翡翠の魔法師と小鳥の願い

黄金 

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1章 俺のヘタレな皇子様

43 流れる記憶

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 夢を見ている。
 身体は軽く、走馬灯が流れるように次々と見たかった世界の記憶が飛び込んでくる。
 


「あや………、大丈夫……。忘れるんだ………。だい、じょ………ぶ。」

 綾乃を庇う様に抱きしめる自分が死のうとしている。血が流れ、綾乃の服に染み込んでいく。
 抱き締められた綾乃は目を見開き涙を流して小さな悲鳴をあげていた。
 動かない兄は重たくて逃れることもできない。
 人が死んでいく瞬間を、綾乃は感じていた。
 小さな悲鳴は泥棒が去っても、時間が過ぎても、中学生の兄日向が帰って来るまで続いた。声は枯れもう出なかった。ヒューヒューと声にならない悲鳴をずっとあげ続けていた。
 日向が助け出し、大人を呼び警察が来て病院に運ばれて眠りにつき、気がついた時には真白の言う通り記憶を無くしていた。お兄ちゃんが忘れろって言ったから忘れた。綾乃は無意識に兄の願いを聞いていた。
 泥棒は数ヶ月後に捕まった。
 綾乃は忘れたまま大人になり、結婚して子供が出来た。
 家の農家を継いでいた。
 子供も出来て幸せそうな人生に、ロルビィはホッと息を吐いた。



 日向は家を出ていた。
 中学校の教師になっていたが病気を患い入院していた。
 病気でいつか死ぬと思えば家族を持つことはしなかった様だった。
 窓を開けて空を眺める日向に近付き、そっと頭を撫でた。
 日向は死んだ兄を見て、涙を浮かべながらも直ぐに動いていた。死んだ兄を助けよう必死に大人を呼んで救急車を呼んで、にぃちゃんを助けてと叫んでいた。
 どんなに必死に叫んでも、助からないともう無理だと諭され、綾乃の様に記憶を失うことも忘れることも出来ずにずっと苦しんでいた。
 病気であと僅かな寿命と知って、あんなに明るかった日向が物静かな大人になり、訪れる死に安堵していたのが悲しかった。
 頭を撫でると、少し伸びた黒髪がサワサワと揺れた。

「…………にぃちゃん?」

 見えてはいないだろうけど、ボンヤリとしていた日向に笑いかけてロルビィは離れた。
 その後直ぐに命の火が消えた日向が、兄の後を追っていた事には気づいていなかった。




 小鳥は真白が死んだ後、誰も面倒を見れる人間がいなかった。
 真白の部屋に戻され、大きな方のゲージに入れて最初にご飯を貰えたが、綾乃の入院や真白の葬儀で忘れられてしまった。
 混乱する日向を宥めるのに両親は必死で、二階に取り残されたピィの鳴き声に、誰も気付かなかった。
 ピィは待っていた。
 そのうち「ただいま、ピィ遊ぼう。」と言っていつも通り主人がゲージの扉を開けてくれるのを、ずっと待っていた。
 その小さな心臓が止まるまで、ずっと。
 真白の死を理解したのは、魂の大河に辿り着いた時だった。



 ロルビィはふわりと空に上がった。
 思い出の田園風景と山の緑。
 流れる川は緩やかで、虫の声が鳴り響く。
 過去に思いを馳せると、懐かしい記憶が流れてきた。
 ピィを撫でる一瑶の手は白くて長い。
 
「一瑶兄ちゃん大学楽しい?」

 従兄弟の兄ちゃんは大学生になったばかりだった。少し前まで受験勉強だから遊びに誘うなと親から厳しく言われ、じゃあ大学生になったら遊んでいいのかと思っていたら、遠くに引っ越していなくなってしまった。

「うーん、楽しいと言えば楽しい?」

 変な答え方だなと思ったが、楽しいんだなと思った。自分と遊ぶより楽しいのかと思い、真白は少し不機嫌になった。
 たまたま近所の一瑶兄ちゃんの親に会い、会いたいと我儘を言ったのだ。一瑶の家も真白の家も田舎の農家で親戚同士。気心知れた家なので、真白は親に強請るように一瑶の親に頼んだ。
 暫くするとバイクに乗った一瑶兄ちゃんが遊びに来た。
 来るのにどのくらい時間掛かるのか聞いたら、バイクで高速に乗って二時間半かかったと言った。真白がこっそり遊びに行って帰って来れる距離では無さそうだった。
 夏休みは帰って来れるのか聞いたが、一瑶はどうだろうと言って、帰って来れるとは言わなかった。バイトしたいと言っていた。
 真白から見たら大人な一瑶は、かっこよくて綺麗で賢くて、遠い人になってしまった。
 ついこの前まで一緒に遊んで、近くのスーパーにお菓子を買って一緒に食べてたのに、もう一緒にいられないのだと理解した。
 時計を見た一瑶がそろそろ帰らなきゃと言った。
 真白が頼んだから、実家に泊まる事もなく無理して帰って来たのだと、流石の真白も理解した。
 うん、と頷くと最後にバイクに乗せてあげようかと言われた。
 喜んで乗せてもらった。
 小学生の高学年になっても小柄な真白は、すっぽりと一瑶の前に入ってしまう。後ろで掴まっとくと言ったのに、後ろだと見えなくて怖いから前に乗ってと言われたのだ。
 ゆっくりと誰もいない畦道を走ってくれた。ボコボコ揺れる座席に、もっと後ろにくっついててと言われて、出来るだけ一瑶兄ちゃんのお腹にくっついた。
 もう夕ご飯前の時間なのに、空はまだ薄明るい。青とも紫とも言えない空が、大人な一瑶兄ちゃんに似合ってるいると思った。
 もしかしたらこの日が遊んでくれる最後の日かもしれない。
 背中に感じる暖かな体温をいつまでも感じていたかった。

 バイクは畦道の途中で止まった。曲がり角で一部だけ樹々が生い茂った場所。トラックや農機具を停めれるように少しだけ広くなっている場所だった。今はもう遅い時間なので誰もいなかった。
 広がる田圃にも、土と石の道にも誰もいない。
 田圃の水が白色に広がり、少し長めに伸びた青い稲が風にサワサワと揺れていた。
 バイクのエンジンを切ると、虫の声と一メートル幅くらいの用水路を流れる水の音だけが聞こえていた。
 何でここに停まったか分からなかったが、少しでも長くいられる事に単純に嬉しかった。

「一瑶兄ちゃん?」

 見上げると視線が合う。
 一瑶兄ちゃんはカッコいい。凄くモテる。中学校でも高校でも彼女が何人もいて、こんな田舎にまでついてくる彼女達は、いつも違う人間だった。
 お母さん達は一瑶はすごくモテるといつも話していた。大学でも直ぐに彼女出来るよねって。
 長めの前髪の奥から覗く切長の目が、俺を真っ直ぐに見つめていて驚いた。
 違うのを見てると何となく思ってたからだ。バイクでゆっくり走るのも、久しぶりだから景色を見てると思ってた。

「どうしたの?」

 一瑶兄ちゃんは口を手で押さえて何か考えている様だった。形のいい眉が困ったようになっている。

「真白は俺と一緒にいたい?」

「……?うん!」

 質問の意図は分からなかったが、俺は素直に答えた。一緒に遊びたかったから我儘を言って来てもらったのだ。

「……っ、………………そっか。」

 一瑶兄ちゃんがぎゅと抱き締めてきた。
 最近暑くなってきたとはいえ、夜は田圃や山があるからか風は涼しい。バイクで冷えた身体に、一瑶兄ちゃんの身体は暖かく気持ち良かった。
 嬉しくて笑うと、一瑶兄ちゃんの顔が近付いてくる。

「?」

 やけに近いな……。
 一瑶兄ちゃんの事は絶対に信用しているから、最初何をされたのか理解出来なかった。
 ちゅっと唇が触れる。
 
「……ぇ?」

 服の中に一瑶兄ちゃんの左手が入ってきた。腹を撫でられ、脇腹を撫でられ、胸に手が触れサワサワと動く。
 右手は座席に跨がった俺の股間を覆った。
 フニフニと揉まれて柔らかいチンコが少し固くなる。

「????」

 もう一度見上げたままの俺の口に、一瑶兄ちゃんの唇が降りてきた。
 これ、キスだ。
 漸くそう認識したけど、俺は動けなかった。
 何をされているか分かるのに、驚きすぎて瞬きすら忘れていた。
 口の中に一瑶兄ちゃんの大きな舌が入ってきて、出たり入ったり中をいっぱい舐められたりした。どっちのか分からない唾液が口の中に溜まって、ゴクンと飲むと漸く唇が離れていった。
 その間も俺の胸とチンコはずっと揉まれていて、訳が分からなかった。
 息が苦しくて一瑶兄ちゃんにもたれ掛かってはぁはぁ息をしていると、もう一度ぎゅっと抱き締められた。

「真白は今の嫌だった?」

 掠れた声でそう聞かれた。
 いや、とかは無い。正直びっくりした。
 何でこんな事したのか分からないけど、嫌じゃなかった。
 ただ凄くドキドキした。

「……わかんない。嫌じゃない。」

 抱き締めて顔が見えなかった一瑶兄ちゃんが、俺の顔を覗き込んだ。
 あの時と一緒だなと思った。
 俺が垂らしたジュースを掬って舐めた時と、同じ顔だった。
 泣いた後みたいに目が潤んでて、少し開いた口から赤い舌が見えていた。
 さっきまで薄い青紫色の空だったのに、少しだけ暗くなり俺を見つめる一瑶兄ちゃんの目が輝いているようだった。
 俺の目から口に、首に、服を捲り上げて見える胸に、腹に、舐め回すように見られているのに、嫌とかじゃなくてドキドキしていた。

「夏休みに、俺のアパートに遊びにおいで。」

 優しく誘われて、うんと頷いた。
 約束だよ。
 お互い約束と念を押し合った。
 遊びの約束が凄く嬉しくて、夏休みが待ち遠しくて、家に送って貰ってからもドキドキが止まらなかった。
 翌日一瑶兄ちゃんが事故で死んだと聞くまで止まらなかった。
 泣いて泣いて葬儀場で眠る一瑶兄ちゃんを見ても信じられなくて、俺は辛くて早く忘れるようにした。思い出さないように、思い出さないようにと自己暗示のように、繰り返した。




「なんだ………ユキト殿下って一瑶兄ちゃんじゃん………。」




 唐突に理解した。
 縁が結ばれると白い線が繋がって大河を渡って追いかける。
 きっと時空の神に声を掛けられなくても、自分は一瑶兄ちゃんを追いかけた。
 一瑶兄ちゃんとの約束も終わっていない。
 ユキト殿下との約束も守れていない。

「…………次こそは、必ず。」


 俺の意識はここで暗転した。












 時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテは大時計の前で立ち尽くす。此処から動く事は出来ないが、この魂の大河が流れ、歯車の回る時空の事は手に取るように理解している。
 四度目の時間遡行に逆回転した歯車は悲鳴を上げ、老朽化の激しいものは崩れ落ちた。
 落ちた歯車はぼろぼと無くなり、元から無かったかのように歯車同士がくっつき合い隙間を埋めた。
 遠くに霞むように並んだ六十四個の巨大な歯車を見つめる。
 あれはまだ新しい。
 ヒビすら入る事なく回転していた。
 だがもう時間は暫くは操れない。これ以上やれば、古い歯車がまた壊れてしまうだろう。これ以上歯車を無くせば、大時計で時間を回し、魂の大河を流す事が出来なくなってしまう。
 同時期に主だった世界が二つも消失した。
 消失の余波はすさまじく、魂の大河は荒れ、大時計が崩壊寸前となった。今のように時間遡行など出来ない程の崩壊を喰らったのだ。
 龍達は新しい世界を責任持って作るよう、世界の種に放り込んだ。
 科学世界で崩壊を招いた科学者達は、六十四個の歯車へと変えて大時計と魂の大河を回させるようにした。
 龍達が作った世界は己の力と命を削り早急に作り上げられ、素晴らしい発展を遂げているが、このままでは停滞してしまう。
 龍達の世界に匹敵する巨大な世界にする為にも、更なる分岐が必要になった。
 それがユキト・スワイデルの存在。
 あの魂が発展へと導けば大きく飛躍出来る。
 世界が発展すれば頭上に広がる魂の大河も少しは落ち着くはず。
 その為にユキト・スワイデルを生き長らえさせようとするも、何故か早世する。
 これは最後の賭け。
 ユキト・スワイデルが執着する魂によってどう転ぶかは例え神といえど知る術はない。
 
『さあ、我が名を与えしロルビィよ。お前が選ぶ選択に全てを賭けよう。』

 歯車がジゴォと回り、時計の針が一つ動く。
 それは重々しく、世界に響いた。
 時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテはただそれを静かに聞いていた。











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