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1章 俺のヘタレな皇子様
34 黒龍と小鳥
しおりを挟む大陸のちょうど真ん中には大地を縦に割る様に北から南に山々が連なっている。この山々をフィガナ山脈という。
フィガナ山脈の西にはリューダミロ王国があり、その北側に北の国、リューダミロの西にはスワイデル皇国、カーンドルテ国、その南にサクトワ共和国がある。
フィガナ山脈の東側は人が住める土地ではない。大地は凍り、常に冷たい吹雪が吹き荒ぶ凍土の世界が広がっている。
フィガナ山脈は東側の冷気を押し留める為の壁であった。
そんな山脈の中腹に、人には感知できない結界が張られた草原が存在する。青々と均一に茂る草は穏やかな風に吹かれてサワサワと揺らぎ、草原の中央に立つ屋敷の窓辺へとふわりと暖かい風が流れ込んでいた。
「ピッ。」
水盆に張られた水が風で揺らぎ、せっかくの遠隔投影が邪魔をされ、オレンジ色の小鳥が小さく鳴いた。
「もうここにいたのか。ちゃんと食事を取らねば………。その身体は私と繋がっているから死ぬことはないが、腹は空くのだぞ。」
小鳥様に果物と木の実、米粥等、小鳥が食べそうなものを持って来たのはここの主人、黒龍ワグラだった。
漆黒の長い真っ直ぐな髪と縦長の瞳孔を持つ金の瞳をしている。
時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテから預かった小鳥の魂を、似た様な鳥の卵を拝借し宿したのが、今水盆の端に止まっている小鳥だ。
小鳥の前世の主人が幸せになる姿を見るまで、預けられたはいいが、毎日水盆からかの人間を映し出して見せるだけで、特に何もやる事はない。
ほっとけば延々と同じ場所から動かず見続けるので、寝床に戻してやったり食事を与えたりしているだけだ。
ワグラは元々この世界の神ではない。そもそも神でもない。龍である事は間違い無いが、違う世界で多くの仲間と共に生きていただけの、何の特別な存在でも無い黒龍だった。
元いた世界は国同士の戦争が激化し、ある日ぷつりと世界が終わったのだ。
『何故、ここに来たか分かるか?』
虹色に輝く長い髪と、銀の瞳の男性が、多くの同胞に問い掛けた。
そこは白い空間に巨大な時計を思わせる針の付いた文字盤があり、近くから遠くまで歯車が所狭しと並ぶ場所だった。上空には目を見張るほどの光の輝きが星空の様に流れており、誰も彼もが見知らぬ場所に慄き警戒していた。
『其方達は己の世界の管理者を消滅させた。』
だから世界は唐突に終わった。
そう言われた。
全ては魂へと還り、本来ならば大河に流される。
されど管理者を滅し世界を消滅させた罪を償わなければならないと、その男、時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテは説明した。
管理者はこのまま巨大な力を持つ龍種が戦い続ければ、大地が壊れると止めようとしたらしい。しかし、己が育んだ龍達は管理者の力を超え、管理者とは気付かず殺してしまっていた。
管理者を失った世界は崩壊する。
だから私達はここに居る。
何故か心に染みる様に理解していた。
直接手を掛けた者は永劫の贖罪として、歯車となり文字盤の時計を動かして大河を流す。他の者は全て世界を一から作る様にと言い付かった。世界を整え生命を育み、魂の還る場所を作る様にと。
私はただの文官で争いには参加していなかったので管理者の殺害など知らない。だから新しい世界に落とされた。
一体何億の龍種が降り立ったのか分からないが、私達はただの魂となって降り立った。それはまるで雨粒の様に世界に降り注いだ。
そこは黒い瘴気漂う世界で、かろうじて大地が見えるだけの暗い星だった。
私達はどうやってここに生命を誕生させればいいのか分からず途方に暮れた。
1人が言った。私は火になろうと。
1人は呟いた。私は水になろうと。
1人は空を仰いだ。私は太陽を作ろうと。
……私は月を。私は大気を。私は星を。
…………私は、私は、私は。
龍種は魂ごと力があった。
だから試行錯誤、数多の龍の魂が星を再生させ生命が育つ苗床を作って行った。
気付けば星には緑が溢れ、小さな生命から生まれ出したが、永遠にも思える長い時間を使って私達龍種はたった数百にまで減少していた。
私は行きそびれてしまった。
魂としての固有は無くなるが、星の一部になった方が楽なのは分かっていた。
このまま残れば最後の一人になり、管理者として生き続けなければならない。
その孤独を思えば、皆身を犠牲にして星になっていった。
私が行くよ?そう言えば、いや、私が行くから後を頼むと先に行かれてしまう。
皆、私に後を頼んで行ってしまった。
最後の最後まで一緒にいた親友は、隣の大地が一人の狂った龍によって凍土と化したのを食い止める為に、山脈に姿を変えてしまった。
すまない、後を頼むと言い残して。
それももういつの事か……。
フィガナは山脈になった親友の名前。
リューダミロは漸く人類が誕生し、集団になった時、国を起こす様に指示した友人の名前。
私はもう耐えられないと言って、カーンドルテ国の王子に恋した龍は女体となって人に混じっていった。それが聖女の始まりであり、魔女サグミラを産む原因になったのだが、私は彼女の悲しみを知れば止める事が出来なかった。
大陸の半分を凍土に変えた狂った龍が来た時も、彼の言い分を通した。
その時ちょうど女性の出生率が下がり、子孫の存続が危ぶまれた時で、狂った龍が代わりに男性が妊娠できる様にするから、北の大地に住まわせて欲しいと言うので、それを許した。
狂った龍はリューダミロに降り立ち、魔法師に化けて魔法を編み出し、この大陸中の住民の体内を進化させてから北の大地の奥深くに消えて行った。
私はただ黙って流れに任せただけ。
何もしていないと言ってもいい。
魂を削り星の一部になる事も、管理者になる事もただただ震えて身を任せただけ。
まだこの星に龍はいる。
それは感じれるが、動くのも怖くてここに居るだけ。
そんな孤独の中、時空の神から小鳥を預かった。
小さくて暖かい生き物を手のひらに乗せると、この恐怖と孤独がほんの少し安まる。
「ピッピッ。」
羽をパタパタと羽ばたかせて興奮している。
水盆を一緒に覗き込むと、小鳥の主人がここへ向かって来ているようだった。
成程、神の意思を知りたいと……。
しかも好意を寄せる人に対する気持ちが、自分のものかどうかを確認したいと…………。
「そうか、久しぶりに会えるのだな。」
小鳥は毛がブワリと広がり興奮しているのが分かる。興奮すると毛が広がりまん丸になるのだ。
小鳥の期待に膨らむ感情がよく分かるというものだ。
そんな小鳥を見て、黒龍ワグラは複雑な顔をした。
小鳥はさっき迄ほんのり笑顔だったワグラが、沈んだ顔をしたのを見逃さなかった。
ワグラは感情が表に出にくい。
それは長い年月を一人で過ごした所為なのか、元々の性分なのかは分からないが、先程浮かべた物憂げな表情も直ぐに無表情の中へ消えてしまった。
小鳥の知能はワグラの力で蘇っている所為か人と変わらない程度を有している。
ロルビィが産まれてから二十年間、ずっとワグラと生活を共にしていたのだ。
会話が出来ない自分相手に、徐々に独り言めいた会話をする様になったワグラから、長い間孤独と過ごしていたのを察する様になった。
孤独は寂しい。
前世のピィも鳥籠の中で待つ日々だったのだ。何処にも行けず、真白の帰宅を心待ちにする日々。
だが自分は真白がいずれ帰って相手をしてくれる事を知っていたから、平気だった。
ワグラには先が無い。誰もいない。その先も一人きりと理解する孤独は、真白がいなくなってから死んでしまうまでのピィと同じだと感じた。
しかもワグラは管理者としての責任がある為、死ぬ事もない。
長い長い孤独。
きっとロルビィが来たら、自分はロルビィについて行ってしまうかもと心配しているのかもしれない。
ついて行くつもりはない。
足手纏いだと知っている。
ワグラが見せてくれる水盆の遠隔投影で充分だ。
いつかロルビィの為に一度だけと時空の神から貰った力を使う時だけ、彼の元に連れて行ってくれればいい。
それまではずっとこの寂しがりの黒龍の側に居ようと思う。
「ピー。」
パタパタと羽ばたいて、ワグラの肩に止まった。コショコショと頬を嘴で擽ると、嬉しそうに金の瞳が細まる。
「珍しいな。」
出来れば力を使った後もワグラの側にいれるだろうか。
その時のことはどうなるか分からないけれども、出来るだけこの寂しい黒龍の側にいてあげよう………。
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