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番外編

67 ラビノアの奇跡⑥

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 どんなに夏が過ぎ冬が来ようとも、あの青い目の青年は来なかった。
 ソマルデはファバーリア侯爵邸で執事として勤めることにした。侯爵にやってみたいと言ったら教育から受けさせてくれたのだ。
 それまでソマルデは全くの無教養だったが、なんでも覚えの早いソマルデは次々と学問も技術も取得していった。
 先に勤めている先輩達を追い越しねじ伏せて、ソマルデがファバーリア侯爵邸の執事長として上り詰めるのにそう時間はかからなかった。

 それでもまだ来なかった。
 泡のように消えた青年のことを、誰も覚えていなかった。
 世界があの存在を認めつつも、この世に存在することを良しとしなかったのだと感じた。
 ソマルデも気を抜けば忘れそうになる程希薄な存在となった青年を、待ち続けたのは必ず来るから待っていてと言われた言葉を信じたからだ。
 名を聞かなかったのも、どこの誰なのかも確認しなかったのはソマルデだし、いつくるか明確に聞かなかったのもソマルデだ。
 いつもは神経質なくらい慎重なのに、どうして肝心な時に上手く出来なかったのか。
 契約書も荷物も泡のように消え、隣近所やギルドの人達に青年のことを尋ねても誰も覚えていなかった。
 最初から存在していなかったかのように。
 だけど、青年が来てから揃えた食器や小物は残っている。確かにもう一人この家にいたのだと存在を示している。
 家は引き払い出てきてしまったが、その記憶と事実があれば、ソマルデが忘れることはない。記憶力はかなりいい方だ。
 
 月の光に輝く金の髪も、銀の星が瞬く青い瞳も、儚く薄れゆく記憶の中に押し留めておく。

 それでも七年も経てば輪郭は朧げになる。存在だけは忘れないようにと、それだけは繋ぎ止めている。
 本当は存在しなかったのだろうかと思ってしまうけど、それでも馬鹿みたいに同じ所に留まる術しか考え付かなかった。
 ここら一帯ではそんな容姿の人間はいなかった。
 ファバーリア侯爵に頼んで『回復』を持つ人間で容姿を伝えて国の登録にも該当者がいないか調べてもらったが、そんな男性はいなかった。
 手の打ちようがない。
 だからずっと、ファバーリア侯爵領の本邸にいることしか出来なかった。






 陣営のテントの中で、ソマルデは剣を磨いていた。
 連日使用された剣には血と脂がこびりつき、綺麗に拭き取り研ぎ直しておく必要がある。
 執事がやる仕事ではないが、なんでも器用に熟すソマルデを、当主はことさら気に入り重用してくれている。

 あれから十年以上が経ち、ソマルデは三十歳になった。
 いつまでここにいようかと迷いがある。
 ソマルデの身体能力なら冒険者に戻っても問題はない。
 探しに行って、もう一度出会った時、自分は分かるだろうか。
 金の髪、青い瞳。そんな人間は大勢いる。
 研ぎ直した剣を鞘に納め、主人に届けようとテントに戻ろうとした。
 ポツポツと雨が降り出す。今日は一日風が強かった。
 予報通り嵐が来そうだ。

「敵襲ーーーーーー!!!」
 
 叫び声と笛の音。
 急いで当主の元に走ったが、予備の剣を持って出た後だった。
 以前青年を攫ったビズラナ伯爵が、隣の領に攻め込み、その隣の領はファバーリア侯爵に救援を要請した。勿論それを受けた際の対価は大きい。
 ビズラナ伯爵が欲した肥沃な土地ではよく作物が育つ。ファバーリア侯爵家の庇護下に入れば、今後このような侵略に遭うこともなくなるし、その都度庇護を受けられる。その対価としてファバーリア侯爵家に一定の税を納めればいい。
 
「当主!剣をお持ちしました。」

 ソマルデは持ってきた剣を渡し、予備の剣を受け取った。
 
「お前も出るか?たまには動かんと腕が泣くぞ。」

「今、私は執事服ですが?」

 それくらいお前なら問題ないだろう。そういい置いてファバーリア侯爵当主は走って行く。
 ソマルデはその姿を見送って、ふぅと一息ついた。

 戦場を一周見渡す。
 空は黒く雲が広がり激しく雨が叩きつけてくる。
 あちこちで始まった戦闘と、油のついた火矢で燃え出した火の手を観察し、ソマルデは勘で走り出した。

 ザザッと飛び出て数人の屈強な護衛達を切り伏せる。
 そして真ん中で守られていた男を剣の鞘で殴り付け、地面に転がった無様な姿を踏みつけた。
 こんな戦場に煌びやかな服を着て、自分は守られて戦うことすらしない。

「お久しぶりですね。ビズラナ伯爵は相変わらず無能そうで安心致しました。」

 足で踏みつけられた男はあれから太ったのか、丸く肥大した身体をジタバタと動かした。綺麗な白い服が泥水であっという間に汚れていく。
 
「ヒ、ヒィ!!お、お前はなんだ!?執事が何でこんなとこに!!」

 唾を飛ばして叫ぶ醜悪な姿に、ソマルデの瞳がスッと細まった。

「私の顔に見覚えはございませんか?」

 落ち着いて考えさせる為に、ゆっくりと話しかけた。
 ソマルデが向けている剣にガクガクと怯えながら、伯爵はソマルデを後ろ向きに見上げた。

「し、知らん!!だ、だ誰だ貴様!」

 覚えていないようだ。
 全ての人間があの青年を忘れたように、コイツも忘れたのか?それとも単なる馬鹿なのか?
 青年は忘れてもあの日忍び込んだソマルデのことは覚えていても良さそうなものなのに。

「大変残念な頭をお持ちのようですね。確認も終わりましたし、そんな残念な頭はもう不要でございましょう。」

 ソマルデはビズラナ伯爵の首を落とした。
 手に持って行きたくないが、仕方ない。
 誰か一人でも青年のことを覚えているだろうかと思い、態々戦場についてきた。こんな奴でも役に立つかと思って少しは期待したが、やはり無能な馬鹿は役に立たなかった。

 流れる雨の中に血が広がる。
 昼間だというのに真っ暗だ。

 もう諦めようか。
 あの青年を真似て契約書は濡れないように皮袋に入れて持ち歩いているが、それももう止めようか。

 伯爵の頭を持って歩きながら、ソマルデは川の近くに来た。
 当主達はどこだろう。
 川の水嵩は増してドウドウと音を立てて流れている。
 川は渡っていないので方向が違ったのだろう。クルリと方向転換すると、一際輝く姿が目に飛び込んだ。

 ビチャンと頭を落とす。

「ソ、ソマルデさん?」

 あの日の姿のまま、あの青年が立っていた。
 雨に濡れて髪も服もずぶ濡れになっているのに、その姿は相変わらず美しかった。
 潤む青い瞳も波打つ金の髪も、嵐を感じさせず仄かに輝いて見える。

「…………………なぜ、ここに?」

 驚き過ぎて普通の質問しか出なかった。

「良かった!無事に辿り着けるか賭けだったんです。」

 どんなに酷く唸る風も青年の声を消すこもなく、激しく叩きつける雨も青年の姿を遮ることはなかった。
 まるで世界がこの存在を消すことを許さないというように。
 世界はこの人の為に存在するかのように。

「賭け?そんな危ない方法で来てたのですか?」

 思わず尋ねた言葉に、青年はキョトンとした。

「わぁ、わあぁぁ!執事ですね?似合っています!やっぱりソマルデさんですぅ~~~!」

 ????
 そういえばこんな性格だったなと思う。長いこと会っていなかったから忘れていた。
 ソマルデの記憶もかなり薄れていたことに、今改めて実感した。

「少し移動しましょう。」

 青年ははいっ!と元気よく返事してついて来た。ソマルデのことを信頼しているのも変わらない。いや、何もかもがそのままな気がする。歳すらとっていない。この青年は何者なのだろう?

 首はそのままに、ソマルデは青年を川から離して木の下に移動した。

「まずはこれを渡しておきます。」

 先程もう捨てようかと考えた契約書だ。
 雨に濡れた手袋を捨て、ポケットからハンカチを出して青年の濡れた顔を拭いた。それから自分の手も拭いて皮袋を取り出す。
 
「契約書です。まだ必要ですか?」

 青年は大きく目を見開いた。それから嬉しそうに顔を綻ばせる。

「はい!とっておいてくれたのですか?」

 ソマルデは頷き、中から契約書を取り出す。
 そこでハタと気付いた。そういえば青年が来たら確認することがあった。

「置いていった契約書は消えてしまったので、新たに用意しておきました。今から一緒に押しましょう。内容を確認させていただきます。私の身体の権利が必要なのですよね?」

「あ、はい。」

 ソマルデは頷いて皮袋からペンを取り出して一文付け加えた。そして手早く剣先で指に傷を入れ血判を押す。
 
「貴方も血判を押してください。」

 血判の契約は双方がその場にいることが望ましい。その方が結びつきが強くなると言われている。
 青年が慌てて指を出したので、ソマルデが少しだけ剣先で傷を作り血判を押させた。
 ポタポタと木から雫が落ち、契約の文字を滲ませる。

「あっ!」

「大丈夫でしょう。先に血判が押されたので。契約内容は履行されたはずです。」

 それを聞いて青年はホッと息を吐き、嬉しそうに微笑んだ。滴る雫を遮る為に契約書の上半分は袋の中に入れた状態にしていたので、後から何の契約書だったか青年が確認すればいい。
 下の方の文字と血判は少々滲んだがまだ読み取れる程度。袋に入れてあげ青年に渡した。
 それを大事そうに胸に抱えて、青年はソマルデを見上げる。
 
「ありが、」

 青年がソマルデを見上げてお礼を言おうとした時、雨宿りしていた木が弾けた。
 咄嗟にソマルデが青年を庇う。
 弾かれて川縁の方に飛ばされた。

「怪我は!?」

「は、はい!大丈夫です。……あっ!」

 立て続けに炎の塊が飛んでくる。
 油断した!伯爵の首をとったがまだ敵側がそれを知らなければ戦闘は止まらない。
 ワッと敵兵が襲いかかってきた。
 退路はない。背後には唸るように流れる川があるだけだ。
 襲いくる剣を弾き倒しながら、後ろの青年を庇って後退しないようにした。
 ソマルデの頬に血の線が走る。
 あらかた見えていた敵兵を倒すと、後ろにいた青年が抱きついてきた。

「ソマルデさん!怪我が!」

 頬に冷たい細い指が当てられる。
 ああ、雨で濡れて身体が冷えているのだと感じた。

「……これで大丈夫です。」

 青年が微笑む。
 『回復』で治してくれたのだろう。頬がジワリと熱を持った。
 
 その時ソマルデの後ろからボッと炎が飛んでくる。
 青年がソマルデを押した。ソマルデの斜め上を炎が飛んでいく。次に飛んできた炎が青年に当たった。
 驚き目を見開く青年が川の中に落ちて行く。
 手を伸ばしても届かない。
 名前を呼ぼうとしても、その名前を知らない。
 まだ聞いていない。
 開いた口は、雨の中なのに乾いた音を出すだけだった。
 
 ボチャンと落ちる音がやけに響いてくる。

 ようやくまた会えたのに、また消えてしまった。
 慌てて川に向かっても、もうあの輝くような金髪は見えなくなっていた。
 炎がまた飛んでくるので、その方向に走りスキルで襲ってきていた兵士を切って捨てた。

 見渡しても、轟音を立てて流れる川と暗い雨雲と死体しかない。

 呆然と川を見下ろしていたら、ファバーリア侯爵達が駆けつけてきた。ビズラナ伯爵の首を確認し、ソマルデに労いの言葉を皆かけていく。
 ソマルデはどこかそれを夢の中のように対応していた。
 自分が作った執事のソマルデを表に出して、心の中に空虚な穴が空いた。
 あの青年には特殊なスキルを持つ仲間がいたはず。流れ落ちる記憶と共に、どんなスキルを持っていたか忘れてしまったが、青年の仲間も近くにいれば助かっているはず。
 
 自分が愚かなのか、実力不足なのか…。
 それとも運が悪いのか…。
 何故こんな時にやってくるんだ。







 ソマルデはそのままファバーリア侯爵家で働き続けた。
 もしかしたら、もう一度会えるかもしれないと思って。
 その時は、もっと沢山話したかったことを話そう。
 名前もちゃんと聞こう。
 
 そして、その時こそソマルデは、躊躇わず自分の思うように行動しようと決めた。








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