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番外編
84 ドゥノーの優しい風⑤
しおりを挟むドゥノーは帰れなくなった。
どうやら指輪から出ている『黒い手』が道案内をしてくれていると気付き、手を引かれるがまま過去にいることになってしまった。
ーーー次はどこ行くの?ーーー
返事はないのだが、手は案内先に行く時はクイクイと引っ張っていく。
ルキルエル王太子殿下の六歳の誕生日は普通に行われ、そこで次の婚約者が決められていた。
王族って大変だなと思う。
『黒い手』はどんどん王宮の奥へ進んでいく。ドゥノーは半透明で幽霊みたいな存在だからか、フワフワと飛ぶように移動が早い。
王宮の奥まった場所に辿り着いた。現実では入れない所だ。
ーーーここは?ーーー
一つの離宮に入ってしまった。白薔薇が咲き誇る美しい宮の広い部屋に到着する。白い寝台には女性が寝ており、薬品の匂いがした。
誰?
髪と睫毛は金色だが繊細な顔立ちがルキルエル王太子殿下と似ている気がする。あの人も黙っていればこんな感じなのだが、口を開ければ傲慢だし、目力が強いので印象は真逆だ。
マジマジとその人を見下ろしていると、クスクスと笑い声が聞こえた。
え!?と驚き振り向くと、ドゥノーと同じように半透明の女性が立っていた。
ーーーゆ、ゆ、幽霊!?ーーー
慌てるドゥノーの様子に、その女性は口元に手を当てて涙を浮かべて笑っている。
よく見るとここに寝ている女性じゃないだろうか?
ーーーえ?貴方は?ーーー
女性は笑うのをやめて優しく微笑み掛けてきた。
ーーー私はイェリティア・カルストルヴィン。この国の王妃よ。ーーー
ドゥノーは驚き息が止まった。
イェリティアは確かに王妃の名前だった。病気でずっと後宮に療養中としか知らない。多分誰に聞いてもそういう返事しか返ってこないだろう。
イェリティア王妃はルキルエル王太子殿下の実母だ。子供はルキルエル王太子殿下しかいない。ニジファレル宰相は側妃の子供だったし、兄王子達も下の王子王女達も皆、母親は違ったはずだった。
ーーー私はね、薬で眠らされているの。ーーー
王妃は驚きの事実を教えてくれた。
イェリティア王妃には固有スキルがあった。『眠りの守護者』というスキル。夢の中で守護対象を守ることが出来る。その代わり起きている時は発動しない。
ーーー誰を守っているんですか?ーーー
イェリティア王妃は静かに笑って答えた。
ーーー勿論、私の夫、国王陛下よ。ーーー
とても愛しているからという表情には見えない。もしかして無理矢理?
ドゥノーの考えが分かったのか、イェリティア王妃は自分が眠るベットに腰掛けドゥノーを見た。
ーーー薬で眠らされているの。たまに起きるのだけど、その時だけルキと会う許可が降りるのよ。ーーー
親が自分の子に会えないのだ。
ーーー逆らえないのですか?ーーー
ーーー逆らったら私の実家は潰されたわ。ルキが大事なら大人しくいう事を聞けと言われてるの。あの子はまだ小さいでしょう?それで仕方ないから薬も飲んで眠って陛下を守護しているのだけど……。最近起きれなくなってきてるの。ーーー
怖いわ…、とイェリティア王妃は呟いた。
ーーー今身体に戻ることは?ーーー
金の髪を揺らしてフルフルと首が振られる。
ーーー身体が起きないと多分戻れないの。ーーー
ドゥノーは目の前で眠る王妃の身体を見つめた。
クンクンと『黒い手』がドゥノーを引っ張り出した。
え!?いま?とドゥノーは慌てる。
王妃は何かを察したのか手を振っていた。
ーーーまた会いましょう。ーーー
美しく笑い別れを告げられる。
ドゥノーは『黒い手』に引きずられるように、また『絶海』の波の中に放り込まれた。
「ぶぶっっっぷはぁっ、もうっ、急すぎるよ!次はどこ行くの?」
ユラ~と手は泳ぐように波の中を進み、また目の前に光が見えた。今度は早い。どこに行くつもり?元の場所?
ドプン、と身体が表に出る。
そこはまた王宮の中だった。
ーーーどこだ?ここ。ーーー
地面を蹴ると半透明の身体はフワリと浮いた。便利だ。キョロキョロと見回すとルキルエル王太子殿下がいた。王宮は広いのでドゥノーにはここがどこだか分からないが、あまり使われていない離宮のようだった。
半透明の身体になると建物も意識すれば透けて見える。
家紋を入れた旗を掲げ鎧を着た兵士達に囲まれて、ルキルエル王太子殿下が立っている。年は少し上がったくらい?でもまだまだ子供だ。
「まさか婚約者の家から裏切られるとは思いもしなかったな。」
無表情に殿下は相手に話しかけていた。
そういえば二人目の婚約者は兄王子の母親の生家と結託してルキルエル王太子殿下を亡き者にしようとしたんだっけ。
でも結果は………。
ルキルエル王太子殿下の圧勝だ。スキル『絶海』に皆沈められた。溺死した死体の山が『絶海』の中から現れるのを、城の騎士達が青い顔で見守っていた。
殿下は自己防衛をしただけなのに、化け物を見るみたいな目で遠巻きに見られている。
ーーーでも泣かないんだ……。ーーー
夜まで様子を見ていたけど、ルキルエル王太子殿下は泣いていなかった。確か前回の婚約者の死亡から一年も経っていないはず。
急に大人びたようで悲しくなった。
ヨシヨシと銀色の頭を撫でると、赤い瞳がパッと上を向いた。
え!?見えてないよね!?
驚いたけど見えてはいないらしい。ホッと息を吐く。見えてても僕が現在に帰ったら忘れているはずなので大丈夫だとは思うけど、見られるのはちょっと気不味い。普段はこうやって頭を撫でさせてくれるような存在ではないのだ。
王太子の部屋から離れてフワフワと空に上がる。
ーーーあっ……!ーーー
イェリティア王妃がまたいた。ドゥノーが空に来るのを待っていたかのように微笑んで浮かんでいた。
ーーーまたお会いしたわね。ーーー
ーーーこんばんは。ーーー
ーーー貴方は誰なのかしら?ーーー
イェリティア王妃に尋ねられても、答えていいのだろうか?未来から来たと言って信じてくれる?信じたとしてもドゥノーが立ち去れば忘れてしまうのでは?
それとも特殊な状態の王妃ならば覚えていたりして?
ドゥノーはうーんと考えた。
ーーーとりあえず僕の名前はドゥノーです。ーーー
ーーーそう、ドゥノーよろしくね。あの子に優しくしてくれて有難う。ーーー
どうやらイェリティア王妃はドゥノーにお礼を言うために待っていたらしい。
王妃がドゥノーにお礼を言う理由が理解出来る。ルキルエル王太子殿下には味方がいない。王妃は眠り続け、その実家も今はない。後ろ盾もなく側近もいない。あるのは自分自身のスキルのみ。それだけで今命を繋いでいる。
王族の中で他にスキルを持つ者が産まれたら、もしかしたら貴族達の殆どはそちらに流れていくかもしれない。ルキルエル王太子殿下が亡くなれば、後はスキル無しばかり。その後ろ盾に立ち政権を握ろうと考える者が多そうだった。
とても今現在のルキルエル王太子殿下からは考えられない状況だ。決して最初から安全な道を歩いてきた訳ではないのだ。自分で作り上げてきた地盤なのだろう。
クンクンと手を引かれた。
ーーーえ!?また!?ーーー
イェリティア王妃が寂しそうな顔をした。
ーーードゥノー、また来てね。ーーー
あ………、と言い掛けたが『黒い手』は時間がないとばかりに問答無用で『絶海』の中に引っ張っていった。
「もうっ!なんでそんなに急ぐのさ!?」
ドゥノーは怒ったが進む速度は変わらない。
次もあっという間に光に近付きポイっと外に放り出された。
ーーーわっ!?ーーー
そこは戦場。
傷付いた騎士達が倒れる中、幼いルキルエル王太子殿下が檄を飛ばしていた。
「続けっ!」
ルキルエル王太子殿下の『絶海』で相手方の兵士が飲み込まれていった。それでも次々と来る兵を屠るべく、殿下達は進み切り伏せていく。
そうだ、初陣だ。
まだ八歳でこの人は戦場に出たのだ。
もっと上の兄王子や陛下だって若い。なのにルキルエル王太子殿下が行くように命じられた。結果としては勝ったけど、子供が経験していい場所じゃない。
酷い臭いだ。すえたような吐き気をもよおす臭い。
騎士達は勝って浮かれているけど、殿下は部下を労ってからテントに戻って行った。
「今日も、来ないのか……?」
ドゥノーはついて行ってその呟きを聞いた。何かを待っているんだろうか?
テントの中も外よりはマシだがやっぱり臭う。
ドゥノーはうーんと考えて、半透明のジャケットを抜いた。学院でレナーシュミ嬢に攻撃を受けて、そのまま殿下の『絶海』で過去に来ているので、ドゥノーはずっと制服だった。
脱いだ上着でパタパタと風を起こす。
ーーーお、少しは風が吹くのか~。ーーー
こんなどんよりとした暗いテントの中にいたっていい事は無いだろうけど、少しは空気が綺麗になるようにと風を起こしてみる。
八歳の子を戦場にやるか?普通。いくらスキル持ちだからって……、とドゥノーはブツブツ文句を言った。
上着をパタパタするのに夢中で気付いていなかったが、ルキルエルはジッとドゥノーの方を見ていた。
「ここら辺?」
急に殿下の顔が目の前に現れた。ドゥノーはひゃあっとびっくりする。キラキラと宝石のように輝く瞳が飛び込んできたのだ。
ーーーえ?気付いて………るわけじゃないのか……。ーーー
ルキルエル王太子殿下の目は彷徨っていた。なんだが残念そうだ。
さっきよりは顔色が良さそうに見える。
ドゥノーはルキルエル王太子殿下の銀色の髪をくしゃくしゃと撫でた。触れるわけじゃないけど、こうやって髪に指を通すと僅かに銀髪が揺れるのだ。
ーーー殿下は凄い人ですね。あんなに立派な騎士達を大勢連れて勝利を掴んでしまうんです。こんなに小さいのに、貴方は既にこの国の王なんですね。ーーー
ぎゅと抱き締めた。半透明の身体は透けて通り過ぎてしまうけど、腕を丸く作って抱き締めるように包み込んだ。
「!」
ーーー貴方の未来は明るい。だからそんな暗い顔は似合わないです。ーーー
ドゥノーが知るルキルエル王太子殿下は不遜で傲慢で口が悪い。怖いもの知らずでドゥノーにちょっと意地悪だ。
ーーーお疲れ様です。殿下。ーーー
ドゥノーはまた『黒い手』に引っ張られた。どうも急がされる。なんでそんなに急ぐのか。
去り際にルキルエル王太子殿下が心細そうにしたのが一瞬見えた。
うぐっ……、あの表情心に突き刺さるなぁ。置いていくのが悪人みたいだ。
これは過去だと言い聞かせても、あの表情は暫く忘れきれなさそうだと思った。
結局ドゥノーはルキルエル王太子殿下の元婚約者五人の死を見た。
一人目は毒殺。二人目は裏切り。三人目と四人目は謀反。婚約者の生家だからルキルエル王太子殿下が討伐に出たのだ。ニジファレル宰相の話では兄王子共々討ち取る為に、そこの家の娘と婚約した。やらなければやられる。そういう時代だったらしい。
五人目は本当に選んだ婚約者だった。男性だけどスキルを持つ人。年上で優し気で、僕でも仲良くなれそうだなと思えるような人だった。
「ごめんね。僕はやっぱり好きな人と生きていきたい。」
この時点で残った兄は二人。その片方と恋仲になった。その兄王子も優しそうで、ニジファレル宰相に似ている。
「………貴方は兄と共に逃げたとしても国から出られません。どこに行くと言うんだ?」
厳しい赤い瞳が二人を見据えた。十歳になる前の子供の顔だろうか。
殿下は二人を止めなかった。炎を生み出すスキルは二人を飲み込んでいった。
「来世なんてあるかどうかも分からんものに、夢見てどうするんだ……?」
本当にね。同感だよ。もっと堅実的な未来を考えられなかったの?ルキルエル王太子殿下はダメだなんて言ってない。周りの大人達が言っただけだ。家が王家が二人を押し潰して殺したんだ。
ーーーだから貴方のせいじゃない。ーーー
赤い瞳は力強くて、決してこんなことでは揺らがない。先の先を見て、貴方は進んでいくんだね。とっても強い。
見えないだろうけど、ドゥノーは殿下の前に浮いた。風に靡いて浮いた前髪が、滑らかな額を見せていたので、祝福代わりにキスをした。
ーーー貴方は成功し続けるけど、その心が疲れて眠れない夜もあるだろうから、今日はぐっすりと眠れますように………。ーーー
ドゥノーはまた『黒い手』に引っ張られて『絶海』の中に消えた。
ルキルエルの額に涼やかな風が吹いた。
今日も風はやってきた。濁った空気を吹き飛ばし、明日があるのだと囁いていく。
何も見えない。匂いもしない。何かを話しかけてくれるわけでもない。
それでも、たまに吹くこの風が、ルキルエルに希望を与えてくれていた。
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