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35そんな未来はいらない③
しおりを挟む領地に戻る前に態々俺にファバーリア侯爵は教えてくれた。
領地に遊びに来るように誘われてしまった。
行けないけど。
だって俺は貴方の元妻で、悪妻の侯爵夫人だったんだ。
俺の顔を知っている人間は殆どいないと言ってもいいくらいに、誰とも交流は無かったけど、それでもユンネ・ファバーリアの悪事を聞いた時、俺はもうここには帰って来れないと感じた。
まだ働き始めて一年も経っていないけど、ファバーリア侯爵を見るたびに悲しくなってくる。
本当なら仲良く夫婦になれたかもしれないのに。
なんでこんなことになったんだろう?
俺が子供過ぎた?ソフィアーネに全て任せなきゃならないくらいに頼りにならなかったのかな。
ソフィアーネの言葉が頭の中をぐるぐると回る。
「貴方が頼りないから私が侯爵夫人代理に選ばれたのですわ。」
「私は幼馴染なのです。ここの領地については誰よりも知っています。貴方がいてもいなくても、私が全てやれるのですから、貴方が何かをする必要はありません。」
「戦は勝利を収めたようですよ。お帰りになられたらスキルを持つ貴方は不要になります。離婚後は私が替わりに侯爵夫人としてこの領地を立派に治めて差し上げるのです。」
ことあるごとに離れの屋敷にやってきては何かを言って帰っていく。彼女の瞳はいつも俺を蔑んでいた。
俺はそれを黙って聞くことしか出来なかった。
「離婚届ですわ。私の言った通りになりましたね?さあ、血判を押して下さいませ。」
震える手で指に針を刺し、俺は離婚届に血判を押した。
嘲笑うソフィアーネの顔が怖い。見下してくる青い瞳が怖かった。
ファバーリア侯爵が愛した王太子妃も、綺麗な青い瞳をしていたな。
同じ青だ。青い瞳が好きだったのかな?
俺の瞳の色、違うもんね。知ってるかどうかも分からないけど。
俺は追い出されるようにファバーリア領地を出た。
そして今がある。
俺はこれからどうしたらいいんだろう?
とりあえず仕事には就けた。もっといろんな事勉強して、世の中のことを知ったら、違う仕事を探してみようかな?
仕事終わりの夜道でボンヤリと考える。
少しだけ気持ちが軽くなる。
何もかも諦めたけど、今から俺は自由なのかもしれない。
そう考えると明るくなれた。
そんなちょっとした気の緩みって良くないことが起こるもんだ。
お腹に熱い感触。
「あ゛……?」
なんだろう?痛い?熱い?
「やったか?」
「ああ、こんな弱っちい奴やったくらいでこの金額だぜ?」
「早く離れよう。あの銀髪のお嬢様は上客だな。」
銀髪のお嬢様?そんなのソフィアーネしか知らない。今なら理解している。ソフィアーネは自分がやっている悪事を、全部俺の所為にしていたことを。
それでも旦那様はソフィアーネを選んだから俺とは離婚したんだと思う。
それは悲しいことだけど、何も出来ない無能な自分だから仕方ないと思っている。
ドスンと膝を付いた。
痛い、苦しい。倒れた身体から力が抜けていく。
侯爵様………。
せめてちゃんと話してソフィアーネとだけは結婚したらダメですと言っておけば良かったかな?
たまに笑うファバーリア侯爵の顔が瞼の裏に浮かぶ。
影を作る黒い睫毛も、その奥にある漆黒の瞳も、いつも綺麗で見つめてしまった。
エジエルジーン様、助けて。
寒くて、手も、足も…………、動かない。
……助けを呼んでも無駄かなぁ。
悪妻ユンネは嫌われて離婚済みだもん……。
でも、騎士団で働く平民のユネなら、助けてくれるかなぁ………?
貴方の笑顔をもう見れないのは悲しいけど、これ以上嘘をつかなくていいことだけは………、ちょっと嬉しいかな………………。
「ソフィアーネ、いやボブノーラ公爵令嬢。貴様の身柄を拘束する。」
領地本邸に着いて真っ先にやったのはソフィアーネの身柄を押さえることだった。その為ワトビ副官含めて黒銀騎士団半分を借り受けてきた。本来ならもっと早くやりたかったが、王太子殿下の側近である私が治める領地の不祥事を、結婚式前に暴くわけにもいかず、終わって直ぐに取り掛かる羽目になった。
「いやっ!私はエジエルジーンの為にやったのよ!?あんな子供に侯爵家を動かすことなんか出来ないじゃない!」
「だからこそ信頼のおける部下たちを置いていったんだ。それを排除したのはお前だろう。ユンネはどこにやった?」
「はっ!あはは、あははははっ!まだ知らないのね!?もうこの世にはいないわよ!」
この世にいないとは不穏な響きだ。
「まさか追い出すだけじゃなく、殺したのか?」
ソフィアーネはひとしきり笑って黙り込んでしまった。
「吐かせろ。」
ワトビに命じる。
「私は公爵家の娘よ!?こんな事してただで済むと思ってるの!?」
「王命で捕縛許可を貰っている。ボブノーラ公爵も承認済みだ。」
「そんなっ!?お父様が!?」
騒ぎ続けるソフィアーネを部下たちが連れた行った。ワトビに命じてソフィアーネが引き入れた執事長以下使用人全てを集めさせて、逃げられては困るので牢に詰め込む。
まさか家同士の付き合いのある幼馴染がこんな事をするとは思ってもおらず、気付かなかった自分が忌々しい。
暫くするとワトビが青褪めた顔で飛ぶように走ってきた。
「エ、エジエルジーンっ!!」
仕事に就いてからは役職名ばかりで呼んでいたのに、珍しく昔の呼び名で呼んできた。
「どうした?」
ただ事ではないと慌てて立ち上がる。
ワトビはソフィアーネが少し脅すと直ぐに吐いたという内容と、王都の騎士団から入った報告を合わせて俺に伝えた。
どちらも信じられない内容で、頭の中に去り際の細目を垂らして笑った顔が思い浮かぶ。
そこからはまるで夢の中を歩くように現実味がなかった。
急いで帰った騎士団の安置所には、変わり果てたユネが寝ていた。真っ白な肌は血の気がない。
細目と細い眉を垂らして笑った顔はもう見れない。
灰色の柔らかい髪が広がり、頬にかかる一房を耳に掛け直した。
戦場に出れば死なんか幾つでも見てきた。仲良くなった仲間を数えきれない程失ってきた。
それでも大義のためと戦うから大丈夫なのだ。
でも、これは…。
これは…………………!!
「だ、団長?」
ワトビが不安気に尋ねてくるが、返事をする気にならない。
優しくユンネの頭を撫でた。
今にも笑い返してきそうな穏やかな顔。
十三歳で私が戦地に行ってから、ずっとあのボロい屋敷に閉じ込められ、訳もわからず一方的に私から離婚され、何を考えてここまで来たのだろう?
何も話すことも出来ずに永遠に別れてしまった。
私の所為だ。
まるで鉛を飲み込んだように身体が重たい。
「領地に戻る。ユンネの遺体も運んでくれ。氷を使って腐敗防止も頼む。」
「まっ、待て!領地に行ってどうするんだ!?」
ワトビが慌てて止めてきた。
「勿論、処罰を下す。」
淡々と返ってくる言葉にワトビは震える。まだ怒りで暴れてくれた方が良かった。
「団長、お客様が来られてます。」
騎士の一人がエジエルジーンを呼びに来た。
来訪者の名前を聞いてエジエルジーンから肌を刺すような空気が流れてくる。
分かったと了解して、エジエルジーンは応接室に向かった。
中にいたのはボブノーラ公爵だった。濃い銀髪を後ろに撫でつけたスラっとした紳士だ。ソフィアーネはこの男によく似ている。
椅子に座ることなくエジエルジーンは立ち止まった。
「ご用件を。」
ボブノーラ公爵は舌打ちをして立ち上がった。
本来なら向こうは公爵位。エジエルジーンは爵位的にも年齢的にも下に出なければならないが、そんな事構わなかった。先に手を出したのは向こうだ。
「ソフィアーネから連絡が来た。今牢に閉じ込めているそうだな?」
ソフィアーネには外に向けて連絡が取れないように言いつけたはずだが、誰か手を貸す者がいるらしい。
そうでなければ父親に手紙なりなんなり連絡は取れない。ソフィアーネに加担しているが、牢に閉じ込められていない者がいるということだ。
手を貸した者も全て処罰しなければ…。
「王家から勅命が届いたはずです。」
「私はそれに同意した覚えはないのだが?」
エジエルジーンの睫毛に覆われた瞳が半眼になる。
音もなく何かが動いた気配と共に、立っていたボブノーラ公爵の右耳から血が吹き出した。
「勅命と言ったはずだ。お前に拒否権はない。自分の命が大事ならば娘は切り捨てろ。ワトビ、摘み出せ。」
ワトビから素早く渡された布で、剣の刃についた血を拭いながら、悲鳴を上げたボブノーラ公爵にエジエルジーンはそう言い捨てた。
「……ぐう゛ぅ……、ま、待てっ!エジエルジーン、お前がソフィアーネと婚姻を結べは事は穏便に済むっ!ソフィアーネは元々ファバーリア侯爵夫人になる予定だっただろうがっ!!」
ボブノーラ公爵が吹き出す右耳の血を押さえながら、髪を振り乱して叫んだ。
「あんなものいらん。それと被害額はこちらが提示した分を請求する。帰ってその用意でもするんだな。」
それだけ言って、その足で詰所の出口に向かう。余計な時間を食った。
重い足を引き摺るように、馬で領地まで駆けて帰った。
何も思い浮かばない。
今まで何を考えていただろう?
領地の本邸に着いて、自分が新たに雇用した部下達に屋敷を出るように命じる。
ここにいるのは膿だ。
化膿して腐り出した傷口に溜まった、腐敗臭漂う汚い汁だ。
全部、全部……、排除しよう。
血の海なんて慣れている。
ずっと戦場にいたのだから。
牢に入れていた奴等も一人残らず切って捨てた。
剣の刃が直ぐに駄目になるが、これは仕方のない事だ。人の身体を切れば脂がつく。そうなれば直ぐに切れ味は落ちるのだから、折れるまで叩きつけるでも突き刺すでもすれば、いくらでも殺せる。
本当は法で裁くつもりだったが、許せない。
許せない……………!
何よりも……、自分自身が許せない。
自分に幸せなんて訪れない。
ボロっと涙が零れた。
「何これ。」
旦那様の最後がコレとかあんまりだろう。
王太子は主人公ラビノアと結婚して幸せになって、白銀騎士団長アジュソーは寂しくとも独身貴族を謳歌して、黒銀騎士団長エジエルジーンは闇落ちですか?
「ね?それ読んでどう思う?」
ぐすんと鼻を啜る。
「可哀想。旦那様、そんな悪い人じゃないよ?」
携帯の画面の中では、旦那様がユンネのお墓に花を添えていた。
あの血溜まりの屋敷はどうなったんだろう?
片膝をつき、俯く旦那様。
風がシルバーアッシュの髪をサラサラと揺らしていた。
髪であの美しい漆黒の瞳は見えない。
地面をパタパタと濡らすのは、きっと涙だ。
父親が死んでも、戦場を駆けて戦友を失っても、ユンネの死体を撫でていても、涙は一度も流さなかったのに、漸く一人お墓の前で涙を流している。
誰かの慰めなんていらないのだろう。
「……………そっか。」
俺は堪らずに携帯の画面を消した。
幸せが分からないと泣く旦那様を見ていられなかった。
「うん。」
「じゃあ、どうしたらいいと思う?」
え?どうしたら?
う、うーーーん、俺は離婚するつもりだったけど………。
漫画の中の黒銀騎士団長はユンネのこと好きだったのかな?はっきりと書いてないけど、闇落ちするくらいの好意があった?
「今の旦那様って好きな人いるのかな?」
「…………さあ?」
う、うーーーーーーん。
「じゃあ、聞いてみる。」
「え?」
分かんないから聞いてみよう!そして、旦那様が闇落ちしないように、好きな人と添い遂げれば問題ないんじゃないかな!?
「俺っ、聞いてみるから!」
俺の意気込みを聞いて、ガラスの向こうのユンネが笑う。
「はは、そういやそういう性格だったかも。」
ん?
ふわっと浮き上がる感覚がした。
あ、目が覚める。
ユンネに手を振ると、ユンネも手を振りかえした。
笑うと笑い返す。
まるで鏡だ。
俺はあんな未来はいらない。
だから足掻いてみるよ!
「ユンネさまぁ~~~~っ!」
ドンっと胸に衝撃が走る。
「グェ。」
目を開けるとサノビィスが泣きながら俺に縋り付いていた。
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