果物はパリパリと皮を剥いでいく。次々と種類別に並べて三つ分盛り合わせを作った。
コーリィンエ、サティーカジィとイツズ、ツビィロランの分だけ。フィーサーラにはやるつもりはない。
皿を器用に三皿持ってそれぞれの部屋へと配り、最後にツビィロランの部屋に来たのだが、中は無人だった。
果物の皿を置いて探すことにする。
いらないとは言っていたが、少し様子が変だったのが気になっていた。顔が赤く熱があるのではと思ったのだが、イツズをサティーカジィに引き渡して、話し掛けるフィーサーラを撒いてそそくさと部屋に引っ込んでしまった。熱があるなら水分が必要だろうとツビィロランの分も用意した訳だが、その人物が見当たらない。
クン、とクオラジュは鼻を鳴らす。夜の密やかな匂い、金の華やかな匂い、癖になりそうな強い匂い。そんな神聖力の流れを探す。
クオラジュは間違いなく逃げたツビィロランの足跡を辿って行った。
呻く様な声と服が擦れる音が、夜の気配の中に微かにする。
少し前までいた調理場の方で、覗き込むと勝手口が開いていた。
クオラジュは基本気配を消して歩く。それはもう無意識の動作なので、大概の人間はクオラジュの接近に気付かない。
勝手口から外に出ようとして、扉のすぐ横でフィーサーラの背中が見えた。
そしてその内側に抱き込まれる小柄な身体に、ゾワリとクオラジュの肌が泡立つ。
何を、している…?
小さく、本当に小さく、助けて、と声がした。
何も考えずに足で思いっきり蹴りつけた。下から上へ、ツビィロランから排除する様に上空に向けて足を蹴り上げた。
それは見事にフィーサーラは吹き飛ぶ。
残されたのは、なんとか片手を壁につけて、震えながら耐えているツビィロランの背中が見えた。
しゃがみ込んで肩に手を置く。
肩が震えたような気がした。
「大丈夫ですか?」
覗き込むと琥珀の瞳には涙が浮かんでいた。今にもこぼれ落ちそうな雫は、なんとか縁で止まっているが、覗き込んだクオラジュと目が合うと、ポロリと雫が落ちてしまった。
赤い顔、身体の震え、呼吸は荒く、先程よりも症状が謙虚に現れていた。
ツビィロランは力尽き膝を折って倒れようとしたので、咄嗟に受け止めて抱え込む。
体温は上がっているし、抱き締めて分かるほどに動悸が激しい。
ツビィロランの熱を診ようと首に手を添えると、んん、と身じろぎした。
「………………。」
あることに思い当たり、クオラジュの表情は険しくなる。
ツビィロランを両手で抱き上げ立ち上がった。
森の方へ飛ばされたフィーサーラも、ちょうど立ち上がっていた。
スタスタと歩きフィーサーラの側まで来ると、クオラジュは無言でフィーサーラを再度横殴りに蹴った。ゴッッという鈍い音にツビィロランの閉じていた目が少し開く。
「少々お待ち下さいね。」
人を蹴ったとは思えない穏やかな笑顔で、安心させる様にニコリと笑う。
僅かに頷き返しまた苦しげに目を瞑ったのを確認すると、スッと表情をなくしてフィーサーラをヒタリと見た。
「貴方はまだ飲んでませんね?対になる媚薬を出しなさい。」
番になる為の媚薬には二通りがある。ツビィロランが飲んでいる身体が弛緩し過度の快感を引き出すものと、興奮作用があり性欲を増すものがあった。
お互い弛緩するタイプを飲めば事に至れない為、大概はそれぞれ違う媚薬を飲むか、興奮作用のある方を一緒に飲むかしなければならない。
フィーサーラにはツビィロランに対して番になる程の好意が見られないので、必ず自分用に興奮作用のある媚薬を持っているのだろうとクオラジュは考えた。
フィーサーラはよろけながらも立ち上がり、不敵に笑った。
「青の翼主殿ももしや予言の神子を望むつもりですか?」
地位や名声に頓着しない性格だと思っていたが、この怒気は本物だ。そう悟ったフィーサーラは、敵対心を込めて睨みつけた。
クオラジュも睨み付けてくるフィーサーラを静かに観察し、下から上へ手加減なしで蹴り上げたはずなのに、よろけながらも立ち上がった姿を見て、どうやら神聖力で咄嗟に防御したのだと結論付けた。でなければ今頃泡を吹いて気絶しているはずだ。どうせならば使い物にならなくなっていれば良かったのにと残念に思う。
「予言の神子を望んでいるわけではありません。」
「ならば邪魔をしないで下さい。」
聖王の椅子を望まないのであれば、ツビィロランに構うなという意味で、フィーサーラは言い切った。
「ツビィロランは誰とも番になるつもりはない様に見受けられます。聖王になりたいのであれば、ロアートシュエに進言し、テトゥーミに認められれば問題なくその地位につけるでしょう。」
まるで聖王には興味がないというクオラジュの言い草に、フィーサーラは怪訝な顔をした。
じゃあ何故邪魔をするのか。
何故大事そうに予言の神子を抱き上げているのか。
先程までフィーサーラの下で必死に抵抗していたのに、クオラジュには大人しく胸に抱かれているツビィロランを見て、フィーサーラの胸の内はどす黒く濁る。
「地位の為だけに神子を欲しているわけではない。」
フィーサーラはスルリと言葉が出た。
まるで自分はツビィロランに愛情を持っているようではないかと思ったが、欲しいと思った感情は確かにあるので、それでも構わないと思った。
氷銀色の瞳がスウッと細まる。
「……………ならば、我々は敵同士ですね?」
笑顔で穏やかに告げながらも、クオラジュからは重度の圧がかかってくるが、フィーサーラも負けじとそれに耐え、口角を上げて笑い返した。
「望むところです。」
フィーサーラの決意にも似た宣言に、クオラジュはニコリと笑った。
「承知致しました。ですが………。」
クオラジュの片足が上がる。ツビィロランを抱いたままだというのに、左足で立ち、右足を動かしても全くグラつかない体幹に、フィーサーラは次に何が来ても大丈夫な様に構えた。
だが見えなかった。
音もなくクオラジュの足が、フィーサーラの胸元をまた蹴ってきた。
「グゥッ……!!!」
パリンという音に、クオラジュから媚薬の入った瓶を割られたのだと気付いた。息が止まり、何事もなかったかの様にクオラジュが元の姿勢に戻っていても、フィーサーラの息は止まり崩れ落ちたまま立ち直れなかった。
「それは潰させていただきます。」
媚薬は直ぐに使用しないと効果が薄れてしまう為、時止まりの瓶に入れてあった。瓶が割れてしまった為、中身の媚薬は時間と共に溶けてフィーサーラの胸元を濡らしていく。
悔しそうなフィーサーラを一瞥して、クオラジュはツビィロランを連れて立ち去ってしまった。
くそっ!!
フィーサーラは何事もそつなくこなし、こんな何度も地に足をつけ泥まみれになることは今まで一度もなかった。
手に入らないものはない人生だった。
欲しいと思ったものはなんでも手に入れてきたのに、本気で人生をかけて欲しいと思ったものは手に入らなかった。
一人暗闇に残されたフィーサーラは、真っ赤な髪をグシャリとかきあげた。
「……手段を間違えてしまいましたね…。」
本気で手に入れるなら媚薬は使わず心に入り込むべきだった。そう後から思っても後の祭りだ。
足はもつれ震えながら逃げていく小動物を見つけて、思わず追いかけてしまった。
自分の方が強者だと思い込み、逃げるツビィロランを見て狩猟本能が掻き立てられ、嬲るように追いかけ、捕まえた時の不屈の輝きを乗せる瞳に魅せられ、情欲のままに動いていたフィーサーラは、正しく肉食獣のようだっただろう。
ふぅ、と一息つく。
手立てを考えなければ。
今のフィーサーラは単なる強姦魔だろう。まずは謝ろう。そしてツビィロランを捕まえよう。
フィーサーラはそう心に決めた。
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