上 下
54 / 98

54 五日後

しおりを挟む

 地下牢に入れられていた使用人達が、扉を壊そうとしていた。
 ここは侯爵夫人の部屋。
 そう簡単に壊れる扉ではない。
 そうは思うが外から聞こえる破壊音と怨嗟の声に、ソフィアーネは震えていた。
 家具で扉を塞ぎたいが、ソフィアーネはそんな労働したことがない。どうやって動かせばよいのかすら知らなかった。
 
 ガタガタと身体が震えた。
 ベットに潜りシーツを被る。
 出てこいと叫ぶ人間達が怖い。
 男なのか女なのかすら分からない低い声。

 ソフィアーネは敬われるべき人間だ。
 例えスキルがなくとも公爵家の人間なのに!
 足を舐めんばかりにひれ伏していたくせに、今はソフィアーネをなんとか引き摺り出そうと扉や壁を破壊しようとする音がする。
 貴族の主寝室は他の部屋とは作りが異なり頑丈にできている。もうここに篭って三日経った。
 最初は食料を求めて部屋の外に出ていたソフィアーネも、だんだんと周りの人間の様子が異常になってくると恐怖を覚えた。
 皆一様に悪夢を見ると言う。寝る度に恐怖で飛び起き、次第に幻覚を見だした。
 それをソフィアーネの所為だと言い出し、ソフィアーネは違うと否定するのに掴み掛かってくるようになった。
 頬や腕を爪で裂かれ、足首にも腿にも強く握られた為に手跡が付いている。
 治療したくともソフィアーネの側には使用人がいない。
 守ってくれる護衛もいない。
 元使用人も護衛も、今は部屋の外でソフィアーネが出てくるのを、舌舐めずりするように待ち構えている。
 殺される……………!!
 ズキズキと痛む頬を手で押さえて、ソフィアーネは丸まった。
 こんな姿、こんな姿!
 ソフィアーネの父が助けに来るはずがない。用済みと感じれば捨てられるだけだ。
 どうやって生き残ればいいの……!?
 この部屋の窓には鉄格子はついていないが、ここは三階。飛び降りても下は石畳だ。
 
 そうだ!五日!!
 もうそろそろ五日経つはず!
 エジエルジーンが屋敷の扉を開けるはずだ。
 
 風呂とトイレがついた部屋だから水には困らないが、食べ物がない。空腹だった。
 こんな扱いは初めてだ。
 どんなに親から蔑ろにされようと、ソフィアーネの我儘はなんでも叶っていたのに。

 早く五日経てと願いながら震えていると、焦げ臭さと煙の匂いがしてきた。
 
「………なに。」

 シーツから頭を出すと、部屋の中が白く煙っている。
 ゾッとする。
 誰かが火をつけたのだ。
 パチパチという燃える音。
 焼き殺すつもり!?それとも逃げようと扉を開けたところを捕まえるつもり!?
 ソフィアーネは窓の方へ逃げた。窓を開けて外の空気を吸い込む。気付かないうちに部屋の中は煙が立ち込めていた。

「なんでっ!なんで私がこんな扱いを受けなきゃならないの!?」

 ソフィアーネは叫んだ。
 それもこれも全部ユンネ・ファバーリアが思う通りに動かないからよ!エジエルジーンの前に現れなければ、結婚しなければ、逃げ続けなければ!っソフィアーネは侯爵家を手に入れることができたのに!

 扉の隙間から炎のオレンジが見える。
 簡単に燃えない仕様になっているとはいっても、こうも煙が入り込めば無事ではいられない気がしてくる。
 喉も目も痛い。
 もう、思い切って………!
 ソフィアーネは煙の息苦しさに我慢できず、廊下へと続く扉を開けた。
 
「………!」
 
 誰もいない。逃げた?だか今のうちにソフィアーネも逃げなければ……。
 廊下は火に包まれているが、まだ通ろうと思えば通れる。バチバチという燃える音にビクつきながら進んだ。天井や壁が落ち始める。
 急いで階下に行かないと!
 ソフィアーネは階段を駆け降りた。
 このまま行けば助かる!

 下に辿り着きソフィアーネは無数の目に出会った。
 目は落ち窪み顔色は悪い。干からびた老人のように見えるが、見知った顔が多かった。
 ソフィアーネが特に可愛がっていた使用人達。若く体力のある男性が多かった。
 いや、生き残っていたという方が正しい。
 あの日一緒に捕まった老害達はいなかった。

「………くると思った。」

 一人がそう言った。

「お前達………!ここで何をしてるの!?」

 早く逃げ出さなければ!

「もう直ぐ五日。我々はその場にいなかったが、五日経てば開くんだろ?この扉が開く前にお前に出てきてもらおうと思ってさ。」

「どんなに危なくても、あんたならきっと正面玄関からしか出ようとしないと思ったよ。使用人棟に行った方が安全だったのにな。」

 ソフィアーネは後ずさった。煙から遠ざかって、どこかの部屋に立て籠っていればよかったとのだと今更気付いたがもう遅い。

「お前達……っ!私に逆らうつもり!?」

「逆らうも何も、もう皆んなお終いだろう?」

 男達の手が伸びてきた。

「ひぃ……!?」

 どうして私がこんな目に!?
 手を、髪を、力一杯引っ張られ、ソフィアーネは逃げようと暴れた。暴れたことすらなかったが、恐怖で精一杯暴れたが、令嬢として生きてきたソフィアーネの力など微々たるものでしかない。

 助けてーーーー!!!

 命乞いも同情も、全部無視されて、ソフィアーネは痛みと恐怖に晒された。
 私は貴族なのに!
 誰もが羨む公爵家の令嬢なのに!
 
 その矜持も、時間が経つごとに失われていく。

 

 五日後、エジエルジーンが戻り本邸の正面扉を開いた時、そこにはソフィアーネが一人、虚ろな顔でボロ雑巾のように座り込んでいた。



 







「えーと、死体の回収状況はコレにまとめといたぞ。元御令嬢は鉄格子付き馬車に乗せてきた。かなり大人しくなっててビックリ。」

 ワトビが手配した業者と共に死体を運び出し報告をしてきた。
 使用人達の半分は自殺。残り四十八人。使用人の数が多すぎるが、ソフィアーネが見た目のいい男を選んで自分専用の侍従にしていたらしい。給料というよりパトロンとしてお小遣いをやっていた男達だ。その男達は十八人いたが、その内十二人が最後まで生き残った。恐怖と疑心暗鬼でお互い殺し合った結果、それだけが生き残っていたらしい。
 普段からいいものを食べ、いい武器を持っていた。
 ソフィアーネに与えた『夢魔』というスキルで、ソフィアーネ以外全員が悪夢を見続けたはずだ。
 あのスキルは悪夢を見せるだけでなく、精神を蝕む。しかも『夢魔』を持つ本人を傷付けることは出来ても殺すことは出来ない。
 ソフィアーネの周りには無惨な死体が転がっていた。ソフィアーネを傷付けると、他の者が幻覚によってソフィアーネを傷付けた者に襲いかかる。別の者が幻覚から目を覚ませば、またソフィアーネを襲うが、幻覚に操られた他の者がそれを阻止してくる。その繰り返し。
 スキルが保持者を守るのだ。
 タチの悪いスキルだった。
 ソフィアーネは辛うじて五体満足だったが、周りで繰り広げられる凄惨な殺し合いに精神が壊れかけていた。

 

 だが、まだまだだ。

「ソフィアーネ、ありがとう。全員お前の手で殺してくれたな。」

 ソフィアーネに与えたスキルは既に消した。あのスキルは同じ建物内に入った者に悪夢を見せる。
 まずはエジエルジーンが入ってスキルを取り戻す必要があった。

 ソフィアーネは手を前に出し、ブルブルと震えながら何かを呟いている。

「…………あ、わた、し、私、人を殺したわ……。怖くて、近くにあったから、剣が………、持ったら、あの男…………、、私の前に……!」

 エジエルジーンはスゥと目を細めた。
 何を言っているんだ。自分は平気でユンネを殺そうとしておいて、いざ自分自身の手で他人の命を奪えば恐怖するのか。
 ユンネは刺客の命を奪うことに躊躇う心が麻痺するくらい人を殺してきたんだぞ?
 お前のせいで、覚える必要のない経験をしてしまった。
 怒りが湧いてくる。

「もう、しないわっ!お願いっ!もうしないから、許してっっ!」

「……お前には自分の侵した罪を知らしめてもらう。」

 ポンと丸めた紙を一枚牢の中に放り込んだ。

「…なに!?」

 読めと視線で促す。
 その紙には、今までユンネ・ファバーリアがやっていたとされる悪行は、全てソフィアーネ・ボブノーラがしでかしたことであり、侯爵夫人ユンネ・ファバーリアはソフィアーネ・ボブノーラによって長きにわたり監禁されていたという内容が書かれていた。
 家臣達の名前も事細かに書かれ、詳細な内容まで明らかにされていた。

「今から領地内の主要な街を回る。お前はその間この檻の中だ。だいたい一ヶ月程度かける予定だ。」

「ヒッ!?」

 檻は前後左右上まで全て格子になっている。丸見えだ。

「………そんな、どこで、寝るのよ!?どこで……!」

 この檻の中には排泄する場所も寝床もない。
 ソフィアーネはゾッとした。
 
「ワトビ、出発しろ。死なない程度に連れて行け。」

 ワトビは騎士の礼をとり後ろに控えた部下達に合図した。
 エジエルジーンもついては行くが、それはソフィアーネが苦しむところを観察するわけではなく、行く先々の領地視察と各事業の再構築の為だ。
 領民への謝罪や物資補填もしていかなければならない。
 今回本邸の焼けた東側は取り壊し、新たに建て直すつもりだ。
 
 「もしくはいっそのこと全て建て直すか?」

 私財を使えば造作も無い。
 これからユンネ達と暮らすのだ。その方がいいかもしれない。ソフィアーネが使った屋敷には住みたくないだろう。
 本邸は何が起きてもいいように貴重品は全て持ち出し別の建物へ運び込んでいたので、壊そうと思えばすぐに壊せる。

 細目をふにゃりと笑顔に垂らさせて、笑って見送ってくれたユンネを思い出した。
 ルキルエル王太子殿下に事前に頼んで、『絶海』で王都とファバーリア領地本邸を繋いでもらうようにしていた。
 自分以外は皆王都に戻っている。
 
「無理しないで下さいね。」

 見上げでくるユンネの髪を撫でて、暫く会えないことに寂しくなった。
 だが領地を立て直していかなければ妻を幸せには出来ない。

「行ってくる。」

 どうせならと唇に軽くキスをした。
 ユンネの口が小さくポカンと開いて固まっていた。
 頬を撫でているとカアアァァァと遅れて真っ赤になり、手のひらに感じる熱に嬉しくなる。

 ソマルデもユンネの後ろからノルゼを抱っこしてジトーと見ていたが、何も言わなかったのでいいのだろう。
 なにせ私達は夫婦だ。
 
 早く終わらせて、約束通り結婚式を挙げたい。
 ユンネが妻で良かった。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】

瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。 そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた! ……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。 ウィル様のおまけにて完結致しました。 長い間お付き合い頂きありがとうございました!

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした

エウラ
BL
どうしてこうなったのか。 僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。 なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい? 孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。 僕、頑張って大きくなって恩返しするからね! 天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。 突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。 不定期投稿です。 本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?

み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました! 志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい

りまり
BL
 僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。  この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。  僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。  本当に僕にはもったいない人なんだ。  どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。  彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。  答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。  後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。

処理中です...