母は虚言癖

Kotobuki

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『一人だけ殺してもいいなら、母親を殺したい』

 四年前、家庭用に契約していた携帯電話から、三男が民生委員さんに宛てたメールに書かれていた言葉。
 何故そこまで言われるのか。
 私は母親失格の人間なんだと。
 ずっと悩み、自分を責め続けてきたこの四年間の日々。
 先日、やっと、この意味がわかった。
 ざっくり言うと、昔、元夫に傷病手当やら保険金やら、まとまったお金がおりた時に、そのお金を私が勝手に使い込んだということになってるらしい。母の話では。
 私自身はそんなこと、したことないんだけどね。
 私が入ったことすら知らないお金もあるし(苦笑)
 で、それを何かの拍子に母から聞いた子供たちが私に不信感を抱き、殺したいという表現になったのだろうと。たぶん、元夫が勝手に使って私のせいにしていたのだろうと思うけど、本人はもう死んじゃってるから、確認のしようがないんだけどね。ま、生きていたとしても、自分に分が悪くなるとすぐ、知らない・わからない・覚えてない、で逃げる人だったから(苦笑)
 それに、もう23年も前のことだから、今さら立証しようがない(笑)
 母も、その時にすぐ私に言ってくれていたらと思うけど。
 でも、理由がわかってスッキリしました。
 子供から殺したいって言われるなんて私は母親失格だってずっと悩んでたから。母親にとって母親失格は人間失格と同義語だから(笑)
 今回、私が長年悩んできたことに、一つの決着をつけることができました。
 形としては最悪で失うものも多いけど、理由がわかったことで私自身の気持ちも整理できて、精神的にも安定してきました。

 なんだか、とても長くて悪い白昼夢を見ていたような感覚で。
 今まだ現実感が薄くてふわふわした感じだけど。

 私の人生、まだまだこれから(^-^)


 平成30年の晩夏、私がとあるSNSの日記に書いた文章。
 これが全てだと思っていた。
 
 私が元夫と結婚したのは、まだ私が18歳の時だった。
 バイト先で知り合った元夫は、まだ18歳だった私には、充分「大人」に見えた。
 元夫がてんかんを患っていたことは、結婚する前から聞いて知っていた。が、元夫に、当時乗っていた新車のローン以外に、いくつかの借金があった事は、入籍した後に発覚した事だった。
 入籍後まもなく長男を妊娠。
 そして、元夫のてんかんが悪化していったのも、この時期だった。
 毎月のように硬直発作を起こしては救急車を呼ぶ日々が続き、その度に頭が痛いとか、一週間ほど仕事を休むのが常になった。
 入退院を繰り返すようになり、まともに出勤できなくなっていった。
 長男を出産後、長男を預けて私も働いていたが、当然、生活は苦しかった。
 元夫が仕事を辞めることになった時、貯金など、全く無い状態だった。
 結婚から、2年程が過ぎ、次男が私のお腹の中にいた頃だった。
 市役所の生活保護係の窓口に相談に行き、この時に担当の方から、傷病手当というものを教えてもらい、初めて知った。
 傷病手当とは、業務外での病気や怪我で仕事ができなくなった時に保証してくれるものらしい。
 幸い、元夫の勤めていた会社では、社会保険に入っていたので、傷病手当を受けられる可能性が高いということで、生活保護を受給させてもらいながら、その傷病手当の申請の手続きも進めていた。
 これが、冒頭の日記文の中に出てきた、傷病手当の話になる。
 
 元夫が、何度目かの発作で入院中の事。
 朝早く、私は、元夫が入院していた病院からの電話の音で目が覚めた。そして、取り急ぎ、病院へと向かった。
 医師からの説明では、元夫は、てんかんの重積状態と言われるものらしく、夜中から、短時間の間に何度も発作を繰り返し、一向に止む気配がないということだった。
 この時、私が病院に着いてからも、度々発作を起こしては注射を打たれて、眠るような状態を繰り返していた。
時々目が覚めては、「地獄に行ってきたぞー」とか、訳のわからない事を、私に向かって喚いていた。
 そんな状態で、ただ時間ばかりが過ぎて。
 地元では比較的大きな総合病院だったのだが、これ以上、打つ手がなく。
 担当の医師からは、専門の病院への転院を打診された。
 その専門の病院に転院してからは順調に回復していき、元の生活に戻ることができた。
 その病院があった場所が、たまたま、元夫の弟妹が近くに住んでいたことと、ちょうど良くこの時期に、傷病手当の受給が決まったこともあって、そちらに引っ越すことを、母と元夫の弟とで、ほぼ決めていた。
 1回目の傷病手当金を引越し費用に充てると聞いていた私は、この頃100%台所事情を母に任せていたので、そうだと思っていた。
 その私が事実を知るまで、約23年の時間が過ぎてからだった。

 平成30年の夏、私は、仕事中に誤って左手の薬指を骨折してしまう。
 幸い、怪我そのものは大事には至らずに済んだものの、しばらくは左手は固定され思うようには動かせない。仕事も休まざるを得なかった。
 その年の3月まで勤めていた警備会社を退社した後は、スポットの派遣の仕事で食いつないでいた。
 その事を妹にLINEで告げた。
 その頃使っていたケータイは、母の名義で契約してもらっていたものだった。
 私がその使用料や本体の代金を払えなくなると母がブラッツリストに載るからと、さっさと解約されてしまった。
 固定電話は無く、派遣会社との連絡はケータイでしていた。ケータイが無ければ、再就職先を探すことも出来ない。
 怪我が治っても、仕事が出来ない状態にされた。
 その上で、機種変更したばかりでまだ残っていた本体の分割金を、ちゃんと払ってねと、ほぼ命令口調。
 私が働けて充分な収入があったとき、母と妹は度々生活が苦しくなった時期がある。その時には、何万円かずつ、私は快く貸していた。生活が苦しいのは分かっていたので、返さなくていいよと言っていた。それよりも、2人に早く安定した生活を取り戻して欲しかった。
 家族なのだから、困った時にはお互いに助け合うのは当たり前だと思っていた。
 なのに、母は、窮地に立った私に対して、この仕打ち。
 さすがに、ずっと我慢してきた私も、ブチ切れ状態になった。
「あんたらにお金についてどうにかしてくれとは言わん。ただ、家族が怪我したって言ってるのに心配すらしないのか?!」と。
 ここで私が爆発した事でやっと、私は事実を知ることができた。
 元夫の傷病手当金とか保険金とかを、私が勝手に使い込んだということは、この時のケンカLINEのやり取りの中で告げられたものだった。
 そのせいで、母が大変な思いをしていたという。
 引っ越し費用に充てるはずだった傷病手当金を私が使い込んでしまったために、母が引っ越し費用を工面してくれていたらしい。
 あまりに想定外のことに、愕然とした。
 はじめは、何の事か、意味が分からなかった。
 務めて冷静に、頭の中にある過去の記憶を整理した。
 私は、1回目の傷病手当金が、いつ、いくら振り込まれたのかすら、知らされてもいない。
 予定通りに引っ越しが行われ、いつも通りの日常が過ぎていた。ただ、この頃、母と元夫の言動に違和感があった事を覚えている。
 私ひとり除け者にされているような疎外感や孤独感。そして、母はよく元夫に対して、私に甘過ぎるというような事を言っていた。
 あの頃はその意味が分からず、理由もわからず、ただ不安と苛立ちに苛まれる日々だった。
 そこから、ひとつの推論が生まれた。
 傷病手当金を使い込んだのは元夫で、元夫はそれを私のせいにして母に話した。母はそれを、まるっきり信じてしまった。
 傷病手当の受給者は元夫であり、手当金は元夫の口座に振り込まれていたのだから、元夫には可能である。
 私が知らない以上、母の言い分を信じれば、そういうことになる。
 元夫は、私がこの事を知る約3年前の平成27年6月に病気で亡くなっており、本人に確認する術はない。ただ、日記にも書いてあるように、本人が生きていたとしても、私が真実を聞き出すのは、かなり難しいと思われる。けれども、この仮説が真実だろうと信じるに足る理由が、私にはある。
 
 元夫と結婚してはじめの数年は、確かに上手くいっていた。元夫の持病の悪化とそれに伴う収入の減少に不安は少なからずあったものの、お互いに支え合っていると思っていた。子供も産まれて、これが幸せだと信じていた。
 私と元夫の間には3人の息子と娘がひとりの、4人の子供がいる。
 だが、本当の第4子の子を、私は中絶している。
 この頃、私が働きながら生活保護を受けていたため、保護係の担当の人から「保護を受けて子供ばかり産むのか」と、長時間拘束されて怒鳴られ続けた。
 私は何とか産めるようにしてもらおうとしたが、元夫は黙ってただ座っているだけだった。
 私が中絶に合意するまで、それが続いた。
 それも合意ではなく、私が中絶するお金もないと、反論する意味で言った言葉が、やむを得ない事情で中絶する人に費用を負担してくれる団体があると、担当者が調べ始めて、話がそちらに流れてしまった。
 二人で産もうと話し合っていたはずなのに。
 同棲時代、自分はヤクザともやり合ったことがあると豪語していた元夫は、一般人に強く怒鳴られただけで萎縮して何もできず。(その話は私も半分聞き流してはいたけども(笑))
 この時に負った傷とともに、元夫に対する不信感がどんどんと募っていき、実際に離婚が成立するまでの間、離婚してほしいと何度も言っていたが、その度に、子供達が成人するまではと、元夫から言われた。私も、自分が母子家庭だったこともあり、子供達には父親が必要だと思い、我慢していた。
 その私が、本気で離婚を決意した理由は、元夫の生活費の使い込みだった。
 平成20年、元夫が脳梗塞を起こし病院に救急搬送された。この時に胃がんがあったことが分かり、元夫の闘病生活が開始された。脳梗塞は大事には至らず、安定していき、胃がんも切除手術が無事に終わり、経過も順調に進んだ。健常時とほぼ変わらないまでに回復していった。唯一、脳梗塞の影響で、目が見えない状態になっていた。
 この闘病の間に、私は離婚することを諦めていった。
 病気と障害を抱えた元夫を見捨てることはできない、そう思った。
 元夫の病状が安定して、日常のことは一人でできるようになったのを見届けて、私は埼玉県にある警備会社に就職した。それを機に、私たち一家は、当時住んでいた栃木県から埼玉県へ引っ越した。
 新天地で心機一転、新しくやり直そうと心に決めた、その矢先のことだった。
 私の仕事の時間帯が夜になったことで、夕食の支度ができなくなり、私は、すでに中学を卒業していた長男と、料理が好きだった次男に食費を渡して任せていた。
 そんな折、元夫が家計を自分で管理したいと言い出した。
 私はずっとそれを断っていたが、そのやりとりが2~3カ月ほど続き、仕事と、精神的にヘトヘトに疲れていって、根負けする形で、元夫に、生活費10万円入っていた口座を預けた。
 そして、きっちり一週間後。
 元夫から、お金がなくなったと言われた。
 食べ盛り育ち盛りの子供が4人いて、確かに、我が家のエンゲル係数は高めではあったが、1カ月食費だけなら上手くすれば半分は残ると目論んでいた。
 激怒した私はすぐに通帳を確認。
 ほぼ毎日、1万円とか2万円とか引き出されている。
 このお金はどうしたのと、いくら問い詰めても、元夫は、「無い」と「すまん」しか言わない。
 これ以降、冷め切ったを通り越した家庭内別居の状態が続いた。後、完全な別居となり離婚した。
 その元夫なら、傷病手当金を使い込んでいても、不思議は無い。そう考えると、あの頃の違和感に説明がつく。
 だとしたら。
 元夫は、私が不信感を抱くずっと以前から私を利用していた事になる。
 子供達に対しても、私のいないところで虐待していたことを、私が元夫と離婚する時に初めて子供達から聞いた。
 結婚してからの日々を思い返しては膨らむ空虚感。
 もっと早くに離婚していたらと、悔やんでみても、過ぎた時間はもう戻らない。
 そして母は、そのことを私には言わずに、妹や私の子供達には話して聞かせていた。
 23年もの間、私とは普通に接していながら、私のいないところで、どれだけ私を罵っていたのだろう。
 それが、実の母親のしていたことなのだ。
 私は家族に失望し、母とも妹とも連絡を絶っていた。
 そして、この時に聞いたもうひとつの「保険金」のことなのだが、いわゆる民間の生命保険のことらしいが、いくら考えても、思い当たる節がない。
 少なくとも、結婚後に元夫に保険をかけたことはない。
 元夫の病状が悪化して収入が減っていく中で、子どもたちもいる。生活そのものがカツカツした状態で、民間の保険をかける余裕など、微塵もなかったのだから。
 私が妹に誘われて保険の仕事をしていた時期に、私の保険をかけたことはあるが、辞めた後すぐに解約している。
 これ以上考えてみても、わからないだけなので、こちらは放置していた。
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