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2章 俺のイジワルな皇子様
55 カーンドルテ国の聖女
しおりを挟む何が起きたのか理解できなかった。
飲んでいたお茶が茶器ごと落ちる。
引き攣る激痛と、ごっそりと抜けた魔力。
身体中に翡翠色の魔力が付き纏い、何の攻撃を受けたのか分からなかった。
「がぁ!?…あ、は!!?があああぁぁぁ!?!?!?」
身体を治療しようと聖魔法が自動的に行使され、失われた魔力が極限まで使用されていく。
周囲を見回すが、護衛が人形の様に立つだけ。
豊かな黒髪が白髪に変わり、皮膚が剥がれ落ちそうなほどに垂れてくる。
ガツリと護衛の顔を掴んで魔力を吸い込む。
「ぢいいいぃぃい!!!!ず、ぐない!!」
この身体はもう駄目だと判断する。
直せない!
「オッルの所へ運んで!!!」
別の護衛へ命じた。
今自分以外の聖女はオッルしかいなかった。聖女は同時期に四名か五名存在するが、現在は二名。つまり次に産まれる聖女は素質が強い。聖女が少ない期間が続くと強い聖女が産まれる。オッルの時に期待したが、あれは出来損ないだった。
しかし仕方がない。
この身体はもう捨てなければならない。
一時的にオッルの身体を貰い受けることにした。
護衛に運ばれオッルの元へ向かう。
オッルは教会業務の定期治癒を終わったばかりなのか、白い神官服で自室に佇んでいた。
「…………え?」
間抜けな不細工顔に嫌気がするが、少しの辛抱だ。
聖女オッルは今十三歳の少女だ。茶髪に輝きもない赤い瞳はなんの魅力もない。背中の花の聖紋も数は少なく肩に三個しかない。保有する魔力も少なく、治癒魔法も直ぐに魔力切れになる。
なんの魅力もない聖女。
しかし、こいつしかいないのだ。
「………え?え?」
何も言わずにオッルの頭を掴んだ。
シワとシミだらけの顔を二イィと笑みに歪める。
「……ひいいぃ!!!」
オッルの人生は此処で終わった。
部屋に残ったのは元聖女の皺くちゃの亡骸。元が人だとは思えない程の軽さでパサリと枯葉の様に落ちた。
口から流れた血を魔女サグミラは拭う。
身体を乗り移るが、貧相でなんの魅力もない姿が鏡に映り、サグミラは大きく舌打ちした。
身体を乗り移ると記憶も継承する。
今までは魔力に溢れた美しい聖女ばかりだったのに、聖女オッルは平凡で美しさのかけらも無かった。しかもオッルの身体は魔力が弱い。それは聖魔法師としての能力も弱い事を意味していた。
サグミラが抱える闇属性に釣り合わない。
聖属性と闇属性は均等でならなければ魅了魔法は発動しない。発動する範囲はオッルが持つ聖属性の範囲内という小さなものとなった。
闇魔法で他者の魔力を吸収しても、聖魔法師としての治癒が弱いから無闇矢鱈と魔力吸収をする事も出来ない。恐らく治癒よりも身体が崩れる方が早い。
「なんて使えない身体!」
体が馴染むに連れて記憶が湧き起こる。
その殆どは己の醜さを悲観し、美しい他者を羨む心。
幼馴染のタジカという少年への恋心。
自信のなさから来る諦め。
それはサグミラの奥深くに押し込めた心を掘り起こす感情だった。
遥か昔、まだ聖女でもなく、ただの人間だった時の記憶。
「………っ、忌々しい……!」
吐き捨ててサグミラはオッルの質素な部屋を後にした。
二年後、オッルの身体年齢十五歳の時にサナミルガ産まれた。散りばめられた聖女の聖紋は美しく背中を彩り、プラチナブロンドの髪と海の様に輝く青い瞳を持つ容姿は、どんな赤ん坊よりも愛らしかった。
神殿に引き取られたサナミルを、オッルは大事に育てる様言い付けた。
いずれこの身体は自分のものになる。傷一つ残されては困るからだ。
サナミルはスクスクと素直に可憐に育った。
緩く波打つ髪は長く伸び、キラキラと輝く青い瞳はどんな人をも魅了した。
それこそ魔女サグミラの魅了魔法よりも、より深く人々に愛された。
それはオッルの幼馴染タジカも同じだった。
タジカは神殿に努める神官の子供だった。
魔力が多い為本人も神官見習いとして、歳の近い聖女オッルの側にいる事が多く、甲斐甲斐しく世話をするタジカに、オッルは恋をしていた。
顔が平凡でも、なんの魅力もない茶色の乾いた髪でも、くすんだ赤い目でも、タジカはオッルの側にいつもいて、聖女様と敬ってくれた。
そんなタジカの事を、魔女サグミラも側にいつも置いていた。
醜くとも愛されているのかもしれないと、感じさせられたから。
恭しく手を取る姿に、過去夢見た王子様を重ね、サグミラの心もオッルの記憶に引きずられる様にタジカに傾いて行った。
けれども………、美しい顔には敵わないのだ。
サナミルが神殿にやって来ると、他の人間と同じ様にタジカもサナミルに夢中になった。赤子でも人を魅了する可憐なサナミル。
手のひらを返す様に自分から離れていったタジカに、魔女サグミラは憎悪した。
やっぱり綺麗なものが皆んな好き。
美しくないと愛されないのだ。
サナミルの美しいプラチナブロンドを撫でるタジカは、もう聖女オッルを見る事はなかった。
魔女サグミラはサナミルが女性として成長する事を待つ事にした。あまり早く身体を乗っ取るより、初潮を迎え魔力が安定した方が面倒がなくていい。長く生きるサグミラにとってほんの少しの時間だと思えた。
いずれはサナミルの身体はサグミラのモノになるのだ。そうすればタジカも自分ののになる。
そう思えば我慢も出来た。
年に一度の花祭り。
この日は魔女サグミラが可能な限り国民に魅了魔法を掛ける日だった。
聖女の加護と言いながら、階段の上から民衆を見下ろし手を広げる。溢れんばかりの歓声にいつも心も身体も震えたものだが、オッルの貧相な身体では楽しみも半減した。
顔をベールで隠し、身体はゆったりとしたドレスで覆った。
魅了する時だけ目を出す必要があるが、周囲にいる人間は魅了してしまうので、遠くにいる人間の視力では見えない。そう思いその時だけは顔を晒す。後はずっとベールを被って過ごしていた。
魅了魔法も以前は見渡して魔法陣を使えば集まった民衆に魅了を掛けれたのに、前方にいる人間にしか届かない。
神官も主要な人間は魅了しているが、下っ端までは手が届かなかった。
サナミルも花祭りの時は次期聖女として後方に控える。
歩き出し話す様になると、愛らしい笑顔で「オッル様おつかれさまでした。素晴らしかっです!」と、満面の笑顔で褒め称える姿に、何度蹴り倒してやろうかと思ったか。
以前ならばそんな事をやっても誰も咎めもせず逆らいもしなかったが、魅了に掛かっていないものもいる現状、蹴り倒すことは出来ない。
それに、何故かサグミラは緑色が怖かった。緑と言っても単調な緑色ではなく、宝石の様に輝く緑が怖い。翡翠を始め、緑色の宝石も衣服も全部処分した。
何故か暴力的な思考に陥る時、その翡翠色に潰されてしまう様な錯覚を起こし、サグミラの身体は震え出すのだ。
オッルの身体に移る原因になったあの日、翡翠色の何かが自分を攻撃したのだと思うが、記憶にもない事なだけに、サグミラは以前よりも大人しく生活していた。
聖女オッルは二十一歳になった。サナミルは六歳、幼馴染のタジカは自分と同じくらいのはずだが、サナミルにべったりとくっつくタジカの事など考えたくも無かった。
今年も忌々しい初代聖女フィーゼノーラの花祭りがある。
初代聖女フィーゼノーラが龍だと知っている者はいない。
憧れていたカーンドルテの王子様と結婚した聖女。人でもないくせに、美しい姿を持つくせに、サグミラの救いを奪い取った龍。
金の髪に空色の瞳フィーゼノーラ。
フィーゼノーラは全ての国民に癒しの加護を与えるべく、神殿の入り口に魔法陣を描いた。
だが、黒魔法師のサグミラにその加護は与えられなかった。
だから聖女を乗っ取った。
だから魔法陣に新たな書き換えを行い、癒しの加護ではなく魅了魔法をかける様にした。
フィーゼノーラの花祭りを貶める為に。
遠い遠い昔の話だ。
今年もいつもの通り可能な限り魅了魔法を掛けるつもりだった。
手を広げ、魔力を地下にいる供物から吸い取る。そうしないと魅了魔法を発動させる為の魔力が足りなかった。
こんなに力の弱い聖女に乗り移ったのは初めての事だった。
多少身体が崩れるが、じっくりと時間をかけて直せば良い。どうしても闇属性の方が強くて身体が持たないのが難点だった。
ベールを取りゆっくりと視線を移していく。
瞳が合えば魅了に掛かる。魔法陣を使ってそれを拡散させていく。
ジワジワと拡がる空な瞳に、魔女サグミラは口の端を上げて笑った。魅了にさえ掛かればオッルの顔が不細工でも見られても問題ない。
ふと、何かと視線が合った。
バチリと弾かれ魅了が一部だけ掛からない。たまに魔力が強いと弾かれるが、この魔法陣を使えば大概の者は落ちる。なのに、弾かれた。
視線が合ったのは翡翠色の光。
キラキラと光を放つ緑の光に、サグミラは喉の奥で悲鳴を上げた。
「………………っ!!!」
これだ!
あの日サグミラの身体を攻撃したのはこの翡翠の魔力!!
今はダメだ………!
戦っても勝てないだろうとサグミラは後退り反転して走り出した。
地面が揺れて階段にヒビが入る。
グラグラと崩れ出し緑の蔦が地中からサグミラを捕えようと追いかけて来た。
魅了した兵士達が助けようと蔦を切る中、視界の端にムカつくものを捉える。
サナミルを抱えて庇うタジカの姿だった。
ギリリと歯を食い縛り、それどころではないと奥に走った。
タジカは魅了魔法に掛かりにくい。サナミルの側にいつもいる所為で、サナミルが無意識に回復してしまうからだ。
サナミルの周りはサナミルの魔力によって守られている。サナミルの周りにいる者は皆サナミルの信者だった。
魅了でもしなければオッルを守る者はいない。
それは昔の自分を彷彿とさせ、サグミラの心を深く暗い底なし沼に落とし込んでいった。
何故か翡翠の魔力は追って来なかった。
直ぐに緑の蔦は消え、地響きも止んでしまった。
逃げ惑った民衆の非難と治療で神殿は大混乱となり、原因を探る暇もない状態となった。
あの翡翠の魔法師を見たのはサグミラだけだった。
まだ小さな子供の姿だった。左目だけが宝石の様に輝き、右目はギョロリとサグミラを睨みつけた。
殺意を確かに感じた。
捜索をさせるには神官達では手に負えないと判断した。
あれは人ではない。
龍の様な神に近い。
忌々しい初代聖女の龍に近い存在だった。
あれが龍であろうと無かろうと、殺される前にどうにかしないと………。
「……………龍、龍か………。そう、ね。もう一匹いたわね。」
三百年ほど前、カーンドルテ国にやって来た水色の髪と青い瞳の水龍。
子宮生成魔法を掛けてまわっていると言って旅をしていた龍だ。その頃は女性が産まれにくくなっていた。種の存続の為、同意した国や集落は掛けていくと言って訪ねて来たのだ。
聖女は女性にしか現れない。女性が死滅しては困るので許可を出した。勿論当時のカーンドルテ国王が許可したのだが、水龍ソギラの目は始終魔女サグミラを見ていた。
龍に暴れられても困るので、何もして来ない限りは無視を決め込み、処置が終わればサッサっと去っていく龍を見送った。
あの龍を取り込んではどうだろうか。
一番最初にフィーゼノーラを取り込んだ時、何故か闇魔法の魔力吸収なのに身体に変化が無かった。もしかしたら龍ならば取り込んでも問題ないのかもしれない。
神?そんなの関係ない。
アイツはあの時どこに行くと言った?
カーンドルテから北に行くと言って、そのまま北に住むと言わなかっただろうか……。
北には様々な国や集落が存在する。
北の国と言われながらも、本来は一つの国ではないのだ。北の国が南へ侵攻する時は、幾つかの国が合わさってやって来る。
北にあるどの国も集落も、歴史は浅く、出来ては産まれを繰り返すので一般的に北の国としか言われていなかった。
「あの龍…………。何と言ったかしら。………確か、水龍ソギラ……?」
そう、ソギラだ。水色の髪をゆったりと結え、理知的な青い瞳で興味深そうにこちらを見ていた。
まずは間諜を放って龍がいそうな場所を調べなくてはならない。三百年前だ。きっと昔噺程度に何か残っているかもしれない。
あの水色の龍を余す事なく食べ切って、強くなる。
そして次に翡翠の魔法師が現れたら、殺してやろう。
魔女サグミラは濁った赤い目を細めて笑っていた。
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