回想録

高端麻羽

文字の大きさ
上 下
5 / 11

~踊る人影~

しおりを挟む
朝から降っていた霧雨は午後にはやんで、薄曇の湿気た空が街を覆っている。
ほとんど視界の無い窓の外をシャーロットは、ぼんやりと見つめていた。
「シャーロット?」
名を呼ばれ、ふと我に返る。
ドアの前には往診から戻ったばかりのジョンソンが立っていた。
「何ボーッとしてるんだ?具合でも悪いのか?」
「……いや、大丈夫だ」
彼が入室した事にも気付かなかった不覚を恥じるように、シャーロットは視線を逸らせる。
「ならいいが、季節の変わり目だからな。体調を崩さないように気をつけろよ」
ジョンソンは湿ったコートを傍らのハンガーに掛けながら、医師らしく忠告した。
しかし彼女が心ここにあらずな理由は、気候云々などでは無い事くらい気付いている。
「…この空模様なら、明日の夜会は予定通り開催されそうだな」
シャーロットは不意に口を開いた。やはり気になっているのだろう。
「そうだな。それに、どのみちパーティーは屋内だろ」
椅子に腰掛けながらジョンソンは、どこか嘲るような口調で応える。
彼はあまり貴族を好きではないらしく、それは以前から気付いていた。
フォスター男爵に限ればシャーロットにも嫌悪に近い感情がある。
だが彼女自身も貴族階級である為、あまり言及できずにいた。
「……ハンソン警部が言うには、近年、わが国には予告状を出す盗賊は出没していないらしい」
「じゃあ犯人は外国から来たのかな」
「だとしても不可解だ。予告などして警戒させたら、盗みにくくなるだけではないか?」
「よほど自信があるんだろうぜ」
「もう一つ、『赤い指輪』が狙われた理由が不明だ。男爵家には他にも様々な貴重品が数多くあるという噂なのに、なぜ」
「あれ普段は金庫の中なんだろ?パーティーで令嬢が身につけるなら、盗るチャンスだと思ったんじゃないか?」
シャーロットは息をつく。
「……君の意見は常に明解だな」
言いかえれば、身も蓋も無いという意味だが。
深刻なシャーロットとは対照的に、ジョンソンはずいぶん楽観的に見える。
そんな彼の態度が、シャーロットには内心、救いでもあった。
「ジョンソン、万一の時の為に銃を携帯して行ってくれるか?」
「ああ。そのつもりでメンテナンスしておいたぜ。今日は他にも準備に奔走して、新しい正装もやっと仕立て上がった……って、待てよ?」
ジョンソンはふいに何かを思い出したように詰め寄った。
「正装って事は、シャーロット!お前もドレス着るのか!?」
目を輝かせて問われた言葉に、シャーロットは唖然と固まる。
ジョンソンの顔に『興味津々』という文字が見える気がした。
あからさまな好奇のまなざしに、こめかみが引きつってくる。
「…何を言い出すかと思えば。生憎だがドレスではなく燕尾服だ。あんな動きにくい物を着ていては、いざという時、何もできないからな」
「なんだ、残念」
本気なのか悪ふざけなのかわからないジョンソンに、シャーロットはキッと鋭い瞳を向ける。
「遊びではないぞ、ジョンソン」
「わかってるよ」
「今までの事件とは違うのだからな」
「わかってるって。…でも残念、シャーロットがドレスならオレ、喜んでエスコートさせてもらったのに」
(!)
途端に、シャーロットの胸の奥がドキンと鳴った。
一瞬、ドレスをまとった自分と踊るジョンソンの姿が脳裏に浮かぶ。
「でも見た目が男同士じゃダンスもできないよな」
ところが彼女の想像を砕く一言と共に、ジョンソンはクスクスと笑う。
シャーロットは一瞬でもときめいてしまった己を深く恥じ、プイと横を向いた。
「せいぜい、ステップを間違えてレディたちに笑われぬようにな!」
それはシャーロットの精一杯の皮肉だったが、ジョンソンはさらりと受け流す。
「確かにそうだな。練習しといた方がいいか」
長身の影が立ち上がる。
シャーロットはそれを視界の端で映していたが、次の瞬間、目前に手が差し出された。
「Shall we dance?」
「――― えっ?」
ジョンソンはシャーロットの返事も聞かず、彼女の手を取る。
そして引き寄せるように立ち上がらせた。
「な、何を……」
「一曲、お相手願います。レディ」
そう言って身体を引き寄せ、細い腰に手を回す。
握った手を高く上げられ、シャーロットは自然とジョンソンの顔を見上げる体勢になってしまう。
心臓が、時計よりも大きく鳴った。
そのリズムに合わせるように、足を踏み出す。
リードされるまま、前に、後ろに。
昔、父に習ったダンスのステップ。年月を経ても体が記憶している。
久しぶりの懐かしいワルツ。
 ――― だがここはホールではない。
ターンしようと腕を伸ばした時、背後の机にぶつかってしまった。
「あっ…」
「危な…!」
後ろに倒れ込みそうになったシャーロットを、危うくジョンソンは抱きとめる。
「大丈夫か?シャーロット」
「あ、ああ…」
「この部屋の中じゃ狭すぎたか」
そう言って笑うジョンソンとは対照的にシャーロットは硬直していた。
彼女は今、体を支えるように片手を机についたジョンソンの腕の中。
ダンス中ならまだ言い訳できるが、今では単純に抱きしめられているだけである。
我に返ると、恥ずかしいなどというものではない。
そんな彼女に、ジョンソンも気付いたようだった。
「…シャーロット?」
不審そうな声に、シャーロットは思わず顔を上げる。
間近にはジョンソンの顔。
(――― コバルトブルーの瞳だったのか)
何の脈絡も無く、突然そんな思考がシャーロットの脳裏をよぎった。
今までダークカラーだと思っていたのに初めて知った新たな事実。
彼の瞳がまっすぐに見つめている。吸いこまれそうな深い色。
それが次第に近づいて来る。
輪郭がぼやけ、視界が翳ってゆく。
「――― 悪い」
(…え?)
不意にジョンソンはシャーロットの身体を離した。
あまりに唐突で、シャーロットが不思議に感じる程。
「踊ってる場合じゃなかったよな。……パーティーの支度しないと」
そう言ってジョンソンはスタスタと部屋を出て行った。
一度もシャーロットに視線を向ける事もなく。

一方、シャーロットの方は、何が起きたのかわかっていない。
やがて徐々に思考能力が戻ると、一気に体温が上がった。
(――― 今………キス……しようとした……?)
思わず、両手で顔を隠してしまう。
間違いなく、ジョンソンの顔は意図的に接近していた。
しかし彼の行為に対して少しも疑問や不自然さを感じなかった自分の方が問題である。
無意識に、だが当然の経緯のように受けようとしていたのだから。
寸前で回避したのは、奇跡に近い。
――― いや、ジョンソンが止めてくれたのだ。
あとほんのわずかで唇は触れ合っていたのに。
彼が礼節をわきまえた紳士だったから?それとも、自分が男装だから その気にならなかったのか?単に、無作法な男の悪ふざけだったのか?
……一体、どこまで本気だったのだろう。
わからない。
何を考えれば良いのだろう。今は、そんな事よりも集中しなくてはならない事態があるのに。
『鳳凰の血』の事を考えなくてはならないのに。
運命のパーティーは、もう明日に迫っているのに。
(お父様……、お母様……、お許し下さい……)
シャーロットは両親の写真をおさめた懐中時計を握り締め、謝罪の言葉を繰り返す。
現在、ストラスフォード公爵家の爵位は、父の弟が仮に継いでいる。
叔父は、いつかシャーロットが探偵業を終えた時、女公爵として受け継ぐ事を前提に預かったのだ。
無論シャーロットもそのつもりだった。
 ───だが、今は。
爵位を継いだら不可能になるような事を望み始めている。
ジョンソンとは身分が違う。それは初対面の時からわかりきっていた。
なのに、消したはずの自覚が戻り始めている。
自分が『少女』であるという事実を───
         
続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

魔女の虚像

睦月
ミステリー
大学生の星井優は、ある日下北沢で小さな出版社を経営しているという女性に声をかけられる。 彼女に頼まれて、星井は13年前に裕福な一家が焼死した事件を調べることに。 事件の起こった村で、当時働いていたというメイドの日記を入手する星井だが、そこで知ったのは思いもかけない事実だった。 ●エブリスタにも掲載しています

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

憑代の柩

菱沼あゆ
ミステリー
「お前の顔は整形しておいた。今から、僕の婚約者となって、真犯人を探すんだ」  教会での爆破事件に巻き込まれ。  目が覚めたら、記憶喪失な上に、勝手に整形されていた『私』。 「何もかもお前のせいだ」  そう言う男に逆らえず、彼の婚約者となって、真犯人を探すが。  周りは怪しい人間と霊ばかり――。  ホラー&ミステリー

どんでん返し

井浦
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

処理中です...