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1章 俺のヘタレな皇子様
31 魔女サグミラ
しおりを挟む亜麻色の髪をふわりと靡かせ、翡翠の瞳がサグミラを射抜いた。
思い切り蹴られ、怒りに任せて魅了を掛けようとしたのに、あっさりと弾かれた。
圧倒的な力を感じた。
煌めく翡翠色が大気を揺らしている。
長引けば捕えられるだろう。
コイツは何?
何処から来た!?
何故、ユキトを守るのか分からない。
少し前にユキトを連れてくる様言いつけた世話人が、ユキトを庇う様に側にいた。掛けていた魅了魔法は解かれていた。それもあの翡翠色の男の所為なのか。
恐らく一対一では勝てないと瞬時に判断した。
コイツと戦うのは不利だ。
ユキト・スワイデルが手に入れば良いのだから、策を練って翡翠の男を離れさせる必要がある。
魅了した人間を使い捨ての盾にして、一心不乱に自軍へ帰還した。ついて来れない兵士は切り捨てた。
そしてアーリシュリン・へープレンドまであの翡翠の男に奪われたと知り、歯噛みした。
折角のお気に入りだったのに!
あんなに綺麗で魔力が豊富な人間はあまりいないのに!
カーンドルテ国に帰り王宮に入った。
誰も止める者はいない。
サグミラの白いローブの衣装は血塗れだったが、帰還の為に休みなく移動した為着っぱなしで茶色に変色していた。それを咎める者もいない。
サグミラは聖魔法で疲れる事はない。自軍が疲弊しようと構わずに帰って来た。
王宮の赤い絨毯が汚れるのも構わずに、サグミラは大広間に入った。広間の奥、十段ほど上がった先の国王の椅子にカーンドルテ国の王、イゼリアーテ・カーンドルテがサグミラの到着を待っていた。
「聖女サナミルよ、その様に興奮しどうしたのだ。」
手を広げて聖女を抱き締める。
汚れたプラチナブロンドをゆっくりと撫でると、サグミラは漸く震える身体を落ち着かせた。
国王イゼリアーテは燃える様な赤髪に水色の瞳の男性だ。元は澄んだ水色も、魅了され何も光を映さない。
十四年前、魔女サグミラはスワイデルの皇都に潜り込んだ。
当時の聖女の身体は肉感的で妖艶だった。女性の色香でスワイデルの貴族を落とし込み、皇都の侍女として潜り込んだのだ。
いくら魔力持ちの少ない国とはいえ、栄えた皇都には魔力持ちが集まっている。戦闘能力の高そうな人間を大勢相手にするのは危険なので、非戦闘員のみを残す様にカーンドルテ国から兵を出させた。
スグル皇帝は兵を率いて討伐に出た。
魔女サグミラの最終的な狙いは皇后サクラと皇太子ユキトを手に入れる事だった。
サクラは御しにくければその場で食べてしまおう。幼いユキトは連れ帰って自分の駒として調教し、長く使おうと我策していた。
皇后サクラの周囲から魅了魔法で落としていき、サクラも自分の傀儡となった。後は証拠を消してユキトを呼び出し連れ帰るだけ。
そう思っていた時に、ユキトが現れた。
銀の柔らかな髪を揺らし、紫の瞳に夕陽のオレンジが映り込んで輝いていた。
綺麗な子供。
それがサグミラの感想だった。
流石にこの年齢では魔力譲渡は無理だが、後何年かすれば可能だろうと喉を鳴らした。
ほんの少し恐怖を植え付けて、親から見捨てられる絶望を味合わせてから魅了してしまおうと思っていた。
しかし最後の最後でサクラに反発されてしまった。サクラの残りの魔力は一気にユキトの中へ流れ込み、ユキトの魔力は爆発したのだ。
サグミラは生きてはいた。
だが身体はボロボロで溜め込んだ魔力は防御の為にほぼ使った。残りの魔力で何とか身体を修復したが、この身体はもう保たなそうだ。
あの時急いでカーンドルテ国に帰った。
そして次の身体に乗り移る為、神殿へ急いだのだ。
あの時一番聖属性の魔力を持っていたのは、僅か四歳のサナミルだった。
眠る聖女の喉元に歯を立てた。
突然の激痛に訳も分からずもがいて目を見開いた幼女の中に、喉元からズルズルと肉塊が入り込む。ビクビクとサナミルの小さな身体は痙攣し、元魔女の成熟した身体は布切れの様に力無く落ちた。
「チッ幼すぎるわ。これじゃ暫く自分で出来ないじゃない!」
起き上がったサナミルの表情は幼い子供のものでは無く、醜悪に顔を歪ませ毒吐いていた。老獪な瞳に生気はなく、子供特有の未来に対する希望など全く見えない。
魔女サグミラは元々は闇魔法師だった。無理矢理聖魔法師である聖女の身体を乗っ取って生きながらえているが、闇魔法で魔力吸収をし、聖魔法で身体を修復する事を繰り返していても、聖女の身体は普通に成長するが、年齢を早めたり遅らせたりする事は出来ない。
性交を行えるようになるには身体が幼すぎた。聖女自身の魔力が安定するまでにもまだ数年かかりそうでサグミラは舌打ちした。
聖女が妙齢の女性から幼女に替わっても誰も異変を感じない。当たり前の様にサナミルは聖女となった。
聖教会も王族も全てが聖女に恭しく首を垂れて跪く。
カーンドルテは魔女サグミラの国だった。代々の聖女の肉体を取り込みなりすまし、聖女の聖属性と魔女の闇属性を混ぜて魅了魔法を使い続け、不老不死となった女が支配した国だった。
漸く聖女サナミルの肉体が成長したが、あの時逃したユキトは外に出て来ない。痺れを切らして和平を望む姿勢を取って留学し直接接触を計りたくとも会う事すら出来ない。
代わりに手に入れたいアーリシュリンの魔力を見たくてサクトワに侵攻してみたら、何とユキト・スワイデルが出て来ると報告が上がった。
こんな好機逃すはずがない。
アーリシュリンとユキトを侍らせれば、魔法国家のリューダミロは無理だが、サクトワとスワイデルなど簡単に手に入ると思ったのに………。
あの魔法師に邪魔された……。
スワイデルにはあんな化け物いなかった。では、リューダミロ王国の人間?
リューダミロはサグミラも手が出せない国だった。恐らく魔女の存在を認知し警戒している。絶対に国土に入らせようとしない。
リューダミロの魔法師は強い上に人数もいるので魅了を掛ける暇もない。
アーリシュリンは一人で学院にいたからこそ捕まえれたのだ。運が良かったに過ぎない。
魔女サグミラはイゼリアーテ国王の首へ血塗れの腕を絡めた。
「ねぇ、リューダミロに亜麻色の髪と翡翠の瞳の魔法師がいるの。調べてくれない?」
イゼリアーテは頼られて嬉しそうに分かったと快諾する。
「何人かご飯を持ってきてちょうだい。怪我してお腹空いちゃった!」
サグミラは気持ちを切り替えて食事を摂ることにした。胸に銃弾を撃ち込まれ、それを自ら取り出したのだ。自身の聖魔法で簡単に治癒するが、底なしに魔力があるわけではない。
魔力を使い過ぎればサナミルの身体も使い物にならなくなってしまう。
聖教会に聖魔法師の子供達を育てているが、サナミルの肉体を超える聖魔法師が今のところいなかった。
聖教会は聖女の印である背中の花模様が浮かんだ者を集めて育てている。それは魔女サグミラの指示だった。
聖女を育て乗り移り、魅了魔法で国を操り生きながらえる。
魔女サグミラはそうやって生きて来た。
聖女の身体に入れば闇魔法の魔力吸収をして身体が崩れても、聖属性の治癒ですぐに治る。いくら不老不死になろうとも醜い姿で生きながらえるなんて真っ平ごめんだ。魔獣に間違われて討伐されかねないという問題もある。
サグミラにとって聖女の身体は無くてはならない道具なのだ。
さて、どうやってスワイデルの厳重な皇宮に戻ったユキトを捕まえようかしら。
あの邪魔な魔法師がいない時にやらないと………。
連れ帰るのが無理ならば食べてしまおう。唇を歪めてサグミラは舌舐めずりした。
カーンドルテの王の寝室で、魔女サグミラはイゼリアーテ王と共に眠っていた。どちらも一糸纏わぬ姿。
…………ふ、と青い瞳が開いた。
誰かが呼んでいる。
瞳は閉じた窓の外を向き、視点はここには無い。
起き上がりガウンを羽織ると窓を開けた。
部屋は二階にあり、外は広いベランダ。白く広い階段が下の庭園へと伸び、王の部屋から直接降りて散策できる様になっていた。
鎧を纏った多くの兵士が音も無く佇んでいるが、誰一人として動かない。まるで庭園に配置された彫刻の様だった。
「今晩は。堂々と誰かしら?」
階段の下には百名程の人影。
月明かりに青白く照らし出された魔法師達の姿がそこにはあった。
魔法師達の服からリューダミロの魔法兵と分かるが、あの国の情報は掴みにくい。中央にいる薄い金髪の少年が誰なのか、サグミラには分からなかった。
「今日は話をしに来た。」
少年の話し方は高位者で、人を従わせるのに慣れた者だった。
とても大きい魔力を抱えている。
あの翡翠の魔法師程ではないが、サグミラにとってこの少年も危険だった。
「話しぃ?何かしら?」
リューダミロから来たであろう少年の目が細まる。月の影になり瞳の色はよく分からなかった。緑の様な、茶色の様な、感情の読めない輝きも無い瞳だ。
「何故ユキト・スワイデルに執着する?あれは神の領域のものだ。」
何故って決まっている。
「綺麗だからよ。火魔法師なのが残念なくらい……。聖魔法師なら貰っちゃうのに。」
少年はうっすらと笑った。
「そうか、お前はただの闇魔法師の成れの果てか。大人しく死なずに聖魔法師の身体を奪っているのか。」
「何故死ななくちゃならないの。崩れた身体を戻すには聖魔法師の治癒がないと直らないでしょ?」
だから奪って当然だと魔女サグミラは静かに怒りを乗せた。
青の瞳が黒に変わり、少年へ向けて視線を送る。
「!?」
魅了魔法は効かなかった。
「無駄だ。私も魅了魔法を使う。それに魔力量でお前は負けているから、私には効果がない。」
サグミラは舌打ちをした。
「私は魔力をたくさん奪ってもっと強くなるわ。魅了魔法を使うというなら、吸えば吸うだけ強くなるの分かるでしょう!?」
だから魔力の多い人間は特に狙う。
ユキトもアーリシュリンも滅多にないご馳走様なのだ。
少年は嘲る様に笑っていた。
「お前は徐々に狂ったのか?それとも元からその性格なのか?それだけ開き直れれば羨ましい限りだ。」
「何しに来たのよ!?」
人を貶しに来たの!?
「頼みに来ただけだ。ユキト・スワイデルを取りに行くなら、ロルビィ・へープレンドの相手をしてもらいたいだけだ。言っておくが、まずお前では倒せないぞ?私でも無理だ。上手くやるんだな。」
「ロルビィ?」
「亜麻色の髪に翡翠の瞳の緑魔法師だ。あれは神の領域だぞ?対抗する勇気は有るのか?」
神の領域…………。
そう、リューダミロらしいわ。あの国は神を信じている。勿論サグミラも神の存在は信じている。いや、知っていると言った方がいい。
「神の領域と言われれば、確かにそうね。あの魔力は恐ろしいわ。でも、私は神に会った事があるの。」
だから平気だ。
魔力は強くとも心はただの人間と変わりない。
「へぇ、是非その話を聞いてみたいな。」
いいわよ。とサグミラは得意げに話し出す。サグミラは気付いていないが、周りの人間に魅了魔法を掛ければ思考力を失い話し相手がいなくなる。
話す事に飢えている。
だからこそ、魅了魔法にかける前に良くお喋りをするのだ。
「私が会ったのは私が最初に食べた聖女と、三百年前に男性妊娠を広めた男よ。どっちも自分達は龍だと言ってたから神なのよ。」
「龍を食べたのか?」
「ええ、食べたわ。」
「ならばお前も神なのか?」
「違うわよ。」
呆れた様にサグミラ言った。
あの時あった聖女は完全に人になっていた。人になってまでカーンドルテの王子と結婚したかった龍が聖女だ。
「ところでアンタは頼み事の見返りはくれるの?」
少年は話をしにきたと言った。
そしてロルビィの相手をする様にと。
「私はリューダミロを滅ぼす者だ。王都の貴族や主要な魔法師には魅了魔法を掛けている。リューダミロの血族は全て滅ぼす。ロルビィが王都から離れた時に実行に移すつもりだが、同時にお前もユキト皇太子殿下を狙って欲しい。気付かれればどちらかに向かう可能性がある。無事ロルビィに邪魔される事なく完了した場合はリューダミロ王国はほぼ壊滅している。残りの魔力保持者を喰らえば良い。」
サグミラは声を上げて笑う。
夜空に明るい声が響き渡る。
「やぁーだ!アンタの方が狂ってるじゃない!!」
ケラケラと笑いながら欄干を飾る羽根の生えた馬の像に抱きついた。
「じゃあ、アンタがリューダミロを滅ぼしにかかったら、アタシがスワイデルに乗り込もうじゃない!」
無機質に話していた少年も漸く口元だけ笑った。
「では、この魔法師達を半分置いていこう。スワイデルに公務で行った事もある者がいるので皇宮の謁見の間迄は転移魔法で飛べる。魔力が無いと飛べないから食うなよ?」
分かったわよーとサグミラは軽く返事した。言われなければ食べたかもしれない。
タイミングは少年から言霊を送る。それに合わせて動けと言う。スワイデル軍を引きつけるためにカーンドルテ軍をスワイデル皇国に向かわせろと命令されて、サグミラは面倒臭そうに肩をすくめた。この前帰って来たばかりなのに。
お互い動き、翡翠の魔法師がどちらに行こうとも恨みっこなし。
まるで子供のいたずらの計画の様に、二人は月夜の下で話をした。
見た目だけならば十代の少年少女だが、二人が望むのは殺戮と滅亡だった。
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