65 / 98
番外編
65 ラビノアの奇跡④
しおりを挟む近くの小川にやって来た。
魚釣りをしたことがないと青年が言ったからだ。
今時魚も釣ったことのない人間がいるとは……。青年は驚く程世間知らずだった。
「来たぞ。釣れ!」
「はううぅぅ!」
どうやら精一杯竿を引いているつもりらしい。力がなさ過ぎる。呆れて青年の背後から一緒に竿を引っ張った。
ジャポッという音を立てて魚が一匹飛んでくる。
青年の足元に落ちた魚に、引いた当の本人がびっくりして「みぎゃっ!」と飛び跳ねていた。
「ふわっ、はうぅ!初めてお魚釣りました!」
キャッキャと喜ぶ姿は子供だ。とても自分よりも年上には見えない。
「あー、おめでと。」
晩御飯にするか。
一般的な家庭料理しか作れないのに、青年は美味しいとよく食べた。見た目から貴族の食事しかしてなさそうに見えるのに大丈夫なのかと最初は思っていたが、何でも口にする。
ここに来て二週間は経とうとしているが、一向に青年の迎えは来なかった。
最初の頃はいつ来るのか聞いたりもしたが、ここ二、三日は聞いていない気がする。
聞けば慌てて帰るかもしれない。
どこか遠慮がちな青年は、この家に居座るのを申し訳なさそうにしていた。
誰かと一緒に暮らすのは久しぶりだった。
たまに恋人が出来て数日暮らす事はあっても、長く続いたためしがない。ソマルデの方がいつも限界を感じて追い出して、そのまま別れることが殆どだった。
だがこの青年は二週間ここで過ごしている。
料理は作れないが、家事は手伝うことが出来るのか、洗い物や洗濯掃除はよくやってくれた。
手慣れた姿に実は貴族ではなかったのだろうかと思った。
貴族に引き取られた平民出身かもしれない。
青年はお喋りで優しい人柄のようだった。隣人が困っていればすぐに手を貸すし、店の人間ともよく喋り挨拶をする。
基本が親切で人懐っこいのだ。
「ずっと一人暮らしなんですか?」
「ああ、七歳からな。スキル持ってるから家族とは離れたんだ。」
「そうなんですね。分かります。私も持っているし、友達もそれで大変な目にあいました。……でも、今は皆んな元気に幸せそうにしてます!」
ソマルデはあまり自分のことを自ら喋ることはないのに、なぜか青年に聞かれると自然と答えてしまっていた。
ごく自然に青年はソマルデの中に馴染んでいった。
「あの、そろそろ私の目的をお話ししても大丈夫でしょうか?」
ある日青年はそう言った。
「いいも何も、俺の許可はいらないだろ?」
青年は青い目を困ったように瞬かせた。
「そうなのですけど、もしかしたら不快に思われるかもと思って、話せずにいました。本当はソマルデさんにお願いがあってここに来たのです。」
何となくそんな気はしていた。
二度目に来た嵐の日に、何かを出して話そうとしていたからだ。あれから特に何も言わなかったので、ソマルデの方からは聞かずにいただけだ。
「ふうん。で?話ってなんだ?」
青年はバックからゴソゴソとまた違う袋を取り出した。平たい皮の袋から出てきたのは紙が一枚。
その紙をソマルデに渡してきた。
内容は「一時的に身体の所有権を貸与する。」という変な内容だった。詳しく見ると、この青年が『回復』スキルを使う時に、ソマルデの身体能力を模倣したいというものだった。
「あの、突然こんな内容を見せられて嫌な気持ちになるかと思い、出せませんでした。」
確かに少し……、いや、かなり不快だ。
だが暫く一緒に暮らして、この青年が高圧的な貴族でもなく、ソマルデの気を引こうと強引な手を使うこともない人間だというのは理解していた。理解してもらいたくて、この契約書を見せずに一緒にいたのだろう。
「俺の身体を模倣する理由は?」
「あ、それは、私のスキルがそういうものだからです。私が『回復』したい相手の方が高齢の方で、ソマルデさんの身体を模倣して、『回復』をかけてあげたいのです。」
「なに?俺のって事は男性ってことか?あんたの爺さん?」
「いえ、身内ではありませんが、大切な方です。」
青年が嬉しそうに頬を染めて語った。まるで恋をしているかのような表情に、ソマルデの心がイラつく。
「ふぅん。」
「あの、ダメでしょうか。少し距離がある為、血判契約で繋がりを強化したいのです。一度『回復』をかけたら破棄されるような内容になっています。一度だけでいいんです。」
青年はいつになく一生懸命だ。
本当の依頼内容はこれなのだろう。護衛はついでなのだ。
そんなにその老人が大切なのだろうか?
涙目でウルウルと見上げてくる。
自分の身体の所有権を、他人に一時的にでも握られるということに抵抗があった。例えそれが一秒であっても何をされるか分からない。
もし主従契約の血判を勝手に押されでもしたらどうする?スキルには上下関係があるが、『回復』スキルの中でも強力なものもあれば微々たるものもある。ソマルデの『剣人』よりも強い『回復』ならば、抗うことが出来なくなる。
答えは否だ。
「それは出来ない。」
青年はショボンと項垂れた。
「………そうですか。」
そうですよねぇ~、と青年は落ち込んだが、ソマルデも何か胸の奥がモヤモヤした。
信じていた人間に裏切られた感じだ。友人と思っていた人間が好きだと付き纏い出した時にも似たような感覚になったが、この青年は友人ではない。依頼主だ。
「…………………。」
「ソマルデさん、ごめんなさい。それでもやっぱり諦め切れません。お迎えが来るまで、説得続けます!」
俯いた顔をパッとあげて、青い瞳をキラキラさせながら青年はそう宣言した。
青年の言葉にホッと息を吐く。断ったことによってここにいる意味がないと帰ってしまうかと思ったからだ。
迎えがくるまではまだいる。
でも迎えがきたら帰ってしまう。
ソマルデは青年の名前も住んでいる場所も知らなかった。
ここから出て行ってもまた会えるだろうか。
それからまた二週間経つが、青年はまだここにいる。そしてソマルデの血判を貰おうとあの手この手で説得しようとするが、基本が必死にお願いするだけなので拍子抜けするほどだ。
その見た目を活かした誘惑も、貴族お得意の脅迫もない。
一人の人間が精一杯自分の言葉で説得しようとする。
いつの間にかソマルデにとっては青年は家族になっていた。
名前も知らないのに、何処から来たのかも知らないのに、あまりにも青年がソマルデに信頼を寄せるから、ソマルデも同じように返すようになってしまった。
「このままここに居たくなっちゃいます。」
冗談めかして青年は言う。
居たら良いのに。
この年上の美しい青年は、態と揶揄い馬鹿にしても笑って受け流す優しい人だった。
その爺さんの代わりに俺が一緒にいても良いのにと思いながらも、ソマルデもまだ十六歳と言う年齢な為自信があるわけではない。
もし血判を押してその爺さんを助けた後も、ずっと側にいてくれるなら………。
そう頼めばいてくれるだろうか。
自分のベットに眠る青年を見下ろした。
長い金髪が古ぼけたシーツの上に広がっている。綺麗な金髪だ。髪は大切にしているのか、よく洗い櫛を通して整えている。仕草がナヨナヨしく見えるが、上品なのでどうしても良いとこの出身に見える。
少し暑いのか汗をかいて髪が湿っていた。
誰かと一緒にこんなに長く過ごすのは久しぶりだった。それこそ七歳の時に本物の家族を他国に逃して以来。
何故ずっとこの家に住まわせているのか自分でも不思議だったが、多分あの青い目の所為だ。
何の疑いもなくソマルデを信頼している。
信じられている。
絶対にソマルデがこの青年に対して、何かしらの酷い仕打ちを行うとは夢にも思っていない。そんな全幅の信頼関係を寄せられている。
どんなに愛していると言っている人間でも、ソマルデを前にするとこちらの様子を窺う。どこかソマルデを信じていない部分がある。なのにこの青年は、ソマルデが頼みを断り続けているのに、断ることが正しいことなのだと思っている。頼み込む自分の方が間違っているのだけど、それでもお願いしますと言ってくる。
「なんでそんなに一生懸命なんだ?」
寝ている青年を見下ろして、ソマルデは呟いた。
ソマルデはベットを青年に貸しているので、隣の部屋のソファで寝ている。最初は自分がソファでいいと言うので寝かせてみたが、直ぐに腰が痛いと言い出したので代わったのだ。
出ていこうと扉に向かうと、衣擦れの音がした。
振り返ると青年の目がぼんやりと開いていた。
「ソマルデさん……?」
寝ぼけた声で名を呼ばれた。
起こしてしまったようだ。
「ああ、すまない。起こしたか?暑そうだな。窓開けとくか?」
青年がコクリと頷くので、ベットの頭の上にある窓を少しだけ開けてやった。
ここの窓は少ししか開かないようにしている。昔夜這いをかけようとした人間がいたので、予防でそうしていた。
青年はモゾモゾと上半身だけ起き上がった。
「どうした?まだ夜中だぞ。」
青い目をボウとさせてソマルデを見上げている。
「夢を見ていました。しばらく会っていなかったので、すごく楽しかったです。」
「ふぅん?」
誰だろうか?例の爺さんか?
「やっぱり、ソマルデさんに血判を押して欲しいです。」
目を伏せて青年は呟いた。
「何でそんなに一生懸命なんだ?そんなにソイツが大事か?家族なのか?」
青年は首を振った。
そうじゃないと呟く。
「とても、大切な人なんです。」
「はぁ、俺はソイツのこと知らねーんだけど?」
青年は伏せていた青い目を見上げてきた。
「確かに知りません。でも、いつかは知ります。」
「はあ?」
「大切な人なんです。今のソマルデさんと同じくらい、大切なんです。」
真剣な青い瞳がソマルデを射抜いてくる。
月の光に照らされて、青の中に銀の星が輝くように美しくソマルデを瞳の中に捉えていた。
波打つ金の髪が柔らかな身体を覆い、月夜の闇の中に仄かに光って見えた。
本当に美しい人だ。
世界はこの青年の為に存在するかのように、彼の周りに神聖な空気を感じる。
きっと……、この人がいなければこの世界はない。
そう思わせるだけの存在感と、誰にも穢すことのできない美しい姿。
そんな青年に愛される老人とはどんな人物だろうと思ってしまう。
「この前会ったばかりの俺と比べたらダメだろう?」
青年は穢れを知らない笑顔で笑った。
「そんなことありません。私はソマルデさんをずっと慕っているのですもの。」
「ソマルデは俺の名前だろう?慕ってんのは爺さんじゃないのか?」
「ふふふ。」
可笑しそうに肩を振るわせて笑う青年に、ソマルデは少し折れてみることにした。
「血判、考えてみてもいい。」
青年はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ああ、明日な。」
「はいっ!」
涙を浮かべて青年は喜んでいる。
血判を押したら、名前を聞こう。何処に住んでるのかを聞いて、ついてってもいい。
ここでお別れというのが嫌なだけだ。
ソマルデは別にこの街の人間というわけではない。
フラフラと街から街へ渡り歩いている人間だ。
おそらくこの青年もこの国からは出られない。スキルを持つ者は厳しく監視されている。この国の人間のはずだ。
「じゃあ、寝ろ。」
「はい、おやすみなさい。」
青年の青い瞳が閉じられるのを確認して、ソマルデは部屋から出て行った。
2,750
お気に入りに追加
5,793
あなたにおすすめの小説
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした
エウラ
BL
どうしてこうなったのか。
僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。
なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい?
孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。
僕、頑張って大きくなって恩返しするからね!
天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。
突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。
不定期投稿です。
本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?
み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました!
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい
りまり
BL
僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。
この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。
僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。
本当に僕にはもったいない人なんだ。
どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。
彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。
答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。
後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる