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38 本当のユンネ

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 その日は一日寝たり起きたりを繰り返した。
 薬は元から十分に置いてあったらしく、夕方に交代したソマルデさんが傷口の状態を見てくれた。
 
 寝ると小さい頃のユンネの記憶が流れてくる。
 ベレステ子爵家は貧乏でとても平凡な家族だった。
 屋敷も小さめだけど、仲が良いからそんなこと気にもならない。
 両親は優しくて、兄もスキル持ちの俺に家督を継がせて自分は補佐に回ると平気で言う人だった。
 漫画の中のユンネは気が小さくて弱気な人間だったからそれがプレッシャーになっていたけど、俺は結局領地を継ぐことなく十三歳でファバーリア侯爵家に嫁ぐことになると知っていたので、兄を巻き込んで勉強したり身体を鍛えたりして過ごしていた。
 なるべく貧乏が加速しないように両親を見張ってみたりもしたけど、元々この領地は特産品がないので貧乏を脱することは出来なかった。
 これ以上の借金を増やさないようにするので精一杯。
 それでもこの人達には感謝している。


 俺は予定通り十三歳でファバーリア侯爵家にやってきた。
 未来はそうそう変えられない。
 スキルを持っている貴族ではあるから、子供の姿では家出とかも無理そうだし、ベレステ子爵家を捨てるにはこの家族も領地の人達も優しかった。
 だから未来のシナリオを変えるのは、ファバーリア侯爵家に行ってからだと思った。
 
 そこまでは予定通りだった。
 俺がこの人に恋心を生むまでは。

 俺はベットに寝ていたけど、外の喧騒でルキルエル王太子殿下達が到着したことに気付いた。
 窓から見える空は薄曇りで、今が朝なのか昼なのか分からない。
 ボンヤリと夢の中と現実を行ったり来たりしていた。
 ガラスの穴から漏れ出る記憶は、忘れていた俺自身の記憶だ。
 俺は最初から俺でしかなかった。
 今のところ十三歳で旦那様に会った時の淡い初恋までしか思い出していない。
 きっとこの先の記憶が最も重要な記憶なんだろうと思う。
 それを思い出すのは正直怖い。
 でもきっと、ラビノアに『回復』をかけてもらえば、俺とユンネを遮っていたガラスの壁が割れてしまう気がした。
 そうしたら、俺はどうなるだろう?
 
「こちらに……。」

 扉がノックされ、ソマルデさんが殿下達を案内して入ってきた。
 旦那様もいる。
 入ってきたのはソマルデさん、ルキルエル王太子殿下、旦那様、アジュソー団長、ラビノア、ミゼミだ。
 狭い部屋にぎゅうぎゅうに入っている。

「狭いな。俺達は出よう。ラビノアとミゼミと……。」

 言い掛けた言葉をルキルエル王太子殿下は止める。

「はぁ、エジエルジーン団長に任せるか。」

 迷って旦那様も残すことにしたようだ。ラビノアとミゼミだけでは確かに不安かもしれない。
 殿下は俺の側に来て覗き込んだ。

「今からラビノアに『回復』をかけてもらう。体調を崩すことを考慮してミゼミがいた方がいいとソマルデが言うので一緒に見させる。何かあればエジエルジーン団長に任せるので安心しろ。……足は兎も角、肩は外れかけている。今治さなければ失ってしまう。」

 俺は頷いた。
 だんだんと熱も上がり体調は悪い。息もゼィゼィと出てきて自分でも命がヤバいのではと感じてしまう。
 死ぬか、もしくは片手を失うか、それとも記憶を取り戻すかの選択だ。
 だったら記憶を取り戻してでもラビノアに『回復』してもらうしかない。
 ラビノアが俺の横に来て、床に膝を付いて座った。反対側に旦那様が立ち、ミゼミは少し離れて見守っている。
 殿下達が全員出ていき、ラビノアは俺の顔を覗き込んだ。

「私が『回復』をしたら、きっとユネ君…、いえユンネ君の記憶が戻る可能性が高いと思います。」

 旦那様の目が見開かれる。
 ラビノアは知ってたのか……。俺が記憶を失くしていることを。
 旦那様は知らないはずだ。ソマルデさんしか知らない。

「………記憶を?」

 旦那様は動揺してるけど、今は説明出来ない。
 昨日はまだ少し喋れたけど、今日はもう無理だった。息をするのも億劫だ。

「私には何故記憶を失くしたのかとかは分かりません。ただここで『回復』しておかなければ、ユンネ君は最悪死んでしまいます。生きていて欲しいので怪我を治してもいいですか?」

 俺はラビノアの綺麗な青い目を見つめて頷いた。
 ここで迷ってもしょうがない。
 ラビノアは少し微笑んだ。
 ラビノアの肩に触れた手が光を纏いだす。
 俺は目を瞑った。

 スウーーーー………と、身体が落ちていく感覚がする。
 落ちて、薄暗い場所に辿り着いて、トンと足が着いた。
 目の前にはいつものガラスの壁がある。
 ひび割れの向こうにユンネが立っていた。
 いつもの通り悲しげな顔だ。
 元のユンネだと思ってたけど、俺もお前も同じ人間だった。
 お前はきっと失った記憶のユンネだ。

 地面が淡く光だす。
 下からガラスにヒビが入り出した。
 ピキピキと音が小さく立ち、ピキンと大きく稲妻状に線が走る。

「壊れるね。」

 向こうのユンネが頷いた。

「これはね、賭けだったんだ。」

「賭け?」

「そう。行き詰まって、どうしようも無くなって、もしかしたら何も知らない俺なら、違う答えを出すかもしれないと思ったんだ。」

「……………俺が俺に賭けちゃったんだ。」

 向こうのユンネが笑った。

「だって誰にも相談出来ないから。」

 きっとその時のことも今から思い出すんだろう。
 
 ルキルエル王太子殿下とサノビィスと三人で晩餐を摂った時に、見せてもらった俺の調査書には、騎士学校時代のことも載っていた。
 内容は成績から普段の素行について。
 斥候として専門に習っているはずなのに、俺の周りにはやたらと死人が多かった。
 そして一年程行方をくらましている。
 その期間は不明と書かれていた。王家の影が調べた調査でわからなかったということは、誰も知らないだろう。俺以外は。
 
 バキンと大きな亀裂が走る。
 亀裂が光りだし、俺も向こうのユンネもその光に照らされた。
 ラビノアの『回復』があたりを包み込む。

 思い出したら俺が悲しく笑う理由が分かるだろう
 
 バキ…ッ、パキパキパキ………。
 
「どうせだったら、俺が自分で壊すよ。」

 思い出すんだったら、中途半端に思い出したくない。全て思い出して、解決策を考える。
 いつもそうだったじゃないか。
 仕事でどんなに周りに言われても、先方が難癖つけてきても、調べて何通りも解決策考えて、退職するまで頑張ったじゃないか。
 情報は武器だ。
 だから、自分で取り戻そう。

 手のひらを割れたガラスにつく。

「俺は、元々そうだったね。」

 そうだよ。周りからはよく弱いやつ、つついたら直ぐダメになるやつと舐められがちだったけど、俺はいつも一人で解決していた。
 
 グッとガラスに力を入れた。
 ビキビキビキと細かな線が走り、ガラスが割れる。


 バキンーーーーーーーーーッッ!!!
 

 小さな欠片がキラキラと降ってきた。
 目の前にはもうユンネはいない。
 あればガラスではなく鏡だったのか?
 
 記憶の渦が光る欠片を伴って、心を傷付けていく。
 


 あぁ…………、そうか。



「そうかーー………。」


 俺はポツリと呟いた。
 











 目を覚ましたユンネは、ゆっくりと手を上げた。
 ラビノアの『回復』で傷は全て完治している。
 額に手を当てると熱も下がっていた。
 細目がピクリと動き、ふっと力が抜けたように表情が柔らぐ。
 私の頬に手が添えられた。
 ゆっくりと薄い唇が動く。

「ファバーリア侯爵………?」

「!!」

 決しておかしな呼び名じゃない。確かに私はファバーリア侯爵だ。
 しかし聞き間違いでなければ、彼は私のことを「旦那様」と呼んでいた。
 次もそう呼ばれるかと密かに期待していたことに、自分で気付いてしまった。そして爵位で呼ばれたことにショックを受けてしまっている。

「怪我は完治した。気分はどうだ?」

 尋ねると、少し口角が上がった。頬に添えられた手がゆっくりと離れる。

「ええ、大丈夫ですよ。本当に治ってしまって、ラビノアのスキルは凄いですね。」

 柔らかな話し方も変わらないのに、何かが違うような気がした。
 ユンネがラビノアの方を見て少し驚いた。
 私も釣られてそちらを見ると、ラビノアは涙を流していた。
 そして一緒に覗き込んでいたミゼミまでも、号泣している。

「……………泣かないで。二人とも。」

 苦笑してユンネが声をかけていた。その姿もまた、いつものユンネらしくなく、何故か焦りを感じる。
 記憶か……?
 先程ラビノアが言ったように、記憶が戻り何か性格に変化が起こったのか?
 知りたかった。
 彼が何を忘れていたのかを。
 だが私が聞いていいのだろうか……。
 私はユンネを放置したのも同然だ。優先すべきものを間違えたのだ。
 ユンネに問いただしたくともその資格が無いように思えて、自分自身に嫌気がする。

「どうしましょう?悲しくてなりません。」

 ラビノアがハラハラと涙を落としながら呟いた。
 ユンネが困った顔で笑っている。
 とても静かだ。こんなに静かな人だっただろうか。

「うん、ごめん。起きたばかりで少し我慢が出来ないんだ。二人は心の機微が読めるんだよね?暫く離れていた方がいいよ。ミゼミも、後でゆっくり話そう。俺は少し疲れたから寝ていいかな?」

 二人は頷いて出て行った。

「…………私は、少し話してもいいか?」

「……………………ええ、いいですよ。」

 ユンネが微笑んで頷いた。
 笑顔もまるで別人のように見えてしまう。こんなに悲しく笑っていなかった。もっと春の陽だまりのように笑っていたのに。

「記憶を失くしていたのか?………私の所為だろうか?」

 そうでしかないと思いながらも、確認の為に尋ねた。
 だがユンネは首を振った。

「記憶は自分で封じたんです。だから侯爵の所為ではないですよ。俺の問題ですから気にしないで下さい。」

「……………………そうか。」

 それだけしか返事が出来なかった。
 もっと私を責めてくれた方が、ユンネに干渉出来ただろうに、関係ないと切り離された気分だ。

「今の騒動が終わったら、領地に帰りますか?」

 元々スヴェリアン元公爵の城から王都に帰還すれば、領地に戻る予定にしていた。

「殿下に許可を取り直すが、おそらく帰ることになる。」

 ユンネは少し考え込むように押し黙ると、何かを納得したのか私の方を向いた。

「じゃあ俺も一緒に戻ってもいいですか。」

 私が領地に戻る理由はソフィアーネ達の粛清の為だ。その為にルキルエル王太子殿下を通して王家の許可を取った。ソフィアーネの父親であるボブノーラ公爵に邪魔されたくなかったからだ。
 王家の紋章が入った捕縛命令も既に受け取っている。
 
「だが………。」

「邪魔しません。見届けたいだけです。」

 ユンネは一番の被害者だ。
 本人から見たいというなら許可するしかない。何かあれば私が助ければいい。
 私はユンネの手を両手で握った。そうしないと、永遠にどこかに行ってしまいそうで怖い。

「何があっても守るから。」
 
 こんな陳腐な言葉しか思いつかない。
 ユンネは私の手を握り返してはくれなかった。







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